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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【三】 決起 -アレサンドロの未来・前編-
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皇帝の剣

 時は少しさかのぼり、真昼の帝都クリスベンに眼を移す。

 メイドや侍従、文官が行きかう帝城の回廊を、誰からも敬意を持って礼を捧げられる漆黒の騎士が、従者をともなって歩いていた。

 堂々たる体躯を全身甲冑で固め、マントを羽織ったその背には、長大かつ、並の三倍は身の厚いグレートソード。数十キロにもおよぶだろう、それら鉄の塊に覆われながら、歩は悠然として揺るがない。

 顔を見れば、いかにも武人らしいあごひげと太い眉。しかし、優しげな瞳をしたこの男。

 そう、ジークベルト・ラッツィンガー、帝国筆頭将軍である。

「将軍」

 呼びかける声に振り向いたそこには、あの『スピードスター・ホーク』、デューイ・ホーキンスの姿があった。

「ホーキンスか。いつ戻った」

「さっきです。冷や汗ものでしたが、どうにか大事な戦艦を落とさずにすみました」

「陛下には?」

「いま、ご報告に。随分と、にらまれましてね」

 今日は、パーソナルカラーである白と橙の甲冑に身を固めたホークが、頭をかきかき苦笑した。

 聖石を奪われた上に、帝国軍の象徴たる飛行戦艦オルカーンまで傷つけられ、これはもう面目丸つぶれといったところだろう。

 ラッツィンガーは静かにうなずき、

「ご苦労だったな」

 ホークの労をねぎらった。

「将軍も、これから出陣ですか」

「うむ……」

「やつら、ホーガンを襲ったとか。本来なら俺たちが出るところでしょうが……申し訳ない」

「いや、おまえばかりを責められまい。ときに……黒の魔女とは会ったか」

「ええ。中身は、ヒュー・カウフマンという別人でしたが、確かに」

「ヒュー・カウフマン……」

「まっすぐで、ちょいと見所のありそうな……あ、こいつは失敬。将軍にとっては息子さんの……」

「いや……ジラルドのことはもういいのだ」

「では、他になにか」

 問われたラッツィンガーは薄笑いで言葉を流し、これ以上は聞くなと言うように、ホークの肩を軽く叩いた。

「それはそうとホーキンス、少し話せるか」

「ええ、構いませんが」

「ならば……コッセル」

「はい、ここはおまかせください」

 ラッツィンガーが赤子であった時分から、そのかたわらに付き従って半世紀。背後にひかえていた老紋章官エルンスト・コッセルは、品のいい白髪頭を下げ、広大な中庭へ出て行くラッツィンガーとホークのうしろ姿を見送った。

 会話が耳に入らぬ距離から主の身辺を見守りつつ、さりげなく人払いをする。無駄な言葉をかわさなくとも、コッセルは心得ているのである。

 ラッツィンガーとホークは、昨夜からの雪が薄く降り積もった石畳の上を進み、いまは水の止まった、噴水のふちへと腰を下ろした。

 目の前に立てかけられたグレートソードの迫力に、見慣れているホークでさえ、ひゅう、と口笛を鳴らした。

「しかし、しばらく見ない間に、帝都もすっかり冬らしくなりましたな」

「今年は特に冷えこむようだ。この歳になると、夏も冬もつらい」

「ハ、ハ、また、そんな心細いことを。将軍には、あと二十年は前線に立ってもらわにゃなりません」

「ふふ、とてもそこまでは持たん」

「……で、話とは?」

「うむ」

 ラッツィンガーはひざを進めた。

「私はこれから、メイサ大神殿へ行かねばならん」

「メイサ……カジャディール大祭主に、なにか」

「いや、そうではないのだが、猊下はいま、ディアナ大祭主猊下を神殿に招いておられてな」

「なるほど、それを連れてこいと」

「うむ。メーテルの月例祭も近い。メイサの神徒である私ならば、カジャディール猊下もわがままは申されまいということだろう」

「ハ、ハ、わがままはいいですな! ……とと、失敬。メイサよ、お許しください」

 あわてて額と胸にふれるホークに、ラッツィンガーは微笑した。

「しかし、無礼を承知で言わせてもらいますが、自分は、陛下が将軍の忠義を試しておられるように思えてなりません。最近の陛下は、自分の目から見ても……」 

「ホーキンス」

「は……?」

「だとしても、それはやはり、私の不徳の致すところだ。主君に忠義を疑われる、それだけで騎士にとっては恥ずべきこと。……違うか?」

「これは……失言でした」

 ホークは、パッと立ち上がり、深々と頭をたれた。

「聖騎士団が聖鉄機兵団と名を変えて、もう十年にもなる。L・Jに親しみ、自らを軍人と呼ぶおまえの心もわかるが、忠誠心を忘れ、愛国心のみに心傾ければどうなる。この国の礎を揺るがすことにもなりかねん」

