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0.落雷

 片手剣が、咆哮をあげた。


 観客席を飛び越えて、叫びは闘技場の外まで強く轟く。意味するものは憤怒か、悲傷か。はたまた哄笑か。正しく理解したものはいなかった。

 お世辞にも、上等だ、などとは言えない粗雑な鉄の塊。この試合が終われば鋳つぶして、農具か何か、別のものになる。ただそれだけの潰れた刃が稲妻を纏い、稲光を反射して光り輝く。

 直前まで飛び交っていた野次は消え、観客達は静まり返り、慌てふためき、祈りを捧げる。観客はおろか闘技場の職員までも、試合を見ていた誰もが目を奪われる。

 視線の先は、もちろん凹状の底、中央ステージ。獣と異国の青年剣闘奴隷が相対する。彼の手にする叫び声をあげる武器がそこにある。


 屁っ放り腰の青年は、異国出身の新人だ。黄金に輝く片手剣を両手で持つ。試合前の口上は、根も葉もないものだった。

 防具などは何一つ身につけていない。ステージ中央から延びる逃亡防止の鎖が、左足首にまとわりついている。ほとんど全裸に近い装いだ。植物繊維の腰布を1枚。それを捲れば、彼の一物が揺れている。

 そんな格好で、直前まで良いように転がされていた。筋肉の付いていない貧相な身体の至る所に擦り傷や切り傷が残る。一番酷いのは左ふくらはぎ。肉をえぐられた歯形から流血し、止血は済んでいない。

 短めの黒髪に、珍しい色味を帯びる肌。目は魔力無しの黒。耳を潰しかねない轟音を、小さな太陽を見ているかのような光を携え、何事もないかのようにケロリとしている。そして、何が起きているのか分からず、口をぽかんと開けてマヌケ面を晒していた。


 目の前で起こる魔法のような現象に、驚き戸惑っている。なんとなく不思議な道具があるな、と彼は思っていた。渡された武器がと、戸惑っている。何故、剣がそのような変化を現したのかは、予想もつかない。彼は何のスイッチだって押した覚えはない。

 死にたくない、死にたくないと無我夢中で唯一の武器を振り回していた。威嚇のために、声を張り上げた瞬間の事である。その声をかき消すように、片手剣が産声を上げた。

 パチパチと音をたて、突如腕の中で光が弾け、雷鳴が轟く。剣が電流、雷を纏ったのだ。


 仲間に連れられ、興味のない剣闘観戦に来ていた一人の学者が『(神の猛り)だ』と、呟いた。創世記における一節であり、この国において知らぬものは恐らくいない。

 また別の観客の一人が、声を上げた。平民階級の男だった。興奮に顔を赤らめ、恋する乙女のように目を潤ませる。

 そのまま膝立ちになり、天に掌を掲げ、こうべを垂れる。信仰する神に対する祈りの姿勢だ。メインイベントを前にして混み合ってきている。あまり広くない平民階級の観客席でスペースを取れば、それがどれほどの迷惑かなど考えなくてもわかる。

 だが、咎めるものは誰もおらず、それどころか祈りの波は広がっていく。剣闘奴隷の身分など気にせず、青年を敬う者もいれば、現象自体を畏れる者もいた。洋々な祈りは自分勝手なもので、雷は神の所有物だった。


 彼の装いは、あまりにも場に釣り合わない。

 奴隷とはいえ、見世物の主役だ。他の奴隷達は往々な装備を貸し与えられている。

 しかし、彼は活躍するはずではなかった。剣の覚えは悪く、魔力もない。言葉は通じず、舌が肥えている。

 奴隷の仕事とはいえ貸し与えた装備から血を落とすのは面倒なのだ。


 対峙するは、鼬の様な頭に狼の様な身体を持つ獣。刃を通さぬ強靭な体毛、自分より大きな動物に襲いかかる凶暴性。鉄の首輪と鎖すら頼りなく見える。決して、新人が闘う様な相手ではない。

 彼の死をもって、獣に人の味を覚えさせる。この取るに足らない生き物は餌だと教える。多くの餌を喰らい、成長させる。多数の剣闘奴隷を殺した獣は、いつしか、外からやってきた騎士を相手取る。討伐を果たした騎士は、それを逸話の一つとして箔をつける。国の英雄こそがそこに立つ。それが闘技場関係者の考えていたシナリオ。

 剣闘奴隷を数多く屠った凶暴な獣。その一人目の犠牲者になる。観客に血を見せるのが仕事。残念ながら、犯罪奴隷(テロリスト)として()()()()()彼の処遇としては妥当だ。

 かませ犬として、死ぬ。その予定だった。


 それがどうだ。

 恐ろしい獣は尾を丸めて体を縮めている。情けない声を上げていた。愛くるしさすら覚えてしまいそうな姿だ。

 空腹に溺れ、目の前の獲物を食い殺さんと舌なめずりをしていた姿を、もう思い出す事ができない。


 そんな怯えが、青年奴隷の心を落ち着かせた。

 観客席の震えによって意識を戻していた彼は、剣を握る手にさらに力を込める。

 この期に及んで生き物を殺す事が怖いなどとのたまっていた彼の甘えは、すでに上塗りされている。全身が痛いのだ。左脚全体が焼けそうなくらいに痛いのだ。

 石のステージで転げまわり、這いつくばった代償は単純な真理。やらねば、やられると知った。

 生きるため、獣に刃をむける。剣の間合いにしては遠すぎる。近づく必要があった。前へと意識を向けた事で、脚の筋肉の形を変えた。わずかな動きが、左の足首を拘束する鎖を揺らした。金属と金属の擦れる音、金属と石のステージが擦れる音が囁いた。

 ジュッとか、ザリッという非常にわずかな音であった。剣の嘶きにかき消されるまでもなく、勝手に消えてしまう音だった。しかし、わずかに混ざったそんな雑音に、獣は反応した。


 青年に再び飛びかかったわけではない。むしろ、逆方向。逃げ出そうと尻を向け、駆け出す。

 だが、同じようにステージ中央から延びる鎖が逃亡を許さない。鉄の首輪が突っ張る。獣は情けなくたたらを踏んだ。青年が思っていた様に、獣も憎憎しげに鎖を思う。

 狂暴と名高い獣の面影はない。自然界の弱者は殺され、喰われる。


 かくして、早すぎる英雄の登場に観客は湧いた。

 ただの一人だって殺していない凶悪な獣を、討伐した英雄。近い未来、"神の怒り"、"奴隷解放の礎"、"魔法剣"と呼ばれる剣闘奴隷。

 彼は、黒焦げの獣を前に雄叫びをあげる。そうして、堪えきれずに嘔吐した。

多分はじめまして


書き溜めはできない性です。

毎週月曜朝投稿を目標にしています。

逃げ道は無い方がいい。



ジャンルとしては群像劇に分類されるのでしょうか。

胸を張って群像劇と言いたい。

そんな感じです。

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