第46話 太史慈な事、賈詡の如し
玄武隊の視察を終えた。
鉄パイプで組んだ工事現場の足場の階段を上る。
この鉄パイプ城壁の上で、香が指揮するクロスボウ隊が高所からの射撃訓練をしている。
――事の起こりは、ある日、香が人材募集をしたいと言い出したのだ。
『人材募集? 別に良いけど……どうしたの?』
『実験やら何やらで、人手が欲しいの』
『うーん、実験か……。そうすると秘密を守れる人、家臣の娘とかかな……』
『それに私の侍女は、京都からついて来てくれた一人だけなのよ』
『それは不便だね。わかった武田家の家中で、お手伝いしてくれる女性を募集しよう』
募集をかけると家臣の娘が沢山応募して来た。
香の部下になるので、面接選抜は全て香に任せた。
・勉強が出来るタイプ⇒実験組
・頭の回転が速いタイプ⇒侍女組
と言う感じで振り分けを行ったそうだ。
『ねえ。ハル君。武術が得意な子がいたけど雇って良い?』
『ああ。侍の娘だから、そういう子もいるよね。良いじゃない。雇っちゃいなよ』
面接に来た中で、武に秀でた娘もいたそうだ。
俺は香の護衛のつもりで雇えと言ったのだが……。
香はこの子たちにネット通販『風林火山』で買った『クロスボウ』を持たせやがった。
それも、ライフルスコープの付いた十万円もするガチなやつだ。
いや、もう、これスナイパーライフルにしか見えないから。
何でも武田家中では、香のクロスボウ隊に選ばれるのは大変な名誉らしい。
ちなみにクロスボウ隊の名前は千鶴隊だ。
階段を上っていると千鶴隊の勇ましい掛け声が聞こえて来た。
「構え~!」
あれ?
この声……どこかで聞いた気がする……。
「放て!」
あれ!?
まさか!
まさか!
俺は足場の鉄階段を駆け上った。
足場城壁の一番上には、綺麗な小袖を着た女の子たちがクロスボウを構えていた。
その中の一人を見て俺は叫ぶ。
「姉上!」
そこに俺の姉がいた。
武田恵、十六歳。
歴史上、定恵院と呼ばれる女性で、歴史通りなら今川義元に嫁ぎ、今川氏真を産む。
「おや、太郎。ごきげんよう」
「ごきげんようではありません! なぜ姉上がここにおられるのですか? ここは今川との戦場になります!」
「はて? 太郎は異な事を申す。武田家の一大事に、本家の女子が戦わずしてなんとする!」
ずいっと姉上が迫って来た。
いかん、どうも俺はこの人に弱い。
転生前は姉がいなかったから、お姉ちゃんと言う存在になんとなく憧れがある。
そのせいもあって、俺は恵姉上に強く出られないのだ。
結構な美人だし。
「いや、しかし、ですね……」
「黙らっしゃい! 恵は千鶴隊の隊長じゃ!」
「な、なんですとー!」
恵姉上が隊長!?
そんな事は、聞いてないぞ!
「か、香! 香は?」
「なーに、ハル君」
香は、すぐそこにいた。
今日は、千鶴隊と同じ小袖姿だ。
「ちょっと! 姉上が千鶴隊に入っていたなんて、聞いてないよ!」
「え? ハル君知らなかったの? 虎ちゃんは、知ってるよ」
飯富虎昌ぁ!
報告しろよぉ!
いつも『香様! 香様!』ばっかり言ってて、必要な事を俺に報告してねえ!
あいつ合流したら説教だ!
「ハル君の妹もいるよ」
「なっ……!」
「あー、兄上だ!」
恵姉上の後ろから、ひょっこりと俺の妹が顔を出した。
「南! オマエまで!」
武田南、十三歳、俺の異母妹だ。
歴史上、南松院と呼ばれる女性で、歴史通りなら穴山信友に嫁ぎ、穴山信君を産む。
穴山信君は、穴山梅雪とも言う。
南は母親が違うが、年も近いので仲良くしている。
要領が良く、見た目が愛らしい。
香はさらっと衝撃的な事実を告げた。
「南ちゃんが副隊長だよ」
「おいー!」
恵姉上も、妹の南もボウガンを手にして、姉妹仲良く隊長、副隊長って……。
「香! オマエが千鶴隊の隊長じゃないのか?」
「だって実験とかもあるし、私も忙しいのよ。恵ちゃんはリーダーシップがあるし、南ちゃんは頭脳派だから二人にお任せしているの。不味い?」
「いや、不味いだろ……。母上が聞いたら、なんとおっしゃるか……」
「兄上。大井の方様から、ご許可はいただいておりますよ」
妹の南がニンマリと笑いながら、先回りする。
大井の方と言うのは、俺と恵姉上の母親の事だ。
くそっ!
