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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【五】 鳴動 -アレサンドロの未来・後編-
212/268

処刑の日

 アレサンドロが戻らぬまま処刑の日となった。帝都に到着して、わずか十日後のことである。

 この間、ユウたちの身にあったことは、特に深く語るにはおよばない。地下の牢へ幾人かの面会があっただけで、あとは何事もなくすぎてしまった。

 面会の相手はまず、アルバート・バレンタイン。クローゼの紋章官である。

 バレンタインは、ユウとテリーの入った小房の前に立ち、

「なにが起こっても、傷のある男は追い続ける」

 というクローゼの言葉だけを置いて去っていった。左目に傷のある北部貴族、ユウの探している仇のことだ。

 ユウはこのとき、アレサンドロを案ずる気持ちで少なからず浮き足立っていたのだが、事ここに至っても気にかけてくれる友人の思いにふれ、本当にうれしかった。そして、あえて選んでくれたのだろう『なにが起こっても』という文句に、思わず感極まってしまったのだった。

 ここで選ぶべき言葉は普通、『たとえ君が死んでも』だろう。

 なにが起こっても、とはつまり、『たとえ君が逃げても』とも取れる。

 これは単純に逃亡をそそのかしているのではない。ユウの罪がさらに増えようとも、それで仇の罪が消えるわけではない。相殺などさせない。そう言ってくれているのだ。

 クローゼは馬鹿だ。ユウは思った。

 ありがたいと思った。

 力がわいた。

 しかしこの時点では、脱出についてのハサンからの指示は、なにもなかった。

 その次の面会者は、サリエリ。

 この男が立ったのは、ララ、セレン、メイという女性三人の入った房の前で、さらにそこから鉄格子の近くまで呼び寄せられたのはセレンであった。

 低い声でかわされた会話はユウの耳に入らなかったが、マンムート二号車とマンタの合体方法についての問いかけがあったらしい。

 そして最後に、メイサ神殿随身官、ヌッツォ。

 これはもちろんユウを目当てに来たもので、

「准神官の職を解く」

 という話であった。

 それというのも神官は、この国の法では裁かれない。

「仲間とともに死ねぬのは、死よりつらかろうと仰せられましてなあ」

 カジャディール大祭主の心づかいであった。

「しかし猊下は、決して貴殿を見捨てられたわけではありませんぞ、カウフマン殿」

 と、ヌッツォは光った顔を鉄格子に押しつけて、さらに自慢げにこう言った。

「ほれ、その、罪人の処刑の際、刑場で祈る神官がおりますな。あれをなんと御自ら、わしがするとの仰せでして……」



 人声ざわめく、春色の空の下。

 そのカジャディールが登壇した。

 白ひげを風になびかせ、絢爛たる、大祭主としての正装衣である。

 なにを大げさな、と、いかめしげな眉をしかめたのは太陽神殿・ゲネン大祭主で、いまにも泣き崩れんばかりにハンカチを握りしめた月神殿・ディアナ大祭主、冷静に整列した六人の将軍、さらには各紋章官と、帝都大闘技場の天覧席には顔ぶれがそろっている。

 ただ、皇帝はいない。

 大公爵デルカストロもいない。

 将軍クラウディウスは、カジャディールと同じ壇の上にいる。

 闘技場の中央に広々と組まれた、舞台さながらの処刑台であった。

「クラウディウス」

「は」

「首領めがおらぬが」

 ユウたちはすでに、丈夫な木柱に首と手足とを縛りつけられた状態で待っている。

 ここで柱が一本余っているというのならば様々な理由も思いつくが、さて、そうでもない。

 ではアレサンドロ・バッジョのみ、日をあらためて処するというのか。

 カジャディールはそれもなかろうと確信していた。

 なぜならばこれは、帝国はじまって以来の銃殺刑。市民の関心も高く、現に大闘技場は数万の観衆で埋まっている。

 それを、この時点での予告もなしにまたやるというのは考えづらいではないか。

 しかしクラウディウスは平然と、

「まだ彼には仕事が」

 と、言ってのけた。

「仕事と?」

「これは陛下もご承知のこと」

 こう言われては、これ以上詮索できないカジャディールの立場であった。

「ならばよいわ」

 ぷいと顔をそむけ、カジャディールは副首領ハサンの柱へ近づいた。

「そなた、神は?」

「メーテル」

「メーテルか。では汝の魂が正しき道をたどり、愛に満ちた母のもとへ、迷わずたどり着かんことを」

 ここでこの大祭主は、その慈悲深い指をもって罪人の額と胸にふれたあと、もうひとつ、普通の祈りならばしないはずの動きを取ったのだが、これはあまりにも自然な流れの中でされたために誰に不審に思われることもなかった。両の手をゆるやかに柱の裏にまわし、ハサンを抱きしめたのである。

