イエスマン
『……あれ』
シューティング・スターのテリーが、つぶやいた。
『止まっちゃったね。着いたのかな』
『ああ……みたいだな』
『みたいだなって、彼氏さんにも心あたりなし? ……あーあ、ホント行き当たりばったりでやんなっちゃうよ。雪山をこいでくなんてのはわかりきってたことじゃない、ねえ?』
テリーがぐずるのはいつものことだが、最近は特に文句が多い。
表立ってやりあうことはないまでも、例の海上での一件以来、一番の理解者であったアレサンドロとの関係にゆがみが生じ、不満が鬱積しているのだ。
とはいえ、その原因となる医務室でのやりとりを知らないユウにしてみれば、わがままを言っているのはおまえだろ、と言いたいところではある。
『ねぇ、彼氏さん。俺さぁ……』
と、隊列が進まないのをいいことに本気で愚痴を言う気になったのか。テリーはシューティング・スターのコクピットハッチを開け、N・Sに乗ったユウへ手招きした。
普段ならばこれに応じるはずもないが、敵影もなく、退屈する気持ちがどこかにあったのだろう。ユウはハッチのアンダーカバーへ降り立つ自分をイメージし、上手く、そこへ瞬間移動した。
「……つッ」
「どうしたの」
「いや……」
ユウはこめかみを押さえた。
眼下に続く人の列を目にした途端、かすかなデジャブと軽い頭痛を覚えたのだ。
「さっきまでは、なんでもなかったのに……」
この、冷たい風のせいだろうか。
「ま、座ろうよ」
テリーが敷き延べた抱き枕のような長クッションに、ふたりは並んで腰かけた。
「大丈夫?」
「ああ」
「いっつもこんな顔してるから頭痛くなるんだよ。……あ、ララちゃんにしばらく会ってないからか」
「うるさいな。そうじゃない」
「ララちゃん嫌い?」
その言葉は、ユウの心臓を、ぎゅとつかんだ。
「へぇ……変わったね、彼氏さん」
「そういう意味じゃない」
「俺は、男女間の友情なんてありえない派」
ユウは、テリーの差し出してきた布製のきんちゃく袋に首をかしげた。
片手で持てるサイズながら、パンパンにふくれたそこから転がり出てきたものを受け取ると、半透明で四角い、オレンジ色の塊だ。
「ゼリー?」
「そ、甘いのはいけるでしょ?」
「ん……」
ユウは口の中に入れてから、目の前の人々が皆、こういった嗜好品をいままで口にできなかったことを思い出した。
「もういい」
手に残った二粒は、そのままテリーに返した。
「……俺さぁ、彼氏さん、よくわからなくなっちゃったよ」
「え……?」
「旦那と大将だよ。助けたいとか戦いたいとか、言いたいことはわかるけど……なんだろう、リーダーって、もっとクールにいかなきゃ。大将も言ってたみたいに、ある程度のリスクは目をつぶらなきゃダメなんだよ。ほら、二匹のウサギがなんとかってね」
テリーは似合わぬ大真面目な顔で、視線を列の先へと飛ばしている。
「でも、その大将にしても、紋章官としてはどうかなぁ。あの人、旦那をいい方向に持っていこうって気がないよ。なんて言うか、イエスマンだ」
「そんなことないだろ」
「いや、あるね。大将は、旦那の意見に引っ張られすぎだ」
「じゃあテリーならどうするんだ」
「俺? 俺なら、戦艦をどこかの港に入れた。セレンさんもその近くに呼んでおいて、すぐに地下を通って逃げたよ」
「それは言うほど簡単じゃない。どこの町にも騎士はいるし、だいたいあのときは、N・Sで船を引っ張ってたんだ。港に入れるわけがない」
「ソブリンさんの港がある」
「あそこを巻きこむわけにいかない」
「なに言ってんの。聖石のこととかで、もうとっくに巻きこんでるよ」
「でも鉄機兵団がそれに気づかなければ、あそこはいままでどおり暮らせる。だから必要以上に近づくわけにいかないんだろ」
「じゃあ優先順位はどうなるのさ。この人たちみんなを助けるってのが一番じゃないの?」
「ああ、一番さ」
「でもいまの状況はまるっきり逆じゃない。町とか無関係の人を助けるために、みんなを危険にさらしてるじゃない」
「それは……」
「旦那と大将のしてることってのは、結局そうなんだよ」
ユウは、ぐうの音も出なかった。
「……俺ね、大将はあれだけど、旦那は大好きだよ。最後まで力になりたいし、見届けてあげたいと思ってる。だから心配なんだよ。いまのまま行けば、いつか絶対、いろんなものをなくして傷つくことになるんだろうなぁって」
テリーは指先でつまんだゼリーを口に運ぶことも忘れ、それをこねまわしている。
「でもね、正直に言えば、どうすればいいのかわかんないの。俺の好きな旦那は、きっとそういうのも全部ひっくるめた旦那だし、そのままでいて欲しいなぁって気もあるわけ。それに、人の出した結果を見て、あのときああすればよかったのに、なんて言うのは簡単だけど、おまえのやりかたで丸々上手くいくのかって言われたら、やっぱり自信ないしね」
「……」
「ねぇ、彼氏さん。俺、どうすればいいかなぁ。このままじゃまずいってことはわかってるのに、どうすればいいのかわかんないよ」
沈黙を続けるユウは、答えを見つける以前に、この隣に座る男が意外なまでにいい男だったことに驚いていた。
はからずも『レッドアンバー』の一味となり、仕方なくついてきたはずのテリーが、ここまで親身になってアレサンドロのことを考えているとは。
