第82話 相手を立てること、出来る営業マンの如し
――翌朝。
朝食を終えると、さっそく軍議だ。
俺たちは、諏訪家の居城である上原城の大広間に集まった。
上座の左手に諏訪家当主の諏訪頼重殿が座り、大広間の左側に諏訪家の重臣が座る。
諏訪頼重殿は、三十代半ばの痩せて小柄な人だ。
昨日顔合わせをしたが、俺に申し訳なさそうに礼を述べていた。
諏訪頼重殿は、諏訪大社の大祝、つまり神職でもある。
あまり荒事は得意ではない穏やかな人柄なのだろう。
上座の右手には援軍総大将の武田家当主の俺こと武田晴信が座り、右側に援軍諸将が座る。
右手に座るのは、武田家飯富虎昌(副将)、信濃衆の村上義清殿(副将)、同じく信濃衆の真田幸隆殿(参謀)が座る。
飯富虎昌、村上義清、真田幸隆と戦国初期の名将がズラリと並んだ様子は壮観だ。
俺も見惚れてしまいそうだ。
諏訪家の重臣たちも三人が発する覇気に当てられたのか、寒い朝にも関わらず顔が紅潮している。
既に全員鎧を身につけており、臨戦態勢だ。
そこへ物見を務めた諏訪家の兵士が駆け込んできた。
「申し上げます! 敵、長尾勢は、諏訪湖対岸に陣取り動きません!」
諏訪家当主の諏訪頼重殿が、眉根を寄せて物見の兵士へ問うた。
「長尾勢は引かぬか?」
「はっ! 一戦交える構えです。退却の準備をしている様子はございません」
「むう……」
俺たち武田家の援軍が到着したことによって、諏訪家側が数の上で有利になった。
諏訪頼重殿としては、敵将長尾為景が『情勢不利』と見て撤退してくれることを期待したのだろう。
まあ、戦わないで勝てるなら、その方がベターだと俺も思う。
だが、相手は戦国の姦雄長尾為景!
あの上杉謙信の父親で戦上手の男だ。
一戦も交えずに引くわけがない。
俺は昨晩考えた作戦を提案した。
「兵士の数では、こちらが多い。二手に分かれて長尾勢を挟撃してはどうでしょう?」
「と、おっしゃいますと?」
諏訪頼重殿が、俺に先を促す。
俺は大広間の中央に置かれた地図を指さしながら作戦案を説明する。
「諏訪湖の右手から主攻の軍を進め。長尾勢と戦端を開きます。そこへ諏訪湖の左手から回り込んだ助攻の軍が、長尾勢の後背から襲いかかる……。いかがでしょう?」
俺の提案に対して、諏訪家側から良い反応が返ってきた。
「なるほど! 挟み撃ちか!」
「諏訪湖を上手く使った策ですな!」
「これなら長尾のやつばらを諏訪から叩き出せる!」
一方で援軍の将である飯富虎昌、村上義清殿、真田幸隆殿は、腕を組んだりアゴをさすったりと慎重に検討をしている。
俺は軍議の場なので重々しい声を出し威厳を作り、飯富虎昌を指名した。
「飯富虎昌。どうか? 遠慮なく意見を申せ」
「はっ! それでは一点確認をいたしたく。諏訪頼重殿、雪はどうでありましょう? 騎馬は使えそうですかな?」
なるほど。雪の様子か。
積雪がヒドイと騎馬の運用が難しくなる。
騎馬隊を率いる飯富虎昌としては、気になるところだ。
「多少雪はありますが、戦に影響はございますまい。騎馬の運用も可能です」
「ならば、それがしは御屋形様の案に賛成いたします」
飯富虎昌は、俺の案に賛成してくれた。
続いて参謀の真田幸隆殿が話し出した。
「良いご思案にございます。問題は陣立てですな。誰が主攻を率い、誰が助攻を率いるか……」
「主攻は俺が率いるつもりだが? 主攻を武田軍が担い、助攻を諏訪殿にお願いしようと考えていたが?」
「いえ、それでは……」
俺は真田幸隆殿に答えたが、真田幸隆殿の返事は歯切れが悪い。
援軍に来た武田軍は、兵三千。
防衛していた諏訪家の兵は一千。
敵の長尾軍は、兵二千五百。
戦力バランスを考えたら、武田軍が主攻を務めるのが当然だと思うが……ダメなのか?
