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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【五】 鳴動 -アレサンドロの未来・後編-
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レッタ

 翌日。

 ユウの朝食は、別の、男が持ってきた。

 それは当然なのだろうが、次の昼食を持ってきたのは、なんとまたしてもあの少女だった。

 少女の名は、レッタ。

 あのカイ・ライスのふたりめの娘で、今回の一件も、案の定父親に強要されてのことだったらしい。

 男を釣るには、なんといっても若い、しかも初物の女の肌だ。

 N・Sの持ち主を連れてきたということになれば、エディン・ナイデルも邪険にはあつかわないだろう。

 おまえも、ヒュー・カウフマンの女房として歴史に名を残せるかもしれない。

 そういったことを頭ごなしに言い含められ、おまえが断るならばさらに下の妹、まだ十三歳になったばかりのニーナを差し出そうかと言われて、仕方なくレッタは人身御供を承知した。

「父さんならきっと、やると思ったわ。あなただって、小さい子だろうと、めちゃくちゃにしてしまうんだろうと思った」

 床に座り、ユウの食事をひざをかかえてながめながら、レッタはまるで、ひとりごとのようにそう言った。

「そうよ、いつかこんなことになると思ってた。父さんは、姉さんを救世主様にやるんだって、前からそう言ってたから」

「君の、お母さんは……?」

「もちろん怒った。でも、父さんはもう変になってるのよ」

「……」

「昔はそうでもなかった。みんなずっと貧乏で、みんなずっと、あの戦さえ勝っていればなんて言っていたけど、それでも普通に暮らしてた。でも……」

 レッタはひざを抱き寄せて、

「あのご立派な救世主様が現れてから、父さんは言うようになったわ。ふたことめには、おまえは戦争を知らないから、って」

「ああ……」

「救世主なんて死んでしまえばいいんだわ。あたしたちが着くまでに、鉄機兵団にでもなんでも殺されてしまえばいい。ねえ、あなた、どうにかしてそれまで時間をかせげない? 暴れて、そうよ、馬車を壊したっていい、ねえ、そのぐらいできるでしょ? ねえ、ねえ」

 レッタは身を乗り出してユウの腕にふれ、はっと、その指を引いた。

 昨日の今日。まだふたりとも、互いの顔をまともに見られないでいる。

「あの……」

「あ、ああ」

「昨日……ぶったこと、ごめんなさい。そりゃあたしだって好きでしたことじゃなかったけど……なんだか、その……くやしくって」

 レッタはあのあと、母や姉妹たち、そして村の女子供が待つ馬車へ戻り、泣いた。

 しかしそれは辱められたくやしさからではなく、『役目』から解放されたという安堵感によって泣いたのだ。

 自分に愛嬌がないことはわかっている。大人並の仕事ができるわけでも、とりたてて特技があるわけでも、美人なわけでもない。

 しかしだからといって、はじめてを好きな人に捧げる権利までないわけではないだろう。

 それを思うと、いまはもちろん、感謝だけなのだ。

 レッタは、たどたどしいながらも言葉をつくして、そのようなことを語った。

「いや、俺だって……きつく、言いすぎた」

「……」

「……」

「あの、それで……?」

「それで?」

「馬車……」

「あ……」

 ユウはどうかしている、と、自分の額をぴしゃりと叩いた。

「馬車なんか壊したって、なんの解決にもならない。それどころか君のお父さんは、また追いはぎまがいのことをして足を得ようとするかもしれない」

「ッ……」

「……すまない」

「いいえ、いいの。そのとおり」

「だから……」

「一緒に来いって言うの? それこそ父さんが承知するはずないわ。あたしだって行きたくない」

「どうして」

「どうしてって……」

 これは聞くほうが悪い。

 この少女は二世で、見知った顔としか暮らしたことのない村育ちだ。まったく違う環境下での生活に躊躇してしまうのは当たり前だろう。

 レッタの本心は、もとの村に戻りたいということなのだ。

 ……しかし。

 それはわかると思う一方、ユウはやはり、マンタへ来たほうがいいとも思った。

 いまの情勢は、入れ墨の者たちにも甘くない。

 声を上げなければいままでどおりに暮らせる、などということがあるだろうか。

「俺は、レッタたちに強制はしたくない。でもきっと、どちらかを選ばなくちゃならないんだ」

 ひとつは、エディン。

 ひとつは、アレサンドロ。

「エディンのほうには、行って、欲しくない」

 ここでエディンを批判することに一抹の醜さを感じたユウは、言葉を選んだすえ、そう言って口を閉じた。

 昨夜モチが開けた穴。そして、それ以前からあるいくつものほころびを通して陽が入り、床板に、木漏れ日さながらの影が落ちている。

 その、まだらとなった影模様を受けたユウの横顔を、レッタは、じっと、ながめやった。

 黒くて、深くて、賢そうな優しい目をしていると、昨日見たときからそう思っていた。

 都会的で、かといって、それが鼻につくこともない純な人。かわいい人。

 この人に見られたんだ……全部。

 レッタは全身が火照るような、冷えるような、恐ろしい感覚にとらわれた。

 でも、この人なら……。

 思ったところで、はたと恥ずかしくなって顔をふせた。

 この人も……あたしがはじめてだったんだ。

 ふと、そんなことも思った。

「……あたしに、父さんの説得なんて、無理」

「俺も手伝う。レッタはレッタで、できることをしてくれたらいい」

「母さんを、味方につけたり?」

「ああ、そうだ」

「父さんが……それでも聞かなかったら?」

「え……」

「あたしたちを見捨てる?」

 あの父親では、いくら優しいこの人でも、いつか愛想をつかしてしまうだろう。

 だがユウは、はっきりと首を振って見せた。

「誰も見捨てない」

 そのときは、エディンのもとまでついていく。

 そう宣言した。

 無論、会って話し合いをしようというのではない。血生臭いことになるのは目に見えている。

 レッタもそれを、おぼろげながら察したが、危ないからやめて、とは言えなかった。

 ユウは頭を下げて食事を終えた。

「ごちそうさま」

「……ええ」

「あの人を呼んで来てくれ。話がしたいと、そう言って」

「わかった」

「少し時間をかせぐから、その間に……」

「母さんにも、話をしてみる。たぶん、大丈夫」

「ああ、頼む」

「頼むのは、こっち」

 レッタはひとつ、クスリと笑って、尻をはたいて立ち上がった。

 そういえば先ほど聞いた話によれば、この少女は十六歳。ララと同年だ。

 でありながら昨日今日の度胸といい、この態度といい、こちらのほうが、みっつもよっつも年上に見える。

「あの……」

 と、盆を受け取ったレッタは足を止め、

「次は……」

「次?」

「……あなたたちの家のこと、聞かせて」

「ああ」

「じゃあ、また」

 ユウはつい、また会う約束をしてしまった。

 軽率だった、と、昨日の光景が目蓋に浮かんだときには、もう馬車は動きはじめている。

 そして、その夜。

 ひとりたずねてきたレッタは、さすがにもう脱ぐことはなかったが、ひかえめながら、よく笑った。

「好きな人とか、いるの」

 さりげなく聞かれたユウが口ごもると、

「そう……」

 と、ほっとしたように、さびしそうに笑ったのだった。

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