表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

【おまけ】『鴻門の会』に陳平がスポット出演する理由

以前とユーザーネームを変更していますが、中の人は同じです。

一瞬だけ出てくる陳平について考察しました。

 陳平は劉邦配下の中で、張良とともに智謀の士と言われています。もともとは魏の陽武県の貧農の出で、秦末の動乱に項羽に仕えます。


 紀元前206年(漢元年十月)の鴻門の会の後、項羽は約定に違い、約の如くならば劉邦が封建されるべき関中を、秦の遺将である章邯(しょうかん)司馬欣(しばきん)董翳(とうえい)の三人に分割して(これを「三秦」と呼ぶ)、劉邦はその南方、当時、開発途上であった、巴蜀の地に「漢王」として封じます。項羽の絶対的な軍事力に屈し、一旦は「漢」へと向かった劉邦ですが、すぐに舞い戻って「三秦」を滅ぼし、関中を支配下に置いてしまう。


 ほぼ時を同じくし、項羽に封建された諸王も次々と反旗を翻し、項羽は陳平を都尉に任じて殷王の司馬卬(しばごう)平定に向かわせます。陳平は殷王平定に成功しますが、その後殷王は今度はあっさりと劉邦に降ってしまい、項羽がそれ以前の陳平の功績に疑いを抱いたため、陳平は項羽からの褒賞や官印を返上して出奔し、劉邦陣営に鞍替えしました。『史記』高祖本紀によれば、漢が殷王司馬卬を虜としたのは漢二年(紀元前205年)の三月のこととありますので、陳平が劉邦陣営に加ったのはそれより後、さほど間を置かぬ時期と言えるでしょう。

  

 前漢の初期、年の初めは十月です。

 ――と書くと、意味がわからないと仰る方がいるかもしれません。


 年の初めが十月で、十一月、十二月ときて、正月、二月、三月……と続いて、九月で年が終わります。ですから、漢元年十月は年の初めで、正月、二月……と来て九月で漢元年が終わり、十月から漢二年となります。その十一月、十二月、……ときての、三月です。ですから、鴻門の会からは一年と四、五か月ほど経過していることになります。


 漢初、歳首が十月であることを知らずに『史記』や『漢書』を読んでいると、十月の後に正月が出てきて、「ファッ???」となります。知っている私でも、ボーっと読んでいるときなど、一瞬、「ファッ??」となるんですから、何の予備知識もなく『史記』『漢書』を手に取った方は、混乱するかもしれません。

 ちなみに正月が歳首になったのは、前漢武帝の太初元年(紀元前104年)です。ちょうど、これより百年ほど後、ということですね。





 さて、前置きが長くなりましたが、紀元前206年十月の鴻門の会、『史記』項羽本紀には項羽陣営の一人として、ちょろりと顔を出す陳平。通常、後に劉邦の軍師として活躍する陳平も、この時期は項羽の下についていたんだよ、みたいな説明がなされるだけです。確かに時期的にはあっているのですが。

 私は以前から常々、「この陳平に意味はあるのか」と、疑問に思っていました。

 

 だって、項羽本紀の鴻門の会の陳平、「項羽、都尉陳平をして沛公を召さしむ」って、たったこれだけ。酔っぱらったと言ってトイレに立ったままの劉邦を、項羽が「おい、陳平、劉邦の野郎、トイレなげぇな? ちょっと行って呼んでこいや」っていう、ただのパシリです。劉邦はこの後、樊噲や張良らと相談の上、こっそり覇上の陣に帰ってしまうこと、前話に書いた通りです。呼びに行った陳平が、その後どうしたのかも不明です。


