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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【四】 奮闘 -アレサンドロの未来・中編-
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開眼

 オルカーンが戦域を離れはじめたと知ってからの、ジョーブレイカーの行動は早かった。

 それはまさしく脱兎のごとく。通達を耳にはさんだ瞬間にはハッチから飛び出し、懐に忍ばせた一枚布を開いている。

 空にひしめくL・Jたちが部隊の整頓を終えたころにはもう、その白いパラシュートは二号車の間近、雪深い山中に舞い降りていた。

「……私だ」

『ジョ、ジョーさんですか? こちら二号車、メイです!』

 ジョーブレイカーは左手甲の通信機を操作する間にも、淡々と足を動かした。

「聞こえたな」

『は、はい! 準備は、できています!』

 そう言う声の裏側で、剣を打ち鳴らす金属音と奮起の雄たけびが、すでに戦場と化しているかのごとく響いている。

 ただし実際にはまだ、メイたちの立てこもる食堂へ、鉄機兵団は到達していない。これはあくまで気勢である。

「アレサンドロ・バッジョは戻りつつある」

『えっ!』

「私もいま戻る」

『りょ、了解です!』

 安堵と、さらなる闘志に沸く音声を聞き流し、ジョーブレイカーはスイッチをひねった。

 次の通信相手は、シューティング・スターとともにいるシュナイデであった。

「戻れるか」

『はい』

 ふたりの会話は、これだけで終わった。



 ほどなくして、二号車全体を覆い隠していた雪の壁が無情にも取り払われてしまい、正規の出入り口とその他装甲板三カ所に、突入口が開けられた。

 固い靴音が続々と通路へ侵入し、すべり止めとして振りまかれた砂によって、日々丁寧に掃き清められてきた床が黒くけがされていく。

 ドアというドアが開かれ、報告が飛びかい。二号車の命も風前の灯か、と予感されるこのときも、N・Sクジャクと神速のベネトナシュの戦いは、はるか上空で繰り広げられていた。

 空を走る轟音と、いま少し近ければ鼓膜まで叩き割られるのではないかと思われる衝撃波。

 このふたつは、母親の胸に顔を埋めこむようにして身を震わせている子どもたちをなおさらにおびえさせ、時折、近辺の山々に小規模な雪崩を起こさせた。

 クジャクは、その極彩色の羽根を散らしながらも退くことはなく、しかし、積極的に攻めることもできないでいた。

『チ……!』

 無理もない。

 まずそもそも、攻撃のチャンス自体が絶対的に少ないのだ。

 スピードがゼロになるタイミングは、転回するそのときのみ。しかし、そこに先まわりするのは至難の業ときている。

 音速で飛ぶ相手に対して、チャクラム程度では牽制にもならない。

 援護もない。

 これでホークの側に手加減する気持ちがあればいいが、それもない。ホークはクジャクを討ちはたす気でいる。

『む……!』

 空まで響いた炸裂音に目をやると、二号車の窓ガラスが飛び散っていた。おそらく、閉ざしておいた防火壁のひとつが爆砕されたのだろう。

 炎はそれから間をおかず、ときに場所を変えていくつも見られたが、どれもまだまだ中枢からは遠いようだ。

 だが……時間がないな。

 クジャクは、決死の覚悟で敵を待つ仲間たちが、まず容易には白旗を上げないだろうことを考えると、心中あせらずにはいられなかった。 

 いざとなれば、頭に血ののぼった若者あたりが火薬樽をかかえて飛びこんでいきかねない。そうした危うさを人間が持っていることは、クジャクもよく知っていた。

『なにをしている、アレサンドロ。早く戻って来い……!』

 南の空にも大地にも、いまだその姿を見出すことはできない。

 ベネトナシュの衝撃波が天空を引き裂き、クジャクの右翼が、このとき根元からもぎ取られた。


 ……やられたな。

 クジャクは自分でも空恐ろしくなるほど冷静に、そう思った。

 激痛があってもいいはずだが、いまのところ、まったくなにも感じない。感じないかわりに現実感も希薄で、ただただ知識と状況整理の結果として、いまの自分は激痛でおかしくなってしまっているのに違いないと思うだけだ。

