戦は終われど
「ホーキンスが……!」
「はい。幸い脱出装置が働いたとのことで……」
「生きてくれたか」
「はい。まことに、ようございました」
「そう、か……」
筆頭将軍、ジークベルト・ラッツィンガーの面に安堵の色が差し、思わず浮き上がった腰が再び椅子の座面へ落ち着いた。
折りしもラッツィンガーは今後の軍団配置について検討を重ねていた最中であり、飴色に磨き上げられた執務机の天板には、帝国地図と、彩色された駒が並べられている。
その地図の端、帝都より遠く離れた西方の地に、赤黒、白橙にそれぞれ塗り分けられた、二色塗り凸型駒がふたつ。
ラッツィンガーは、しばしそれらにながめ入ると、いつくしむようにふたつを取り上げ、帝都にある自分の駒のそばへ、丁寧に置き並べた。
そこへ、規律正しいノックの音が響き、第二報をたずさえた騎士が、声高らかにその旨を告げた。
応対した紋章官エルンスト・コッセルは、いついかなる状況においても微笑を絶やすことのない温和な男である。受け取った詳報を確認し、騎士を下がらせるそのときも、柔らかな表情を崩すことはなかった。
「報告いたします」
「うむ」
コッセルは手もとのバインダーへ視線を落とし、それを読み上げた。
それによると……。
ホーキンス軍は将軍の離脱したその後も、勇猛果敢にマンムート二号車を制圧すべく奮闘した。
しかし、敵艦マンタの墜落に巻きこまれながらも戦線に復帰したN・Sの一団に加え、武神のごとき技を持つ白装束の猛者に道をはばまれ作戦は頓挫。
「ヨーゼフ・グレゴリオ紋章官の判断において、撤退をいたしました」
ということだ。
つまり平易な言葉で言えば、
「完敗」
ということになる。
ラッツィンガーはその後示された詳細な数字に耳を傾けながら、あごひげをさすり、思案げに幾度もうなずいた。
この鉄機兵団詰め所、三階の執務室にあっても、これから敷地内を巡回に行くのだろう騎士たちの、寒さにも負けず整然と点呼を取る声がよく聞こえた。
「……コッセル」
「なんでございましょう」
「ご苦労だが、オルカーンへ飛んでくれるか」
「かしこまりました」
「ホーキンスはああ見えて、誇り高い男だ。上手く、頼む」
「はい」
「おそらくグレゴリオにも抜かりはないだろうが、巨大N・Sとやらの動向もな」
「心得ました」
ちょうど、そのころ……。
鉄機兵団の去った雪原では、歓喜の熱も覚めやらぬまま、N・Sマンタの大手術がはじまっていた。
なにしろ大破だけはまぬがれたものの、いまだその腹の奥深くには、突き刺さったベネトナシュの残骸、破片が多く残っているのである。
もしもこのまま放置すれば、空を飛ぶどころか、傷の回復さえもままならないだろう。
「うう、我輩……おなか痛い」
と、N・Sを通して腹をえぐられたマンタは、自慢のひげをしおれさせてうずくまっている。
アレサンドロは修理班の先に立ち、まずは白くめくれ上がった傷口から内部へ潜入しようと試みたが、残念、上手くいかなかった。
機械ならばいざ知らず、脂肪の多い柔らかな人工筋肉が、持ち上げる端から覆いかぶさってしまうためであった。
「よし、じゃあ……」
と、アレサンドロが次に思いついたのが、周囲の肉壁を補強しながら進む方法である。これは、坑道を掘るのと同じ要領だ。
作業のスピードに合わせて、鉄板か柱のようなものを差し入れてやればいい。
しかし、
「その鉄板は? 柱は?」
「う……そりゃあ……ああ、そうだ、マンムートがまだ残ってるそうじゃねえか。あの装甲をはいでくりゃあいいんじゃねえか?」
「簡単に言うね。マンムートの装甲は、そんなにやわじゃない」
巨大なN・Sが来たと聞いて顔を出したセレンは、さも、ものを知らぬやつとでも言いたげな調子で、フンと鼻を鳴らした。
コートの上から押さえてはいるが、二号車から少しばかり離れたここまで歩いてきたところをみると、ひびの入った肋骨は大事ないらしい。
「じゃあ、あれだ、その……」
「二号からはぐ?」
「いや、そういうわけにはいかねえだろ」
「そうだね」
「チッ……」
「……マンムートの中に、まだブロワが残ってるかもしれない」
「なに?」
「送風機だよ、バルーンをふくらませるための」
「ああ、それが?」
「ブロワとバルーンをつなぐあのチューブなら、中を人が通れる」
