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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【五】 鳴動 -アレサンドロの未来・後編-
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救出(2)

 抜きたくないな……。

 それがユウの、正直なところだった。

 実際に刃を確認したわけではないが、使われた鋼は、将軍機に使用されていた帝国お墨付きの光鉄。鍛えたのは魔人ミミズだ。腰の大刀は、世界一と言っていい代物に違いなかった。

 その、はじめての相手がエディン・ナイデルであることに、若干の惜しさを感じたのである。

 もちろんこれは、ただのわがままだ。

 ララの命と引きかえにしてまで押しとおすことではない。

 ユウはそっと、大刀の鯉口を切ってみた。

 納めてみた。

 ちん、と、小気味のよい音がした。

 つまらない感情は、これで消えた。


『ああ、カウフマン』

 N・Sカラスを出迎えた天使の機嫌は、至極よかった。

 目標としていたはずのマンタはもうすでに遠く離れていたし、当然アレサンドロにも手が届かない。

 それでもエディンは、悠々閑々といった様子であった。

『……ん?』

 そのとき天使は巨大な首をぐうっと差し伸ばし、カラスをねめまわすようにした。

 気づいたのである。カラスの腰の両側に、それぞれひと振りずつの刀が下がっていることに。

 左のそれは言うまでもなくミミズの打った大刀だが、右のそれは若干おもむきが違う。大刀よりもやや寸の短い、小刀であった。

 実はこれは新しいものではなく、スピードスター・ホークによって折られた先の太刀、その根元を削りなおして柄をはめた、言ってみればリサイクル刀なのであった。

『二刀流?』

 エディンは天使に大きな拍手をさせ、高笑いした。

『まったく、いろいろとよく考える。あの手が駄目ならこれ、この手が駄目ならそれ。ねぇ、まさか月の聖石を使ったんじゃあないだろうね』

『……』

『う、ふふふ、どうやら君には、味方も多いらしい』

『あ……!』

『んん? どうしたの、カウフマン?』

『……いや』

 ユウは冷汗をぬぐいたい気持ちだった。

 なぜならば、天使がぐるりと首をまわして、エディンの言うその『味方』を探すような仕草を見せたからである。

 執念深く陰湿なエディンのことだ、ミミズが協力者であることを知ったが最後、なにをしてくるかわかったものではない。

 だがN・Sミミズの姿は、もうどこにも見られなかった。

『それにしても』

 エディンすぐに興味の方向を変え、言った。

『君はひどい。ねぇ、この神速までこんなにしてしまって、本当にひどい』

 ひどいなどと言いながら、この男、まったくそうは思っていないようである。

 これについては、かねてからユウも不思議に思っていたのだが、どうもこの巨大兵器に対して、『切り札』などという認識をはじめから持っていないようなのだ。

 よくてそのあたりのL・Jと同等か。もしかするとそれ以下か。

 つまりエディンは天使以上のなにかを、いまだに隠し持っているということなのか。

 それにしても……。

 ユウも思った。

 天使の腹の中にいるはずのジョーブレイカーは、いったいなにをしているのだろう。

 ララは無事なのか。

 そして、次の一手は。

 天使の肩越しに見えていた、マンタの小さな影が、いつの間にやら向きを変え、こちらへと近づいてきていた。

『ユウ!』

 そのとき風がぶうんと鳴り、カラスの下方すれすれを、天使の右手がかすめていった。

 これははずれたのではない。動物的な勘を働かせたモチがとっさに身体をひねり、回転させ、いわゆる棒高跳びの格好で攻撃をかわしたのである。

