10.円卓
「"案山子"様が来ると先触れがあった」
石造りの円卓につく五人のうちの一人が、会議が始まるやいなやそう述べた。半数は、遂にかと息を呑む。もう一方は、遅かったなと思案する。
主神グラーシアを信仰するイングラシア教。神々のお言葉を後世に残した伝道師の末裔、"案山子"と二つ名を持つ教皇の来訪。彼が来る理由など一つしかない。
「教皇様は、他に何か言ってきているのか?」
円卓の一人。闘技場の支配人、マパチエ・カルボ・アロガンシアが封書を持つ男に問いかける。
「"魔法剣"の試合観戦と対話だ」
また別の男が、二つの要求を繰り返す。そこに不利な事例はないかと思案している。
その姿を見て封書を持つ男ーー、コロセオの市長である彼が、皆にも見せると、円卓の上に封書を広げた。
直径が2〜3mあるテーブルの端だ、見えるような距離ではない。
円卓につく彼らは誰一人不平を漏らすものはいない。当然ながら、円卓の機能を知っている為だ。
彼がサイドテーブルから魔石を拾い、封書の四隅に置いた。
四隅に置いた魔石が1、2、3と数える間に、一切に発光し、一瞬のうちに溶けて消えた。
金属のように粘性を持った液体が封書の上に残ることはなかった。氷が解けるように、封書を濡らすような事もなかった。ドライアイスが解けるように、形状を持った固体が小さくなり、消えていく。
化学的には昇華したというべきなのかもしれない。
残る円卓のメンバーは、テーブルの縁に取り付けられたカゴに魔石を一つ。同じように、それも溶けた。
すると、彼らの目の前で、石の卓面が四角く光り、そこに封書を映し出す。
「なるほど……」
「もしや、決めかねているのでしょうか?」
「可能性はありますね」
円卓の面々が口を開く。封書には、本当に必要最低限の事しか書かれておらず、送り主の興味の対象についても、記されている事は名前だけだ。
「教会の信徒の様な事を言ってくるものと思っていたが、これは……」
コロセオの街にも、もちろん存在するイングラシア教教会。その中でも、熱心なものからは、神の使徒である"魔法剣"の解放を求められている。
その様な要求は、一切触れられてすらいない。
イングラシア教の総本山である、北東の神聖王国からわざわざ教皇が来るのだ。それだけであるはずがない。
決めかねているというのは、かなり希望的観測の強い考えだ。願望、妄想と言っても良い。
「調子に乗りすぎたか?」
「いや、その話は済んだろう」
マパチエが最初の会議の事を持ち出してくる。
「あぁ、陛下も納得くださっている。その為に宮廷魔術顧問官殿までつけてくださった」
奴隷身分の破棄程度なら、まぁ痛くも痒くも無い。見世物にするなと言われれば、コロセオの闘技場の利益は減るが飲める。
飲まない要件は、『殺せ』と『寄越せ』。
基本的に、あらゆる想定はしてきた。ただ、想定した中でも最も穏便な部類が選ばれたのは、正直言って想定外だ。それが選択される可能性を切り捨てているのは、想定したとは言い難い。
一応、この場合の想定は、普段やっている事をやるだけだ。同盟国とは言っても、どうせ間者は入り込んでいる。闘技場でも諸々を仕入れた上で、観戦を選んだならば、同じものを見せた方がいい。
下手に違うモノを見せる方が危ないという結論。
対話については、どうせ会話などできるものでは無い。それを口実に同盟破棄からの戦争になる可能性があるが、どうせ、他の事例でも同じ事だ。
資料の提出くらいならば、問題は無いだろう。
「さて、当日の試合はどうしたものか」
すでに決まっているというのに、会議の場はまとまりがない。当初の予定は処刑人としての登場だ。ただ首を切るのではなく、雷を落す。
しかし、それに異を唱えたものがいた。
ムエル・オロ・エンビディ。
