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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【五】 鳴動 -アレサンドロの未来・後編-
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西部マズ鉱山(2)

 鉄機兵団はこの地に、アディントン海岸砲と呼ばれる大砲を持ちこんでいる。

 砲身がやや短く、ずんぐりとした印象のそれは口径が九十二センチ。駐退機のついた大新型砲である。

 作られたきり、帝都西岸で一度も火を吹かずにいたこの砲をここまで運んできた理由はさておいて、まずそれがどこにすえつけられているのかというと、マリア・レオーネのいるマズ鉱山の山頂付近、四カ所であった。

 マリア・レオーネ自身は、これをたいして評価もしていなかったが、目の前でくり広げられつつある戦を見るにつけ、早く撃ちたいという感情が高まってきた。

『……いや、いかんいかん』

 ここで撃つわけにはいかない。

 先の『作戦』上の問題と、そもそも射程の問題がある。

 アディントン海岸砲の最大射程は八千強。飛ばすだけならば、その距離は攻城弓や重砲をはるかにしのぐが、いま撃ったところで天使にはかすりもしないだろう。

 よって、マリア・レオーネは爪を噛みながら、ハイゼンベルグ軍の健闘を祈るしかなかった。

 そして、バレンタイン指揮の支援部隊による砲火が上がったのは、まさにこのときであった。

 矢が、弾が飛んでいく。

 それらが風を切って、雷のごとく大気を震わせる音はマリア・レオーネの耳にまでは届かなかったが、弾道の真下にいるクローゼたちにはよく聞こえた。

 矢弾は、一、二発を除いたほぼすべてが天使の腹や胸にバラバラと命中し、攻城弓数本を残して、あとはあっけなく地面に落ちた。

 小憎らしくも天使は、この段に至ってもなお射程圏外へはずれたグローリエを気にしているようで、空から目を離そうとはしなかった。

 L・Jたちは夏の蚊のようなものであり、取り立てて危険視するほどのものでもない。切り捨てても構わぬとエディン・ナイデルが判断しているのであろうと、クローゼは判断した。

『これは好機だ!』

 クローゼは叫んだ。

 相手の眼中にないいまならば、好きに攻撃ができるではないか。

『アルバート、続けて攻撃を! ボンメル殿も牽制にご協力ください! 傷をつけられなくとも構いません!』

『は!』

『了解いたしました』

『全員続け! 天使の足の下へもぐる!』

『閣下、くれぐれも気をつけてください! 超光砲だけがやつの武器とも思えません』

『わかっている!』

 天地から降りそそぐ味方の援護に守られながら、クローゼと三個中隊は速力を上げ突進した。

 目の前にそそり立つ天使の壁。

 簡素で、一切の装飾のない下半身の台座はそれゆえに距離感をあやまらせ、頭部がはるか彼方にあるように見える。その全高が、グローリエの全長ほどもあるかのようだ。

『おっと……!』

 天使の肌に弾かれた重砲の弾が、頭上目がけて降ってきた。

 フェグダはそれを横っ飛びにかわし、さらに狙いのはずれた攻城弓の矢をシールドでいなして、また駆け出した。

 どうだ、私も捨てたものではない。

 まだそう思うほどの余裕がある。

 濃い影の落ちた天使の足もとまで、あとわずかであった。

 と……。

 つるりとした一枚岩であった天使の台座の側面に、小さな、直径三十センチほどの穴が無数に開いた。薄い灰色であったその表面が、遠目に黒く認識されるほど無数にである。

『あれは……』

 まさか銃眼ではないのか。バレンタインの背すじが凍った。

 ライフルの普及していない国ではあるが、帝城の壁にのみ、それはある。射撃用の穴だ。矢狭間にしては形がおかしい。

『閣下、一時撤退を!』

 クローゼの思考も同様に働いていたのか、フェグダの四本足が雪を踏みしだいて止まった。

 だが、そのころにはすでに時遅く、わずかに顔をのぞかせた機関砲の銃口から、第一射となる弾丸が放たれていた。

『く……!』

 雨あられと四方八方へ振りまかれる弾丸。周囲の雪が土ごと跳ね上がり、大地がまるで沸いたようになる。

 のちに、この戦いを生き残った者は、

「夏の雨に打たれているようだった」

 と、このときの有様を表現し、いくつかのL・Jは手足をもぎ取られ、あまりのすさまじい砲火のために搭乗者はコクピットを出ることもかなわず、そのままL・Jごと蜂の巣になる者も出た。

