密議
皇帝・ユルブレヒト四世を頂点にいただくグライセン帝国には、大きく、ふたつの組織が存在する。
ひとつは、武を担う『聖鉄機兵団』。
そしてもうひとつは、文を担う『元老院』。
長はそれぞれ、筆頭将軍ジークベルト・ラッツィンガーと、議長フェデリコ・デルカストロである。
くしくも同年の五十二歳になるふたりだが、その性質は役職同様、大きく異なった。
たとえばラッツィンガーは地方騎士上がりの叩き上げであり、質実剛健。剣や馬に親しみ、堅物ではあるが情に厚く、人気も高い。
対してデルカストロは、序列下位ながら皇位継承権まで持つという生まれながらの大貴族であり、四角四面。俗に魔物のすみかにもたとえられる国家の内情をのぞきすぎた目は険しく、心は冷たく、長身で肉の少ないその姿は死神とも形容され、これは当然、好き好んで近づこうという者もいなかった。
さて……。
そのデルカストロは、南部の所領以外にも帝都に邸宅を構えていたが、その屋敷をいま、ラッツィンガーがたずねようとしていた。
日ごとに春めいていく日差しの中では、さすがの死神屋敷も、華やかな光に照り輝いているように見える。
ラッツィンガーの屋敷などは小所帯で、ようやく今朝になって、雪やつららをかき落とす音が聞こえはじめたものだが、こちらの屋根には水滴のひと粒もついていない。その行き届きぶりにひとり感心したラッツィンガーは、出迎えの執事が開放した扉をくぐる前に素早く身だしなみを整え、ひとつ小さな咳をした。
応接間に通され、落ち着きもしないうちに、屋敷の主は現れた。
「本日は、ご都合もうかがわず……」
「うむ」
と、立場としては、デルカストロのが上である。
「まずは、かけよ」
「は……」
「それで?」
「ご相談が」
どこまでも冷静なデルカストロの白い目が、ぎらりと光った。
「先日、かの天使のうち一機が、空飛ぶエイの一団によって倒されましたことは……」
「いや、知らん。だが、望ましい結果ではない」
「は……」
「この国は聖鉄機兵団の勝利を望んでおる」
「それは、いかにも」
「……で?」
L・Jが主流となる以前の、血潮飛ぶ戦場を数多駆け抜けてきた武人が、このときばかりは手汗をぬぐった。
相手は声を荒らげているわけではないのだが、その言葉、刃のごとしである。
おまえはこうしたいのだろう、などという推測を一切口にせず、待ちに徹する姿勢など、いかにも巧者。
「デルカストロ公」
ラッツィンガーは自らを高めるため、わざと不敵に笑って見せ、
「彼らとの共闘を計画しております」
一気に言いきった。
デルカストロは、少なくとも沈黙した。
「まず、現時点における天使の数は、四体。それらはすべて進路を変え、ひとつ所に集まりつつあることがわかっております。これはおそらく、総力戦のきざし」
「……」
「とはいえ……」
いままでの経験上、一般のL・Jではサポートが関の山。
こちらが使える将軍機は、神速のベネトナシュ、超光砲のメラクを除いた五機。
飛行戦艦は戦略兵器となり得るが、まさかに、国境線を手すきにするわけにも、帝都をもぬけの殻にするわけにもいかない。
とにかく、手が足りない。
「国家の剣、国家の盾たる騎士団として、恥じ入るおこないであることは重々承知しております。しかし、ただ、いまは、あのような悪逆無道の輩に帝都の土を踏ませぬことが大事!」
と、思わず語気が強くなる。
「幸いレッドアンバー、空飛ぶエイの一団もまた、天使の団に標的を絞った様子。交渉にも、さして手はかからぬものと見ております」
「ならばそもそも、その交渉自体が不要ではないか」
「いえ。遅れて来られ、結果的に手柄だけをかすめ取られるわけにはまいりません」
「従うように見せかけた上で、あえてそうするということもある。遅参の言い訳などいくらでもつけられよう。野生のエイに首輪はついておらぬ」