 いったいこの、陳平のスポット出演には、何の意味があるのか。


 鴻門の会において、真実、項羽が陳平に劉邦の呼び出しを命じていたとしても、わざわざそれを書く意味はなにか。――想像をたくましくすれば、この時、劉邦は陳平に賄賂を送って見逃してもらっていた、あるいは、劉邦と陳平はこの時すでに繋がりがあった、もしくは、この時、劉邦を逃してしまったことで、陳平は項羽の不興を買い、後に陳平が漢に帰順することに繋がる……などなど、可能性はなくはないですが、いずれも証拠もなく、考察したところで「どうしようもない」のです。鴻門の会の時、陳平は項羽陣営にいましたってこと以上の意味はない、そんな一文なのです。


 では、私がこのエッセイで書いてきたように、『史記』項羽本紀の鴻門の会が、司馬遷が実際に鑑賞した「劇」を題材にとっている、とすればどうでしょう。これが「劇」だとすれば、劇中において、陳平は何等かの役割を果たしているはずなのです。

 

 本編中でも書きましたが、この後半部分、司馬遷の筆はかなり適当です。陳平は項羽に呼び出されて出てきて、そして何かリアクションを取ったのか、全く書かれていない。あるいはナレーションだったのか? ……わたしはいろいろ考えて、ある大胆な仮説に行きつきました。


「陳平のスポット出演は、観客サービスである。」


 ――以下、考察してまいりましょう。





 なぜ陳平の登場が観客サービスたり得るのか。

 この陳平を演じていた役者は、項伯を演じていた役者の、早変わりであると考えます。


 劇として見た鴻門の会には、項伯×張良というBLカップルが登場します。十代半ばから二十歳ごろの、若く美しい張良と、それに恋した(おそらく)美青年・項伯。


 *注…BLカップルの〇×△、順番に意味があります。左側〇が攻めで右側△が受け、これを逆転させると「リバ」と言って、一部のBL愛好者にとっては地雷となり、注意書き、タグ付けが要求される要素の一つです。男同士なんだからどっちでもいいじゃん、とはならないのがBL。これ間違えるとフルボッコされる場合もあるので、要注意。我らが張良は「総受け」ですので、張良は常に、掛け算の「右側」に書かれる存在、言わば「極右」です。


 で、私が推測するに、当時、長安で上演された張良のBLを含む劇において、もっとも固定的なカップリングとして人気を博したのは、おそらく陳平×張良と思われます。

 

 というのも、司馬遷の『史記』中、張良と陳平はセットで登場することが割と多いのです。俗に「良平」などと言い、軍師の異称に使うこともあります。単純に、同じ仕事を担当しているせいかもしれませんが、次の『史記』淮陰侯列伝のこの場面、前話でも紹介しましたが、「劇」だと考えなければ些か不自然です。


【原文】

漢四年、遂皆降平齊。使人言漢王曰、「齊偽詐多變、反覆之國也、南邊楚、不為假王以鎮之、其勢不定。願為假王便。」當是時、楚方急圍漢王於滎陽、韓信使者至、發書、漢王大怒、罵曰、「吾困於此、旦暮望若來佐我、乃欲自立為王!」張良・陳平躡漢王足、因附耳語曰、「漢方不利、寧能禁信之王乎?不如因而立、善遇之、使自為守。不然、變生。」漢王亦悟、因復罵曰、「大丈夫定諸侯、即為真王耳、何以假為!」乃遣張良往立信為齊王、徴其兵擊楚。


【訓読】

漢四年、遂に皆な降りて(せい)を平ぐ。人をして漢王に言わしめて(いわ)く、「齊は偽詐(ぎさ)多變(たへん)反覆(はんぶく)の國なり、南のかた楚に辺すれば、假王と為りて以て之を(しず)めずんば、其の勢として定まらざらん。願わくは假王と為れば便ならん」と。是の時に当たりて、楚(まさ)に急ぎ漢王を滎陽(けいよう)に囲む。韓信の使者至り、書を發けば、漢王大いに怒り、罵りて曰く、「吾れ此こに(くる)しみ、旦暮に()く來りて我を(たす)くるを望めば、乃ち自立して王()らんと欲すとは!」と。張良・陳平 漢王の足を()み、因りて附耳して語りて曰く、「漢(まさ)に利あらざれば、(いず)くんぞ()く信の王たるを禁ぜんや? 因りて立て、善く之を遇し、自ら()めに守らしむるに()かず。(しか)らずんば、變 生じん」と。漢王も亦た悟り、因りて復た罵りて曰く、「大丈夫 諸侯に定むれば、(すなわ)ち真王()(のみ)、何ぞ假を以て為さん!」と。乃ち張良を()りて往きて信を立てて齊王を為し、其の兵を()して楚を擊たしむ。


