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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【五】 鳴動 -アレサンドロの未来・後編-
202/268

農夫

 さて、それから幾日かたった、ある夜……。

 一台の旅馬車が、とある町の外門アーチ外に止まった。

「こちらでよろしいのですか?」

「ええ、あなたがたはこの場で待機を」

「しかし……」

「せめて剣を……」

「いえ結構。それよりも、閣下への連絡を忘れぬように」

 軽く足台をきしませ、ぬかるんだ道へと降り立ったのは、エルンスト・コッセル。ラッツィンガー軍の老紋章官である。

「ないとは思いますが、あやしまれた場合は身分を明かして構いません。なにかあれば、すぐに連絡を」

「は。お気をつけて」

 言葉を受けたコッセルは微笑を深め、小さく頭を下げてそれに応えた。相手は四十も歳の違う部下たちであるのにだ。

「では」

 と、遠ざかっていく紋章官のうしろ姿を、部下たちも、それぞれの祖父を見るような目つきで見送った。

「それにしても……」

「ああ、川向こうのバーテもこんな調子だそうだ」

「結局、このへんに天使は来なかったのにな」

「ああ」

 天使と天使の団をおそれての人口流出により、この町アーカンもまた、ゴーストタウン同然となりはてている。いまだにとどまっているのは神官が数人、その程度のものではないだろうか。

 そうなれば当然、町の維持管理などできるはずもなく、人の行き来が絶えずあった大通りでさえ氷が波打ち放題。火事場泥棒にでもあったのか、窓ガラスの破られた商店・人家も少なくない。それでありながら通りに明かりがあるのは、街路灯が光石式であるためだ。

 さ、さ、と、それまで歳を感じさせない軽快さで動いていたコッセルの足が、長屋式に連なる扉の、そのひとつの前で止まった。

『浮雲亭』

 半地下のその店へとつながる下り階段には、真新しい靴跡がついている……。



「店を離れるとは感心せんな」

 コッセルは突然そのように声かけられて、ぎくっと足を止めた。

 店内は以前と変わらず、明るからず、暗からず。ただ、テーブル、椅子、調度品など、目につくものすべてに、埃よけの布がかけられている。

 その奥。

 小体な酒場にふさわしい、小体な暖炉のその前に、丸くかがみこんでいる男がいた。

 わきに引かれた椅子の背に、男のものと思われるマントが投げかけられている。

「チャンスは混乱期にこそある。そうは思わんかね」

「ええ、同感です。このようなときにこそ酒を飲み、心を落ち着けたいと思う者もいる。……我々のように」

「おや、これはご老体」

「おひさしぶりで」

「いや、まったく。これはどうも私としたことが、マスターと勘違いをしてしまったな」

「いえいえ」

 男は、シャー・ハサン・アル・ファルド。

 暗黒街の魔術師。エイの紋章官。

 そして今夜の、交渉相手である。

 もちろんふたりは示し合わせてここへやってきたわけだが、コッセルはその交渉にあたり、ハサンがひとつのゲームを持ちかけてきたことを敏感に察知した。

 つまり互いに、偶然再会した客を演じようというのだ。

 ふたりだけの状況でなにを馬鹿な、と、主のラッツィンガーならばはねつけたかもしれないが、コッセルはむしろ、面白いとばかりにそれに乗った。

「そこで、なにを?」

「ああ、こうしたときは失くした腕が恋しくなる」

「火ですか。どれ、かわりましょう」

「すまんな」

「いえ、慣れておりますので」

 コッセルはハサンと入れ違いに腰を落とし、形よく組み上げられた枝木の山へ手ぎわよく火を入れた。

 鉄機兵団においては紋章官として騎士待遇を受けているコッセルだが、本職はラッツィンガー家の執事なのである。

「おお、ようやく温まってきた。どれ、一杯やりながら語らうとしようか、ご老体」

「よいのですか?」

「よいもなにも、ここは酒場ではないか。金さえ置いておけば構うまい」

「なるほど」

「さて、なににしようか……」

 カウンターの向こうへ入りこみ、物色をはじめたハサンに、

「オレンジジュースを」

「ンン?」

「これからまだ、商談がありますので」

「ンン、ンッフフフ」

「構いませんか?」

「もちろん。ではそうしよう」

 幸い店の棚には未開封の瓶ジュースが残されており、ふたりのグラスはすぐに満たされた。



 さて……。

 ここで交渉を、というところだが、なかなかふたりは切り出さない。

 カウンター席に並んで座り、世間話の態で、国内情勢と天使についての情報を交換しつつ、まずは互いの知識を補完する。

 そして、

「天使の団……」

 と、これはコッセルから口火を切った。

「彼らをどう思われますか」

「どうとは?」

「ええ……。私は以前、彼らの目的が国家の転覆であると申し上げました」

「そうだったな」

「ですが」

「それは違う」

「そう思われますか」

「いや、ご老体自身がそう思われているのだろう? ならばそれでいいではないか」

「それはずるい」

「ンッフフフ」

「あなたのご意見を」

「そうだな……」

 ハサンは煙をぷかりとやって、グラスにそそいでいた視線をわずかに上げた。

 遠い世界を見る目をしている。

「天使の団、エディン・ナイデル。この男はつまり牛だ。天使という名の、すきを引いている」

「……」

「すきは固く締まった土を掘り起こし、雑草の根を切る。無駄は取り除かれ、必要だけが残る。そのあとに農夫が種をまく。すきには、もう用はない」

「ではやはり、はじめから使い捨てにするつもりだったと」

「十中八九な。そして、その不要なすきを処分するはめになったのが……」

「領主と、仲間の農夫」

「ではそういうことにしよう。領主と仲間は働いた。それこそ命がけでな。結果はどうだろう。すきは除かれ、彼らの評判は……」

「……上がりました、どちらも」

「そのとおり。そしてそれこそが農夫の目的を見えにくくしている。仲間を蹴落とすつもりならば、すきはもっと頑丈に作っていただろう。領主を蹴落とすつもりならばなおさらだ。しかし現実は、みなの評判が上がった!」

