メイサの縁(2)
「な、なにをおっしゃいますか! N・Sなど、鉄機兵団に見つかればなんとなりましょう!」
それまで押し黙ってやりとりを見ていた随身官が、大祭主に取りすがった。
「お考えなおしを……! あれは……魔物にございます!」
「なればよ」
大祭主は随身官の額を、ぺちんと叩いた。
「なればこそ、やつらに渡すわけにはゆくまい。どうかな?」
『でも……』
「荷車も貸そう」
と、確かに護衛用L・Jの載せられたカーゴが、広場の奥に数台見える。
N・Sが現れたというのに、誰ひとり、起動させた者はいなかったようだ。
「あれは歩かせればよい」
どうやらこの老人はL・Jが好きではないらしい。
ユウは、正直迷った。
神官を疑う心などない。むしろこれは神の助けとも思える。
しかし、だからこそ、迷惑もかけたくはない。
従者らしい男が言うとおり、鉄機兵団に見つかればどうなるか、である。
言葉を探すそのユウの姿に、老人は目を細めた。
「若者よ、名は?」
『……ヒュー・カウフマン』
「よろしい。わしは、カジャディール」
『カッ……!』
心臓に杭打たれたかのような衝撃だった。
それまでの葛藤など忘れ、ユウはN・Sを飛び降りると、両ひざを折り、老人の前にひれふした。
カジャディールこそ帝国圏メイサ神殿の最高位に座する、祭主の中の祭主。
並の者ならば、声を聞くどころか、姿を見ることさえ到底叶わぬ、まさに雲の上の存在なのである。
「お許しください。大祭主様とは知らず……ご無礼を」
ユウは声を絞り出し、土を固く握りしめ、わなないた。
「よい。しかしこれでわかろうよ。帝国騎士とてなにするものぞ」
「は……」
「そなた、察するにメイサの子であろう」
「はい」
「ならばなおのこと、この年寄りを頼るがよい」
カジャディール大祭主は随身官の止めるのも聞かず、片ひざをつき、土によごれたユウの手を取り上げた。
「これも、お導きよ」
「大祭主様……!」
ユウはあまりのおそれ多さに声を詰まらせ、面をふせた。
随身官は、まだなにか言いたげに、口をパクつかせている。
デローシス近郊に到着した朝、ユウはこの数日の温情に、深々と頭をたれた。
実際それは下にも置かぬもてなしぶりで、移動は大祭主と同じ車。夜になれば見張りをつけられることもなく、貴重な神書を読むことも、N・Sの様子を見にいくことも自由にできた。説教なども、大祭主自ら招いてくれたほどである。
これほどのあつかいを受けたのは、ひとえに大祭主自身がユウを憎からず思っていたからに他ならない。
「行くか」
見送る声にも、自然と暖かいものがあふれている。
「ご恩は忘れません」
「なに、これも縁。わしこそ、この出会いに感謝しておるよ、カウフマン」
「もったいない、お言葉です」
うなずいた大祭主は、あの口やかましい随身官ヌッツォを呼び寄せた。
天幕からよろよろと現れたヌッツォは、なにか、重そうなものをかかえていた。
「手向けじゃ、受け取れ」
と、恐縮するユウに、なかば無理やり押しつけられたそれは、剣であった。
「倦まずたゆまず鍛錬に励む姿、まこと我が神兵にも見習わせたいものよ」
「あ……」
見られていた。
うつむいたユウを、大祭主はにやり、笑った。
そして、
「これはかつて、わしが腰にあったもの」
大祭主はユウの手から、剣を抜き払った。
それは、反りも美しい片刃の長剣で、刃文の浮く刃は朝日を浴び、凛と冴えた光を放っている。
「多少くたびれておるが、騎士のなまくらに劣るものではない。幸いあれにも……」
と、仰ぎ見る先には、N・Sカラスの太刀。
「よう似ておる」
大祭主は、刃を鞘におさめた。
「さ、受け取れ。わしにはもはや、無用の長物よ」
「は……」
ユウは身の引き締まる思いで、押しいただいた。
「なによりのものです、大祭主様……」
胸の奥底が熱くなり、声が震えた。
「では……これで」
「うむ。メイサの加護があらんことを」
「よい若者でしたなあ」
走り去るカラスのうしろ姿を見送り、ヌッツォがため息をもらした。
真摯なユウの態度に、こちらも感じ入るところがあったようだ。
「若いわりに欲がなく、学も深い。父御はメイサの神官であったと聞きおよびましたが、さぞや立派な人物であられたのでしょうな」
「ふむ」
「それにしても、鉄機兵団に見つかりませんで本当によろしゅうございました。もう、一時はどうなりますことかと……」
手をこすり合わせ、うきうきと言うヌッツォに、
「たわけ。やつらには、とうの昔に知れておるわ」
「は? いや、まさか……ではなぜ、その、野放しに?」
「わからぬか?」
「は……」
「たわけ」
大祭主は勃然と言い放ち、天幕へときびすを返した。
メイサよ。我らが母。
いかなる試練もその慈悲深きゆえ。
ただ、別して願わくば、
御子の旅路が行くすえに、最良の実を結ばんことを。
つぶやくほどの祈りは、大地に溶けて消えた。