『うふ、まだまだ』

 と、続けてせまる左の手のひらを前に、ユウは大刀の鯉口を切り、方向転換はモチにまかせてそれを抜き打った。

 天使の小指が、ぽんと飛んだ。

『ああ、お見事。素晴らしい切れ味だ』

 これほどの刃を持つ武器が、はたしてこの大刀以外に存在するだろうか。

 はずした、と、柄を握るユウでさえ思ってしまったほどに、いまの一撃には抵抗というものが存在しなかった。

 切断面も美しい。

『……なるほど、魔人ミミズ。まだ生きていたとはね』

『!』

『う、ふふふ、これは面白い。……ねぇ。ところでカウフマン。どうも、ここになにかいるようだけれど、これは君の仲間?』

『え……?』

 戸惑うユウの目の前で、天使が腹をさするようにした。

『だったら早く、出してあげないと、ね』

『……エディン』

『だってそうだろう。壊れかけたおもちゃを後生大事に持っていたって仕方がない。だから君が、最期まで、面倒を見るんだ』

『待て、エディン!』

『あ、はは、ははは!』

 と……。

 天使の額の赤ランプが消えた。

 同時に、残った三基のブースターの炎も消え、その巨体が、すとんと落下した。

 土塊が飛び散り、地面が揺れる。

 天使はしめった土にはまりこみ、塔のように直立した。



「……うぅ、つ、つつ……気持ち、悪ぅ」

 驚いたのはララである。

 いや、驚いたのは一瞬のことで、あとはもう大きな揺れに振りまわされて、わけもわからないままに後頭部を打ちつけてしまった。

 シートに座り、ベルトをしていたからいいようなものの、もししていなければ、コクピットの中で骨でも折っていたかもしれない。

 そのとき外からひそやかに、ハッチを叩く音がした。

「ララ」

「シュナイデ? あんた大丈夫?」

「はい」

 ハッチを開くと、またあの熱気が、むわ、と吹きこんできた。

「怪我は」

「ううん、大丈夫。ねぇ、いまのなに?」

「わかりません」

「ジョーは?」

 シュナイデは首を振った。天使の体液にぬれた髪が、千々に乱れている。

 ジョーブレイカーは、ふたりを残して外との連絡が取れる場所を探しに行ったのだが、それ以降音沙汰がない。

 無論、ララはジョーブレイカーの身に関しては、特に心配していなかった。

「……あれ?」

「?」

「ねぇ、なんか、変じゃない?」

 ふと、ララは気づいた。

 気温が徐々に下がっている。

 サンセットのシステムで確認すると、まさにそのとおりである。

「あ、うしろ!」

 天使の、筋の色があせてきている。

 脈動も鈍り、ひくひくと、時折しゃっくりのように痙攣するさまは明らかに苦しげだ。

「どういうこと……?」

 シュナイデと目を見かわせば、サンセットⅡのコクピットが、不気味に傾きはじめた……。



『ユウ、離れろ!』

『!』

『むむ、むむむ!』

 倒れかかる天使の背。それをすかさず押し支えたのは、N・Sマンタであった。

『倒すなよ!』

 と、背に乗せたままのマンムート二号車からアレサンドロの檄が飛び、

『うむむ!』

 マンタが応える。

 マンムートが動揺する。

 大きさだけならば引けは取らないが、手足のないこのN・Sにとって、このときは風が絶えたのが幸いした。

 N・Sカラス、クジャク、そしてシューティング・スターの三機が、天使の一応の安定を見計らって呼び集められた。

『いいか聞け。質問は許さん』

 ハサンのN・S、コウモリが手を叩いた。

『すぐにララを助けに行け。ララと、サンセットⅡだ』

 ジョーブレイカーからの速報的な報告によれば、状況はまったくよろしくない。

 天使の自律機能自体は、エディンの放棄により死んだと思われるが、落下のショックによって推進剤のタンクが深刻なダメージを受けてしまった。このまま放置すれば、近い将来よからぬことが起こるだろう。現に天使は倒れはじめている。

