戦車の死
だまされた。
ハサンは、何十年かぶりにそう思った。
超光砲の直撃を受け、もうもうと黒煙をはき続けるマンムート。
あの、象徴ともいえる雄々しい双角はどこへ行ってしまったのか。
それがあった場所からは、黒く溶け落ちたコード類が、まるでタールの樽をひっくり返したかのような有様でたれ下がっている。
枯れ草迷彩の装甲板は、まるで焼け野原を描いた抽象画だ。
……ああ。
まったく、単純なブラフだった。
本来四十五秒のチャージラグを、六十秒に見せる?
基本中の基本。
なぜ気づかなかった。
科学の進歩をなめていたのは、自分自身だったというのか。
『アレサンドロ、おまえは、二号車へ退け』
『なに言ってやがる、俺は行くぜ!』
『おまえが行ってどうなる』
『そんなもん知るか!』
アレサンドロはひと声叫ぶと、あとも見ずに駆け出した。
ハサンの足は、動かなかった。
そこへ、空から、
『アレサンドロ!』
『おう、おまえらも無事か! あいつは? ララは!』
『先にマンムートに行った。俺たちもこれから向かう』
『わかった、早く行け! 俺もすぐ追いつく!』
『ああ!』
ユウとモチは心の中でうなずき合い、さっと身を返した。
ここにきて強く吹きはじめた北風が、雲を呼んでいる。
黒煙を避けつつ、また、黒煙を盾にしながら、カラスはマンムートへ近づいた。
しかし、周囲を取りかこむ鉄機兵団のL・Jは、誰ひとりとして攻撃を仕掛けてこようとはしなかった。
実は、超光砲の一撃により制御を失ったマンムートだが、その後も惰性で走り続け、メラクと激突していたのである。
体格で劣るメラクは弾き飛ばされ、カーゴ、カノン砲搭載の軍用車、陸戦用L・Jを数機巻きこんで、いまは遠く彼方の森で白煙を上げている。
それを助けに行く者、壁となって将軍のもとへは行かせまいとする者。
どちらにせよケンベル軍は、撤退の準備をはじめていると見てよかった。
『ユウ!』
『ララ、セレンは?』
『わかんないの。ねぇ、どうしよう。どうしよう、ユウ』
ブリッジ下の、黒く変形した装甲板に張りついていたサンセットⅡから、おろおろとした泣き声が聞こえてきた。
『ねぇ、どうしよう。ねぇ』
『わかった。俺が見てくる。ララとモチはここにいてくれ。鉄機兵団が動くかもしれない』
『……う、ん』
ララは、ひとまずほっとしたように、か細く答えた。
このララの気持ち、ユウにはよくわかる。
ララは心配でたまらないのだ。
しかし中に入れば、最も目にしたくない光景に遭遇してしまうかもしれない。それが怖くて足が動かないのだ。
「あの窓まで持ち上げてくれ」
N・Sを降りたユウはララにそう頼み、抜け落ちたブリッジの窓から入ろうと試みた。
かつて強化ガラスがはめこまれていた場所に手をかけ、
「あ、つ!」
思わず、手を引いていた。
見ると、やけどをするほどではなかったが、ゴム質のもので覆われた窓枠には、くっきりと、手のひらの跡が残っている。
『大丈夫?』
「ああ……行ってくる」
ユウは窓枠に足をかけ、骨ばかりとなった薄暗いブリッジへ、腹をすえて、飛びこんだ。
「う……」
ひどいにおいだ。
たき火の燃えさしを思わせるすっぱさと、溶けたゴム。焼けた革。
あまりの異臭は目の粘膜からもしみこんでくるようで、ユウはまずポーチからタオルを取り出し、それで鼻と口を覆った。
そこまでして、ようやく、ひと息ついてあたりを見まわすことできたのだが……なんということだ。
なにもない。
なにひとつだ。
倒れた椅子のうしろ、崩れた機器類の下。そんなところにふたりが逃げのび、
「やあ、まいったよ」
などと出てきてくれることを期待していたのだが、とんでもない。
これは惨状よりもひどい、空虚だ。炭の城だ。
ユウは茫然と、その場に立ちすくんだ。
「……カウフマン」
「あ、ジョー!」
ユウの胸が高鳴った。
ひしゃげたハンドルロック扉の向こうに現れたのは、まさしくジョーブレイカーだ。
ジョーブレイカーならば、セレンとメイを助けられたかもしれない。
なんといっても超人だ。
「ジョー、ふたりは!」
「私も確かめにきた」
「え……」
ジョーブレイカーは扉の隙間から頭を差し入れ、ブリッジをひと当たりした。
そして、別の陳列棚へ向かう博物館の客のように、どうということはない顔で、またどこかへ行こうとした。
「……待て、待ってくれ!」
ユウは扉に飛びついた。