彼は、可能であればと前置きし、それを述べた。
「教皇の前で、私にヤらせてほしい」
これが最後とばかりに、円卓は光り輝く。
ムエルの言葉に、一同の顔が歪む。何を言っているんだ、という顔だ。
教皇に自分を売り込みたいから、自分の試合を組んでくれという事だろうか? 彼らしくは無いと思うが、"魔法剣"の台頭で悩んでいたのは知っている。張り合いたいだけなのかもしれない。
ただ、教皇は一部の信徒から"神の使い"と噂される"魔法剣"を観戦しに、そして、会いに来るのだ。ムエルでは代わりは務まらない。残念ながら。
とはいえ、これまで、内と外から闘技場を支えてくれた彼の望みを切るのは忍びない。看板剣闘士として、エンビディ家の者として。この円卓に呼ばれる程にムエルの貢献度は高い。
「教皇様がいらっしゃるのだ。特別に、"魔法剣"による処刑と、メインイベントとしてムエル殿に槍を奮っていただくのが良いのでは?」
市長の言葉に、円卓の2人が賛同する。残る2人、ムエルとマパチエが表情を動かす。マパチエは、ムエルの望みを知っている。
「闘技場の存在も公認して頂ければ理想的ですね」
ありえませんけどと続くその言葉は、皮肉などでは無い、純粋な賞賛だった。だろうと、市長が歯を見せる。
「いっそのこと全員ステージに上げたいが、疲れもあろう」
建前だ。彼はその場合にムエルの価値が下がってしまうと考えている。"魔法剣"の様に突出した関係ではなく、三枚看板は拮抗している。
負ければ事だ。
マパチエが口を開く。ムエルが暴走する前に収めてしまおうと考えた結果だ。あと数秒もあれば、ムエルは否定から会話を始めていた。
「"魔法剣"は殺すことしかできません」
剣が掠ったとか、殴り合った者はきちんと生きている。
ステージで相対した獣、断頭台に転がっていた者、実験の被験者。魔法剣を行使されたその全てが死んでいる。
それを伝える事は、ムエルの方が弱いと告げる事に他ならない。それでもなお、貴方のお父様に頼まれていると、口を開く。
「"銀貨"。いえ、ムエル・オロ・エンビディ。貴方に死なれる訳にはいきません」
「ムエル殿、まさか……!?」
「わかっている。だが、"魔法剣"と一戦組んでくれませんか?」
円卓が残り3人。彼らのイメージには、焼け焦げたムエルがいる。そして"魔法剣"が敗北する未来が見えない。
「なりません」
と、マパチエが不許可を与える。ムエルも許可が出ない事はわかってただをこねている。
2人は、"魔法剣"を倒す方法を知っている。方法は単純だ。当たらずに、当てれば良い。それを遂行できるかがどうかという話だ。
市長が火花を散らす彼らの様子を伺いながら、口を開く。
「しかし、以前の会議で"魔法剣"が負けるというのもマズイという話になったのでは?」
それでは勝つ事自体できませんよと、ムエルに伺う。それに同調するように、声が上がる。勝てないのなら、負けるしかない。しかし、負けたのであれば……。
マパチエのその言葉に同調する。勝たれても困る。負け、死なれてしまう事も論外だ。
「パドレ帝がいらっしゃるのであれば構いません。しかし、"案山子"では一向にも値しません」
自国の王と、最も古い宗教の。自明の理だ。
ウォッホン! と円卓の1人がわざとらしい咳払いをした。早く話を進めるぞという合図だ。この話はこれで終わっただろうと頭をかく。
まだまだ、決めなければいけない事は沢山ある。いかに来ることが予想されていたとはいえ、その一つ一つを精査する必要がある。当日の警備。歓迎の催し、宿、食事、と上げていけばきりがない。
来訪まで、すでにひと月を切っていた。
剣闘士などをやっている異常なムエルも含め、彼らは基本多忙だ。
コロセオの街の政治は、5人の円卓からなる。
約3000字。
2020.8.23 改訂
前後編を合成。