「つまり農夫の狙いは……」

「浄化と安定。ひとまずはそうであると見た」

 コッセルはそこで、実に上品に冷笑した。

「ではその先はどうでしょう。まさか、そこで終わりではないはず」

「まぁ、少なくとも、支配や乗っ取りではあるまい」

「なぜそう言いきれますか?」

「奪う気があったのならば、いつでもできたはずではないか。なにしろこの農夫、先代領主に随分とかわいがられたという……」

「そこまでご存知ですか」

「いや、少々ヤマをかけた」

「おやおや、ふふふ」

「だが、そうでなければ説明できんことも多い。与えられた権限に対して、出自が悪すぎる」

 そのとき、コッセルの目に強い驚愕が浮き出たのを確認し、ハサンはいよいよ、確信を自信へと変えた。

 敵の正体、ここに見たりである。

「ふふ……これはまったく、どのように言えばよいのやら。考えてみれば、あなたは農夫をよく知る者たちをご存じでしたね」

「そういうことだ。とはいえ先ほども言ったが、こいつ正直よくわからん。その心底にあるものが、奉公であるのか、大義であるのか、はたまた狂気であるのかまではな」

 コッセルは素直にうなずいた。

「ただひとつ言えるのは、これがただ単純な滅亡への道などという話ではないということだ。このまま農夫を野放しにしておいたほうが、あるいは国家は栄えるのかもしれん」

「しかしだからといって、現領主の意思をないがしろにしてよいというものでもありますまい」

「ほう、ではご領主様はどのようにお考えかな」

「まず戦を好まれず、差別を嫌い、そう、以前あなたがおっしゃっていた、共生の道までをも探っておられたとか」

「だが、いまは違う、と」

「残念ながら」

「ふむ……」

 ふたりは、ややしばらく沈黙し、

「これは、その一件にも、やつが関わっているな」

「ええ」

 と、『ゲーム』も忘れ、うなずき合った。


「ひとつ、疑問を晴らさせていただけますか?」

「なにかな、ご老体」

「レッドアンバーはなぜ、天使の団のみを標的としたのでしょうか。正体を特定できているのであれば、真の敵はあの男であるはず」

「……フフン」

「これはまだ、彼と手を組むつもりがあるということでしょうか。それともまだ他に、なにか意図が」

「さて……」

「お答えいただきたい」

 ハサンはそこで、ほろ苦く笑って、口ひげをついとなでつけた。

「なぁ、ご老体。レッドアンバーがやつを狙うとすれば、それは復讐だろう。復讐というのは恐ろしいもので、それがひとつの終着点となってしまう。それを終えた時点で、ああ、もういつ死んでもいいとなってしまうのだ」

「ええ」

「レッドアンバーの紋章官は、つまり首領・アレサンドロ・バッジョに、その先を期待しているのではないかな。どうも私には、そう思える」

「その、先ですか……」

「うむ。私怨を越えた、共生という理想の、さらにその先の現実だ。エディン・ナイデルも、かの男も、そのための試練のひとつでなければならん。最後の敵であっては困るのだ」

「……」

「これ以上はわからん。あとはその紋章官に聞くがいい」

 コッセルは二、三度静かにうなずくと、

「なるほど」

 と、ため息をはくように言った。

 そして、

「なるほど」

 と、同じ言葉を再度くり返し、笑顔を見せたのであった。



 さて、それからのふたりは話題を変え、

「ときにご結婚は……ははあ、していらっしゃらない」

「なかなか、居どころの定まらん商売でな」

「それはもったいない。私などは……」

 などと、まるで無邪気に語り合い、時をすごした。

 なにしろこうなってみると、互いに知識と算段を売り物にしているだけに話はつきないし、冗談も上手に噛み合う。

 ついに、酒もやろうか、ということになり、肴はないかと戸棚をあさったりなどしているうちに、気がついてみれば明け方近くだ。

「ああ! これは長居をしすぎました」

 と、あわてて腰を上げたのは、コッセルであった。

「申し訳ありませんが、これで」

「ああ、構わん構わん。すべての始末は私がしていこう」

「ありがとうございます。なにしろ……」

「若いのを待たせているらしい」

「ふふふ。いまごろ、気を揉んでいることでしょう」

「そろそろ私にも迎えが来るかな。おお、ご老体、ここは私が」

「いえいえ、私が持ちましょう。年寄りには恥をかかせぬものです」

「そうか、それは申し訳ないな。では次は、私がご馳走しよう」

「それはうれしい。ではいつごろに?」

「天使が動くとき。なに、気にすることはない。準備はすべて整っている」

「ははあ。では、ダンダーゲンにて」

「日の出とともに会おう」

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