ゲーム
ピュウイ、ピュウイ……。
鳥が鳴いている。
街道を行く旅人たちが数人、どこから聞こえるのだろうとあたりを見まわしたが、見つかるわけがない。この鳴き声は、ハサンが声帯模写で出しているのだ。
その意味するところは、
『もう少し、ゆっくり』
先頭を進む神官衣のユウは、わずかに歩をゆるめた。
今日で、出発して二日。頭上には、相も変わらず、厚い灰色の雲がかかっている。
このメリゴ・アピアナス街道をこのまま道なりに行けば、あとほんの数キロで、聖ドルフとの合流地点、河口寄りの町バーテに着くだろう。
一行はここまで、幾度か並びを変えながら進んでいたが、いまはユウを先頭に、少し間をおいて、マンタとアレサンドロ。さらにそのうしろを、ララとハサン。モチは、ユウの背負った木箱の中に入っていた。
もちろん、こうして離れて進むのは、手配中の一行がそれと見とがめられないようにするため。そして、急の危険に対しても、素早く対処するためであった。
「ねぇ。あたし昨日、マンタと一緒だったじゃない?」
ふとララが、ずっと思ってたんだけど、とでもいうふうに、道連れのハサンへ言い出した。
「それが、今日はハサンってさぁ」
「おや、退屈かな?」
「て言うか、気がきかないって感じ」
「フフン。なら、私をあれだと思えばいい。そう思って、そら、手をつないでみようか」
「冗ッ談」
ララは一笑にふして、突っぱねた。
「ほう、あれとはまだ、指をからませてもいないのか」
「うるっさい。関係ないでしょ」
「肩は? 抱かれたか?」
「さぁね」
「……唇は?」
「やめてよぉ」
顔をゆるませたララとハサンは、はたから見れば、親子ともつかないふうにじゃれ合った。それは本当に奇妙なふたりで、すれ違う誰もが、好奇の目を向けたほどだ。
もしかすると、お大尽と、その毒牙にかかろうとする純朴な町娘に見えたかもしれない。
「よしよし、ではお姫様の退屈しのぎに、ひとつゲームをしようか」
「ゲーム?」
「そう、ゲームだ」
ハサンは、風のような速さでララの肩を抱き寄せ、その耳へ唇を寄せた。
「前から、小太りの商人が来るだろう?」
「うぅんと、どこ?」
ララは、目をこらして前を見た。
ハサンの言うその男は、いまちょうど、ユウとすれ違ったところである。
距離にして、二、三百メートルはあるだろうか。かろうじて、大きな荷物を背負っていることだけは見て取れる。
「あの男が、右ききか、左ききかを当てる。どうだ?」
「あたしが勝ったら?」
「君の愛する騎士様の秘密を、ひとつ進呈しよう」
「ハサンが勝ったら?」
「ここから先、バーテに着くまで、私のことをパパと呼ぶこと」
「アハッ! なにそれ」
「中年男のロマンだ」
「変態の間違いでしょ」
「ならばやめるか?」
「まっさか。あたしは右」
「よし。私は左だ」
にやりと笑ったハサンは、ポケットから大銅貨を取り出し、それを、さりげない動作で十数メートル放った。
つまり、道の真ん中に落ちたそれを、商人がどちらの手で拾うか見ようというのである。
なにも知らない商人は、それまで不機嫌そうに身体を丸め、足早に歩を進めていたが、道に光る五十フォンスの大銅貨に目をとめるや、
「おや。これは運がいい」
という顔をした。
そして、目だけであたりを見まわし、靴の紐を結びなおすふりをして……さっと、左手でそれを拾い上げた。
「フフゥン」
ハサンは、したり顔だ。
「あ、ズルしたでしょ」
「まさか。先に選んだのは君だろう?」
「そりゃ、まぁ、そうだけどさ」
「さ、呼んでくれ」
「ええ? ホントに?」
「もちろん。私は娘が欲しかった」
「あ、そ。だったら……」
「ンン?」
「だったら……その、あたしのことも、『君』なんて呼ばないでよね」
ハサンは、顔を真っ赤にしてうつむいてしまったララをながめ、心からうれしそうに目を細めた。
「惜しいな。バーテまでなどと期限を切らなければよかった」
