相棒のつとめ
「毛布を!」
「飲み物だ。誰か、飲み物を沸かしてこい!」
「おいおい、なんで騎士なんか助けなきゃならないんだ?」
「そんなこと、どうだっていいじゃありませんか。さ、どいてどいて!」
「外も手伝ってくれ!」
夜ごと停車しては、朝方進行を再開するマンムート。しかし今朝は、その出発の時刻となってもあわただしい空気に包まれていた。
まず、カラスの巣によって故障をきたした、レーダーの修理をしなければならない。
そして、二号車のレクリエーションスペースに受け入れた、総勢六十二名にもおよぶ騎士たちに対しても、下がりきった体温を上げる治療が急がれていた。
「ハサン、アレサンドロはどうした。やつがいなければどうにもならん」
と、応急処置の指揮を取るクジャクが訴えてきたのは、つい先ほどのことだ。
ハサンが床を打つ、こつ、こつ、という、妙にのんびりとした響きが通路を曲がり……、
「……チ」
その口から、かすかな舌打ちがもれた。
薬品庫の扉の前に、ユウがひざをかかえて座りこんでいたのである。
「あ……ハ、ハサン」
ユウは立ち上がると、尻についた泥を払った。
「なにをしている」
「あの、アレサンドロが、ここに……」
「それはわかっている。私は、おまえがここで床を暖めていることに、なにか意味があるのかと聞いている」
「それは……」
「フン、カラスのがよっぽど役に立つ」
「あ、ま、待ってくれ!」
叫んだユウはドアとハサンとの間に、ぐいと身体を割りこませた。
「アレサンドロのこと、いまは、そっとしておいてやってくれ」
「ンン?」
「いまは、ひとりになりたいんだ。だから……」
「そう言ったのか」
「え……?」
「やつがそう言ったのか」
「ああ。落ち着いたら、きっと仕事に戻る、そう言ってた」
「そうか」
ハサンはそれでも、ドアの引き手へと手を伸ばした。
カチリ。
それこそふれただけで、魔法のように鍵が開く。
「おまえはそこで待て」
「ハサン!」
ハサンは薬品庫へすべりこみ、うしろ手に鍵をかけなおした。
「おお、アーレサンドロー」
窓のない部屋だというのに明かりも灯さず。唯一の光源は、ドアの細窓から差しこむ光だけ。
いかにも子どもじみた隠れ場所である。
奥の暗がりには鉄製の椅子と、在庫管理用の書類が乗ったすえつけの机があったが、もちろん、その上の光石スタンドも覆いをかけられている。
せめてそれだけでも、と並の人間ならば考えただろうが、ハサンの目は、そんなものがなくとも十分に見える。ささやかな、細い光のすじが照らす五列の薬品棚。その中でも、最も奥まった場所にあるそれのかげに、呼吸音も聞き取っていた。
わざと足音を立てて近づくと、
「……また、なぐさめに来たってのか」
ささやくような、アレサンドロの声がした。
「なぐさめて欲しいか、坊や?」
「ああ。あんたにその気があるならな」
「フフン」
闇の中でアレサンドロは、ひざ頭の間に頭を埋めるようにして、うずくまっている。
「どうなぐさめて欲しい」
ひざまずいたハサンが頭をなでると、その身体は、もうひとまわりも小さくなった。
「ハサン……」
「ああ?」
「あいつら、なんなんだ」
「エディン・ナイデル?」
「あいつら……本当に人間か?」
「おそらくな。ただ随分と、質が違うらしい」
「ああ……ちくしょう……」
「アレサンドロ、おまえが傷つくことはない」
「いや、怖ぇ。俺は、あいつらと戦うのが、怖ぇ……」
ハサンの眉間に、深いしわが寄った。
「嫌だ、冗談じゃねえ。俺はもう、あいつらとは関わりたくねえ。……あんたならできるか? ふん縛った人間を、頭から叩きつぶすような真似が」
「……さて」
「俺にはできねえ。あんたがやると言っても、俺は認めねえ」
「ンン、当然だな」
「俺はホーガンで、ガキをおとりに使った。そんな自分も許せねえ!」
「……」
「それが、あの、野郎……」
語尾を震わせたアレサンドロは、両腕で自身をかきいだくようにして、大きく身震いした。
「……ちくしょう」
それまで頭をなで続けていたハサンの手が、ふと、アレサンドロの冷えきった指を握った。
「すまん」
「……ハ」
アレサンドロは、まさかこの男が謝るとは思ってもいなかったために、また冗談だろうと笑い飛ばした。
しかし、
「すまん、受身にまわりすぎた」
と語るハサンの目は、アレサンドロが一瞬言葉を失うほどの、真に満ちている。
「別に……あいつがどうかしてるのは、あんたのせいじゃねえ」
「いや、私は知らなかったのだ。騎士ではない者の戦いかたを」
「それを言うなら、俺たちだってそうじゃねえか」
「では言いかえよう。過去も、未来もかえりみない者たちの戦いかただ」
アレサンドロは沈黙した。
「つまり、誇りだ」
ハサンは握る手に、力をこめた。
「わかるな? 我々は違う。やつらとは、根本的に違う」
「……ああ」
「おまえが、自分を恥じることはない。おまえの恐怖は、人として正しい反応だ」
「……ああ」
「よし、今日はもう休め。そして明日からまた働け」
「いや……さっきの、騎士たちはどうなった」
