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「じいちゃんたち、なにしてるんだい」
「なにって、見張りだよ。おまえさんたちが勝手に外へ出ないよう見張っているのさ」
「なにかあったのかい。クジャク様たちも、さっき奥のほうへ行かれたようだがね」
「ああ、あのかたたちは、もっと見晴らしのいい場所から外の様子を見に行ってくださったのさ。ありがたいことだ」
「アレサンドロさんは」
「ここから、先の道を見に行かれたよ」
「へえ……ひとりで、大丈夫かね」
四十を越えているだろうその男は、首を伸ばして外を見ようとした。
「ほらほら、だから私たちがここにいるんだ。こう陽気がいいと、おまえさんたちはすぐあとを追っかけたがるだろうからな」
「う、むう……」
「危ない危ない。まあ、いまは皆さんを待とうじゃないか。すぐに戻ってこられるさ。なあ、フクロウさん」
「はい」
「……そうか、そうだな。じいちゃん、ここは寒いだろ。かわろうか」
「ありがとう、大丈夫だよ」
「毛布いるかい」
「なあに、それも子どもらにやっておくれ」
「酒は?」
「それはいただこうか」
「つまみもあるかい」
「トランプもおくれ」
「……いいのか。年寄りたちでは、いざというとき支えられん」
「それは違うぞ、クジャク君。歳を取るとは枯れはてていくことではない」
「む……?」
「人は肉体的に衰えようと、それを補って余りあるなにかを身につけていく。それに気づかんのは、役に立たんと決めつけて使ってやらんせいだ。仕事を得た年寄りほど恐ろしいものはない」
変わりばえのしない、自然洞窟の一部にも見える通路を先頭に立って駆けるハサンは、そう力説した。
「だからこそ、オットー・ケンベルは恐ろしい。……もっとも、私はやつがいままさに雪に埋もれ、小銃を構えていたとしても驚かんだろうがな」
「その可能性は」
「ないとは言えん。よく訓練された兵士ほど肉体をコントロールできる。さあ、着いたぞ」
ハサンが足を止めたのは、通路に直接開いた横穴だった。
この数日が、広場と通路を交互にくり返しながらの道のりだっただけに、ユウは若干の違和感を覚えたが、実はこのあたり、北方アルデン聖王国から続く避難路の末端にあたるのである。
つまり、敵を迷わせるためのものではなく、脱出口を選択するための道なのだ。
横穴へ突き入れられたユウは、ここからの一本道をとにかく進むよう指示された。
「いいか、ユウ。相手が誰であろうとためらうな。テリー・ロックウッドの忠告、あれは真実だ」
常に引き金に指をかけ、連絡を取り合うスナイパーたち。ひとりが襲われたと知れればアレサンドロの命がない。
「無線だけは使わせるな。それが最低限の仕事と思え」
「わかった」
「よし行け。敵は木立の中にいる。支え合う巨石を目印にしろ」
「ああ!」
ユウは駆け出した。
とにかく、気ばかり急いた。
ハサンもクジャクも、あの年寄りたちでさえも平静を保っているが、アレサンドロの倒れる瞬間を目にしてからというもの、ユウの心臓は早鐘のように鳴り続けている。喉もカラカラで、気分が悪い。
まだ着かない、まだ見えないと、一分を十倍にも百倍にも感じながら、徐々に険しくなっていく傾斜と自然味を増していく通路を四つん這いにのぼっていく指先は、知らないうちにいくつものすり傷をこしらえ、にじみ出した血で赤く染まっていく。
それでもただひたすら、ユウは道なりに駆け続けた。
「あ……!」
光だ。
遠くに、外の明かりが見える。
口にくわえた光石灯をポーチへしまい、細かな雪氷が頬に当たるのを感じながら、ユウは、若干速度を落とした。
白く、矢のように降りそそぐ光に、目の奥が痛んだ。
……フン。
三人の中で最も早く獲物を見つけたのは、やはりハサンだった。
どれほど訓練を積もうと隠しようのない、呼吸音。におい。
街中ならばまだしも、これほど清浄な世界に存在する生物の気配を、しかもこの距離で逃すことはない。時に呪わしくさえ思えるバケモノじみた五感に、ハサン自身が絶対の自信を持っている。
わずかに口もとを上げ、姿勢も低く、雪に沈めた身体をゆっくりと移動させはじめたその動作は、まさにネコ科の猛獣が狩りに出かける様子そのままと言っていい。