「どういうことなんだ。ジョーは、あのふたりがどこにいるのか知らないのか?」
「……うむ」
「だったらなんで、そんな平然としていられるんだ!」
叫んでみて、ユウは自分が思った以上にショックを受けていることがよくわかった。
こんなことをジョーブレイカーに言ったところで仕方がないのだ。
ジョーブレイカーは、誰よりも早くマンムートへ駆けつけた。それだけで、気持ちは十二分にわかるだろうに。
「……すまない、ジョー」
ジョーブレイカーはなにも言わず、手すりの曲がった階段を、一段二段、下りていきかけた。
「……あ」
「……?」
「なんだ、この音」
ユウにつられ、ジョーブレイカーも耳をそばだてる素振りを見せた。
それからしばらくは沈黙の時が流れたが、ややあって。
……カン……カン。
今度こそはっきりと、金属面に槌を振るう音が届いてきたのである。
「ジョー、待ってくれ! 俺も行く!」
ユウは目の前のハンドルロック錠に手をかけ、がむしゃらに揺さぶった。
しかし、
「くそっ!」
大きく変形した鋼鉄の扉はびくともしない。
すると、駆け戻ってきたジョーブレイカーが向こう側から扉をつかみ、ぐいとひと引き。それだけで、いとも簡単に扉はすっぽ抜けた。
なんという怪力。
「行くぞ」
「あ、ああ、急ごう!」
電源供給が途絶えたマンムートだが、光石を原料とした蛍光塗料を動線にそって引いているため、内部、特に足もとは思いのほか明るい。
その、わずかに青みがかった光の中、ユウはマンムート内部の損傷が、外部装甲板のそれほど絶望的ではないことを知った。
被害が大きいのは、双角を除いたマンムートの前方三分の一。そこは煤と残骸ばかりだが、中ほど三分の一は多くの扉壁がゆがみもせずに残り、後方三分の一は、さらに壁に貼られた注意書きまでしっかりと残っている。
例の槌の音は、ユウたちがL・J格納庫近くまで来たところで、ぴたりと止まってしまった。
「どこだろう」
「……」
「いったい、なんの音だったんだ?」
ジョーブレイカーは答えず、壁に耳を押し当てている。
ユウは口をつぐみ、ハサンがいつもやっているように頭を働かせてみようと、目を閉じた。
しかし、様々な可能性を考慮しなければならないとわかっていても、音の正体がセレンとメイだと思いたがる気持ちだけは、どうにも抑えることができなかった。
「カウフマン」
「え?」
ジョーブレイカーの目が、通路の先を見るように言っている。
「あ……!」
下層の機関室へ続く階段から、天井へ向かってひとすじの光がさしていた。
「セレ……!」
ジョーブレイカーの手が、すかさず、ユウの口をふさいだ。
「まだわからん」
「でも」
「……」
「……わかった」
音もなく刀を抜いたジョーブレイカーを先頭に、ふたりは、足音を忍ばせて光のもとへ向かった。
ひとり分の足音が、ゆっくり、ゆっくりと、ステップを上がってきた。
「あ」
「あ……きゃ、きゃあああ!」
メイだ。
ユウはすぐにそう気づいたが、驚きあわてたメイは目をつぶり、なにやら肩にかついだ筒状の物体をこちらへ向けてくる。いわゆるロケットバズーカだが、ユウはその名前さえも知らない。
「メ……」
「いやあああ!」
間一髪。
メイの細い指が引き金を引いた瞬間、ユウの身体はジョーブレイカーによって押し倒されていた。
轟音と熱風が頭上を通過し、すさまじい噴射音を響かせながら、ロケット弾は走る。
突き当たりの壁が木っ端微塵に吹き飛ばされ、冷たい風と冬の日差しが、さっとユウの頬をなでた。
それは、思わず神への感謝を口にしたくなるほどのすがすがしさをはらんでいたが、ユウは、生きた心地もしなかった。
「ジョー、助かった」
「うむ」
「……あ、メ、メイ!」
見ると、反動で五メートルも飛ばされたメイが、壁ぎわで伸びている。
大丈夫かと駆け寄ったユウが頬を叩き、覚醒をうながすと、
「う……うぅん」
メイはうっすらと目を開け、次の瞬間にはまた、悲鳴を上げた。
「メイ、俺だ。ユウだ」
「あ……ユ、ユウさん……?」
「ああ」
「あ、ああ……!」
恐怖から解放された安堵感からだろう。首へしがみついてきたメイを、ユウはしっかりと抱きしめた。
温かい身体。しかし、誰が見てもわかるほどに震えている。
背をさすってやると、腕の力はますます強くなった。
「メイ、セレンは?」
「あ、セ、セレン様!」
「カウフマン、ここだ」
ジョーブレイカーの声に従い、ユウは首を伸ばして階下を見やった。