 だが、事実クジャクは右翼を失い、衝撃波の残滓の中を、きりきりと舞っている。

 視界を埋めるほどに散り浮かぶ自らの羽根が、空から色を奪ってしまったかのように、青く美しかった。

『……空……』

 クジャクはここでふと、自分の見知っているはずの世界が、大きく様変わりしていることに気がついた。

 濃淡のない、純然たる白の空。青い羽根。それはいい。

 だがそのキャンバスのような空に、真紅の線が走っているのはどうしたことだろう。こうした現象を引き起こすたぐいのものが、はたして、この戦場にあっただろうか。

 しかもその線の走りかたときたら、まるで恐怖に駆られた人間が、短いナイフで滅多やたらと斬りつけたかのようだ。

 その姿に痛々しささえ覚えたクジャクは、そっと手を伸ばし、はるか上空にあるその線を、なでるようにしてみた。

 すると自身の腕、N・Sクジャクの腕までも、瑠璃色であったものが、淡い金に染まっていた。

『なんだ……これは……』

 クジャクは薄気味が悪くなった。

 このようなことは、いままで一度たりとも経験したことがない。

 ものの輪郭は変わりなく見えているというのに、色彩のみが変化するなどということがあり得るのだろうか。

 ……ああ。

 数百におよぶL・Jの群れが、すべて新年祭の飾りつけのように、色とりどりの光彩を放っている。

 二号車の色味は、空の線と同じ赤だ。いや、もっと複雑な混成色だ。

『……すまん』

 自分は、期待を裏切ろうとしている。

『すまん……』

 トラマルが呼んでいる。

 クジャクはなすすべを知らず、白い零下の空を流れ落ちていった。

 このときクジャクの耳へ届いたのは、トラマルの怨霊が放つうらみつらみではなく、なにかわいわいとした別の声であった。

『……?』

 それは、アレサンドロの激励であり、ハサンの小癪な物言いである。

 ユウの祈りであり、ララの叱咤である。

 モチや、マンムートのブルーノたち。その他大小様々な声が、消え入りつつあったクジャクの意識を呼び戻し、覚醒するまで騒ぎ続けた。

 クジャクは、

『……ふ』

 と苦笑いし、銀色の涙をひとつ、空へこぼした。

『どうやら、まだ逝かせてはもらえんらしい』



 このつぶやきが、はるか天上にいるホークまで届くことはなかったが、奇妙な感慨の中でN・Sクジャクの落下を見守っていたその目に、再び小さな絶望の灯がともった。もはや戦う力を失っているだろうクジャクのもとへ、チャクラムが集いはじめたのである。

