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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【三】 決起 -アレサンドロの未来・前編-
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響く泣き声

 監獄島ホーガンの朝礼は、その日も早朝五時半からはじまった。

 まだ太陽ののぼらぬ闇の中。身を斬るような寒さであるにも関わらず、哨戒灯に照らされた奴隷たちは、誰もが、薄い麻の囚人服一枚で整列している。

 ひそかに自らの手足をこすり合わせ、少しでも暖を取ろうというその姿は皆一様に疲れはて、前方に組まれた絞首台を見る目は、まるでそう決められてでもいるかのように哀しげだ。

 それもこれも、今日その絞首台に立った、あまりにも幼い少年のため。

 アレサンドロより先にこの島へ流され、父を殺されたあの少年であった。

「おはよう、奴隷諸君」

 ステージとも言える絞首台へ上がった、所長ビンセント・ラムゼーが、ほがらかに言った。

「今日もいい天気になりそうだ」

 無論、答える者はいない。

「さて、今日はひさしぶりの首吊りだ。この少年は俺を殺そうとした。この、フォークでだ」

 猿ぐつわを噛まされた少年は、銀のフォークをちらつかせるラムゼーを激しい憎悪の眼差しでにらんだが、できることといえばその程度。両側から騎士に押さえられ、くやしげに脚を踏み鳴らすしかない。

「親の質が低いとガキまでこれだ。……まあ、長話もなんだ。さっそくやろうか」

 ラムゼーはフォークを胸ポケットへしまいこみ、自ら首吊り縄の先を、少年の細い首へかけまわした。

「怖いか」

 少年はけなげにも首を振ったが、いよいよ恐怖がせまってきたのだろう。ひざが大きく震え、いまにもくずおれそうだ。

 あざけるように笑ったラムゼーは、少年の乗せられた台にかかとを置き、わざとじんわり力をかけた。

 絞首台にかかった縄が、ぎし、と、きしんだ。

「待ちな」

「うぅん?」

 静まり返った広場に響いた、澄んだ声。

 場の奴隷たち全員が驚愕したのは、その声を出した人物が、堂々と絞首台へ上がったからだ。

 それがあまりに唐突で、あまりに自然であったため、同じ壇上の騎士たちさえも、茫然と棒のように立ちつくしている。

 ラムゼーが、にやりと笑った。

「アレサンドロ・バッジョ。おまえの仕事はここにはない。こいつは、医者のいらん世界に行く!」

 と、ラムゼーが台座を蹴りつけるのと、アレサンドロが騎士の剣を奪い、竜巻さながらに縄を斬るのとは同時だった。

 支えを失った小さな身体は、首を支点に一瞬宙へ跳ね上がったが……転がり落ちた絞首台の下、受け止めたブルーノのはいた安堵のため息が、その無事を皆に伝えた。

「……ハン。どうしたアレサンドロ。随分遅かったな」

「なに……?」

「俺はおまえが、もう少し早く行動を起こすと思っていた。仲間とのつなぎが上手く取れなかったか? 動きやすいように、随分目こぼししてやったんだがな」

 なにもかも知っているという口ぶりで、卑しい目つきがアレサンドロの手にある剣を見た。

「おい、なんだその顔は。おまえは本当に、自分が一囚人になりすませていると思ったか? だとすれば大きな間違いだ。俺は、あいにくこの仕事が長くてな。目を見れば、そいつが犬か、虫かくらいはわかる。……おまえは犬だったよ、アレサンドロ。あっちこっちに小便を引っかけ、隙を見せれば喉に噛みついてやろうって、しつけの悪い犬だ」