「お待ちを! 主攻は我らが!」
「諏訪殿……」
だが、諏訪頼重殿が強い口調で異議を唱えた。
「この戦は我ら諏訪家の戦でござる。ご助力はありがたく頂戴しますが、我ら諏訪の男が矢面に立たねばなりません!」
「おお!」
「そうずら!」
「我らが先陣を務めますぞ!」
諏訪頼重殿の言葉に、諏訪家の重臣たちも乗っかり勇ましい言葉を口にした。
俺は諏訪家の方々の気持ちや面子を考えないでいた。
これがゲームなら数と能力で判断すれば良いが、血の通った人間が戦うのだ。
兵士の数が少ないとはいえ、地元の諏訪家を脇においやるのは良くない。
それでは、主攻の大将を諏訪頼重殿にするか?
諏訪家の兵士は一千で、敵長尾軍は二千五百だ。
諏訪家だけで主攻を務めるには兵士数が足りない。
武田の兵士を諏訪家に貸す?
それでは、武田の者たちが戦いづらい……。
では、俺が大将で、俺の下に諏訪頼重殿が入る形は?
今度は諏訪家の面子が立たなくなる。
これは諸将の配置が難しいぞ!
そうか、それで真田幸隆殿が口ごもったのか!
俺が腕を組んで考えると、真田幸隆殿が陣立てを提案してくれた。
◆主攻◆
諏訪湖の右側から長尾軍二千五百を攻撃。
・兵士:三千五百
⇒武田家二千五百 諏訪家千
・大将:諏訪頼重(諏訪家を指揮、名目上の大将)
・副将:飯富虎昌(武田家を指揮、実質的な大将)
・参謀:真田幸隆
◆助攻◆
諏訪湖の左側から長尾軍の背後を攻撃。
・兵士:四百(騎馬中心)
・大将:村上義清
◆本陣◆
上原城の近くで陣を張り待機。
・兵士:百
・大将:武田晴信(俺です!)
形式上の主攻の大将を諏訪殿にするが、実質的には数の多い武田軍の大将飯富虎昌が指揮を執ることになる。
飯富虎昌には、知恵者の真田幸隆殿が参謀としてつくので、大丈夫だろう。
敵の背後をつく助攻は村上義清殿。
村上義清殿は、領地を取られた雪辱を果たすと燃えている。
それに村上義清殿の一芸は、猛牛突撃だ。
【猛牛突撃:騎乗において非常に高い破壊力を発揮し、攻勢を得意とし兵を率いる】
数は四百と少ないが、騎馬を中心に編成するので、助攻としては十分な戦力だろう。
問題は俺……。
留守番かぁ……。
まあ、主攻の大将を諏訪頼重殿に譲り、助攻の大将を俺がやるのかということだ。
助攻の大将となると、主攻の大将より格下感は否めない。
そうなると武田家の面子が立たない。
そこで真田幸隆殿は、本陣の守備という建前をこしらえた。
俺が総大将っぽく見えるようにして、武田家の面子を立てた。
こういう政治的な配慮は面倒くさいが、確かに必要だ。
それにしても留守番はどうかと思う。
俺がガッカリしていると、真田幸隆殿が意味ありげな視線を送ってきた。
『手伝い戦なのだから、諏訪頼重殿を立てろ』
真田幸隆殿は、そんな風に言いたいのだろう。
まあ、それはそうだ。
諏訪まで兵を引き連れて来たことで、もう、感謝はされている。
俺が矢面に立つ必要はない。
いいさ。
出来る男は、相手を立てるのだ。
真田幸隆殿が提案した布陣は軍議で了承された。
俺たちは、早速、戦の支度にかかった。