秘密
マンムートはこの日、アールシティ近郊から動かなかった。
できればここで、積めるだけの食料を積んでおきたい。
大きな街ほど備蓄量も多く、多少買い占めたとしても、見とがめられるリスクが少ないからだ。
そのため、荷物の一時保管場所となった格納庫の整理も明日に見送られ、日没と同時に作業は終了。人々は、自室へと引き取っていった。
それが……。
しばらくたった、いまこの時刻になって、その荷箱の隙間をそろりそろりと進む人影があるのはどうしたわけだろう。
その人影は、格納庫の端に追いやられたホバーバイクのカバーシートを、これまたそろりそろりとはずしはじめた。
「ララ」
「!」
「なにしてる」
「ユ、ユウ……」
おびえた目でユウを見返した人影、ララは、唇までもが青ざめている。
と、思うと、それをぎゅっと噛みしめ、
「う、うう……!」
閉じられたハッチへと、一散駆け出した。
「ララ」
「いや、放して! 放してよ!」
「いいから落ち着け」
「いやいやいや!」
「ララ!」
「ッ……!」
ララは、その場にくたくたと座りこんでしまった。
……実は。
どうしてこうなってしまったのか、ユウにもわからない。
ただ、太陽神殿で札をもらい、そのあと別行動をした間に、ララの身になにか起こったらしいことだけは気づいていた。
帰り道にしてもいまのように青ざめ、こちらから話しかけても生返事さえしない。
一度は馬を止め、なにがあったのか聞きただしてもみたが、
「なんでもないの……ホント。なんでもないから」
と、くり返すばかりだったのだ。
だからこそこうして、その動きから目を離さずにいたのだが、いま再び同じ質問を投げかけてみても、ララは強くかぶりを振るばかりで答えようとはしなかった。
「ララ」
ユウはひざをつき、ララの顔を真正面から見すえた。
「俺以外になら言えるのか?」
ララはやはり、首を横に振った。
「ララ」
辛抱強く問いかける。
「誰かに会ったのか?」
ララの目がじわりとうるみがかり、ついには、大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
「う……う、う……」
「いいんだ、別に責めてるわけじゃない。くわしいことは……その、言わなくてもいいんだ」
「う、う」
「ただ、どこに行きたかったのか、それだけ教えてくれないか」
「う、ううう……」
ララは、それでもやはり、子どものように両目をこすり続ける。
その、いかにも弱々しい可憐な姿がなんとも胸にこたえ、ユウは我知らず、ララの頭を強く、胸に抱き寄せていた。
「ララ……」
「ユ、ユウぅ……?」
「なにを言われても、嫌いになんかならないから」
「ホ……ホント……?」
「ああ。ララのことが知りたい。全部知りたい」
「う……うあ、あぁ……ユウのバカぁ」
ララの泣き声は、ユウの胸の中で、じんじんと響いた。
そうして……。
「……ごえん」
ユウが荷箱の中から探し出してきた鼻紙を目いっぱい使いはたしたララは、鼻詰まりのおかしな声で、小さく謝った。
「いいさ」
その紙を片づけるユウの胸にも、大きなシミができている。
「落ち着いたか?」
「うん……なんとか」
「じゃあ」
「うん……話す」
ララはもう一度、鼻をかんだ。
「あのね……今日、ユウを待ってるとき、ジョッシュに会ったの」
「ジョッシュ……?」
「あたしの、相棒、だったやつ」
そういえば、ララからは一度、相棒について聞いたことがある。
そのときは確か、相棒というものは金でつながっているイメージだと、そう言っていたはずだ。
「そいつが、また、もう一回だけ俺と組んで、やってみないかって。今日の客は特別だからって」
「……なにを?」
「……」
「なにを、するんだ?」
「……L・J」
「え?」
「L・Jでね、戦うの」
ユウの口から、思わず、深いため息がもれた。
なんとも言えぬ安堵感。そして脱力感。
感謝します、と、額と胸にふれる。
ララは怪訝な顔をした。
「なに?」
「いや……そんなことかと思って」
「そんなことって……だって、お金を賭けてやるんだよ? 相手の子だって何人も、その、ヤったことあるし。あたしその分け前で、贅沢して……あたし、絶対ユウに嫌われると思ってぇ……え、えッ……」
「ララ」
またしても声を上げて泣きはじめたその肩を、ユウは軽くなでてやった。
しかし、ララはわかっているのだろうか。
若い娘と男が組んで客を取る、と聞けば、百人が百人『L・Jで戦う』とは思わない。