「そなたが適役であろうな」

「ンッフフフ、これは、おそれいりますな」

「神のご加護を」

「この国にも」

 このとき極小の刃物が、ハサンの手へと渡された。

「……さて、次はカウフマン」

「大祭主様」

「どうした、なさけないつらをして。アレサンドロ・バッジョならば生きておるぞ」

「彼はどこへ」

「それはわからぬ。だがまた会えようよ」

 カジャディールの硬い指先が、ユウの薄よごれた額と胸とを押した。

「されば、生きよ」

 ユウは強くうなずいた。


 ドラムが鳴り、ケンベル秘蔵のスナイパー部隊が、ユウたちの前へ立ち並んだ。

 天覧席へ向かって仰々しく筒を捧げ、弾をこめ、銃床を肩に押し当てる。その一糸乱れぬ動きの素晴らしさに場内が震動した。観客たちのため息である。

 ドラムは続く。

 一陣の風が、国旗を描いたのぼり旗の列を吹き抜けていった。

 この見せ物を取り仕切るクラウディウスの右手が揚々と上がり、いざ、と、静止した。

「……」

 じらす。

 じらす。

 ……いや、これは長すぎる。

 カジャディールからすると撃ってもらいたくはないが、ここまで引き伸ばされると気持ちが悪い。観客席にも、さざ波が広がっていく。

「これ、いかがした」

 カジャディールがクラウディウスの背に問うと、闘技場のゲートから駆けてきた四つ足の影がふたつ、跳ねるように舞台へと上がった。どちらも大きな黒犬であった。

 クラウディウスはしばし、その犬たちと視線をかわし、なにか言葉をやりとりするような仕草を見せていたが、不意に上空へと目をやってこう言った。

「全員、待機」

 小さな、これは本物の影が、さっと客席を横切った。

 舞台を通り抜け、さらにぐるりと方向を変えて、その黒い点はクラウディウスの足もとへと止まる。

 みるみる影が濃く、鮮明になっていくのは、その主が近づいている証拠だ。

 翼がある、と、カジャディールが見たその瞬間。影は横走りに移動して、ユウの柱の先端に立っていた。

「……デローシス五一二号」

「いかにも。しかし私の名は、モチです」

 モチだ。

 ユウたちはみな笑顔となって、真昼のフクロウを振り仰いだ。モチの目にはサングラスがわりの木の皮が貼られている。

 背すじをぴんと伸ばし、名乗りをきっかけに吠え出した犬どもを、一瞥でおびえさせた姿などは神々しくすらあった。

「モチ!」

 ララの歓声に翼を振って応えたモチは、白い胸をふくらませ、ボウ、と、静粛をうながした。

 その、演説第一声。

「セロ・クラウディウス。私は、あなたが魔人だと知っています」

 ざわついた場内に、再びボウの音が響いた。

「あなたの名は、そう、オオカミ」

 ……なんだって?

 驚いたのはユウだ。

 クラウディウスを見た。そして、クジャクを見た。刑場に入り、将軍と顔を合わせたこの男が、そのとき、らしからぬ興奮を示していたことを思い出したのである。

 ふたりの間には言葉こそなかったが、ぶつかり合った眼光の激しさはただごとではなかった。

 ユウはこれを、アレサンドロはどこだという追及の行動と取ったのだが、そうではなかったのだ。

 ……待てよ。

 だとすると。

 ユウは自分の想像に、ぞっとした。

 アレサンドロはオオカミに会ったのではないか。

 会ってどのような反応をしたか。いどみかかって返り討ちにあったのではないか。

「ハサン……!」

「騒ぐな、わかっていたことだ」

「え……?」

「そのために手間をかけてきた。冷静であれと教えてきた。アレサンドロはもう駒ではない」

 ハサンは真正面を見すえていた。まるでそこに、自らを映す鏡が立っているかのように。

「いまは待て。準備だけをしておけ」

 わあっと雄叫びを上げた騎士が数人、槍を突き出してモチを黙らせようとした。全員が射線からの待避を命じられていたために、元盗人同士のひそやかな会話には、毛ほども気づいていない。

 モチはひらりと舞って穂先をかわし、次の柱へと飛び移った。

「あなたがなぜその場所に立っているのか、それはいいでしょう。なぜ昔の友人、仲間を殺そうとしているのか、それもいい。謎解きは私の仕事ではありません。私はただ救いにきたのです」

「ハハ」

 クラウディウスは楽しげに白い歯を見せた。 

「アレサンドロはどこです」

「すぐに会えるとも」

「ホウ……?」

「それよりも君は自分の心配をするべきだな、五一二号。ライフルで命を落としたはじめての鳥として名を残すか」

「オオカミ。あなたは私が逃げたと聞いたとき、こう思ったはずです。たかがフクロウ一羽になにができると。あなたこそ野性を忘れたことを後悔すべきです。他の魔人たちならば、私をあなどったりはしなかったでしょう」

「では見せたまえ。君の言う野性とは、そうして槍と追いかけっこをすることかね!」

 ぎゃあア!

 モチが叫んだ。

 どこかを傷つけられたわけではない。威嚇だ。怒りだ。

 それはこだまが返るほどの大音声だった。

 空が騒ぎはじめた。

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