母上をダシに躑躅ヶ崎館に追い返そうと思ったのに!
「こ、行軍中はいなかったじゃないか……」
「あら! 私も恵姉さまもおりましたよ! ああ、笠をかぶっていたので、気が付かなかったのですね」
こいつら確信犯だろう。
行軍中に気が付いたら、絶対に躑躅ヶ崎館に帰していた。
俺に見つからないようにして、ついて来たな。
俺がウジウジと考えていると、恵姉上がキレた。
「太郎よ! そもそも、お主は、私の嫁ぎ先も決めておらんではないか!」
「えっ!? いや、それは……、この事とは関係ないですよ!」
「いーや! 関係ある! 嫁ぎ先も決まらぬ姉は無聊を囲っておるのだ。文句があるなら、嫁ぎ先を早う決めよ」
「ぐっ……。わかりました! わかりましたから!」
結局、俺が退く事になった。
姉には勝てないのだ。
しかし、困ったな。
史実では、恵姉上は今川家に嫁ぐ。
けれど俺は将来的に今川家を攻め滅ぼし、駿河と遠江を武田家の物にしようと画策している。
そうなると今川家には嫁がせられない。
後は……。
北条家?
諏訪家?
山内上杉家?
いっそ織田家とか?
浅井、朝倉とか?
後の上杉謙信、長尾景虎に恵姉上を嫁がせると言う鬼手も……。
「構え~! 放て!」
恵姉上の嫁ぎ先に頭を悩ませる俺を無視して、千鶴隊の訓練は続いた。
俺……、御屋形様……、武田家のトップ……。
まあ、良いか。
訓練を見ていてわかったが、恵姉上自身がクロスボウの名手だ。
的を外さないし、クロスボウを構えるだけで名人の持つオーラみたいなのを放っている。
たぶん、父信虎の武闘派の血が濃いのかな。
(外見は母上似の美人で良かった……)
訓練は続く。
なるほど、恵姉上は良く皆をまとめている。
細かい技術指導をし、命中した時褒める。
次弾発射までの間の取り方も、上手い物でみんなの呼吸が合っている。
「なあ、香。必中距離は、どれくらい?」
「そうねえ。50メートルってとこかな。50メートルなら必中。それも急所を狙って必中だね」
「ピンポイント狙撃って事か……凄いな……」
ただ、当てるだけじゃなくて、急所を狙える!
クロスボウは、矢を飛ばすので貫通力があり、殺傷力が高い。
結果を考えると恐ろしいな。
「本当はね。もっと遠くまで飛ばせるクロスボウもあるのよ。けど、女の子の力だと弓が引けないので、必中距離50メートルが限界ね」
「いや、その距離で急所を狙えるなら上等でしょう!」
「ちなみに、恵ちゃんと私は必中距離100メートルよ。的を外さないわよ」
「ゲッ……」
思い出した!
香の一芸【巴御前】だ!
【巴御前:戦場において非常に高い能力を発揮し、兵を指揮する。容姿に優れ、強い子を産む】
一芸の『戦場において非常に高い能力を発揮し』ってのが、効いているのか!
あれ?
じゃあ、恵姉上も何か一芸持ちか?
俺は恵姉上を見て、一芸【鑑定】を試みる。
(鑑定!)
恵姉上の頭の上に文字が浮かび上がった。
【武田恵 一芸:太史慈】
アカン!
太史慈!
太史慈は、三国志に出て来る弓が得意な武将だ。
確か、呉の国所属。
いや、レアリティは高そうだけど、恵姉上は女だぞ。
一芸で太史慈は無いだろう!
それで、一芸の詳細は?
