淡い未来、確固たる現実
このころからアレサンドロは、好んで白衣を着るようになった。
自分はリーダーだが、それだけではない。ここに生きるすべての者たちのために存在しているのだと、そう言いたげな白だ。
夜ごと停車するマンムートと二号車の間を行き来し、怪我を押して人々の治療や相談に乗るその姿は、実際、誰の目から見てもそう映ったに違いない。
誰ひとりとして、アレサンドロをリーダーとかついで後悔する者はいなかった。
そしてこのころからまた、ユウもなにかと忙しくなった。
理由は簡単、神官として呼ばれることが多くなったのである。
最も位の低い准神官にできることはたかが知れていたが、土女神のみならず、他の七柱すべての神文をかじっているユウは、どの神徒からも、よくものを頼まれた。
たとえば、はじめて使いはじめる器具や工具のたぐいに祝福をし、母が子のため仕立てた衣服には、長持ちするようにとまじないをかける。
さらには医務室の傷病者を見舞い、要望の多かった『仮聖堂』の設計と準備を進める、といった具合にだ。
おかげでここ数日間、マンムート待機どころか二号車に寝泊りをし、忙しさにかまけて剣の鍛錬までおろそかにしてしまったが、ユウの心は満ち足りていた。
なぜならば、そう、見えるのだ。
決して大きくはない、ささやかな願いのすぐそばに、同じく神官であった父の姿が見える。
父が、どのような思いでそういった人々に手を差し伸べていたか、いまならば少しわかる気がする。
ユウは、すべてが終わったあかつきには神殿に上がろう、神に仕えようとまで、真剣に考えはじめていた。
「カウフマン」
「あ……ジョーか」
少し遅めの昼食を終えて二号車の大食堂を出たユウは、背後から名を呼ばれ、足を止めた。
ほんの数秒前には誰もいなかったはずの通路。しかしジョーブレイカーは、まるで一時間も待たされていたかのような雰囲気で壁にもたれている。
この超人の場合、走っているマンムートからどうやってここに、などという言葉は無用だ。
「どうした?」
と、問いかけると、今日は黒装束に包まれたその腕が、無言で布包みを差し出してきた。
「ああ、わざわざ、持ってきてくれたのか」
ヘスの裂け谷で人を斬り、血脂をつけた太刀。それを、同じくエド・ジャハン刀を持つこのジョーブレイカーが手入れしてくれるというので預けてあったのだ。
「すまない」
その仕上がりが気になったというのではないが、それを両手で押しいただいたユウは、鞘から刃を引き出してみた。
……小さな丸窓から差しこむ陽光を受け、刀身が白く輝いている。
心なしか、殺風景な広い通路のすみずみまでが明るくなったようだ。
「きれいだ」
ユウは素直に、そう思った。
「そうだ、カジャディール大祭主様はどうされている? ご迷惑をおかけしていないか?」
「問題ない」
「ん……そうか。もう一度、お会いしたいな。会って……」
いまの心境を、ありのままに打ち明けたかった。
神殿に上がりたい、などと伝えたら、どんな顔をするだろう。
それはいいと喜んでくれるだろうか。もっと修行を積めとしかられるだろうか……。
「ジョー」
「……」
「いや、なんでもない」
どちらにしても、
「全部、終わってからだ」
最後まで付き合うと決めたアレサンドロの旅は、ここからが本番と言っていい。
まだまだ目の前にあるこの太刀で、鉄機兵団の騎士を斬らなければならない。
それでもこの刃が曇らず、自分が本当に悔いのない戦いをしてきたと胸を張って報告できなければ、そもそも顔を出す資格さえないのだ。
「刃には、心が映る」
これまで、幾度となく反芻してきたその言葉。
自分はいま、どんな顔をしている……?
