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第98話 飲み場では、無粋な真似をするなかれ

 高梨政頼たかなし まさよりは小刀を抜くと俺に向かって斬り付けてきた。


 ――全てがスローモーションに見えた。


 俺は不思議と落ち着いて、心がいでいた。

 高梨政頼の額から弾けた汗の一粒一粒、小刀を握る手の節くれまでハッキリ認識できた。


 だから、高梨政頼が動き出す瞬間に風魔ふうまが動いたのがわかった。


 高梨政頼と長尾為景ながお ためかげの背後にいた風魔が立ち上がり、クナイを手に二人を抑えにかかった。

 隣のテーブルに座り手酌てじゃく熱燗あつかんをやっていた風魔小太郎ふうま こたろうが、ぬるぬるした動きで俺とみなみの前に滑り込みクナイで高梨政頼の小刀を受け止めた。


 高梨政頼と長尾為景の首には、風魔によって背後からクナイの先端が押しつけられる。


 この間、一秒に満たない。

 高梨政頼は怒り狂って小刀を抜いたが、まばたきするほどの間に決着はついた。


 ――グツグツと厨房から料理を煮る音が聞こえる。


「お姉さ~ん。熱燗、もう一本つけて~。あと、おでんね~」


「は~い」


 俺は座ったまま何もなかったように厨房に向かって熱燗と料理を頼む。

 手酌でおちょこに酒を注ぎ、クッと流し込む。

 俺の体に芳醇な香りとともに温かい酒が流れ込んでくる。


 勝ったなと思った。


甘露かんろ……)