『ジョーブレイカー君があの腹に穴を開ける。ユウ、おまえが行け。クジャク君は天使の監視を。テリーはここに残れ。いいか、必ず救え、必ずだ』

 よし行け。と、その瞬間。

 なにやら水気のある爆発が、見えない場所でボンと起こった。

 カラスは誰かがなにを言うよりも早く、空を蹴って飛び出していた。

『ユウ、このにおいは……』

 かすかにではあるが、なんともいえない腐臭がする。推進剤のものではない。天使が腐りはじめているのだろうか。

 その証拠に、天使の上腹部中央付近に開いた、N・Sが片腕を突き入れられるかどうかという大きさの穴は、醜くうじゃじゃけ、なかば溶けかけている。

『彼です!』

 ジョーブレイカーが傷口から身を乗り出し、こちらへ向かって手招きをするや、またも中へもぐりこんでいくのが見えた。

『モチ』

『いえしかし、いま行けば彼が……』

『ジョーが大丈夫だと言ってるんだ。行こう!』

 ユウは高周波ナイフを抜いた。

 勢いのままに取りついた傷口へその右腕をずんと刺し、左腕でそれを押し広げながら頭をねじ入れる。

 柔らかい圧迫。

 筋肉というよりも、泥の中へ入っていくようだ。

 腐臭はいよいよ強烈になり、ユウは幾度も咳をした。

『ユウ、少し、翼をたたませてください』

『ああ』

『フム……これで、どうにか』

 ねっとりとぬれた翼が背に密着し、体温が上がる。

 肉に指を立て、ひとかきもしただろうか。

 まだカラスのすねから先が外に残っている状態であったが、目の前にひとつ、小さな明かりがともった。

『ジョー』

 同じようにぬれたジョーブレイカーが、小さくうなずき、袋小路となった肉の壁の先を指さした。

 どうやらここからは、自分で道を切り開いて行かなくてはならないらしい。

『ララと、シュナイデは』

「無事だ。遠くない」

『ジョーは先に逃げてくれ』

「……無用だ」

 取りつく島もなく答えたこの男の気配は、光石灯の明かりとともに消えてしまった。

『……ム』

 このとき天地がまたも不安定に揺れ、ふたりはなにか、差しせまったものを感じずにはいられなかった。

 いざというとき、自分たちはその危機を未然に察知することができるのだろうか。状況がわからないというのは、不安を、二倍にも三倍にもかき立てるものである。

 とにかく、ここは先に進むしかない。

 腹を決めたユウはスイッチを切った高周波ナイフの切っ先で、目の前の筋肉をつついてさわった。

 す、と浅く切りこみを入れてみたものの、さすがに天使。腐りかけであろうと、この程度ではびくともしない。

 今度は思いきってナイフを根元まで刺し、横に流しては引き抜く、横に流しては引き抜くを五回ほどくり返すと、手ごたえに変化が生まれたのがわかった。

 身をよじって前進し、まさに皮一枚残った弾力のある膜を押し破ると、そこはどうやら、肉と肉との境目であった。

『……ユウ』

『ああ』

 ここまで来ると、真の闇の中である。

 だが時折、弱い光の差す瞬間がある。

 どこだ。

 どこから差している……。

『……いた!』

 右下だ。

 カラスは穴を抜け出して、すべり台のように傾斜のついた天使の内壁を一気にすべり降りた。

 どろどろと手足にからみついてくる粘液は、脂肪のようなものだろうか。

 はっきりとは言えないが、天使の腐敗と融解はもう、のっぴきならないところまできているような気がする。

 また光った。

 今度は近い。

 ユウは全身の力と高周波ナイフを使ってブレーキをかけ、また光るのを待った。

 次の光は、カラスの手がすぐ届くところで起こった。

『ララ!』

 そこには小さな穴が開いている。溶けた脂肪がその上を通過するので、光がもれたり消えたりしていたらしい。

『ララ!』

 ユウはその脂肪をできるだけぬぐい取り、穴に向かって叫んだ。

『ララ!』

『ユウ!』

『……ララ!』

 やはり、サンセットⅡはこの中にいたのだ。

『大丈夫か!』

『うん、大丈夫!』

『ここを広げるから待ってろ!』

『うん! ……うん!』

 ユウは、はやる気持ちを抑え、その穴を慎重に切り開いた。

 まず見えたのは、窮屈そうにそろえられた、サンセットⅡのつま先であった。

『出られるか?』

『うぅん、ちょっと、わかんない。一回引っ張って』

『ああ』

『あ、ちょっと待って待って……うん、オッケー』

 天使の肉がゆるんでいるところであったので、この仕事は思いのほか、すんなりといった。

『もういいよ』

 と言うので離れると、パッと起こったスラスターの輝きが、すぐに、赤い機体を空中に支えた。

『ユウ……!』


 さて、そのとき。

 カラスの肩のあたりに、すとんと降り立った者がいる。

 ジョーブレイカーだ。

 いまのいままで、いったいどこへ行っていたのか。モチでさえ邪魔をしなかった場の空気をいとも簡単に破ったこの男は、

「急げ。限界だ」

 と、静かに告げた。

「シュナイデは」

『います』

 サンセットⅡの中にいる。

「カウフマン」

 行け。

 ジョーブレイカーは目顔で急かした。そういえばと状況を思い出したユウが、これに反対する理由はない。

『ララ、上から出よう。ここは爆発するかもしれない』

『え、ウソ……ホント?』

『ああ。あそこに、俺たちの入ってきた穴がある』

『穴……あ、うん、見えた。光ってる』

『急ごう。ジョーもこっちへ』

「うむ」

『さあ、ララ』

『うん!』

 ……と、次の瞬間。

『わッ!』

 N・Sカラスの身体は、たくましいサンセットⅡの腕に抱きすくめられ、打ち上げ花火のように宙を走っていた。

『ラ、ララ……ッ』

『こっちのほうが早いでしょ』

『ホ、ホウ……』

 これは速い。確かに早い。

 まばたきする間に例の穴の高さまで到達したかと思うと、壁を蹴るように直角転進。スピナーが肉へ突き刺さったかというその瞬間には外へ飛び出してしまっていたほどだ。

『このまま離れよう。遠くへ!』

 ユウはマンタへ手を振って合図した。

 それを見た、オオカミとコウモリ。

『出た!』

『出たぞ、マンタ君、天使を離せ! 全速前進、逃げろ逃げろ!』

 おお、と声を上げたマンタが天使を突き飛ばすようにしてヒレを動かし、あちらこちらを飛びまわっていたクジャクが戻る。

 天使の腹のあたりが、ミシリとつぶれて傾いた。

『逃げろ、逃げろ!』



 ……ものすさまじい風が、地を這って駆け抜けていった。

 それは同時に雪やら土やらをこれでもかと投げつけていったが、

「父さん!」

「レッタ、馬車で待っていろ!」

「でも……」

 ある程度の距離があったため、カイ・ライス一行の馬車は危難をまぬがれていた。

「あ……!」

 と、しめり雪の上を、靴を濡らさぬよう、つま先立ちで飛び跳ねてきたレッタの足がすくむ。

 そこには、見渡すかぎりのクレーター。

 馬車の上を影が横切る。

「あ、と、父さん、空飛ぶエイ!」

 エイを見るのははじめてのレッタだったが、とにかくその巨大さに息を呑んだ。

 そして……。

 赤と黒の機体が手と手を取り合い、そのさらに上空を、ひらひらと舞っているのが見えた。

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