「なに、なんとでもなる」
「ならねえさ。俺も、行くぜ」
「……」
「鉄機兵団の騎士じゃあ、まさか連れていくわけにもいかねえ。助かったやつらの身の振りかただけ、考えてやってくれ」
「……わかった。頼もしいな、リーダー君」
「できる紋章官殿の、おかげだぜ」
アレサンドロは影の中でかすかに笑い、そして、立ち上がった。
そうして、両手に薬箱をかかえて駆けていくアレサンドロを見送り、ユウは、ほっと胸をなでおろした。
これでもう安心だ。
やはり、ハサンは頼りになる。
「あの、ハサン……」
「ユウ、話がある。こい」
「あ、ハ、ハサン!」
返事も聞かずに、さっさと行ってしまったハサンのあとを、ユウは急いで追いかけた。
ひらめくマントが入っていったのは、ブリーフィングルームだった。
「鍵を閉めろ」
これは、いよいよ大事な話に違いない。そう思ったユウは、しっかりと鍵をまわした。
そして、わずかに躍る心を抑え、振り返ったところで……。
「あぅッ!」
なんと、強烈な張り手を食らい、机に突っ伏してしまったのである。
しびれた頬がみるみる熱くなり、渦を巻く視界全体に、チカチカと星が散る。
肉体はおろか、精神的にも衝撃はなはだしく、ユウは一瞬、これを夢だと錯覚した。
覆いかぶさってきたハサンによって、腕をねじり上げられ、顔面を冷たい机に押しつけられてようやく、痛みが、ユウを覚醒させた。
「理解できているか、ユウ。自分がなぜ、このようなあつかいを受けるのか」
「あ、い、痛、い! ハサン……!」
「おお、そうだろうとも。痛みを与えているのだからな!」
ハサンの左手がさらに腕を絞り、全体重のかかった右ひじが、ユウの耳の裏へ突き刺さる。
ユウは悲鳴を上げた。
「まったく、おまえほど腹立たしい男もないものだ。テリーを出してくれと聞いたときには、おお、私の弟子もそこまで考えるられるようになったかと、少なからずも感心した。それがなんだ!」
「あ、つ!」
「いいか、ユウ。いまさら、なぜ、などとは聞くまい。このまぬけ頭にも、わかりやすく言ってやる」
「ぅ……う」
「おまえの仕事は、アレサンドロが浴びるべき血を、かわりに浴びることだ」
ユウは激痛に悶えながらも、耳に入った血という言葉に、息を呑んだ。
「目の前に茨が生い茂っているならば、おまえがその身を横たえ、道となれ」
「ッ……!」
「取られた人質が救えんのならば、おまえが人質を斬り殺せ」
「そん、な……!」
「それができんようなら、二度と相棒などと口にするな!」
ユウには理解できなかった。
いや、実際、ハサンの言葉はもっともかもしれない。
だがどうして、ハサンがここまで腹を立てるのか……。
トントン。
「彼氏さん、いるぅ?」
テリーの声だ。
「彼氏さぁん。いないなら、いないって言ってよ」
「ああ、ここにいるとも。なんの用だ」
「セレンさんのとこ、手が足りないんだって。角を分解するのに、ララちゃんのサンセットだけじゃ持ち上げられないって」
「……いま行かせる」
「あいよ」
まるで巌のように押しかぶさっていた重みが、ここで、ふとゆるんだ。
ほう、と張り詰めていた息が抜け、ユウは、まったく、足に力が入らないことに気づく。
あまりの恐怖で、すくみ上がっているのだ。
十数年をともにすごしたと言っても、ハサンの激憤を受けたのは、いや、見ることさえもはじめてのユウであった。
「早く行け」
「あ、ああ」
ユウは机を支えにどうにか立ち上がり、よろよろ、ドアへすがりついた。
「う……」
肩甲骨の間に、ステッキの先が、トン、と当たる。
純白のもやを放つ凍てついた刃に、心臓を貫かれたかのようだ。
「私の言葉、忘れるな」
「……た」
「ユーウー?」
「わ……かった」
「行け」
ユウは、ドアの外にいたテリーにも意識が向かず、ただただ、足もとのおぼつかない白雲の中をこいでいく心持ちで、ハッチへ向かっていった。
「大将、派手にやったねぇ」
そう言って、ひょいと顔をのぞかせたテリーが、おそれ知らずにカラカラと笑った。
「びっくりしちゃったよ。ここに入ったと思ったら、いきなりギッタンバッタンやりはじめるんだもん」
「フフン、長々の傍観、ご苦労だったな」
「でも、ちょっと、らしくないなぁ。あれは八つ当たりって言うんだよ。や、つ、あ、た、り」
「そのとおりだ。作戦の責任はすべて紋章官にある。そう言いたいのだろう、『先輩』?」
テリーは若干機嫌を損ねたらしく、眉を八の字に下げて唇をとがらせた。
それを鼻で笑ったハサンの指は、パイプへ草を詰めはじめている。
すでに機嫌はなおったのだろうか。そのような顔だ。
「大将さ、本当に彼氏さんが、言うとおりにすると思ってる?」
「さてな」
「ねぇ、だったら、なにもあんなこと言わなくたっていいじゃない。本気にして人質斬っちゃったら、彼氏さんが立ちなおれないよ」
「……テリー」
「あい?」
「仕事へ戻れ」
すごすごと引き上げていくテリーの気配が通路から完全に消えたところで、ハサンはひとつ、大きなため息をはいた。
「馬鹿め」
ハサンは煙草の不味さに、顔をしかめた。