アレサンドロは、はたと手を打った。
「なるほどな……壁じゃなく、管を通すってわけか」
「N・SやL・Jは入れないけれど、大きなパーツはロープでもつけて、あとで引き抜けばいい」
「よし、それだ。おいユウ、モチ! ちょっと頼まれてくれ!」
セレンの提案したこの作戦は、多少の難渋はあったものの、思いのほか上手くいった。
何者かに荒らされた形跡のあったマンムートだが、蛇腹になったチューブはさして珍しいものでもなかったせいか難を逃れ、もとの場所に残っていた。これがまず、幸運であった。
それを、いったんN・Sで持ち上げた傷口にそえ、ブロワで空気を送りこみながら、広げては進み、広げては進みしていく。
チューブの長さは満足ではなかったが、どうにか、ベネトナシュ本体らしきものを確認できる深さまでたどり着き、そこからは順調であった。
続々と運び出されてくる、大小様々なベネトナシュの破片を、セレンとメイは喜々として分類していった。
『……ふ、う』
『どしたの、クーさん』
『いや……』
なにやら、いわくありげなため息がクジャクの口からもれたのは、それから少しばかりたった、あるときである。
クジャクといえば先の戦いで片翼を失ったが、N・Sは切り落とされたのが五体でないかぎり再生できる。いまは痛みもなく、こうして、シューティング・スターとともに二号車まわりの除雪作業をするにも問題はない。
ではその、ため息の理由がどこにあるのかを考えたとき、テリーには、ははあ、と思うことがあった。
『ねぇ、クーさん、気にすることないよ』
『む?』
『クーさんはホークさんに勝ったわけだからさ、上出来だよ。あのでっかいのが落ちたのは、クーさんのせいじゃない』
『……フ、フ』
『な、なに?』
『おまえも甘いな』
『あんねぇ、俺はクーさんのこと心配してんの』
『フ、フフ、すまん』
『で、なに?』
『目、がな』
『目? 痛いの?』
『そうではないが……』
クジャクは苦笑いした。
実は戦闘が終了し、オルカーンとグローリエが飛び去ったそのあたりから、クジャクの目は、あの色彩を捉えられなくなってしまっていたのである。
当然、目は見える。もとのとおりになったという、それだけだ。
だが、目をつぶってL・Jに乗ってみろとテリーやララに言うようなもので、体内に満ちる気の量はそれで衰えないにしても、流れが見えるのと見えないのとではあつかい難さが格段に変わる。
もしもまだ目が開かれていたならば、マンタの体内からベネトナシュを引きずり出すこともできただろうにと、クジャクはそれだけが口惜しかったのである。
『あれだけの力、そうやすやすとは、ものにできん、か』
『なんの話?』
『いや、俺も修行が足りんようだ』
『ふぅん……あれ、なんかあったかな?』
シューティング・スターのモニターに、コールサインが入った。
二号車とマンタの間には小高い山が横たわっているため、連絡はもっぱら、通信によっておこなわれている。
『っと、ジョーさんからだ』
つないで、ふむふむと相槌を打ったテリーは、
『了解。ねぇ! 彼氏さん!』
と、いまは二号車の屋根に乗り、開けられてしまった突入口の修理にいそしんでいるカラスへ声をかけた。
N・Sカラスはすぐに顔をのぞかせ、鬱々とした声で言った。
『なんだ』
『旦那がちょっと来てってさ! 刀の先が見つかったって!』
『ええ?』
『ていうか剣どうしたの。折っちゃったの?』
『うるさいな。行こう、モチ』
『はい』
モチは、ユウが二号車の壁をとんと蹴りつけるのに合わせて翼を広げ、空へと飛び立った。
このあたりの呼吸は、もはや一心同体と言っていいほどにこなれているふたりである。
マンタに対する作業は、すでにベネトナシュ本体を引き出すところまで進んでおり、ロープをつかんだサンセットⅡが、大いにその力を発揮しているところであった。
『アレサンドロ!』
『おう、見てくれ、こいつだ』
『ああ……間違いない』
残された柄に当ててみると、ぴたり、とはいかないまでも一致する。
これは折られたというよりも、砕かれたという表現がふさわしいのではないだろうか。おそらく機銃の弾丸によって破壊されたのだ。
『これは、どこに?』
『マンタの、ほら、あの向こう側に刺さってやがってな』