ユウは、しばし食い入るように刃を見つめた。
「……ジョー、今度、空いてるときでいいんだ。剣の使いかたを教えてくれないか?」
静かに、視線の動きのみでユウの挙動に眼を光らせていたジョーブレイカーが、わずかに首を動かした。
「あと、剣の、手入れの仕方も」
「……うむ」
やはり、太刀がなにかを映してくれるほどに、自分の心は形を成してはいなかった。
ごめん、父さん。もう少し時間をください。
考えるのではなく、行動する時間を。
太刀を収めたユウを見るジョーブレイカーの目が、ふ、と、まぶしげに細められた。
そのときだ。
「む……」
ひと声うなったジョーブレイカーが、壁から背を離し、右耳を押さえた。
「どうした?」
再びたずねるも、ジョーブレイカーは手でそれを制し、なにかに聞き入っている。
……ああ。
それが無線通信であると気づくのに、たいして時間はかからなかった。
おそらくマンムートか、それこそカジャディール大祭主からの連絡に違いない。
それにしても……。
いまになってみるとよくわかる。ジョーブレイカーが左腕の手甲に仕込んだ機器は、スナイパー部隊の携帯していた帝国最新型のものをはるかに超える性能を持っている。サイズもひとまわり以上小さい。
当初は、あのセレンが見せて欲しいとせがむこともあったと聞いたが、なるほど。
どこで手に入れたのだろうと、ユウは、そこに興味がわいた。
「……承知した」
「誰からだ?」
「マンムートだ。進路を変える」
「え……どうして」
「ギュンター・ヴァイゲルが動いた」
その連絡をさかのぼること数十分。とある無線が、マンムートのブリッジで傍受されている。
発信元はヴァイゲル軍紋章官、サリエリ。
西方およそ五十キロの地点からと推測されたが、誰に向けて打ち出されたものか定かではない。
だが、
『魔人を捕らえた』
旨の内容は、少なからず、アレサンドロやブリッジに詰める若者の心を動揺させた。
無論、これは罠であろう。
この場所、このタイミングで、暗号化もされずに飛びかう無線が罠でないはずがない。
ただ考慮すべきは、それが事実かどうかであった。
「五分五分だな」
ハサンは言った。
キャプテンシートはアレサンドロにゆずり、自身は紋章官らしく、そのわきを占めている。
「仮にジョーブレイカー君を出し、牢内に何者かの姿を確認できたとしよう。魔人と人間では外見的な差異が存在しない以上、捕らわれた相手がどちらであるかの判断は非常に難しい。つまり、自己申告がすべてだ。仕込まれた人間をつかまされる可能性も十分に考えられるが……さて、そのリスクを犯してでも行くか?」
「ああ、行くぜ」
アレサンドロは、ぎり、と、爪を噛んだ。
いま、その心を満たすのは、魔人に対する心配と不安。
それも、ただの魔人ではない。行き倒れの身を拾い上げ、自分を形作るすべてのきっかけを与えてくれた魔人ジャッカルへの想いが、大渦となって胸をかき乱していた。
ない話ではない。
ロストンで別れたジャッカルとヤマカガシは、のちにヴァイゲル軍から尋問を受けている。
その際は、あくまで巻きこまれただけの一般人として解放されているが、魔人と知られたか、鎌をかけられている可能性もある。
「俺は行くぜ。あんたが止めてもな」
ハサンは、フフ、と笑った。
「止めはせん。それならばそれで結構。異議のある者は?」
誰も手を上げなかった。それどころか、アレサンドロとハサンを見る目は、どれもギラギラと照っていた。
「ンン、では決定だ」
おお、と、ブリッジに、小さなときの声が上がった。
「まずはどうすりゃいい」
「戦は第一に情報だ。セレン・ノーノとジョーブレイカー君に相手の懐を探ってもらう。さらなる精査ののちに最終決定をおこない、二号車へ通達。進路の確保ができ次第、針路変更する」
「よし。セレン、分析に入ってくれ。嬢ちゃんはジョーに連絡。二号車にいるはずだ」
「り、了解です!」
操艦の監督にあたっていたセレンとメイがまず動き、その後、時をおかずして連絡を受けたジョーブレイカーがマンムートを離脱。日没の停車とともに、二号車への状況説明と、主要メンバーの招集がおこなわれた。