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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【三】 決起 -アレサンドロの未来・前編-
117/268

雪中行

 再び、海。

 数ヶ月後には流氷に覆われるだろう冷たい海面に、スクリューを根元から失った戦艦がただよっている。

 微弱な救難信号を受けて横付けした同型の戦艦から、騎士数十人が救助に入ったが、中にはひと気も暖気もなく、まさに閑散といった様相である。

 布という布、食料という食料が持ち去られた、その海賊の仕業とも思えぬ有様を目にした騎士たちは皆、口々に、海の魔物にやられたのではないかとささやき合った。

 ……しかし。

 人がいた。食堂に拘束された騎士たちがいたのだ。

 騎士たちは、自分たちがこの船の乗員であることや、この船を奪い逃走した犯人が、『レッドアンバー』一行と奴隷の集団であることを語り、その一行はすでに、飛行型N・Sによって本土へ上陸したらしいことを語った。

 そこですぐに周辺の捜索がおこなわれたが、残念、それらしきものの発見には至らず、この情報はすぐに、帝都へともたらされた。



 ところで。

 この戦艦が見つかった場所というのは、地図上では北海にあたる。

 結局スクリューの修理を断念せざるを得なかった戦艦が、西海のホーガン近郊から、いかにしてここまでたどり着いたのか。それはまさしく牽引役を引き受けたN・Sカラスとクジャクの手柄に違いないが、むしろ、クジャクの存在が大きかった。

 数環の念動チャクラムの輪に、船と連結させた、もやい綱を巻きつけて引かせるという、言ってみれば人海戦術のような格好で、体力的な負担を補ってくれたのである。

 しかし、その航海は当初の予定を大幅に超えて五日を数え、そのために精神を疲弊させたクジャクは、銀嶺の山すそを行軍中のいまこのときも担架に乗せられ、立ち上がれずにいる。

 いや、クジャクだけではない。

 道なき道、それも腰まで積もった新雪をかき分け進む四百人弱。その中でも特に、年寄り子ども、傷病者は時を追うごとに口数が減り、全体の歩みは遅々として進まなくなっていた。

 ……そろそろ、休ませねえといけねえな。

 振り返り見たアレサンドロは、背負ったジャン少年をかつぎなおし、先鋒をつとめる若者ふたりに、もう少し歩をゆるめるように伝えた。 

 ちなみにジャンの手は、隣で別の青年に背負われている母親の手へ、しっかりと伸ばされている。

「モチ」

「はい?」

 モチは、さらにうしろを進む年寄りの腕の中で、目をしばたたかせた。

「飛べるか?」

「さ、どうでしょう」

「悪ぃが、ハサンを呼んできてくれ」

「了解です」

 モチは薄曇の空へいったん飛び立ったが、まぶしかったのかすぐにあきらめ、人々の頭の上を、まるで飛び石を渡るように跳ねながら、列の最後尾にいるハサンのもとへ向かった。

 ハサンはすぐに、アレサンドロに追いついてきた。

「野営かな、リーダー君?」

「ああ、あんたはどう思う。この辺で場所はあるか?」

「ふむ……」

 ハサンがぐるりと周囲を見まわす間、その小わきにかかえられたモチは、やり場なく首をまわしている。

 どこかかゆかったのか、ハサンのマントへ顔をこすりつける様子が妙にかわいらしく、アレサンドロの耳もとで、ジャンが小さな笑い声を立てた。

「……あの木が見えるか?」

「ああ、ちょいとこっちに、かしいでるやつだな」

「そうだ。あの奥に平地がある。上空からは少々目立つが仕方あるまい」

 ……ハサンは、このあたりの地形にくわしかった。

 なぜと聞いても、まともに答えるわけがないとアレサンドロは黙っていたが、以前このあたりに根城を構えていたか、あるいは……と、思っている。

 戦艦の中でおこなった進路確認の際にも、地図にはない目印、たとえばいまのような、木や山の稜線が進行方向からどのように見えるかを克明に語り、先頭を進むアレサンドロの助けとなっていた。

 しかし、それならばハサンが先導をつとめればよさそうなものだが、

「私が? 腰まで埋まって道を作って行けと? ンッフフフ、悪い冗談だな」

 と、言ってしまうのもハサンであった。

「なんだ、なにか言いたげだな、リーダー君」

「いや、別に。あんたはここで、クジャクの担架を待ってくれ。どんな調子か心配だ」

「ンンン、いいだろう」

 