 頭の中に、そんな言葉が浮かんだ。


「あのぉ……御屋形様……、これどうするんですか?」


 風魔小太郎が高梨政頼の小刀をクナイで受け止めたまま、俺に聞いてきた。

 小刀とクナイがギリギリとこすれた音を出している。

 高梨政頼が強い力で押し切ろうとして、風魔小太郎が負けずに押し戻そうとしているのだろう。


 俺は何事もなかったように振る舞う。


「もうすぐおでんが来る。高梨殿、席に着け」


「小僧!」


「おでんがどうとか、そういう場合じゃないと思うんですけどね……」


 高梨政頼が吠え、風魔小太郎が困惑する。

 俺は怒りでプルプル震える高梨政頼に目を合わせ、巻き舌気味に説教をかました。


「酒を飲む場で刃物を出すなど、無粋な真似をするな。酒が不味くなるだろう」


 飲み場には飲み場の作法がある。

 いい大人なら、その程度のことはわかるだろう。


「高梨殿。座れ。熱燗が来るし、おでんが来る。旨いぞ」


 俺は高梨政頼に再度呼びかけた。

 高梨政頼は歯を食いしばり、目線だけで俺を殺せそうなほどにらみつけてくる。


「御屋形様。よろしいのですか?」


 風魔小太郎が対応を確認してきた。

 俺は視線を高梨政頼から外さずに答える。


「ああ。酒の席で起ったことだ。どうこう問題にするつもりはない」


「ふっ……ははは……ぐわっはっはっは!」


 俺の言葉を聞いた長尾為景が笑い出した。

 首元にクナイが突き付けられているのに、さすがはミスター下剋上、肝の太い男だ。


「高梨! 座れ! 我らの負けだ」


「しかし! この小僧は危険です! 刺違えてもここで――」


「よせ。我らは軍略で負けのだ。捨て鉢になって何になる。それに武田の言うた通りよ。酒が不味くなる。これからおでんなる物が来るらしい。座れ」


「ぐっ……、わかり申した!」


 高梨政頼は小刀を納めると、シブシブ席に座った。

 俺は無言でおちょこに酒を注ぎ、高梨政頼と長尾為景の前に置く。

 そして風魔に二人から離れるように指示を出した。


「で、どうするよ?」


 長尾為景がなめるように酒を味わいながら余裕たっぷりで俺に聞いてくる。

 負けを認めたのに、この態度……。

 本当にふてぶてしい。


信濃しなのから撤退してくれ。略奪はするなよ。戦の前の状態に戻そう」


「城の一つ二つ寄越せよ」


「やれるわけないだろう。逆に銭を払ってもらいたいくらいだが?」


「銭はない!」


「胸を張って威張ることじゃねえだろ!」


 隣に座る南が、俺と長尾為景のやり取りを聞いて呆れた声を出した。


「これ、停戦交渉ですよね? お二方とも、もうちょっと真面目にやって下さい」


「真面目にやったら、高梨殿みたいに刃傷沙汰になる。これくらいで良いんだ」


「はあ……。板垣さんに言いつけますよ?」


「うっ……」


 妹は、なぜ兄に対して強いのだろうか?

 確実に俺の弱点を突いてくる。

 板垣さんに告げ口されると、説教されるからな。


「ほう。武田のは、妹姫に弱いか」


「武田家は女性が強いんだよ」


「面白いな! よし! じゃあ、俺の娘をやろう!」


「「「えっ!?」」」


 長尾為景の突然の発言に、俺、南、高梨政頼が驚く。

 店員のお姉さんが、おでんと熱燗をテーブルに置いて去って行った。


「ほう、これがおでんか! 早速、いただこう! アツ! アツツツ!」


 長尾為景は、お約束のようにアツアツおでんリアクションを見せてくれた。

 天才だな!


「おい……、娘をやると聞こえたが……、冗談か?」


「いや、本気だぞ。俺の娘のあやをやろう。尻に敷かれてしまえ。ああ、おでんと熱燗は、たまらんな……」


 一体、何を考えているのだろう。

 俺は熱燗をチビリとやりながら、おでんに箸をつける。


 大根が旨い。

 味が染みてる。


 俺がおでんに現実逃避をしていると、南がパチンと手を叩いた。


「ああ、そういうことですか!」


「南? どうした?」


「長尾殿は越後に帰るに際して、土産が必要なのでしょう。信濃を大いに荒し、心胆寒からしめた。そして、甲斐の武田家と婚姻外交を行ったと。それを嫡男の長尾晴景殿の手柄にするのでしょう?」


 そういうことか!

 俺は長尾為景を見た。


 長尾為景はニヤリと笑っておちょこを掲げた。


「そういうわけだから、結納ってことで、酒やら米やらを沢山頼むぜ。婿殿むこどの


「クッ……ハハハハ……!」


 俺は思わず笑ってしまった。

 長尾為景のメンタルタフネスに脱帽だ。


 長尾為景は、越後をまとめきれていない。

 特に越後の東にいる揚北あげきた衆と呼ばれる連中と親戚筋の上田うえだ長尾家が従順ならざる連中だ。


『戦に負けました。手ぶらで帰ってきました』


 それでは、越後がさらに不安定になる。

 さらに敵に捕まった嫡男長尾晴景の立場が悪くなる。


 そこで、俺と娘の婚姻だ。


 俺が長尾為景の娘をもらえば、長尾晴景は兄になる。

 解放せざるを得ない。


 そして、お互い好きなことを自国で主張出来る。


 例えば、俺は長尾為景に勝って娘を差し出させたとか言えば、甲斐かいの国人連中は『勝った! 勝った!』と喜ぶだろう。


 例えば、長尾為景は俺が結納で送った品物を勝利の分捕り品として、越後の国人連中に配ることが出来る。

 越後の国人連中は、長尾為景を支持するだろう。


 土壇場で、こんな逆転の大技を仕掛けてくるとは!

 なんて無茶苦茶なヤツだ!


 だが、嫌いじゃない。


「なるほどな! わかった土産を用意しよう。結納でも、分捕り品でも、何でも好きなように越後で言えば良いさ!」


「話の分かる婿殿で助かる!」


 俺と長尾為景は同時におちょこを掲げ一息に飲んだ。

 南はニコニコと笑い。

 高梨政頼や風魔小太郎たちは、あまりの急展開についてこれずポカンと口を開けていた。


「まあ、飲め!」


 俺はみんなに酒をすすめた。

 寒い日は、熱燗が旨いぜ!

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