三、鴻門の会・宴も酣
劇のことですので、速やかに夜が明けて、朝になったと思われます。鶏鳴狗盗じゃないですが、鶏の声真似をする係なんてのも、いたかもしれませんね。
【原文】沛公旦日從百餘騎來見項王、至鴻門、謝曰、「臣與將軍戮力而攻秦、將軍戰河北、臣戰河南、然不自意能先入關破秦、得復見將軍於此。今者有小人之言、令將軍與臣有卻。」項王曰、「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」
【訓読】沛公 旦日に百餘騎を従えて來たりて項王に見えんとして、鴻門に至り、謝して曰く、「臣 將軍と与に力を戮して秦を攻め、將軍は河北に戦い、臣は河南に戦い、然れども自ら意わざりき、能く先んじて關に入りて秦を破り、復た將軍に此に見ゆるを得んとは。今者、小人の言有りて、將軍をして臣と卻有らしめんとす」と。項王曰く、「此れ沛公の左司馬曹無傷 之を言えり。然らずんば、籍 何をか以て此に至らんや」と。
翌朝、劉邦は百騎ほどを従えて項羽に会見しようと鴻門までやってきて、謝罪します。
「私は項将軍とともに秦を攻め、将軍は河北で、私は河南で戦ってきました。しかしながら、自分でも予想もしませんでしたよ。まさか私が先に関中に入って秦を破り、ここで再び将軍とお会いできますとは。どうも、ケツの穴のちっちぇ奴が何か余計なことを言って、将軍と私との間を仲たがいさせようとしているみたいですね」
項羽は鷹揚に言います。
「沛公の左司馬、曹無傷と言う奴が告げ口したんだ。そうでなければ、この項籍だって、そんな疑いなど抱かないよ」
告げ口野郎、曹無傷の死亡が決定した瞬間でした。
【原文】項王即日因留沛公與飲。項王、項伯東嚮坐。亞父南嚮坐。亞父者、范增也。沛公北嚮坐、張良西嚮侍。范增數目項王、舉所佩玉玦以示之者三、項王默然不應。范增起、出召項莊、謂曰、「君王為人不忍、若入前為壽、壽畢、請以劍舞、因擊沛公於坐、殺之。不者、若屬皆且為所虜。」莊則入為壽、壽畢、曰、「君王與沛公飲、軍中無以為樂、請以劍舞。」項王曰、「諾。」項莊拔劍起舞、項伯亦拔劍起舞、常以身翼蔽沛公、莊不得擊。
【訓読】項王 即日 因りて沛公を留めて與に飲す。項王、項伯は東嚮して坐す。亞父は南嚮して坐す。亞父なる者は、范增なり。沛公北嚮して坐し、張良は西嚮して侍す。范增數しば項王を目し、佩ぶる所の玉玦を挙げて以て之に示すこと三たび、項王默然として應ぜず。范增 起ち、出でて項莊を召し、謂いて曰く、「君王 為人り忍びず、若入りて前に壽を為し、壽 畢らば、請うに劍舞を以てし、因りて沛公を坐に撃ち、之を殺せ。しからずんば、若が屬は皆な且に為に虜とせられんとす」と。莊則ち入りて壽を為し、壽畢らば、曰く、「君王沛公と飲するに、軍中以て樂を為すこと無し、請うらくは劍を以って舞わん」と。項王曰く、「諾」と。項莊劍を抜きて起ちて舞えば、項伯も亦た劍を抜きて起ちて舞い、常に身を以て沛公を翼け蔽えば、莊 擊つを得ず。
項羽はその日、仲直りを理由に劉邦と宴会を開くことにし、天幕の中に座が作られます。この時代、中国はまだ椅子がなくて、牀と呼ばれる低い板のようなものに、席と呼ばれる座布団を敷いて、我々日本人のように正座していました。そしてそれぞれの前に、案と呼ばれる、日本のお膳のような脚付きのお盆が置かれ、酒や料理はその上に供されました。料理もご飯も各自それぞれに盛りつけられる点も、日本のお膳と同じです。
まず、項羽と項伯は東向きの席、つまり、入口に対して正面奥の、一番左側の位置です。項羽が舞台奥側で、項伯が観客側に近い南側に座ったと推測。。亜父、つまり范増は南向きの座、舞台から見て正面奥になります。劉邦は北向きの席。要するに観客に一番近く、観客に背を向けて座る形になります。張良は西向きの席で宴に侍しました。張良は天幕の入口近く、劉邦に近い場所に座ったはずです。
(鴻門の会・座席図)
観客から見て正面に座る范増は、真っ白な髭に覆われた、いかつい老人の姿をしていたと思われます。しばしば項羽に目で合図し、腰に佩びた玉玦を掲げて決意を固めろと合図すること三度。
玉玦、とは玉製の装身具で、ドーナツ型の一部が欠けている、視力検査の「C」みたいな形のものです。それに紐をかけ、腰にぶら下げていました。「玦」は「決」と音が同じなので、范増はそれを掲げることで決断を迫っているのです。観客にはその表情もすっかり見えますから、范増が思わせぶりに玉玦を掲げるたびに、劉邦が落ち着かない様子で、助けを求めるように張良に視線を送ります。
しかし、項羽の方は黙って酒を飲むばかりで反応しません。
これが張良総受けBLならば、間違いなく項羽の視線は美しい張良に釘付けです。そして思わぬライバルの出現に、項伯はただオロオロとなすすべもない。訳も分からず劉邦と義兄弟の杯を交わすことになったりと、項伯は見かけはいいけど少しばかり流されやすくて滑稽な、花花公子風の役回りなのではないかと思われます。項羽が硬派であるのに対比される、いささか軟派なタイプではないかと。そんなことは『史記』にはまったく書いてないので、私の勝手な想像ですけどね!