アレサンドロの姿も、洞窟の入り口もすべて見通すことのできる高台で、伏射姿勢を一切乱すことなくスコープをのぞきこむそのスナイパーは、防水加工をほどこしたキルト地の雪中迷彩服に身を包み、静謐の世界で、その時を待っていた。
……なるほど、スナイパーとはこうしたものか。
戦場の只中に身を置きながら、おのれを捨て、待ち続ける狩人。
弓兵ならば幾人も知っているハサンだが、似て非なるものであると、いまこそ断言できる。
ハサンは、手を伸ばせばふれられるほどの距離で足を止め、それから五分も、最新型の小型通信機を背負った相手のうしろ姿を凝視した。
そうして、柔らかな光沢を放つ漆黒のマントが一陣の風とともにひるがえったとき……若いスナイパーは首すじの急所を断ち切られ、静かに、孤独な戦いを終えた。
クジャクの目指す相手は、木立の中にいた。
巨木の根元にひざをつき、肩と腕とでライフルを支えている。
その姿もまた兵士として美しいものだったが、クジャクにはなんの感慨も与えなかった。
目の前にいるのは、ただの敵。ただ、特殊部隊の一員である、というだけの敵なのだ。
顔の前で刀印を結んだクジャクは、それを自らの首すじへ持っていき、ひとつ、腹の底から息を抜く。
そして、指先一本、髪先一本に至るまで、余すところなく生命の気を送りこむように呼吸をくり返したかと思うと、その口からはき出される空気の流れが、す、と止まった。
うっすらと開かれた黒真珠の瞳に映るのは、先ほどと変わらぬ体勢で銃を構える、男の背中。
クジャクの身体は雪や風のように動き、すり上げられた六角の鉄棍が、男の開いたわき腹を打った。
「うっ……!」
思わぬ強襲に、男の口から驚きの入りまじったうめきがもれる。
さらに、勢い振り返ったその喉仏に間髪入れず痛烈な一撃が打ちこまれ、男は木の幹をかきむしるようにして、ついには息絶えた。
「む……」
男の手には、それでもライフルが握られている。
再び肺に新鮮な酸素を取り入れたクジャクは、ここでようやく、たいしたものだと兵士の死を悼んだ。
さて、ユウはどうしただろうか。
ユウは、最も早く地上に出ることができたが、敵を見つけたのは誰よりも遅かった。
雪中迷彩のスナイパーは見事に擬態している上に、こちらの存在を先に感づかれるわけにはいかない。
その事実が、ユウの行動へ、躊躇と過剰な慎重さを与えていたのである。
こうしたときに、実戦経験がどれほどものを言うか。ユウは身をもって理解することとなったのだ。
……とはいえ。
雪というものは、敵にも味方にも、等しくチャンスを与えてくれる。
ユウは散々疲れはてたすえに、ついに真新しい人間の足跡を発見し、それを追跡することを得た。
酷使され、痛む肺を押さえて斜面を這い上がると……いた。
スナイパーだ。
ユウは腰をかがめ、静かに太刀を抜いた。
しかし。
なんということだろう。ユウにはこの日、運もなかったのだ。
なにをしたわけでもないのに、背後の木が突然、枝に乗せた雪をどさりと落とした、というのは、そうであったと言う他にない。
張り出した岩に乗り、色白の頬を見せて銃口を傾けていたスナイパーが、意識をわずかにこちらへ動かし……、
「う……!」
ついに、三メートルの距離にまで近づいていたユウと、スナイパーの目が合ってしまった。
まずい、と思う瞬間にも、ユウが身を固めているのに対して、スナイパーの手は素早く、分厚い襟元にとめられた小型マイクへと伸ばされている。
「こちら『ドーラ』! 襲撃を受けている! 撃て、撃て、撃て!」
「くそっ!」
ユウは抜き身の刃を振りまわし、スナイパーへ踊りかかった。
鋼をも断つといわれるエド・ジャハン刀に、左肩から右の腰までを切り裂かれたスナイパーは、血しぶきを上げて倒れた。
「はぁ……は……ドーラ?」
どこかで聞いた覚えがある。
アントン、ベルタ、ケーザル、ドーラ……。
ドーラは四番目を示す暗号だ!
「アレ……ッ!」
弾かれるように振り向いたユウが、崖下へ叫ぶより早く、
『タン』
人の命を奪うにはあまりにも軽い銃声が、澄んだ雪山の空気を振るわせる。
ユウは、ひざの力が一気に抜けるのを感じ、
「あ、ああ……ああ! わあああッ!」
目と耳を固くふさいで、絶叫した。
号泣した。