 この惨状に中隊機兵長などは撤退を具申したが、クローゼは、

『全軍続け!』

 と、フットペダルを踏みこんだ。

 機兵長が驚いたのは、この将軍が、天使に向かって進路を取りなおしたためであった。

『陣を整えろ! 続け、続け! ひと太刀も入れずに壊走したとあっては陛下におしかりを受けるぞ!』

『閣下!』

『わかっている、アルバート! 援護を頼む!』

 無論クローゼとて恐ろしくないわけではなかった。

 弾丸が装甲をかすめるたびに、ギィンギィンという不愉快な金属音がコクピットの中へじかに響く。生々しい音声も入ってくる。

 破損をしらせる警告と報告とがモニターを埋めつくし、いくつかの急を要しない警報システムは、わずらわしさのために断ち切った。

 フェグダのシールドは、すでに三分の一ほどが失われている。

 だが……。

 クローゼの身体は、自分でも不思議なほどに萎縮しなかった。

 ……血かな。

 ふと、そんなことを思った。

 自分の中に流れる、先帝ユルブレヒト三世の血である。

 戦火に身を置くことを好み、返り血が目立たぬようにと、常に緋色のマントを羽織っていた暴帝。

 そのマントが遠征明けには二倍もの重さになっていたという伝説は、いまもなお恐怖とともに語り伝えられている。

 バレンタインの父は生真面目で、剣よりもペンを好む正しい人だった。

 母は優しく、おおらかな人だった。

 兄は父に似て、自分は母に似たと、いまでも思っている。

 しかし、やはり自分の中には……。

 ここまで想いが飛んだところで、クローゼは声を立てて笑い、首を振った。

 もっと前向きに考えればいいのだ。

 自分の中に戦場で生き抜く知恵や力が備わっているというのならば、それはそれで結構ではないか。

 戦場が自分の居場所であるならば、それはそれで結構ではないか。

『続け!』

 クローゼは振り向かなかった。

 部下がついてきてくれることに期待しなかったのではない。むしろ、この白く輝く電撃槍が、戦場で一番の旗印となるだろうことに確信を持っていた。

『続け!』

 ハイゼンベルグの騎士は壊走状態にあったが、動ける者は皆、救いを求めるように将軍の槍に従った。

 するとどうしたことか。

 弾が、僚機に当たらなくなった。

『二列縦隊! 二列縦隊! 間隔を空けるな!』

 天使は眼下を見ていない。天を見ている。

 銃口だけがきょろきょろと照準を変えながら、滅多やたらと弾をまき散らしている。

『投擲用意!』

 本戦から標準装備となった柄付手榴弾のリングに各L・Jの指がかかり、クローゼは、天使の前を横切るように右へ進路を取った。

 たとえば騎兵の運用であれば、横っ腹を敵にさらすのは自殺行為である。が、ホバージェットを装備したL・Jならば、機の正面を敵に向けたまま、進路のみを変えることができる。横すべりするような形だ。

『投擲!』

 クローゼの号令一下。手榴弾が、いっせいに宙を舞った。



『……やはり駄目か』

 パ、パッと、人間で言うならばつま先のあたりが輝き、天使の台座が白煙に包まれた。

 マリア・レオーネはそれをメインモニター越しに見ていたが、案の定、煙の晴れたそこには傷ひとつついていない。

 クローゼ率いる一団はきびすを返し、撤退をはじめている。しんがりはフェグダだ。

 紋章官バレンタインの指揮していた第四・第五中隊もまた、援護をおこないながら徐々に陣を引いていく。

 そして……。

 天使が、地上を見た。

『アディントン海岸砲用意! 来るぞ!』

 巨砲を覆っていた白布が取り除かれた。

 水平になった藍鉄色の砲へ、揚弾機によって吊られた特殊砲弾が装填されていく。操作しているのは生身の人間である。

『仰角調整! 待機!』

 マリア・レオーネは観測部隊に測距を命じ、再び戦場へと目を転じた。

『……よし』

 天使の姿は先ほどよりも近づいている。

 バレンタインの部隊は足かせとなる重砲と攻城弓を遺棄、完全に後退の形を取り、クローゼはその最後尾でよくしのいでいる。

 弾が当たらないのは射撃の腕が下手なのではない。思うにフェグダから発生する電磁フィールドの波が、そのベクトルをねじ曲げているのだ。

 ただそれを、本人が理解しているのか、どうなのか。

『フフ』

 おそらく理解はしていまい。マリア・レオーネは思った。

 偶然か、あるいは神の威光だとでも思っていることだろう。クローゼのみならず、電気というものに対して十分な理解を持っている者はそう多くない。

 だがそれでいいのだ。

 兵器をあつかう者が、兵器そのもののプロフェッショナルである必要はない。

 自分がアディントン海岸砲と、それに装填された特殊砲弾についてたいした知識を持っていないように、ただその利用さえ上手くできればいい。

『閣下、距離、八千!』

『よし。予備のない弾丸だ、はずすなよ!』

『はっ!』

『ッ撃てぇ!』

 命令が機兵長の口づてに伝えられると、四門の砲がいちどきに咆哮を上げ、大きくあとずさって復座した。

 数百キロの重量を持つ砲弾が、ごうごうと天を走り、軌道の最高高度へ到達するや、にわかに弾け飛ぶ。

 空を仰いだ天使の頭上へ降りそそいだのは、散った小弾と、その間に張りめぐらされたワイヤー。平易な言いかたをすれば、それは投網であった。

『かかった!』

 カッと、その網の目が光った。

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