やかましい女
「あれです」
先陣をきって飛んでいたモチが、屋根のへりに音もなく着地した。
アレサンドロとユウが這うようにして追いつくと、哨戒の足音が列を成して、すぐ下を通りすぎていく。
ふたりは顔を見合わせて、うなずいた。
三人はいま、屋外に出ている。
N・Sには当然警備がついており、目を避けるには格納庫の換気口から近づくのがよい、とモチが提案したのを受けてのことだった。
換気口は直径にして一メートル弱。昼間は採光の役割もはたしている横穴で、これには連結している研究棟の屋上から、渡り廊下の屋根をへて、乗り移ることができる。
こうした情報を、モチはどうも、この城塞に住み暮らす野バトたちから得ているらしかった。
彼いわく、
「のんびり屋ですが、気のいい連中です」
だそうである。
さて、その横穴から中をのぞくと、確かにN・Sのうしろ姿がそこにあった。
金属製の足場が穴の真下にまで続いている。
ユウとアレサンドロは警備の目をうかがいながらロープを下ろし、三メートルほどの高さをすべり降りた。
「騎士は?」
「六名です」
遠目も夜目もきくモチが答えた。
「意外に少ないな」
「だが、好都合だ」
アレサンドロは背を向けるひとりの騎士にスルスルと忍び寄り、絞め落とした。
「慎重にいこうぜ。見つからねえのが第一だ」
ユウとアレサンドロは、ふた手に分かれた。
すべての警備騎士を眠らせるのに、結果、五分とかからなかった。
「たいした腕前です。随分と、悪事慣れている」
六人の騎士を縛り上げ、猿ぐつわを噛ませる様子をながめて、モチが言った。
「ハ、そりゃ、ほめてんのか?」
「無論です」
モチは、にべもなく答えた。
しかし、軽口を叩けたのもここまで。
ようやくに対面をはたしたN・Sの有様に、
「ひどいな……」
三人は愕然となった。
形はとどめているが、胸は暴かれ光炉が露出し、割られた腹からは、なにか黒い卵のようなものが管つきのまま取り出されている。
とても動かす動かさないどころの話ではなかったのである。
「ヤギに、イモリに、……ハチか」
アレサンドロは眉を寄せて、うめくように言った。
「知り合いか?」
「ハチだけはな。やかましい女、だったぜ」
確かスズメバチだった、と、アレサンドロは重い足取りで、『黒い卵』に向かった。
モチをひとまわり大きくした程度のその卵は、螺鈿のように七色に輝く、金属とも石ともつかない物体で、N・Sとの間に走る二本の管の中には、そこを行き来する光の粒子が見える。
「これは?」
「核だ。こいつが、N・Sと俺たちとをつないでる」
つまり、トレースシステムをつかさどる装置であり、五感の接続、同一化を一手にまかされた回路である。N・Sの体内において、最も重要で、最も謎に満ちた物体だ。
台座に乗ったそれに、静かにふれたアレサンドロが、
「こいつを壊しゃあ……N・Sは、終わりだ」
「……」
「ハ……そう心配すんな。そこまではしねえさ。ちょいと、眠ってもらうだけだ」
と言った、次の瞬間。
「あっ……!」
なんと、アレサンドロの手のひらが、固いはずの卵の中へ呑みこまれていったものである。
「ホウ」
ひじまで入ったところで、どこをどうしたものか、みるみるその内部がにごりはじめる。
管を渡る粒子の流れも、いつの間にか止まっていた。
「どうなってる」
「さあ、俺に聞くなよ。俺は教わったとおりやってるだけだ。だが、まあ、これで……」
アレサンドロは腕を抜いた。ぬれている様子もない。
「もう手は出せねえだろうぜ」
「……と、言いますと?」
「外部から強制的に休眠指令を入れた。そのうち筋肉と内臓が収縮をはじめて……骨格と装甲だけになる」
「なるほど」
「おいモチ、ちゃんと見張ってんのか?」
「無論です」
頼むぜ、と、アレサンドロは、イモリへ向かった。
「……すごいな」
残されたユウが思ったのは、それである。
試しに、すでに色を失くしたハチの核にふれてみると、やはり固い。だが、つるりとした感触が肌に吸いつくようだ。
……生きている。
なぜかはわからないが、確かにそう感じ、ユウは胸をなでおろした。
「誰か来ます」
扉の小窓から通路の様子をうかがい見ていたモチが、低く叫んだのはそのときだった。
「何人だ?」
言いながら、イモリの処理を終えたアレサンドロが、ヤギへと急ぐ。
「ひとりです」
「ユウ、頼む。こっちは、もう少しで終わる」
「わかった」
ユウはモチを下がらせ、扉の内側に、ぴたり張りついた。
待つこと、数秒。
引き戸のローラーが、けたたましく音を立て、光がすじとなって差しこんできた。
「ねぇ、ちょっとぉ……」
素早く伸ばされたユウの腕が、その襟首をつかみ上げた。
「あっ……!」
力ずくで引きこんだ身体は、予想外に軽い。
合わせるともなしに、目が合うと、
「!」
燃えるような赤い瞳。赤い髪。
「女……!」
ユウは思わず、手を離してしまった。
勢いで振り飛ばされる形となった少女は、そのまま転がるように尻もちをついた。
「いっ……! たぁ……」
うるみがかった少女の目が、ユウをにらみつける。
「ちょっと! なによ、あんた!」
これが、ララ・シュトラウス。
この幼さの残る少女が、城塞の警護をまかされた聖鉄機兵団機兵長だと、当然、ユウは思いもしない。
剣を差してはいるが、ユウが騎士ではないと気づいたのだろう。
ララはすぐさま、壁にたれる呼び鈴へ飛びついた。
「待て!」
もみ合いになったが、力ではユウが勝る。
難なくうしろ手にねじり上げ、少女を壁に押しつける。
「痛い! 痛いったらぁ!」
「静かにしろ」
「するわけないじゃない! バカ!」
暴れるララのヒールが、ユウの足の甲に食いこんだ。
「ぐ……!」
ユウが悶絶したその隙に、ララが呼び鈴を引く。
ベルが鳴った。
「くそ!」
「おい!」
呼び声に目を向けると、アレサンドロがN・Sの足場で大きく手招きしている。
「くそ!」
ユウは再びうめき、痛む足を引き引き、そのあとを追った。
「待ちッ……あっ!」
とっさにつかみかかったララだが、そうはいかなかった。
翼を広げると一メートルにもなろうかというフクロウが、鋭い鉤爪を振りかざし、襲いかかってきたのである。
「やだ! なによ、これ!」
「モチ!」
「先にどうぞ。ここは私が」
「すまない!」
「いっ! 痛ぁ!」
振り払おうとするララのむき出しの腕が傷つき、血がにじんだ。
「バカ! なんなのよぉ!」
踏んだり蹴ったりの泣き声を背に、ユウは換気口から外へ出た。
「すまない」
「なっちまったもんはしょうがねえ。やることはやった」
「同感です」
役目を終えたモチがふわりと現れ、手掛かりへと降り立った。
「いまは逃げることです。屋根づたいに行けば、外の防壁まで出られます」