 しかもその金環は寄り集まって、みるみるうちに一枚の絨毯を形成する。

 風に乗った金の絨毯はクジャクを乗せてせり上がり、数秒後には、呆気に取られるベネトナシュの目の前で、ぴたり、静止した。

『スピードスター・ホーク』

『う……』

 ホークは息を詰めた。

 チャクラム上に仁王立ちしたN・Sの姿が、先ほどまでと違う、神々しいまでの威厳に満ちあふれている。

『赤いな……』

『……な、に?』

『おまえの色だ』

『色?』

 ホークはベネトナシュの機体色を確認したが、もちろん、そこに変化などあるはずもない。正常な目に見えるベネトナシュは、白に橙だ。

 しかし、このときのクジャクの目には、やはり赤かった。

 それもただ単純に、サンセットⅡのような赤のカラーリング、というものではない。ベネトナシュの機体全体が燃え立つように、赤い波動に包まれていた。

『……そうか』

 そういうことか。クジャクはひとり納得した。

 これは感情の色だ。恐怖や怒りや緊張、そうしたものが視覚的に現れているのだ。

 先ほど見た赤い線も、ベネトナシュの軌道を思い返してみれば、ぴたりと一致する。あれはホークが攻撃とともに残した、感情の軌跡だったに違いない。

 クジャクに念動力のあつかいを教えたシュワブの高僧の言葉を借りれば、『気の流れ』、ということになる。

 ただし、これは高みへと至った者だけが見ることのできるもの。奥義中の奥義だ。

 クジャクはいままで五十年と言う年月を念動力の修行に当ててきたが、どうやら、死線をさまようことでようやく、そこへとたどり着いたらしい。

 都合のいいものだと、クジャクはまた、ほくそえんだ。

 さて……。

 それはそれでいいとして、ホークのまとっている、この赤の意味するところはなんだろう。

 焦燥か。

 それとも闘志か。

 凝視と言ってもいい、そのクジャクの視線を受けて、ホークの赤に、黒ずんだ青がまじった。

 クジャクは色と気との関係についてもう少し調べてみたいと思ったが、二号車の有様を思い出して、それを断念した。

『スピードスター・ホーク。俺たちは、行かねばならん……』

 合掌した自らの手の隙間から、黄金色の気が立ちのぼるのをクジャクは見た。

 そしてその気は薫香のように、N・Sの頭上をただよった。無論これは、ホークには見えていない。

 クジャクの足もとを支えるチャクラムたちがざわめき立ち、その姿はまるで、巨大な蓮の花。

 ここでホークは当然、目の前のN・Sが再びその金環群を放ってくるものと思ったが……、

『……?』

 クジャクは諸手を差し出して、手錠をかけろと言わんばかりの不可思議な動作を見せた。

 そう、このとき放たれたのは、金色に輝く不可視の『気』だったのである。

『な、なんだと?』

 気はゆらゆらとたなびいてベネトナシュの機体へまとわりつき、まずそのコクピットへと影響をおよぼした。

 あらゆる機器類が現実的にはありえない振れ幅で数値を変動させ、警報が鳴る。

 モニターにはノイズが走り、ホーク自身も、突然の耳鳴りに襲われる。

 操縦桿から伝わる温感と、リニアシートから這いのぼってくる冷感に翻弄されたホークが、

『ど、どうした、ベネトナシュ……!』

 と、驚愕したときにはもう遅い。

 ベネトナシュは、ホークがどれほど操縦機器を操作しようとこれを受け入れず、チャクラム同様、クジャクの意思によってのみ忠実に動作するようになっていた。言ってみれば、虜である。

『兵を退かせろ、スピードスター・ホーク。もはやおまえに勝ち目はない』

 N・Sクジャクが指をひと振りすると、ベネトナシュのスラスターから炎が消えた。しかしこれも不思議なことに、ベネトナシュは宙をただよったまま、落下しようという兆候さえも見せなかった。

 ホークはそれでも、操縦桿から手を離さなかった。

『退け』

『……俺が、そうする男だと思ったか?』

『そうか』

『う……!』

 急転、直下。

 突如ベネトナシュの機体は硬直し、数百メートルの高さから地面へと叩きつけられた。

 そこはメートル単位で雪が降り積もっているとはいえ、下にはおそらく、なまじの岩盤よりも硬く凍りついた大地がある。

 歯を食いしばって衝撃に耐えたホークだが、ベネトナシュはもう壊れて飛べなくなったに違いない、瞬間的にそう感じた。

 ところが、これが気の力か。実際の装甲にはこのとき、ゆがみひとつ生じてはいなかった。

『退け』

 ベネトナシュは再び、今度は二号車を取りかこむようにして群れ集まったL・Jたちの中央へと飛びこまされた。

『退け』

 ベネトナシュはひとつの山の形を変えるほど、幾度も同様の落下を味わった。

 しかしホークはついに、わかったとは言わなかった。

 と……そのとき。

 空の彼方に、巨大な影が浮き上がった。

 マンタが到着したのである。

『……む?』

 クジャクははじめ、それを、鉄機兵団に属する新手と思った。第三の戦艦か、そうでなければL・Jの一団だろうと。

 マンタがN・Sを所有していたことさえ知らなかったクジャクにしてみれば、遠目にも人型でないとわかるそのシルエットとN・Sとが、容易には結びつかなかったのである。

 だが、ホークは違う。

 ホークは、なかば土砂に埋もれたその映像を前にして、歯噛みせずにはいられなかった。

 もはや一刻の猶予もない。

 もし仮に合流を許せば、帝国はあの超巨大N・Sを前にして手も足も出せず、元奴隷たちの跳梁を一定期間、もしくは永久に、指をくわえて見ていることとなるだろう。国家の威信は地に落ち、内紛、内乱、それにつけこんだシュワブの進攻。行きすぎた発想かもしれないが、ホークはそれを可能性十分と見ていた。

 だからこそ、ずっとこのときをおそれていたのだ。

 ホークは、クジャクがマンタに気を取られている隙に、操縦系統と計器類をひと当たりしてみた。

 よし、動く。

 スラスターにも火が入り、山肌へ這いつくばっていたベネトナシュが空へと飛び立った。

『待て! スピードスター・ホーク!』

 わきを吹きぬけた突如の突風に吹き飛ばされつつも、クジャクは叫んだ。

 渦巻く風が七色に輝き、ベネトナシュの駆けていくそのあとには虹ができる。平時ならばそれを美しいと見ただろうが、いまクジャクの目に映るそれは、どこか悲壮な覚悟に彩られている。

『まさか、貴様……!』

 死ぬつもりか。

 コクピットのホークは操縦桿を握りしめ、ふと、メインモニター下の小物入れに目をやった。

 いまはふたが閉じられているが、この中に納められているのは、なんの変哲もないコルク栓である。帝国史上最高の船乗りと言われた先代将軍が勇退した際、ふたりで空けたワインの栓だ。

 先代よりもらい受けたのは、この栓と、オルカーン、ベネトナシュ。そしてなにより、男としての生き様。

『わかってくれるな、とっつぁん』

 ホークは汗を振り落とし、にやり笑った。

『すみません、ラッツィンガー将軍。あとは……頼みます!』

 光り輝く七色の矢となったベネトナシュは、その後数秒をおかずにマンタの右わき腹へ突き刺さり、大爆発を起こして果てた。

 その爆炎は、なんと黒々とした表皮の内側から百メートルも噴出し、背に乗せたN・Sごと、マンタを墜落させたのであった。

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