 ハサンの言った平地とは、三方を小山にかこまれた、運動場ほどの土地であった。

 なるほど、上空からの目をさえぎるものはなにもないが、入りこむ風も弱く、ここならばとアレサンドロにも納得できる。

 皆をひと集めに待機させ、積もった雪をオオカミで掘り起こすと、現れた土は見事に凍っていた。

『……チッ、やっぱりな』

 これでは、ぬれた服も身体も乾かすことはできない。

 女たちはシーツやテーブルクロスに至るまで、すべての布を着物や靴下に変えて準備してきていたが、それも満足ではないのだ。

『仕方ねえ』

 アレサンドロは当初の予定どおり、ユウとクジャクを呼んだ。

『悪ぃな。あんたやユウに、頼ってばっかりだ』

 疲労による陰を宿したことで一層なまめかしさを増したように見えるクジャクは、オオカミを見上げ、フフ、と笑った。

 さて、それから気力を奮い立たせてN・Sに乗りこんだクジャクとユウがしたこと。それは、その凍った土の上に、N・Sの羽根をむしりかぶせることだった。

 N・Sが人工とはいえ実物と同等の体組織を持っていることは前にもふれたが、他ならぬ羽根もそうなのだ。中空の繊維で構成されたそれは、最も大きなものでも風に舞うほど軽く、重なることで生まれる空気の層は、上等な羽毛布団並みに暖かさを放さない。

 しかも、ひと晩もすれば生え変わる。

 最後に、テリーのシューティング・スターとN・Sコウモリを加えた五体が、スクラムを組んでその『巣』を取りかこみ、これで、野営の準備は完了である。

 人々は皆、飛びこむようにして暖かな即席ドームへ入り、羽毛をかぶって裸になった。

 ぬれた服を羽根の上に重ねることで、時間がたつほどに、内部はより暖かくなった。

「今日は、ここで泊まりだな」

「ああ、それがいい」

「問題は、明日からどうするかだ」

 同じく裸になったアレサンドロ、ハサン、ユウ、クジャク。それにモチと、唯一コクピットでぬくまっていたために脱ぐ必要がないテリーの六人は、少し離れた場所で車座を組んだ。

 こうなると、ララたち女性陣が別行動でよかった、とユウは思わざるを得ない。もしいれば、とても冷静な話し合いなどできなかっただろう。

 この状態で、いつものようにララが密着してきたら……などと、むつまじく肌を寄せ合う夫婦、親子に自らを重ね合わせ、危うい妄想を次から次へと生み出してしまうことに、ユウは自己嫌悪した。

 だが、その妄想の矛先が、すべてララに向いていることには気づかなかった。

「俺は、やっぱりどうも無理がありすぎるような気がしてならねえな。いまさらだが、こんなに体力を使うとは思わなかった」

 アレサンドロが言った。 

「……」

「ハサン?」

「ああ、聞いているとも。つまり、おまえはこの山道を行く以外に、なにか方法があると言いたいわけだ」

「いや……あるとしても、クジャクとカラスに運んでもらうしかねえ。それは無理だ」

 それをすれば、いまいるこの場所とマンムートの位置、両方知られてしまう可能性が高い。

 一度で運べるならばそれもいいだろうが、四百人ともなれば不可能だ。

「じゃあ、いまさらだけど、セレンさんたちをこっちに呼んじゃえば」

 と、ひどく投げやりな態度でテリーが言う。

「せっかく携帯無線機をいただいてきたんだしね」

「そうだな……最悪の場合それしかねえか」

「俺は、反対だ」

 クジャクが手を上げた。

「ここへ呼ぶには、地中を走らせる必要がある。地中を走れば振動が起きる。振動が起きれば……雪崩が起きる」

 ユウも同感だった。

 それに近い現象を、実は目のあたりにしたことがある。

 そのときは春先の、このような道なき道ではなく大街道であったが、にわかに起こった地響きにより、目の前を進んでいた隊商が、一瞬にして雪崩に押し流されてしまった。

 流れ聞いた話によれば、その地響きの原因こそ、いまの七〇〇系L・J、つまり地中工作用L・Jの試験走行だったのである。

 北部生まれのユウならばまだしも、南国シュワブの鳥であるクジャクがこうして雪に対して慎重であるのも、トラマル砦長であったがゆえのことなのだろう。アレサンドロもこれに逆らおうとせず、じゃあいまのもなしだ、と眉間を揉んだ。