途中踊り場に、セレンが座りこんでいる。無事だ。
「セレン様!」
ユウを突き飛ばすようにして階段を駆け下りたメイは、今度はその胸にかじりついて泣いた。
セレンは、怪我をしているようだった。
「セレぇン! メイぃ!」
「痛、イタタタ、痛いよ、ララ」
「バカぁ」
「馬鹿じゃない。生きてたんだからね」
「うわぁん、バカぁ」
「はいはい、じゃあ馬鹿でいいよ」
セレンは、肋骨数本にひびが入っていた。
「セレン様は、あたしをかばってくれたんです。それで……」
と、メイは泣き声を出したが、
「その程度ですみゃあ御の字だぜ」
というのが皆の正直なところだ。
なにしろ、ブリッジはあの有様なのだから。
「……あそこは、そんなにひどいのかい」
メイが開けてしまった大穴の近く。光がさしこむ通路上に防水シートを敷き、そこに身を横たえたセレンは、アレサンドロの診察を受けながら、言った。
ちなみにこのときすでに、ケンベル軍の姿はどこにもない。破壊されたL・Jが取り残されているのみだ。
「なに?」
アレサンドロが聞き返すと、
「ブリッジにはいなかったんだよ、あのとき」
「なら、どこに」
「研究室さ」
セレンは熱っぽく、白い息をはいた。
「戦争は嫌いじゃない。でもそれは、騎士が命の捨て場所を探してるのとは違う」
「……研究のためか」
「なにもそんな顔をすることはないだろ」
「それで?」
「マンムートの操作系統を研究室にまわしておいた。ケンベル相手に、ブリッジは危険だからね」
「なるほどな」
「……この子には、悪いことをしたよ」
「メイか?」
ふ、と笑ったセレンは、首を横に振った。
「マンムート。この子はもう、走れない」
「悪ぃが、置いていくことになりそうだぜ」
「わかってるよ。データのバックアップも取ってある。でも、研究室のものだけは、運ぶのを手伝って欲しいね」
「ああ、わかった」
「すぐにハゲタカが来る。スダレフのハゲタカが。それだけはごめんだ」
「他には」
「整備用の機材。推進剤のタンク。交換パーツ。それと……あれ」
セレンが指さしたのは、薄暗い通路に転がされた、直径五十センチの鉄球みっつ。実はこのひとつひとつに、マンムートを活動させていた高輝度の天然光石が収められている。
この国家的にも貴重な心臓を取り出すために、セレンとメイは怪我を押して機関室へ行き、重光炉を解体した。それがあの、槌の音だったのである。
「あれがありゃあ、またマンムートはよみがえる、か」
「そう、また、別の形に」
「おいおい、今度はなにをたくらんでやがる?」
「さあね。それは私にもわからない」
「チッ」
アレサンドロは、仕方のねえやつだ、と言わんばかりに舌打ちした。
「まあ、その話はあとだ。さっさと作業に移るぜ。オルカーンがすぐそこまで来てるかもしれねえ」
「ああ、よろしく」
そうして、ひとりで大丈夫かと心配するララたちを、
「ああ、問題ないよ。もうやつらもいないんだろ」
と、研究室へ送り出し、セレンはようやくやってきたN・Sコウモリへ、
「降りてこないかい」
声をかけた。
「煙草、吸わせてもらえる?」
「いいとも。痛みは?」
「特に」
「さあ、どうぞ。奥様」
「へえ……パイプが変わると、味も変わるものだね」
「……ふむ」
「テリーは?」
「向こうへ戻した。状況を知らせる者が必要だ」
「そう」
座りこんだふたりは壁に背をもたれ、しばし黙然と、煙草のまわし飲みを続けた。
「……まったく、落ちこむね」
「ああ、私もだ」
「魔術師に、マンムートを壊された」
「フフン、耳が痛い」
「これも計画のうち?」
「なぜそう思う」
「マンムートが、一番大きな火種だったから」
ハサンは、ややさびしげに、にやりとした。
「君は賢い。確かにこれがあるかぎり、我々は多くのやっかいごとを招き続けただろう」
それは、鉄機兵団の目であり、エディンたちのねたみであり、助けを求める奴隷たちだ。
そして、ともすれば建国という当初の志を忘れ、この鉄の城に守られた暮らしよ永遠なれと願ってしまう心だ。
「だが私は、もう少し、この親愛なるマンムート君に頑張ってもらうつもりだった」
「……ふうん」
「これはまったく、いい戦車だった」
「そうだね」
「……我々の戦車に」
ハサンは杯を捧げるようにパイプをかかげ、ひと口吸った。
「次のマンムートに」
と、セレンもそれを真似て、パイプの灰を捨てた。