『色を売っている』、と思う。
たとえ、誰もが想像するその答えが返ってきたとしても、すべてを受け止めてやるつもりでユウは聞いたのだ。
それが違った。
L・Jで戦っていたと言った。
「ララ、嫌いになんてならないさ。言っただろ?」
「うん……うん」
「今夜だって、ララが行きたくないなら行かなければいい。もし、そいつが俺の前に現れたって怖くない。もう俺は、全部知ってる」
「でも……」
ララはすがりつくような目で、泣きはらした顔をユウへ向けた。
「あいつ……あたしが行かないと、鉄機兵団に、マンムートのことバラすって」
「え……?」
「シュトラウスの家に、あたしを売ったのあいつなの。だから、あいつは知ってるの、あたしがレッドアンバーだって」
「そうか……」
「だから、あたし行かなきゃ。一回だけって言ってるし、朝までには、絶対帰ってこれるから」
「……」
「ユウ?」
「……わかった。俺も行く」
「え……!」
「俺が話をつける。そんなやつを、口止めもしないで放ってはおけない」
「く、口封じ、とか?」
そこでユウは、わざと悪ぶって、こう言ってやった。
「さあ。もしかしたら、するかもしれない」
「……ぷ、ふふ、ウフフフ」
効果はてきめんだ。
「アハ、ハハ、似合わないの」
「ハハ」
「アハハハハッ」
ふたりは鼻紙を投げ合って、憂さを、無理やりすべて吹き飛ばすように笑い転げた。
「さ、行こう」
「あ、でも、誰かに言わないと、ユウが……」
「ハサンが知ってる」
「え、なんで」
「たぶん、カメラで見てる」
「う、うっそ!」
このとき、マンムートのブリッジには他にも数名の当直担当者がいたが、ふたりの会話を聞くどころか、キャプテンシートのハサンが、にわかに舌打ちしたことさえ気づいた者はいなかったようだ。
マンムートと二号車、合わせて数十台の監視カメラがある。異常がなければ、音声は常に、最小値まで落とされているのだ。
「ララ、手伝ってくれ」
「う、うん!」
ふたりはホバーバイクのカバーをはぎ取り、シートにまたがった。
「あ、ハッチ開けないと」
「いい、ハサンが開けてくれる」
そう言ったそばから、ハッチが持ち上がっていく。
「さっすがぁ」
「よし、行こう」
「……うん」
操縦席のララは、もう一度、目をごしごしとこすり、テリーよりもやや荒っぽい運転で、ホバーバイクを発進させた。
以前ふたりで見たよりもさらに美しい星空が、冴え冴えとした夜空に広がっていた。
「……いいなぁ、デートかぁ。俺もメリッサちゃんとデートがしてぇ」
「無理無理」
「ハハハハ」
ハッチを開けてしまえば、これはもう隠しようがない。ブリッジ当直の間では、ユウとララは『デートに出た』、ということになってしまったようだ。
すると、機械をあつかう持ち場だけに若者が多い、ということもあいまって、
「あの子がいい」
「あの子は、あの男に気がある」
そんな話が飛びかうようになる。
皆、男女分けられたホーガン監獄島ではさびしい青春を送らざるを得なかっただけに、『恋人』という言葉には敏感すぎるほど敏感なのである。
「俺はセリカだ」
「俺はクラリス」
「あの子はまだ十三だぞ?」
「いや、三年も待てばいい女になる!」
「俺はジョアニー」
「おい待て、卑怯なやつだな。おまえもあの話を聞いたんだろう」
「ああ、聞いた聞いた。だが、最初から目をつけてたんだ」
「え、なんの話だ?」
総勢九人の若者は、生つばを飲みこんで額を突き合わせた。
無論、ハサンの耳も臨戦態勢である。
「……どうもジョアニーは、アレサンドロさんに告白して、フラれたらしい」
「え!」
「本当かよ!」
「ああ、女連中が話してるのを聞いちまったんだ。フリかたも格好よかったらしいぜ。聞いた女たちが悶えてた」
「くぅぅ、あやかりてぇ!」
「あ、じゃあおまえ、傷心のジョアニーにつけこもうってわけか!」
「ち、違う!」
「ずるいぞ!」
「男の風上にも置けないやつだ!」
「ジョアニーに言いつけてやれ!」
「やめろやめろ!」
槍玉に挙げられた若者は転がるように持ち場に戻った。
「あ……ま、待った!」
「なんだ、自業自得だぞ」
「ち、違う。L・Jの反応!」
驚愕した別の男が、通信装置のマニュアルを床にまき散らした。
そして全員の目がハサンに向けられたのは、至極当然の成り行きだったと言えるだろう。
「鉄機兵団か?」
「う、うす。ええと、ナーデル、バウム……」