 

 淮陰侯列伝――つまり、韓信の伝ですが――では、漢四年(紀元前203年)、斉を平定した韓信が、漢王劉邦のもとに使者を派遣してこう、言ってきた。「斉と言う国は民がこすっからくて詐欺が横行し、すぐに寝返るような国です。南方は敵である楚に隣接していて、仮王にならないと、平定が上手く行かないと思います。仮王にしていただければ都合がいいのです」と。

 ちょうどこの時、漢王劉邦は滎陽(けいよう)の街にいて、項羽の率いる楚の包囲のただなかにいました。劉邦は韓信の使者が来たと聞き、救けが来たと喜んで書簡を開いてみれば、中身は仮王にしてくれなどと書いてあって、大激怒。使者の前で、口汚く韓信を罵ります。

 「俺が楚に包囲されて、こんなに苦労して、朝晩、韓信が助けに来てくれないかなあと思っていたのに、手紙が来てみれば、自立して王になりたいだとぉ?!」


 その時、周囲にいた張良と陳平は、同時に劉邦の足を踏み、耳の側に顔を寄せ、小声で言います。

「漢は現在、不利です。どうして、韓信が王になりたいというのを禁止できましょうか? 彼の言う通り王にし、厚遇して、彼自身で守らせるのが一番です。そうでなければ、彼は叛乱しますよ?」

 斉で一大勢力を築きつつある韓信は、今は劉邦の傘下に入っているけれど、ここで王にしなければ楚に寝返るかもしれません。それくらいなら、まだ斉王として自立してくれた方がマシなのです。

 

 この場面、想像するといろいろ不思議です。側近とはいえ、張良と陳平に、劉邦が()()()足を踏まれる。


――玉座に座っている劉邦のもとに、少し下がって控えていた張良と陳平が、ダダダッと走っていって両側から劉邦の足をむぎゅー!


 ……あり得ないですよね。護衛の者に斬り殺されてしまいます。そもそも、ここで張良と陳平が足を踏むのは、劉邦の発言を止めるためです。大きな声で「その発言はヤバイです!」って言えないから、咄嗟に足を踏んで劉邦の口を封じる。足を踏むのが韓信の使者に見えてしまっては意味がありません。使者には見えないが、その場にいる他者には、足を踏むのがはっきり見えるシチュエーション。

 ……これが、この場面が「劇」だと推測する理由です。


 おそらく、舞台の端の方で使者は平伏していて、彼の目線からは劉邦らの足元は見えない。あるいは幕で仕切られているのかもしれません。

 そして劉邦を中心とし、両側に張良と陳平が、即座に足が踏める(そして耳元で内緒話ができる)距離で立っている。そして観客には、その情景がはっきり見える、そういう状態でなければ、この面白味はわかりません。


 初めわたしは、食事中か何かで、大きなテーブルに劉邦を中心に三人並んで座り、そのテーブルの陰で足を踏んだのかと考えていました。

 ――が、漢代には椅子に座ってテーブルで食事をする、という習慣はありません。漢代の人は(しょう)と呼ばれる低い脚付きの台にむしろざぶとんを敷いて、正座していました。座っている人の足を踏むのはかなり難しい。

 

 とすれば、足が踏める状態というのは、立ったまま、ということになります。戦場ということで、特に床几のような簡易のスツールのようなものがあったのでしょうか。


 とにかく、劉邦を中心に張良と陳平の三人が横並びの状態で、劉邦は両側から足を踏まれる。かつ劉邦の顔を挟むように、両側から耳の側に顔を寄せて、「韓信が離反しちゃいますよ!」と言われる。

