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第77話 無理を押すこと、地獄車の如し

 俺、板垣さん、真田幸隆は、会談に割り込んできた男たち――小笠原長時と小笠原信定を見てポカンとしてしまった。


 小笠原兄弟は、呆気にとられる俺たちのことなどお構いなしに、自分たちの都合だけを言いつのる。


「オイ! 武田の! 早く兵を出せ! 小笠原家の領地を取り戻すのだ!」

「そうだ! そうだ! 長尾を信濃から追い出すのだ!」


 いや……。

 その辺りを、今、真田幸隆君と打ち合わせているのですが……。

 なんなんですかね?

 この人たち?


 あまりの礼儀知らずぶりに、何と返して良いかわからなくなった。


 板垣さんを見ると、額に血管が浮いている。

 そりゃそうだよな。

 主が客と面会しているところに、ズカズカ入ってきて『オイ! 武田の!』は、ないよな。


 この場をどうおさめようと考えていると、真田幸隆が口を開いた。


「あの……、武田殿……、こちらのご両者は?」


「あっ! ご紹介をしなくては! 真田殿、こちらは小笠原家のご長男小笠原長時殿とご次男小笠原信定殿です」


「ああ! 信濃守護家の!」


 小笠原家は信濃守護家だから、真田家よりも格上だ。

 真田幸隆は、小笠原兄弟に向き直ると丁寧に頭を下げた。


「お初にお目にかかります。真田幸隆と申します」


「真田……? 知らぬな……?」

「オイ! その方、どこの者か?」


「ハッ……、小県ちいさがた郡真田郷の真田家当主です」


「小県……? ああ、海野家が治めている所か……。では、お主は陪臣ばいしんだな。控えよ!」

「そうだ! 又者が無礼であるぞ!」


「ちょっと! お二方! 何をおっしゃるのですか!?」


 陪臣、又者は、家臣の家臣という意味で……。

 この場で使ったニュアンスは、悪口だ。


 これから越後の長尾軍と対決するのだ。

 甲斐と信濃の武士が、力を合わせなければならない。


 だから、俺や板垣さんが丁寧に一人一人に面会しているのに……。

 小笠原兄弟は、俺と板垣さんの努力をぶち壊そうとしている。


 俺は小笠原兄弟に向き直り、二人の行動をいさめた。


「真田殿は、武田家の客です! 無礼は止めてください!」


「武田の! 何が無礼か! 我が小笠原家は信濃守護。海野家は信濃守護の下で、小県郡を治める領主。そこの真田とやらは、海野家のさらに下。ほれ、陪臣ではないか!」

「そうだぞ! そいつは陪臣だぞ!」


「いいえ、お二人の認識は間違っています。真田家は、独立独歩の国人領主です。海野家の家臣ではありませんよ。陪臣は取り消して下さい」


 俺は、真田の味方をした。

 当然だ。

 この無礼な二人と真田幸隆の価値を比べれば、石ころと黄金ほどの違いがある。


 兄の小笠原長時は、俺の言い分を鼻で笑った。

 そして、俺の隣にドカリと座り勝手なことを言い始めた。


「そんなことは、どうでも良いわ! それよりもだ! 武田の! 兵を出せ!」

「そうだ! 兄上の言うことを聞け!」


 俺は深く息を吸い込み、気持ちを落ち着けた。

 武田家と小笠原家は、家格で言うと五分……。

 俺が過剰に気を遣う必要はないが、無視も出来ない。


 とにかく、『兵を出す』……、つまり軍略について問われたから答えれば良いのだ。


「兵は出します。しかし、越後の兵は精強……。さらに、諏訪と佐久の二方面に軍を出さねばなりません。慎重に検討せねば――」


「なんだ? 臆したか?」


 小笠原長時が安い挑発を、俺の言葉にかぶせてきた。

 俺はため息をつきたいのをグッと堪えた。


「そうではありませぬ」


「いや! 臆したのであろう! 武田の当主は腰抜けか!」

「そうだ! そうだ! 腰抜けだ!」


 弟の小笠原信定も一緒になって、俺を腰抜け呼ばわりする。


「繰り返しますが、兵は出します! ですが! 事前に計画を立て、準備をする必要があるのです!」