【太史慈:弓矢において非常に高い能力を発揮し、一騎打ちを好み、兵を指揮する】
一騎打ちを好むって、どう言う事!?
ねえ、どうして!?
姉上の一芸はどこへ向かっているの?
嫁入り前って自覚はあるの?
いや、でも、なかなかの好スキル……。
恵姉上に50人くらい預けたら、無双してくれそうだな。
嫁に出すのが惜しい……。
ずっと手元に置くか?
いや、それはダメだよな。
そういや、異母妹の南は、どうなんだろう?
南も一芸持ちか?
(鑑定!)
【武田恵 一芸:賈詡】
賈詡って、魏将じゃねえか!
恵姉上が呉将の太史慈なのに!
武田家は、三国志なのか?
まあ、父信虎は張飛っぽいけど……。
俺だけ仲間外れ感がするなあ。
それで、詳細は?
【賈詡:智謀に非常に長け、献策を行う。人を魅了し、世渡りに秀でる】
参謀タイプか。
世渡りに秀でると言うのは、どうなんだろうか?
……いや、南は正室の子供じゃないから、丁度いいのかも。
しかし……。
……。
……。
……。
二人とも嫁に出したくないな。
こんな優秀な一芸があるなら、武田家内で活躍してもらえないだろうか?
俺が二人の将来に思い悩んでいると、背中に香の声が。
「ハル君。後で千鶴隊に差し入れしてね。甘い物が良い」
「あ、はい。わかりました」
いかな武田晴信様でも、子供と女性には勝てないのだ。
俺は千鶴隊に、どら焼きを貢がされたのであった。
定恵院と南松院は、実在の人物です。
ただし、名前や生年は、記録が残っておらずはっきりわからない人物です。
当小説では、定恵院と南松院の設定をかなり作者が創作しています。
■定恵院(武田恵)について
大井の方の長女(武田信玄と同母)⇒史実です。
今川義元に嫁ぎ、今川氏真を産む⇒史実です。
名前が恵⇒作者の創作です。
弓が得意⇒作者の創作です。
年齢
⇒恐らく史実に近いと思います。
生年はっきりしませんが、天文六年に十八歳で今川義元に嫁いでいます。
なので、今話の天文四年時点では十六歳であろうと思います。
■南松院(武田南)について
武田信玄(晴信)の異母の子供⇒史実です。
穴山信友に嫁ぎ、穴山信君を産む⇒史実です。
武田信玄(晴信)の妹
⇒姉であったとの説の方が強いようです。
妹との説もあります。本作品では、妹説を採用しています。
名前が南⇒作者の創作です。
年齢
⇒作者の創作です。
生年不明です。
年齢の設定は、下記のよう考えましました。
南松院が穴山信友に嫁ぐ
↓
子、穴山信君が、天文十年生まれ
↓
天文九年か八年ごろ嫁いだのでは?
↓
天文九年を十八歳。天文八年を十七歳と仮定する。
↓
本話の天文四年時点で、十三歳。
母親が誰か?
⇒不明です。
ただ、甲斐国の有力豪族である穴山家に嫁いでいるので、母親はそれなりの身分、力、影響力のある人物ではないかと作者は考えています。
武田信虎の奥さんの中に、『今井氏の娘』がいるので、今井氏の娘の子供ではないかと作者は考えています。
今井氏の娘(名前不明)は、甲斐国内の有力者今井氏の娘です。
躑躅ヶ崎館の中で、大井の方(信虎正室、信玄の母)についで、力があったと言う書き込みをネット上でみました。
側室の子なので、甲斐国近隣の大名家に嫁がせるのはなんだけど、甲斐国内の有力家に嫁がせるのはアリ、みたいな立場を考えると今井氏の血を引くのではないかと。
■作者コメント
恵と南は、調べてもはっきりわからない事が多いので、設定するのが大変でした。
香の時も感じたのですが、この時代の女性は記録がほとんど残っていないのですね。
ハッキリしない事が多いので、作者の方でかなり自由に設定をしました。
恵と南と言う名前も、現代的な雰囲気があってモダンで良いかなと。
タク(私の祖母の名前)とかじゃ、読んでてアレでしょ。
どんなに可愛いとか、美しいとか書いても説得力無いもん。
名前は大事。