……いままで、悪いことをしたな。
頭の片隅で、そう思った。
「……なに?」
「いや……」
「いや、じゃ困るよ」
テリーは、やっとゼリーを口に放りこんだ。
「彼氏さんはどうなのさ。旦那や大将の決めたことなら、全部正しいと思ってついてく?」
「ああ」
「ご立派だね。さすが神官様」
「そうじゃない。そう、昔、ハサンが言ってた」
「へ?」
「この世には、正しくないことなどないって」
「へぇ?」
「たとえば……」
と、ユウは、テリーの持ったゼリーの袋を指さした。
「ここには子どもだっている。それを全部、テリーが独り占めするのは正しいのか」
「う……た、食べにくくなること言うなぁ」
「でも、それも正しいんだ。ゼリーがなければ、テリーは上手くライフルを撃てないのかもしれない。だったらそれは、仕事をする人間として正しい」
「いやぁ、別に、ただのオヤツなんだけどね」
「なら、空気の読めない人間として正しい」
「うは、ひどい!」
「俺だったら、もちろん全部、あの人たちに配る。それは、メイサの神官として正しい」
「もし俺が、全部ララちゃんにあげたら?」
「それは……」
「彼氏さんの恋がたきとして正しい?」
「勝手にしろ」
「アッハハ、かわいいね、彼氏さん」
そうカラカラと笑ったテリーは、ゼリーを袋ごと、ユウの手につかませた。
「え?」
「ご報謝。好きに使ってよ」
「あ、ああ……」
「俺って、いいやつでしょ」
「自分で言うな」
「ハハッ、それが俺のいいトコよ」
テリーは、ウインクしてみせた。
「でもそうかぁ、正しくないことなんかない、かぁ……なんだか、大将お得意の煙に巻く言いかたであれだなぁ。キレイすぎるよ」
「でも、きっとそうなんだ。アレサンドロが悩んで、悩んで、悩み抜いて出した答えなら、それはアレサンドロにとって正しい。やりかたがどうこうじゃない。途中で間違いに気づいたっていい。俺は、その答えについていく」
いつか傷つくかもしれないなどと心配するくらいなら、絶対に傷つかせないと誓えばいいのだ。
「その答えが、自分の意見と全然違っても?」
テリーが念を押すように言ったが、
「もし自分の意見があるなら、アレサンドロが答えを出す前に言うべきだ。俺はいつでもアレサンドロの相談に乗るし、アレサンドロだって相談してくれる。あとから言うのは、それこそ無責任だ」
「……彼氏さんは最強のイエスマンだね」
「ああ、そう言われてもいいさ」
「でも、まぁ、無理ないか」
「え?」
「大将との生活が長いと、嫌でもそうなりそうだよ」
「……かもしれない」
「プッ……ハ、ハハハハッ!」
ふたりは、顔を見合わせて笑った。
その声はいかにも楽しげに響き、シューティング・スターの足もとに並ぶ人々が、皆顔を上げてふたりを見た。
「アッハハハ、やっほう」
テリーが手を振って応えると、誰もが笑顔になった。
……と、そこへ。
「ユウ、テリー!」
「うん?」
呼ぶ声に目をやると、人々の頭の上を転がるようにしてモチが近づいてくる。
コクピットハッチまで飛び上がったモチは、まぶしさに目をつぶっていたために、アンダーカバーへ頭を打ちつけるところだった。
「おっとと、大丈夫?」
「え、なんとか」
「どうしたんだ?」
「伝令です」
カバー外装板のへりへどうにか降り立ったモチは、何事もなかったかのように姿勢をあらためた。
まるで本物の伝令だ、と、テリーはくすくす笑った。
「テリー」
「あ、あい、俺?」
「ええ。ここから先、私たちは洞窟を進みます。あなたはこのまま地上を進み、ひと足先に戦車と合流してください」
「ひとりで?」
「はい。不安なようなら、私たちも行きますが」
「いや、いいよ。こういうことは身軽なほうがいいからね」
「……ホウ」
「ホウ? ハハッ、俺が彼氏さんに泣きつくと思ってた?」
「いえ……」
モチは、図星を突かれたのをごまかすかのように首をまわした。
いや、実際ユウもそう思ったのだ。
「あら、ひどいなぁ。俺たちスナイパーは隠密の単独行動が普通なの。シューティング・スターもレーダーに引っかかりにくくできてるんだけど……その顔は知らなかった顔だなぁ」
「おそれいります」
「いーえ、こちらもおそれいります」
モチをなでたテリーはすぐに腰を上げ、長クッションとともにコクピットへ戻った。
「あと聞いておくことは?」
「無線の感度が悪いようです。戦車に合流地点の変更を伝えてください。ヘスの裂け谷、南端です」
「あい、了解」
「アレサンドロからは、気をつけて行け、との伝言です。マンムートに着いたら一杯やろう、と」
「え……?」
サイドモニターに映し出した地図で、これからの道のりと裂け谷の場所とを確認していたテリーは、目を丸くしてモチを見た。
「……てはは。これだからまいっちゃうよ。ねぇ、彼氏さん」
「なんだ?」
「さっきの話、少し考えてみる。俺も……俺が正しいと思うことをするよ」
「ああ」
「旦那をお願い」
「わかった」
「おモチさんは、旦那にわかったって伝えといて! 楽しみにしてるって!」
ユウはモチをかついでN・Sへと飛び移り、もと来た道を戻っていく薄緑色の機体を、その姿が見えなくなるまで見送った。