「しかし……!」
「民意は手柄で動くもの。手柄を立て、地位を回復した奴隷の、その先にあるものがグライセンではないとなぜ言える」
「彼らが民を扇動すると?」
「『彼ら』ではない、ラッツィンガー。『やつら』だ」
「む……」
「空飛ぶエイの一団。いったいなにを成そうと動いておる。この帝国にとどまり、空を飛び続けるその目的はなにか。答えよ、ラッツィンガー。答えられぬものをそなたは内へ引き入れようというのか」
これにはラッツィンガー、ぐうの音も出なかった。
「……なるほど、利用するのはよかろう」
と、デルカストロの口調は、講和を持ちかける勝者のそれとなり、
「だが天使殲滅ののちは、すみやかにエイの一団も始末せよ。これがフェデリコ・デルカストロ……元老院の結論である」
「しかし、しかし陛下は、殺してはならぬと」
「時勢を見よ、もはや無効よ。そなたたちとて脅威と思えばこそ、将軍機を幾機も失わせてきたのであろうが」
「む……う」
「以上である」
「……は」
と、いうことになった。
「で、相談とは」
「は……?」
「要件はすんだかと聞いておる」
問われたラッツィンガーは、へどろもどろになった。
神経衰弱。
もはや、脱力の域に達していたのである。
「いえ……」
薄く浮いた額の汗をぬぐい、
「公爵殿には今回の件、知らぬ存ぜぬを通していただこうと」
「つまり?」
「知らぬ顔で、陛下のご疑念をかわしていただきたいのです」
「よかろう」
デルカストロは、たったいま承認した一件であることもあり即諾した。
「空飛ぶエイの一団が、いかに、はかったように現れようと、それらはすべて偶然」
「是非そのように」
「あいわかった、元老院にもそのように対処しよう。交渉は誰が」
「コッセルが」
「それがよい。あれならば適任」
「では、これにて」
「待て、ラッツィンガー。そなたまさか、このことカジャディール猊下へも、もらすつもりではあるまいな」
「は……?」
「いや、構うな。ご苦労であった」
「は。失礼を、いたしました」
いまでは空飛ぶエイの一団で通っているレッドアンバーの一味、もしくはそれに関わる何者かが、メイサ神殿と浅からぬ仲にあるらしい……という噂を耳へ吹きこんできたのは、太陽神殿のゲネン大祭主であったか。
とがったあごひげをひとなでして立ち上がったデルカストロは、窓辺へ寄り、外をながめやった。
私物と思われる黒馬車に巨漢のラッツィンガーが乗りこもうとしている。大公爵から見れば、まったく粗末な一頭立てだ。
目礼をかわすふたり。
だが、その馬車が動き出してしまうともう、デルカストロの視線は空へと移り、思考ははるか彼方へと飛んでしまっていた。
大いに、まずい……。
カジャディールとエイの一団のことである。
たとえばグライセン帝国では、神職にある者を法によって裁くことができない。裁くためには、まずその旨を大神殿へ伝え、罪を犯した神官の職を解いてもらわなければならない。
しかし、そこに明確な基準はなく、解く必要なしと神殿側が判断すれば、そこはもう従うしかないというのが現実だ。
つまり神殿には、そのような絶対不可侵の領域が保障されている。
では、いま……。
その神殿の最高権力者のひとりであるカジャディールが、エイの一団を『身内の者』として庇護すればどうなるか。いや、もっとリスクを下げ、『宗教的迫害を受けた難民』というような認定を与えてしまえばどうなるか。
到底、始末などできようはずもないではないか。
「実に、まずい」
実にくやまれる。もっと早く、そこに気づくべきだった。
デルカストロは執事を呼びつけ、手早くしたためた書簡を、ある場所へと届けさせた。法の庭を外から荒らさせるわけにはいかぬ。
その夜、届いた返答は、
すべて、まかされますように。
という無味乾燥なものだった。