「ハ……よくしゃべるな、ラムゼー」

「ああ、おまえみたいなやつは別に珍しくもなんともない。年にひとりは出る。そして俺は、そのたびに教訓を授けてきた。ここのボスは誰かという教訓をな。……見ろ」

 ラムゼーがあごをしゃくってみせた先。すえつけられた大型モニターに電源が入る。

 時間をおいて浮かび上がった映像には、わずかな光石の明かりの下、せまく、窓もない空間で身を寄せ合う数十人の子どもたちの姿があった。

 どよめきとなって広がったのは、恐怖。

 アレサンドロも少なからず動揺したが、ひとつ深呼吸し、剣の柄を握りなおした。

「ハァン、いい覚悟だな、アレサンドロ。大概のやつは、ここで剣を捨てる」

 ラムゼーは拍手した。

「だが、独り身のさびしさだな。親心ってものがわかってない。おまえがどれほど、希望を捨てるなと叫んだところで……」

「……?」

「こいつらの耳に入るのは、泣き声だけだ」

 途端、モニターに映る子どもたちの頭上から、大量の水が噴き出した。

 あとからあとから、とめどもなく降りそそぐ水に、子どもたちは言葉にならない絶叫を上げ、逃げまどう。

 ひどいノイズにまじって広場へこだまするその叫びに、我が子の名を呼ぶ親の声が重なって、広場はさながら、阿鼻叫喚の地獄と化した。

「ラムゼー……!」

「ああ、どうした。俺はここにいる。さあ、望みどおり首をはねてみろ! 俺が憎いんだろう?」

「く……」

「おまえは医者だ。言うまでもないだろうが、ガキは死ぬのが早い。おまえの首を差し出せば助けてやると言ったら、何人のやつが従うかな」

「アレサンドロ!」

 ブルーノが、足首へすがりついてきた。

「頼む! 頼む、剣を捨ててくれ! 俺のガキがいるんだ! あそこにいるんだよ!」

「ブルーノ……!」

「なあ頼む! アレサンドロ!」

「おい、おまえ。説得なら手早くやれ。遊んでる間に、ガキが浮くぞ」

「アレサンドロ!」

 ブルーノだけではない。いつの間にか壇上に立つアレサンドロの足もとには、多くの仲間たちがうらめしげに、また憎々しげに集まり、口々に怒号を発しては石つぶてを投げつけてくる。

