第19話 七変化する事、ヤマトナデシコの如し
慌てて振り返ると男が跪いていた。
濃い茶色の地味な羽織袴姿で、髪を髷に結っている。
顔も地味と言うか……ありきたりと言うか……とにかく印象に残らない顔だ。
男に敵意は感じられない。
「驚かせてしまい申し訳ございません。わたくし富田郷左衛門と申します。小山田虎満様からのご紹介の書状がこれに」
富田郷左衛門と名乗った男は、懐から書状を取り出した。
妖怪じじい小山田虎満の紹介?
俺は護衛の侍に刀を納める様に指示した。
小山田虎満の紹介なら大丈夫だろうし、俺に危害を加えるつもりならとっくにやっている。
富田郷左衛門が取り出した書状を、若い侍が受け取り俺に渡す。
書状を開いて読むと水が流れるような美しい字で手紙が書かれていた。
小山田虎満は意外と達筆だな。
小山田虎満の書状は人材推薦状だった。
御屋形様
この富田郷左衛門と申す者は、三ツ者と言う素破を束ねる素破頭領です。情報収集でお役に立つので、ぜひお召し抱え下さい。
せの海人ですので、領地を約束してやると良いでしょう。
素破つまり忍者か!
これはありがたいな!
情報収集に強い人材は欲しかった。
無言で静かに跪く富田郷左衛門に目をやると、いつの間にか富田郷左衛門の後ろに三人の男が控えていた。
さっきの三人だ!
奇妙な事に三人とも同じ様な印象……同一人物に感じる。
だが……よく見れば別人だ!
すっかり騙されたな。
同じ人間が回り込んでいるのかと勘違いしていた。
「富田郷左衛門。仕官が希望なのはわかったが……。なぜこのような、俺を驚かす事をした?」
「はっ……小山田虎満様から命じられまして、書状の裏をお読みださい」
「裏?」
書状を裏返すとそこには小さな文字で続きが書いてあった。
そうそう!
富田郷左衛門には、御屋形様をびっくりさせるように命じておきましたゆえ、何か悪戯を仕掛けるでしょう。
その悪戯で富田郷左衛門一党の力量がわかるはずです。
ひゃひゃひゃ!
あの妖怪じじいめ!
俺の頭の中で小山田虎満が『ひっかかった! ひっかかった!』と小躍りする様子が脳内再生されたよ。
さて、富田郷左衛門の一芸はなんだろう?
(鑑定!)
俺が心の中で『鑑定!』と呟くと富田郷左衛門の頭の上あたりに情報が表示された。
【富田郷左衛門 一芸:三ツ者頭領 七変化】
【三ツ者頭領:情報収集能力に秀でた忍び『三ツ者』を非常に良く統べ、自身と配下に一芸『七変化』を与える】
【七変化:あらゆる職業に扮装が可能になり、良く人の目を欺く。ただし、身分の違う職業には扮装出来ない】
ああ、なるほど!
この一芸『七変化』に騙されたのか!
「富田郷左衛門。書状には情報収集が得意とあるが?」
「左様でございます。我ら三ツ者は、僧侶や商人に扮装して市井に紛れ情報を集めるのを得意としております」
「ふうん。素破や乱破ではなく三ツ者と言うんだな」
「左様でございます」
「暗殺とか戦働きはどうだ?」
「そうでございますね。出来なくはありませんが、正直あまり得意ではございません。その代わり三ツ者はみな読み書きが出来ます故、情報収集ではお役に立てると存じます」
へえ。読み書きが出来るのは凄いな。
この時代は義務教育なんてない。だから読み書きが出来るのは立派な特殊技能だ。
荒事はなし、情報収集特化。
現代の諜報員に近いかな。
小山田虎満の書状を読み終わった駒井高白斎がため息交じりに言葉を発した。
「せの海の生き残りですか……」
そう言えば、小山田虎満の書状に『せの海人』とあったな。
「駒井高白斎。せの海と言うのは?」
「はい。かつて富士山の北側には巨大な湖があったと伝わっています。本栖湖から河口湖まですっぽりと収まるほどの大きさだったとか。その湖がせの海です」
「それは随分と大きな湖だな」
「はい。しかし、およそ千年前に起こった富士山の噴火によりせの海は溶岩に埋まってしまいました。せの海の畔に暮らしていた人々は住む場所を失い大変苦労したと聞きます」
「その人たちがせの海人か?」
「はい。しかし、なにせ千年も昔の話しですので、せの海人は伝承上の話しかと思っておりました」
それはまたレアな人材が飛び込んで来たな。
富田郷左衛門は、ジッと俺と駒井高白斎のやり取りを聞いている。
「富田郷左衛門。駒井高白斎の話しに相違ないか?」
「はい。駒井高白斎様のおっしゃる通りでございます。我らせの海人は住む所を失ってからは、浅間神社に身を寄せております。願わくば……我らが一族の住まう場所を頂けたらと……」
浅間神社は富士山信仰の神社だ。
そうか住む所が無くなったから、神社に身を寄せたのか……。
気の毒だな。
災害で避難所に身を寄せた人たちを思いだした。
「相分かった。富田郷左衛門とその一党を直臣として召し抱える」
「ははっ! ありがたき幸せ」
直臣と言うのは、俺の直の部下と言う意味だ。
この時代、忍者は侍に比べてランク下に見られる傾向がある。
だから直臣に取り立てられる事は珍しいし、かなりの好待遇だ。
「住む所がないのであれば、甲斐に来ると良い。家族達には屋敷を与えよう」
「まことにありがとうございます! それでは一族郎党を連れて甲斐に参ります。皆喜びますでしょう!」
「うむ。それは良かった。ところで一族郎党と言ったが、全員で何人位いるのだ?」
「左様でございますね。三ツ者は約二百人。家族も合わせると千人ほどになるかと存じます」
俺と駒井高白斎は顔を見合わせた。
顔を引きつらせた。
千人の住人が増える。
それ自体は喜ばしい事だ。
だが、住む家を用意したり、食料を手配したりと……。
金が……。手間が……。大変だ……。
その辺りをやる事になるであろう内政担当の駒井高白斎は早くもゲッソリとした顔をした。
一方で安住の地を得た富田郷左衛門は満面の笑みだ。
「いやあ。お心の広い主君にお仕えできる事になって、我らは幸せです!」
「そ、そうか……良かったな……」
こうして俺は情報収集が得意な忍び集団と新たな住人を多数得た。
■せの海
せの海は史実です。富士山北側に巨大な湖があり富士山の噴火で溶岩に飲まれて消えました。
平安時代の出来事です。
■せの海人
これは作者の創作です。史実にはありません。
せお海人が浅間神社に身を寄せると言うのも作者の創作です。
■三ツ者
三ツ者は史実に登場し武田信玄に仕えています。ただし、時代はもう少し後だと思われます。
富田郷左衛門も実在の人物です。ただしあまり詳しい記録が残っておらず生年も不明です。
三ツ者がせの海人と言うのは作者の創作です。
※この小説はフィクションです。本作はモデルとして天文三年初夏からの戦国時代を題材にしておりますが、日本とは別の異世界の話しとして書き進めています。史実と違う点がありますが、ご了承下さい。