「フ、フン。それだけでも呼んであげるんだから、感謝しなっての」
「ああ、まったくだ。さ、行こうか、ララ」
「な、なんで、手なんかつながないといけないわけ?」
「おや、親子とは手をつなぐものだろう」
「そんなの、ハサンの思いこみだっての!」
「ハサン?」
「う、そ、その……パ、パ」
「ああ、いいな」
ハサンは、逃げる間も与えずにララの手を取り、再びうきうきと歩きはじめた。
「バーテまでだからね」
「ンン、もちろん」
「ちょっとぉ、はしゃぎすぎ」
ふたりは子どもの遠足のように、つないだ手を大きく振って歩いた。
こうすると、まったく不思議なことに、ふたりは親子のように見えた。
さて、そこからふたりの間でどのようなやりとりがあったかはさておき。
一行がバーテに到着したのは、まだ酒場でも、酒のかわりに昼食を出している時間帯であった。
本来、街道すじの町というのは宿場であり、夕暮れ時からにぎやかになるのが常だ。
しかし、ここは、この時分から宿を取る旅人が少なくない。
それと言うのもこのバーテ、太古から続く聖ドルフの渡し場という歴史も手伝って、観光地としてもその名をはせているのである。
ユウは、商用をかたるマンタとアレサンドロ、そして、この先の景勝地、ラインコープへの観光を名目にしたハサンとララが、無事、宿の扉をくぐるのを見届け、背の木箱をかつぎなおした。
ここから先は別行動。ユウはひとり、この地にあるメイサ神殿へ、情報収集を兼ねて一夜の宿を借りることになっていた。
なにしろ、マンタの記憶が曖昧で、ここから上流に行ったものか、下流に行ったものかわからないというのだから仕方がない。
「……もう着きましたか?」
「ああ。これから、神殿に行く」
「了解です」
背の荷箱に入ったモチはわずかに身じろぎをし、ものの数秒で、再び寝息を立てはじめた。
ユウは、その足で、まっすぐに神殿へ向かった。
「いらっしゃい、安くしておきますよ!」
「これはこのあたりの名産で、ブタの腸詰を、生のまま熟成させたものです。ええ、そのままいただけますよ」
「あと十分で、ラインコープ行きの船が出ます! 行かれるかたはお早めに!」
「神官様! これ、持っていって! お代はいいから! メイサ神殿? あの看板を右! 案内しましょうか?」
ユウは丁重に断りながらも、ついつい笑顔になった。
まったく、元気のある町はいい。こちらまで心が豊かになる。
ユウが目指すバーテ・メイサ神殿は、着いてみれば、皆の取った宿から目と鼻の先であったが、そのわずかな距離を進む間だけでも、この町がどれほど平和か、手に取るようにわかった。
人々は皆幸福で、なによりもおおらかだった。
ただひとつ困ったことは、
「神官様、これも! これも!」
と、本来の道幅を半分にもしようかという勢いで立ち並んだ露店から、次々に報謝の品が差し出されてきたことである。
それがどれほどの量だったか、見るに見かねた露天商が、商品である手製のバッグの中から、もっとも安くて大きな手さげ袋を二枚、この難儀している若い神官への報謝として握らせてくれたことでもわかるだろう。ユウは日持ちのしそうな食品を選んで、かなりの量をポーチに詰めこんだが、それでも袋がいっぱいになってしまうほどの品物が残ってしまった。
街道と船着場をつなぐメインストリートを西に折れ、道のり自体にはなんの苦労もなく、ユウはメイサ神殿へたどり着くことができた。
「すみません。お願いします」
手のふさがっていたユウは、神殿の扉を、背中で押すようにしてくぐった。
すぐに、厚いショールを羽織った年配の女神官が、ふくよかな身体を左右に揺さぶって現れた。
「あら、巡礼のかたね」
女神官の声は、美しいソプラノだった。きっと、それは見事に神歌を歌うに違いない。
「一夜の宿をお願いしたいんです」
「ええ、これも縁。さあ、寒いでしょう、早くお入りなさい。そして、メイサに感謝をね」
「はい。あ、これを、神殿に」
