4.異世界人
3試合終えて、改めてあてがわれたのは、花形剣闘士の為の個室だった。
脱走防止の為、窓には鉄格子がはまっていた。以前の彼であれば、そんなこと気にならなかっただろう。窓に落下防止柵が付いている程度の認識か、あってないものと思い込んでいだだろう。
そんな風に不快感を覚えたのは一瞬で、次の瞬間には、無意識に流れ出た涙に戸惑いを覚えていた。
そのスキマから見える光を前に、"魔法剣"こと頬白洋二は泣いた。声はあげず、目から溢れ続ける涙を拭う。
別に、永遠と暗闇にいたわけではない。これまでの部屋だって、天井付近の小窓からの光を見ていた。なぜ自分が泣いているのか。よくわからなかった。
洋二は部屋に備え付けの木の長椅子を見つけ、腰をかけた。硬いと文句を垂れながら横になる。涙を拭うのはやめ、そのままの体勢で陽光を眺めた。
そうして洋二は、この世界に来て初めて息をついた。緊張していた筋肉が弛緩する。瞼が重くなり、抗う事なく目を閉じる。試合後の昂りが無ければ、そのまま眠っていただろう。
左の瞼の上を、雫が通った。
忙しない毎日が脳裏を巡る。
ここに来てから、どのくらいの時間が経っただろうかという疑問が浮かんだ。しかし、泥のような思考に埋もれ、手がかりすら思い浮かばない。洋二が闘技場の舞台に立った日を1日目として、今日はちょうど30日目だった。
バンバンバンと、入口横の壁が叩かれる。洋二はイスから飛び起き、床に跪く。
その頭には、望郷の念は一度吹き飛び、やらかしたことに対する後悔の念が溢れた。また、殴られると恐怖している。ついに手に入れた戦う術は試合の終わりと共に回収される為、今は存在しない。
入口に立つ闘技場職員の男は、溜息を吐き、右手の指を2本立てた。洋二が同じように指を立てる。それを見て、男は右の拳を完全に開き、その掌に3本指を立てた左手を添える。
二本の指は食事について。食事は8の鐘の後だというメッセージ。
洋二は「わかりました」と無駄と知りつつ声を出し、ハンドサインを真似る。それから手を一度叩く。男が同じように手を鳴らした。
Yesが1回、Noが3回。言葉がわからない為にジェスチャーが重要となる。
男は壁を5回叩き、そのまま部屋を出た。罰を受けずに済んだ事に、洋二は安堵する。
カシャンと金属が擦れ、落ちる音が部屋の中に小さく響く。外から錠がかけられたのがわかった。
錠が付く事には慣れてしまっているので気にかからない。どうでもいい事だ。
溜息が溢れ、
跪き汚れた膝を払おうとして、汚れのない床に気がついた。今朝まで彼の居場所だった四人部屋と違い、板張りの床。平らにならしただけの土の床ではない。
床はきちんと掃除がされていた。
洋二はそれが当たり前ではないことを知っている。周りの反応を見ていれば、自分の使っている雷の剣がどれだけ貴重なモノがだってわかる。
笑いがこみ上げてきた。腹の底からジワジワと。涙は乾ききり、溢れた笑い声を抑えることができない。
「やった! やったぞ!」
張り上げた声の大きさに、隣の部屋の男がいれば、五月蝿いな、と顔をしかめたかもしれない。具体的には、ランニング中の野球部くらいの声であった。シートノック中の野球部の声には敵わない。
そんな声を上げてまで、何を喜んでいるかと言えば、実のところ洋二自身もわかっていなかった。
掃除された部屋を与えられる存在になった事を喜んでいる。
人並みの生活に戻ってこれた気がしていた。
洋二は所謂転移者だ。
経緯は省くが、気がつけば、この世界にいた。
着の身着のままで降り立ち、最初にであった男たちに捕まった。彼らからすれば、異様な風貌、珍しい身体的特徴は魅力的だった。彼らは人攫いである。
部屋の中心から、洋二は四方を見回す。
家具は少ない。先に述べた長椅子、ベットにテーブル。壁際には、今入ってきて扉を閉じられた入り口とは別に、木の扉。
ベットには、敷布のような上等なモノは用意されていない。薄めの布が二枚。この待遇がどういったものかはわからない。
あの日、魔法剣が発現しなかったらどうなっていたのだろうと考える。自分以外にも、同じ事が出来ていたらどうなったのだろうと怯えてきた。
ここ数日、魔法剣の発動方法を、何度も問われていた。恫喝や拷問といった力技は使われたりせず、この世界に来てからを考えれば優しいものだった。ただただ永遠と魔法剣を使い続けただけだ。
魔法剣は、洋二の叫びに呼応して発現した。
何が作用しているのか、全く心当たりがない。彼らの声が、洋二には聞こえない為に、頰を叩かれた。それを伝えようにも、言葉がわからない。
身振り手振りで伝えようと努力したが、伝わったのかわからない。ヤケクソになって、母国語そのままに洋二は説明を始める。情報を少しでも与える努力を見せる為、ベストは尽くす。
少なくとも、魔法剣を手にして絶叫している様子が見えるので、洋二は伝わったと判断した。
別の誰かが使えるようになったらという事は、考えないことにした。
"魔法剣"はベットに眠る。
約2000字。
次回は来週月曜日。
'19.9.8編集
設定の齟齬を修正。