「は……まったく、赤面の至りです」

「説教は柄ではないが、おまえだからこそ言っておくぞ、次期筆頭将軍」

「と、とと、とんでもない! 自分には無理です!」

「ふふ、私もかつては、同じことを言った」

「い、いや……まいりましたな」

 直立不動のまま、ホークは冷や汗にまみれた襟足をぬぐった。

「ま、座れ」

「は、で、では……」

「そう硬くなるな。話が少々それてしまったが、私が頼みたいのも、その、陛下のことだ」

「……と、言いますと?」

「私が留守の間、陛下のそばから離れずにいてもらいたい。いや、なぜとは聞くな。すべては……陛下の御身をお守りするためだ」

 ……それだけで、ホークにはすべてが呑みこめた。

 ここ数ヶ月で、別人のごとく人を変えた、幼い皇帝。それが人為的な操作によるものならば、忠義にあつい筆頭将軍が帝都を離れることで、その影にいる何者かが行動を起こすかもしれない。

 あるいは、ラッツィンガーの前では決して見せないようなミスを犯すことも。

「幸い、と言っていいかわからんが、オルカーンの修理は……」

「早くて二週間。それまで本隊の出撃もできません。たとえご命令があっても、断る理由になります」

「うむ。いかに遅くとも、それまでには私も戻る」

 と……ここで、ふと顔をゆがませたラッツィンガーの歯が、ぎりりと鳴った。

「わかってくれるな、ホーキンス。たとえどのようなお心の働きがあられたにせよ、陛下ご自身の発せられたお言葉は絶対だ。……いや。いまでも私は、そのご下命のすべてが、陛下ご自身のご決断によるものだったと信じたい。だからこそ、私を不忠者とおっしゃるならば、いくらでもこの首叩き落して、心中に反意なしと示してご覧に入れよう。シュワブとの戦を望まれるならば、喜んで前線にも立とう。しかし……しかしな……」

「ええ、わかります。自分も……騎士の端くれです」 

 もし、主君が何者かにたぶらかされているならば。

 もし、望まぬ形で道を踏みはずそうとしているならば、自らが、その足もとに身を投げ出してでも救わねばならない。

 他国に汚名を流そうとも、救わねばならない。

 そして、その結果がどのようなものになろうと……ラッツィンガーは命をもってあがなうのだろうと、このときホークは確信した。

 疑ってはならぬ忠誠心が、一方で主君を疑わせる。その狭間で胸を痛めているのは、誰あろう、この不器用な筆頭将軍なのだ。

「……どうしてですかね、将軍」

「む……?」

「いまの陛下は先帝様にそっくりだと、もっぱらの噂です。自分もそう思いますが……どこか違う」

「……うむ」

 ラッツィンガーは、深くうなずいた。

「確かに先帝陛下は、そのご生涯の多くを戦場ですごされた。いまと同様、軍備へ続々と資金を投入され、この国の中には、いまだに悪帝、暴帝とささやく者も多い」

「ええ。自分の田舎も、正直昔はそうでした」

「しかし、先帝陛下は、我々に夢を見せてくださった。それまで誰もなし得なかった半島の平定、統一国家という夢だ」

「……なるほど」

「先帝陛下におかれても、お父君より引き継がれたご宿願であられたが、あの一時代の熱狂……この歳になっても忘れられん」

「その夢が、シュワブ攻略には見えない」

「……ふ」

 再び言葉をにごしたラッツィンガーは、グレートソードを手もとに引き寄せた。

 その無骨な鉄の塊は、灰色の陽光を、鈍く反射した。

「行きますか」

「うむ。陛下のこと、頼む」

「まかせてください。陛下のために、全力をつくします」

「……うむ」

 このとき、ラッツィンガーが見せた笑顔。

 それは、どこか哀しげな影を宿しながらも誇らしげな笑みで、不意にホークは、亡き父の姿を思い出した。

「将軍! ……お気をつけて」

 ふたりはどちらからともなく敬礼をかわし、何事もなかったかのように別れた。

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