「ウソだ! 貴様は戦が、怖いのであろう!」

「そうだ! 怖いのだ! 腰抜けだ!」


 あっ……ダメだ……。

 俺のなかで、何かが壊れる音がした。


「このバカ野郎! 俺が心配しているのは! 雪と! 寒さと! 兵糧だ!」


 続けて、俺は会所の床を強く叩く。


「この重要性がわからないなら! 貴殿らと話すことはない!」


 俺は腕を組んで、そっぽを向いた。

 もう、コイツらと話したくない。


 俺が怒ったことは、小笠原兄弟に通じたようだが、俺が話した意味は通じなかったようだ。


 二人は、キョトンとして間抜けな声を上げた。


「えっ……?」

「それは……、どう意味だ?」


 俺は舌打ちをして立ち上がろうとしたが、真田幸隆の声が俺を押しとどめた。


「雪は行軍を遅らせます。孫子曰く、軍は風のように素早く移動すべし……。つまり、雪の中で移動することは軍略から外れております」


「ぬっ……」

「孫子……?」


 こいつら孫子を知らないのか?

 俺はボソリと、風林火山の一節を口にした。


「疾きこと風の如し」


 俺のつぶやきに、真田幸隆が反応する。


「武田殿のおっしゃるとおりです。雪の中では、風のように動くことは出来ません。そして、寒さは兵の体力を奪います。野営というわけにも参りますまい。兵たちが逗留する寺なり、砦なりが必要です」


「兵たちは、農民であろう? その辺りに寝かせておけば良いではないか!」


 長男の小笠原長時が、平然と言い放った。

 俺は深くため息をつきながら、小笠原長時に反論する。


「これから二月だ! 一年で最も寒い季節だ! 兵が凍死するぞ!」


「戦なのだから死者が出るのは、仕方あるまい!」


「戦場で兵を失うのではなく、移動中に寒さで兵を失うのだぞ?」


「死ねば、同じであろう?」


「同じじゃない! 五千の兵で出陣し、戦場についたら兵数が千になっていたら、勝てる戦も負けてしまうだろうが!」


「ぬう……」


 ぬう、じゃないだろう。

 ここまで言わないとわからないのか……。


 真田幸隆が、一瞬遠い目をした。

 気持ちは、わかるぞ。


 真田幸隆は続ける。


「そして兵糧でござるが……。長尾軍は占領した地域にある食料を利用出来ます。一方で我らは、自分たちで兵糧を用意して戦場まで持っていかねばなりません」


「現地で略奪すれば良いではないか!」


「その現地は、私の領地であり、小笠原殿のご領地ですが? 略奪してもよろしいのでしょうか?」


「……」


 長男の小笠原長時は沈黙した。

 やっと静かになったと思ったら、次男の小笠原信定が真田幸隆にかみついた。


「小荷駄があるであろう!」


 小荷駄とは、補給物資のことだ。

 小荷駄隊といって、馬で補給物資を運ぶ部隊がある。

 だが、現代の補給部隊のように大量には運べない。


 小笠原信定は、勝ち誇っているが……。


「雪が馬の足を遅くいたしましょう。さらに、ここ甲府から佐久方面に行くには、山道を行かねばなりません」


「時間がかかっても、小荷駄があるなら良いではないか!」


「雪で戻れなくなったらどうしますか? 兵糧が切れ、甲斐にも戻れない。敵地で立ち往生です」


「うっ…」


「そうすると『蔵持ち』を軍に同行させる必要がありますが、蔵持ちをどれだけ確保出来るか……」


 真田幸隆が、俺をチラリと見た。


 蔵持ちは、一芸の【蔵】を持っている人間のことだ。

 出入りの商人にもあたって、蔵持ちを貸してくれと交渉している。


「あいにく数が揃っていません。商家にもあたっておりますが、交渉に時間が必要です」


「さもありなん。蔵持ちは貴重な人材ですからな」


 小笠原兄弟は、シュンとしてしまった。

 ちょっと溜飲が下がったな。


「明日、大評定を開きます。続きは、大評定でお願いします! 今は、お引き取りを!」


 小笠原兄弟は、肩を落としスゴスゴと引き上げていった。

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