「ひとつ確認しておこうか、アレサンドロ」

「ああ?」

「おまえの、優先順位だ」

 ハサンはパイプに草を詰めようとして、やめた。草がしめっていたらしい。

「おまえは、ひとりの脱落者もなく戦車へたどり着きたい、そうだな?」

「ああ、もちろんだ」

「そしてそのためならば、他へのリスクは、ある程度目をつぶる」

「他へのリスク……?」

「たとえば、進路上にある村を戦場に変える、といったことだ」

 アレサンドロは、無論言葉に詰まった。

 実際、ララたちがその状況におちいったとは思ってもいないが、可能性としては、アレサンドロの中に常に葛藤として存在したものだ。

 帝国と鉄機兵団は憎いが、帝国民に直接的なうらみはない。

「……避けては、いきてえ」

「ンッフフフ」

 ハサンは、さも愉快そうに笑った。

「結構。そういうことならば少し考えがある。明日の先導は私がやろう」

「どうする気だ?」

「明日になればわかる。おっと、食事がまわってきたぞ。なにをしている、早くよこせ」

 ローストビーフと硬いチーズをはさんだ雑穀パンは、冷えていたが美味かった。

 


 翌朝、一行は陽がのぼりきるまでドームの中に隠れひそみ、野営跡の始末を終えたのは昼すぎだった。

 山の昼は短い。冬となると、なお短い。

 それでも、アレサンドロとともに先頭を進むこととなったハサンはあせる様子も見せず、ゆるい傾斜をジグザグに、ゆっくりとのぼっていく。昨日までは山のふもとをそうように東進していた進路を、若干北寄りに変更した形だ。

 そうして一時間も足を動かし続け、そそり立つむき出しの岩壁を左手でなでながら進んでいたハサンが、ふと、足を止めた。

「どうした?」

「……フフン」

 まあ見ていろ、と言わんばかりに微笑んだハサンは、なにを思ったか岩壁へ抱きつく。

 女にするように狂おしく、情熱的に頬を寄せ、胸を寄せ、指先を這わせるその光景を、アレサンドロとその背のジャンは、ポカンとながめるしかなかった。

「ンー……」

「おい、ハサン……」

「わかっている、黙っていろ」

 構わず全身をこすりつけるように岩壁を這い続けるハサンが、ほう、と、短いため息をはいた。

 薄く開いた視線にひとなでされ、ジャンは身をすくませた。

「フフン、少年には刺激が強すぎたかな」

「おい、冗談もそこまでにしろ。いくらなんでも、いまのあんたはおかしいぜ」

「治療が必要か?」

「場合によっちゃあな」

「ンッフフフ……ならば、中で頼む」

「あ!」

 アレサンドロは、あやうくジャンを落としてしまうところだった。

 なんと、なんの変哲もないように思われた岩壁の一部が、ハサンに押され、ちょうど、人ひとり分ほどくぼんだのである。

 そして、ハサンはなおもその動く壁を押し続け、ついにその姿までもが穴の中へ消えてしまったのだ。

 これには、ジャンやその母親、それを背負った青年、あとに続く老夫婦などなど、列の前方にいた者たちも全員、呆気に取られて言葉も出ない。

「ちょ、ちょっと待ってろ」

 アレサンドロはジャンを下ろし、穴の口から中をのぞきこんだ。

 意外にもしっかり整地された足もとと壁に、レールのような溝が引かれている。

 夜よりも暗い闇の中を、ずりずりと岩を転がす音だけが聞こえ、その音もすぐに絶えた。

「ハサン……?」

 ただの洞窟にしては、声が響きすぎる気もする。

「ハサン?」

「そう妙な声を出すな」

 ハサンは、しめったマントにこびりついた泥をこすりながら現れた。

「ハサン、こりゃいったいなんだ」

「それは、いまどうのと話し合う話題ではない。まず全員を中に入れろ。少し進めば広場がある、そこで身支度を整えさせるといいだろう。火をたいても構わん」

「……」

「おお、アーレサンドロー。おまえはリーダーだ、多少のことに動じるな。海があれば波がある。山があれば穴もある」

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