若者は人差し指のみで、たどたどしくコンパネを操作して答えた。
「あの娘か。一機だな」
「うす」
「距離は」
「ええと……」
「目標は」
「え、あ、あ……」
マンムート全体の士気や識字率は高いが、それだけではどうしようもないこともある。
特に機器類のあつかい、計算分析においての未熟さは歴然で、若者は必死に応えようとしているのだが、これ以上はうなり声を上げるのみで、手が動かない様子だ。
しかしハサンは、それを別段責めようとはせず、
「フン」
と、ただ微笑した。
「なにをしている、アレサンドロを呼べ。メアリー・ミラーもだ」
「り、了解!」
「なに、あせることはない。どこにでも転がっている、ただのアクシデントだ」
「外のふたりには?」
ハサンは悠々とパイプを唇にはさみ、こう言った。
「ジョーブレイカー君がついていったはずだ。彼に連絡を取るといいだろう」
さて……。
ジョッシュがララに指定してきたのは、市壁の北端、ということであった。
いまはもう日没後。外門は当然のごとく閉まっている時間なのだが、どこにでも『抜け道』というものは存在する。
門を守る守衛にいくらかの金をつかませる、というのが最もポピュラーなやり口で、日の入りまでに町へ到着できなかった場合、一般人でもこの手を使う。
さらに、人目につきたくない人間が多く生息する街には、文字どおり、それ以外の出入り口があるのであった。
ここも大方そうだろうと思っていると、案の定、ぐるりとまわりこんだ市壁の向こうに、ぼんやりと光る明かりがひとつ。
「あれか」
「うん、たぶん」
「ここで止めよう。見られたくない」
ふたりはホバーバイクを木立の中に隠し、ザラメ状の雪を踏み固めながら、なだらかな坂道をのぼっていった。
明かりの正体は、寒そうに足踏みをする、若い男の光石灯であった。
「……あんたがアービングか?」
「アービング……?」
「あたしのこと。ほら、あたし……もらわれっ子だから」
「ああ」
縁組以前の名は、ララ・アービングというらしい。
「で、あんた誰?」
「ジョッシュさんから、あんたを連れてくるように言われた」
「あいつはどこ?」
「俺は、あんたを連れてこいと言われただけだ」
ララは、どうしよう、という目でユウを見た。
こうなっては仕方がない。
ユウとしてもここで話をつけるつもりだったのだが、それを手下分のこの男に言い聞かせたところで時間を浪費するだけ、ということはわかっている。
「入ろう」
ララに耳打ちをした。
「おい、男は駄目だ。アービングだけついてこい」
「そう言われたのか」
ユウは、ララと男の間に身体を割りこませた。
見れば、この防寒マントを羽織った迎えの男はララと同年代のまだ少年で、身につけている衣服もどこかよごれ、古ぼけている。
「おい、なに見てるんだ。帰れ! 仲間を呼んでもいいんだぞ!」
うしろだてを振りかざし虚勢を張るさまも板についておらず、先ほどのユウではないが、無理に悪ぶっているような、若い痛々しさがあった。
「聞いてるのか!」
「ああ。俺も入らせてもらう」
「駄目だ!」
「なら、彼女と帰る」
「う……」
「痛い目を見るのはおまえだ」
「ま、待て!」
少年が、戻ろうとするユウの前へ立ちふさがった。
「こ、困る。待ってくれ」
「なら入れてくれるのか」
「それは、聞いてみないと……」
「俺たちには時間がない」
「う、そ、その……」
……実のところ、ユウも胸が痛んだ。
この少年に罪はない。ただ自分と同じように、ふとしたきっかけで裏の道へ入ってしまっただけなのだ。
しかし、世の無情を説く前に、いまはやるべきことがある。
ユウは少年の肩を抱くようにして、その耳もとへ口を寄せた。
「おまえはアービングを連れてこいと言われたんだろ」
「あ、ああ」
「男を入れるなとは言われていない」
「それは……まあ……」
「だったら問題ない。おまえは彼女を連れていけばいい。そこに俺がついていっても、命令を破ったことにはならない」
「そんなの屁理屈だ!」
少年は、腕を振りまわして抗議した。
この少年がはじめて見せた、少年らしい顔だった。
「言っただろ、俺たちには時間がないんだ。それでも駄目だと言うのなら、帰る」
「そ、そんな……!」
「どうする。行くのか、行かないのか」
「う、うう……わ、わかった。どうなっても知らないからな」
「ありがとう」
少年は、まさか礼を言われると思わなかったのか、ユウになでられた肩を不思議そうにさわり、きょとん、とした。