 怒って叫んでいたら、両側から両足を踏まれて、「むぐううう」となるし、使者に知られるわけにはいかないので、「痛ってぇー!」と叫ぶわけにもいかないのです。「劇」とすればかなり滑稽な場面でしょう。


 この結果、劉邦もバカではないので、即座に意図を理解し、咄嗟に全く逆の罵り文句を叫ぶ。

「大の男がどうせ諸侯になるなら、真王になるに決まってるだろうが! 仮王なんてしみったれたこと言いやがって!」



 この場面を想像して思うのが、三人の「距離が近いな」ということ。そして、張良と陳平の息がピッタリであること。劉邦を挟んで、張良と陳平に妙な阿吽の呼吸があることです。

 「劇」だとすれば、そういうシナリオがあるからですが、そのシナリオの土台として、張良と陳平が異様に親しい間柄にあり、その上で、二人して劉邦に仕えている、そんな三人の関係性が想定されているのです。

 

 前話までに述べてきましたが、『史記』における張良像は、女性と見まごうほどの美少年です。それはおそらく、司馬遷が目にした「劇」中の張良が、美少年だからです。一方、陳平もまた、『史記』陳丞相列伝には、はっきりと「美丈夫」、つまり美男子と書かれます。訓読すると長くなるので、原文と現代語訳だけを乗せます。

  


平為人長大()()。人或謂陳平曰、「貧何食而肥若是?」其嫂嫉平之不視家生産、曰、「亦食穅覈耳。有叔如此、不如無有。」伯聞之、逐其婦而弃之。

【訳】陳平はその為人(ひととなり)は背が高くて容貌が美しかった。ある人が陳平を見て言った。「あんなに貧乏なのに、何を食べてあんなに太れるのか?」(あによめ)はもともと、陳平が家業に勤しまないのを憎んでいたので、言った。「(ぬか)のカラを食べているだけよ。弟がいてもあんな風なら、いない方がマシね」と。陳平の兄はこれを聞き、その嫁を追い出して離縁した。



陳平懼誅、乃封其金與印、使使歸項王、而平身閒行杖劍亡。渡河、船人見其()()()獨行、疑其亡將、要中當有金玉寶器、目之、欲殺平。平恐、乃解衣躶而佐刺船。船人知其無有、乃止。

【訳】陳平は項羽に誅殺されるのを恐れ、貰った報奨金と官印を封印し、使者に預けて項羽に返し、身一つで剣だけを杖のように携えて逃亡した。河を渡る時、船頭は美男子が一人で旅するのを見て、逃げてきた名のある武将であると疑い、きっと、金銀宝石などの値打ちものを隠し持っているに違いないと考え、陳平を殺してしまおうとその目が言っていた。陳平は恐れて、衣服を脱いで裸になり、船頭が船を漕ぐのを手伝った。船頭は何も持たないとわかって、殺すのをやめた。



絳侯・灌嬰等咸讒陳平曰、「平雖()()()、如冠玉耳、其中未必有也。臣聞平居家時、盜其嫂。事魏不容、亡歸楚。歸楚不中、又亡歸漢。……」

【訳】絳侯・灌嬰らは皆な、陳平を讒言して言った、「陳平は美男子ですが、見かけだけで、中身は空っぽですよ。私が聞いた話では、陳平は家にいた時、(あによめ)と密通しました。魏に仕えるも献策が通らず、逃亡して楚に帰順し、楚でパッとしなかったら、今度は漢に逃げてきた。……」



 くどいぐらいに「美丈夫」が強調されています。太っている、つまりある程度恰幅のいいことが、美の条件でもありました。殺されそうになって、いきなり脱いじゃうなんて、たぶん、陳平さんは、かなり身体に自信のあるナルシストです。そして超塩対応の(あによめ)とさえ密通しちゃう超モテ男。もしくはものすごいドM、そして(あによめ)はツンデレ……。女っ気がほとんどない、むしろ女と間違われそうな張良と違い、女受けもする「美形」キャラだったのですね。