 アレサンドロは唇を噛みながら、それでもなお、剣は捨てなかった。

「そこまでくると、おまえが味方に見えてくる。どうだ、俺の下で働くか?」

「……冗談じゃねえ」

「なら、死ぬだけだ。ガキ共々な。……そら、もう二、三人浮いているころだぞ」

 ラムゼーが、ひょいとモニターへ目を移すだけで、女たちの口からは悲鳴が起こった。

 轟々と止まることを知らない水音に、子どもたちの泣き声がかき消された……。

「……く、そ!」

 ついに、アレサンドロは刃を振るった。

 ラムゼーにではない。切っ先はその首すじをかすめて走り、絞首台の柱へ深々と食いこんだあと、ぽっきりと折れた。

「水を止めろ……!」

「んん、なに?」

「早く水を止めろ!」

「嫌だ」

「ラムゼー!」

 襟首を絞られながら、にぃっと笑ったラムゼーは、のんびりとした手つきで、腰に下がったリモコンを操作した。

 ……ようやく、水の流れが止まった。

「みじめだな、アレサンドロ。レッドアンバーだかなんだか知らんが、おまえは本当にみじめで、お粗末だ」

 モニターからは、先ほどにも増して激しい泣き声が聞こえてくる。

 これは、単に水音がおさまったから、というだけではないはずだ。

 それまで涙を必死にこらえてきた子、恐怖に声の出なかった子、ともに泣きはじめたに違いない。

「もう少し、頭のいいところを期待していたんだがな……おまえたちは、やりかたを間違えた」

「ぐっ……!」

 モニターに注意を奪われていたアレサンドロはみぞおちを突き上げられ、その場にひざを折った。

「おい、おまえたち。そんな目で見るんじゃない。こいつはこれでも、おまえたちを助けるためにここに来た。勇敢じゃないか。涙が出るな!」

 広場はちらりとざわついたが、やはりこの状況では、余計なことをして、という空気が濃い。すでに誰ひとりとして期待をかけようという者もいない。

「だからなんだその目は。もっと尊敬してやれ。拍手だ!」

 ラムゼーの声は、むなしく響いた。

「なんとも薄情じゃないか、アレサンドロ。騒がんかわりに、おまえを助けようというやつもいない」

「……うるせえ」

「いいや、俺は悲しい。おまえはもっと尊敬されてしかるべきだ。ああ、俺がさせてやる」

 ラムゼーは注目を集めるように、三度、手を叩いた。

「いいか、おまえたち。俺はいまから、こいつを殴り殺す!」

「ま、待ってくれ……所長!」

「なら、おまえがかわりになるか?」

「う、う……!」

 金縛りにあったように身体をこわばらせたブルーノを、アレサンドロはかぶりを振って下がらせた。

「ああ……ちくしょう」

 顔を覆った指の隙間から、ブルーノのざん愧のうめきがもれる。

「さて、なにを言おうとしてた……ああ、そうだ。あの牢には、ガキが三十人から入っている。こいつが一分生き延びるごとにひとり、あそこから出る権利を与えてやろう。つまり、三十分こいつが生きていられれば、とりあえず今日は、ガキの死体が出ないというわけだ」

 だが逆に、途中で力つきれば、それだけの子どもの命が水泡に消える。

 そんな。無理だ。

 広場は、ざわめき立った。

「だったら応援してやれ! 歌でも歌って、こいつが早々にくたばらんようにな!」



 そうして、虐待ははじまった。

 蹴られては殴られ、殴られては蹴られ。

 はじめはどうにか打撃を受け流せていた手足も、時を追うごとに重く、緩慢な動作しかできなくなる。

 そして、台の端までよろめいて行こうものなら、周囲を取りかこんだ騎士たちが、にやにやともとの場所へ押し返すのだ。

「この、薄ぎたない犬野郎め!」

 口ぎたない罵倒とともに、厚く硬いブーツの底が、アレサンドロの腎臓のあたりをしたたかに蹴りつけた。

 拳に打ち抜かれた目蓋が、深く裂けた。

 全身の骨が、きしみを上げた。

「……ああ」

 誰かが神に祈っている。

「まだだ」

 それが、小さな悲鳴に変わる。

「まだだ」

 東の水平線から、太陽が顔をのぞかせた。

「……おい、まだ時間はあるぞ」

 ラムゼーがようやくひと息ついたころには、すでに絞首台の床板は、裏面まで染み通るほど、吐き出した血を吸っていた。

「……なぁ、アレサンドロ。気づいているか?」

「う……」

 髪をつかまれ、無理に頭を引き起こされたアレサンドロは、どうにか薄く目を開けた。すぐ近くに、その憎い顔がある。

「気づいてるんだろう?」

「……なにを、だ」

「とぼけるな。俺が手加減してやってるってことをだ」

 アレサンドロは反応こそ見せなかったが、確かに、それに気づいていた。

 いまの自分は鮮血をまき散らし、はた目には瀕死の重症に見える。しかし、死ぬほどのものではない。

「理由がわかるか? ……おっと、俺は同情しているわけじゃないぞ。ガキに対してもだ」

「……」

「そうだ、ガキはいつでも殺せる。いま、俺がやってることは、ただの気晴らしだ」

 ラムゼーは喉を震わせ、ククと笑った。

「さあ、英雄。そろそろ時間だ。なにか言いたいことがあるなら聞いておいてやろう。ああ、こいつらにでも、外の連中にでもいい。好きなことを言え。俺が許す」

 なんなら、つばを吐きかけてもいいと、この小さな世界の神は、憎らしく頬まで突きつけてきた。

「……えねえ」

「なに?」

 ラムゼーは、血によごれたアレサンドロの口もとへ、耳を差し寄せた。

「……泣き声が、聞こえねえ」

 一瞬の沈黙をおいて、ラムゼーの顔色が、さっと変わった。

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