『じゃあやっぱり、聖ドルフに落ちた、あのときに……』
『ああ。川底に落ちたのが、運よくこいつに刺さったってわけだ』
『でも、どうせ、見つかっても……』
『どう思う、セレン?』
「なおすのは無理だよ」
『チッ……』
ならば、どうあっても行くしかない。
ナイフなどでできる働きは、たかが知れている。
『ああ、行く。行ってくる』
この太刀と比べても遜色ないものを打てるだろう魔人、ミミズのもとへ。
ユウとモチは、二号車の取りまとめをしていたハサンもまじえて談合した結果、マンタの傷がある程度回復し、その背に二号車を積む作業が終了したところで別行動、ということになった。
それを聞いたララは、あまりいい顔をしなかった。
さて、それから五日が過ぎた。
マンタの傷所は、かさぶたとなって盛り上がった肉がようやく落ち着き、二号車もまた、高く積み固めた雪の斜面を押し上げるという方法で、マンタの背の安定した場所へ収まることを得ている。
「行ける、我輩はいつでも行ける!」
と、マンタのやる気も十分だ。
ここまでくれば、あとはたいした作業ではない。
……明日には、出発かな。
ユウは、外へ明かりがもれぬようにと電灯を消した仮聖堂の中で、そう思った。
ふう、と、吹きかけるでもなくかかった息が窓を白く曇らせ、雪明りの景色をかすませる。
真下に黒く浮き上がったマンタの背が、まるで雪面に開いた大穴のように見えた。
ユウの背すじが、少しばかり冷えた。
「私がエディン・ナイデルならば、おまえはもう死んでいるな」
「ッ……ハ、ハサン」
「どのような顔をいくつ持とうと構わんが、気を抜くのは墓場に入ってからにしろ」
ユウが振り向くと、いつの間に現れたものか、底冷えのする薄光の中で、ハサンが祭壇に向かいひざまずいている。
言葉とは裏腹にその様子はおだやかなもので、
「いつまでも運に生かされると思うな」
と、腰を上げたその顔には、いつもの笑みだ。
それにしてもこの気配の消しよう。わかっていても、やはり恐ろしい。
「エディン・ナイデルからつなぎが来たぞ」
「え……」
「戦艦撃退見事でした。こちらは、あいにく予定があり、十日後にお目にかかりたい」
「十日……それを、アレサンドロは?」
「知るわけがない。そのために我々はこの五日というもの、片時も通信班から離れずにいたのではないか」
「ああ」
「合流地点は、この場所でいいと言っている。そこでおまえは作刀の依頼に行くと見せかけ、明朝早く発つがいい。ミミズの工房まで、カラスの翼ならば五日はかかるまい」
「そして、ミミズが作業にかかっている間に、ここまで戻り、エディンに会う」
「そうだ。できるな」
ユウはうなずいた。
「結構。明日おまえには、スナイパー部隊から拝借した通信機が渡される。日にちにずれが生じた場合は、それでエディンにつなぎを取れ」
「わかった。他には?」
「他には? ……フフン。随分と、えらそうにものを言うようになったな、ユウ」
「別に、そんなつもりじゃない」
「フフン」
すると……。
それまでハサンの口もとに浮いていた笑みが、す、と消えた。
そして、じろりとこちらを見やった眼光の、その鋭さ。青白さ。
ユウは正直足がすくんだが、不思議と、ハサンの目は自分を見ているのではないような心持ちがした。
「ユウ。オオカミは、鉄機兵団内部にいる」
「え……ど、どうして!」
「やつこそが裏切り者だ。先の戦をその手で引き起こし、その手で決着させた。いまも我々の行動に目を光らせ、我々を手のひらで転がそうとしている」
「そんな、馬鹿な!」
「だが、それが事実だ。私の目には、その光景がまざまざと見えた!」
「そんな証拠はない!」
「……と、ディアナ大祭主が言ったとする」
「あ……」
「もし仮にそうであっても、いまのようにうろたえるな。すべての可能性を否定するな。事実に希望を混ぜこむな。ディアナ大祭主の言葉のみを、おのれの胸ひとつにしまいこみ、私の前でのみ、その封印を解け。アレサンドロには、決して、伝えるな」
「でも……」
「よかれ悪しかれ、アレサンドロにやつの情報を伝える危うさは、おまえも理解しているはずだ」
「……ああ」
「ならば、いいな」
「……わかった。モチにも、知られないようにする」
「よし」
引き結ばれたハサンの口もとが、ここで、ようやくゆるんだ。