 そのように考えてくると、先ほどの『史記』淮陰侯列伝の足踏み場面、劉邦は張良と陳平という、二人の美少年、美青年に挟まれていたことになります。美形二人に麗しい顔を寄せられ、劉邦がドキマギする……という喜劇的な場面なのです。


 この後、項羽と一旦、結んだ和平協定を、漢側が一方的に破るシーンでも、張良と陳平が共に劉邦に説いて、劉邦に決断を迫っています。劉邦を挟んで張良と、もう一人美青年が絡むという構図は、鴻門の会における、劉邦と張良に項伯が絡む部分とよく似ています。


 これらの「劇」をある一つの劇団がレパートリーとして演じているとしたら、どうなるでしょう。だいたい、固定の役者によって演じられるに違いありません。長安の(いち)に常設の小屋を掛けているにせよ、旅回りの一座にせよ、人員には限りがありますから。


 劉邦:髭面の中年の役者

 張良:十代後半の美少年、もしくは女優の男装

 陳平:二十代ごろの美男子。白面貴公子だけど脱いでもすごい。ナルシスト


 この三人の絡みが人気を博したとして、同じ「劇」ばかりやってるわけにいきません。で、鴻門の会を遣る場合は、劉邦と張良の役者はそのまま、陳平を演じた役者が項伯を演じたとしたら。ちょうど項伯の役柄は二十代の白面貴公子。剣舞をやればマッチョと互角で、「張良ー!俺と一緒に逃げよう!」と叫ぶナルシスト。……ピッタリです。

 つまり、普段、陳平×張良のBLカップルで売っている役者コンビを、そのまま項伯×張良にスライドさせる。BLにはカプ萌えというのがありますし、歌舞伎にも役者同士の固定カップリング(もちろん役柄上のもの)があります。「海老×玉コンビ」(市川海老蔵×坂東玉三郎)とか「孝×玉コンビ」(片岡孝夫×坂東玉三郎)とかですね。漢代も同様な固定カップルファンがいても不思議ではなく、またそういうファンは足繁く芝居小屋に通うに違いありません。


 歴史やストーリーに興味を持って見に来る観客は、一度見れば十分ですが、役者萌えの観客は常連となり、たくさんの金を一座に落としてくれます。陳平×張良コンビのファンが、項伯×張良コンビを見につめかけたとして、しかし、項伯の出番は前半で終わってしまいます。

 

 ……そこで!


 ささっと早変わりして、陳平の姿になって再登場。陳平×張良コンビのファンは大喜び。観客席はどっと沸いたことでしょう。司馬遷も思わずメモメモ……。


 ただし、あくまで陳平×張良コンビ目当てのお客さんへの、ちょっとしたサービスですから、固定カップル萌えでも、役者目当てでもない司馬遷にとっては、「陳平出て来たな。そっか、このころはまだ項羽陣営にいたな」……ぐらいの感慨しか呼ばなかった。

 もしかしたら……張良が陳平に色目を使って劉邦を脱出させり、あるいは陳平が張良を口説いている隙に劉邦がこっそり逃げ出す……などの、そんな感じのBL風味の寸劇があったのかもしれません。前話でも指摘しましたが、この辺りの司馬遷の記述は適当すぎてちょっとよくわからない。ただ、司馬遷はBLに興味のない、正真の歴史オタクだったので、陳平×張良の絡みを「嘘くせぇ」とバッサリ切り捨てた可能性もあります。ただ、「陳平が出てきたことは書いておかないとな」、程度の扱いにされてしまった。そんな風に私には思えます。

 


……というわけで、「『史記』鴻門の会をBLとして読み直す」。おまけの考察はこれで終わりです。また機会があればよろしくお願いします。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