女神官は、ユウの両手を占拠していた報謝の品々を、喜んで受け取った。
「まあ、マシュマロがあるわ。私の大好物よ」
「自分は、准神官のヒュー・カウフマンです」
「カウフマン?」
すると、突如顔色を変えた女神官が、
「……しっ」
ユウの唇に指をかざした。
そして、いかにも大げさな身ぶりであたりをうかがったかと思うと、声をひそめてこう言った。
「その名を口にしてはいけません。あなたの名前は……ルカ。そう、ルカ・モールトン、いいですね?」
「あ……」
ユウは直感した。
手配書だ。この街にもまた、手配書がまわっていたのだ。
「あの、俺は……!」
「いいえ、いいのです、行かないで。あなたはここにお泊まりなさい。ええ、すべて私にまかせて」
緊張した面持ちで眉を吊り上げた女神官は、ユウを押しやるように、柱の影へ身を寄せた。
「あなたにはできるかぎりのことをせよと、大神殿からのおふれです。ああ、それにしてもよかったこと。川向こうのアーカン・メイサ神殿は、レアン祭主のおひざもと。次の大祭主を狙う彼にかかっては、あなたはカジャディール様をおとしいれる、だしにされてしまいます」
言いながら女神官は、心底ほっとした様子で、胸をなでおろした。
「私は、マーコット。小さい神殿ですから、ここには私ひとりです。あまり、もてなすこともできませんが、それでも構いませんね?」
ユウはもちろん、首を縦に振った。
「ありがとうございます」
「いいえ、あなたは神の御前で、偽らざる名を教えてくれました。正直なあなたに、メイサが救いの御手を差し伸べられたのでしょう」
「……はい」
「さあ、まずは部屋に。そのあとで、一緒に、お茶をね」
ユウは、この美しい笑顔をした敬けんな婦人との出会いに、心から感謝した。
それを正直に口にすると、マーコット神官は、その福々しい顔を真っ赤にして、
「お上手ね」
と、ユウの手の甲をつねった。
こうしてユウは、どうにか予定どおり、メイサ神殿へ腰を落ち着けることを得た。
案内されたのは、マーコット神官の印象がそのまま映し出されたような、清潔感のある、優しいにおいに包まれた一室で、この他に、宿坊として使われているのは四部屋。宿の多い街だけに、数は少ない。
そこでまずユウがしたことは、木箱の中のモチを、窓から裏手の雑木林へと出してやることだった。
「日が出てる間は、この近くにいてくれ」
「了解です」
モチは、ほんの数メートル先の白樺の木に、居心地のよさそうな枝を見つけ、そこに落ち着いた。
白いモチの姿は、白樺の木ともともとセットであったかのように、しっくりとおさまった。
さて、では仕事をしようか。
布にくるんだ太刀をベッドの下へ隠し、ユウがマーコット神官を探しに出ようとすると、ちょうど扉がノックされ、本人の声が、ひそやかにうかがいを立ててきた。
「カウフマン……あ、駄目ね、忘れっぽくて。モールトン准神官」
「はい」
「いま、あなたをたずねて、お客様が見えたのだけれど」
「客?」
「男のかたで、騎士ではありません。祭壇の前で待つからとおっしゃって、いまはそちらに。……どうします? 帰っていただきますか?」
「いえ……」
ユウには心当たりがあった。
ハサンとの連絡は、人の集まる夕暮れ時の祈りにまぎれて、という予定だったが、なにか不測の事態が起こった場合には、適当な理由をつけて呼び出されることになっていたのだ。
「きっと知り合いです」
「ああそう。なら、早くお行きなさい。人目が気になるようなら、これを。祭室の鍵です」
「すみません」
ユウは、さすが伝統ある神殿らしいクラシカルな鍵を握りしめ、地下の聖堂へと急いだ。
なにがあったものかと気がはやったが、神前にぬかづくその人影には、格段あせる様子も見られなかった。
「ハサン……?」
薄暗い光石灯の光の中で、呼びかけられた人物が立ち上がる。
ひざ頭についた土を払い、その男は言った。
「はじめまして、ヒュー・カウフマン君」
「エディン……ナイデル……!」