美しい張良に心を奪われてしまい、劉邦そっちのけの項羽に業を煮やし、范増は立ち上がると、天幕を出て項羽の従弟、項荘を呼びつけます。
「王は性格的に決断することができない。お前は中に入って健康を寿ぎ、それが済んだら剣舞をしたいと申し出て、ついでに沛公を攻撃し、殺してしまえ。そうでなければ、お前たちの一族はみな、今にあいつの捕虜にされてしまうぞ」
「寿を為す」とは、この当時の畏まった挨拶のやり方で、『漢書』高祖本紀の顔師古注によれば、「凡言為壽、謂進爵於尊者、而獻無疆之壽。」と尊長すべき相手に爵で酒を進め、長い寿命を祝うような言辞を述べることのようです。たぶん「あなたの寿命が延びますように」とか、「健康をお祝いします」的なことを言うのでしょう。
さて、項荘は命じられた通り、天幕の中に入って「寿」を為し、言います。
「王と沛公との宴会に、軍中のことで音楽もありません。俺が剣舞をいたしましょう」
原文に、「軍中無以為樂」と、ありますが、正式な宴会には音楽の生演奏がつきものでした。さすがに戦場に楽器を持ってくる馬鹿はいないでしょう。宴会なのに音楽もないので、剣舞をすると申し出たのです。
音楽が無くて舞えるのか?!
これが劇だとすると、見えない場所に楽隊がいても不思議ではないのですが、どうしても剣舞と言うとハチャトゥリアンの「剣の舞」みたいなのを想像してしまいます。だから、音楽も無しに剣舞、というのが想像しがたい。空手の模範演技みたいなものだったのでしょうか?
項羽が認めたので、項荘は剣を抜いて立ち上がって舞い始めます。項羽のイトコですから、項荘もきっとムキムキマッチョ君。ここは上半身肌脱ぎになって、鍛え上げた肉体美も露わに「うおー!」とか、謎の雄たけびを上げながら、剣をビュンビュン振り回して欲しいところです。
そして、項荘は誰の目にも明らかに劉邦を狙います! 劉邦の冠ギリギリを剣が横に薙ぐ! 思わず首を引っ込める劉邦。あ、お酒零しちゃった、と劉邦が何気なく身体を横にずらしたところを、ガン! と剣が降り下ろされ、座っていた座布団を真っ二つ。「沛公、後ろ―!」と観客に呼ばれて、「ん? あんだって?」と振り向いたところを、項荘の剣がビュンッ!
項荘の意図に気づいて張良真っ青。正面の范増はニヤリ。思わず主君劉邦を庇おうとする張良に、居ても立ってもいられなくなった項伯が、とうとう立ち上がります。素早く剣を抜いて進み出、今にも劉邦を真っ二つにしそうだった、項荘の剣を受け止める。ガキ―ン!!
「剣舞が一人では格好がつかぬ、俺が相手をしよう」
……とかなんとか、言ったのかもしれませんが、全部省いてしまう司馬遷。項伯の見せ場ってここだけなのに。劉邦を狙う項荘の白刃を、項伯がことごとく打ち返し、時には自ら劉邦の盾のようになって、大事な恋人の主君を命懸けで守ります。
「項莊劍を抜きて起ちて舞えば、項伯も亦た劍を抜きて起ちて舞い、常に身を以て沛公を翼け蔽えば、莊 擊つを得ず」
司馬遷による剣舞の描写はたったこれだけ。圧縮の美というのでしょうか。余計なことは説明しない。言葉を尽くしても絶対に描ききれない剣舞の緊迫感を、言葉を削ることで表現する。ただ、説明されてないので、どうしてもわからないことがあります。
なんで項伯は、劉邦を命懸けで守ってんの?
これ、最初読んだ時は全然わかりませんでした。項伯は「義」の人で、義兄弟の杯を交わした劉邦だからこそ、身を挺して守ったのだ、と漠然と理解されているようですが、そもそも「義」の人だったら、自軍を裏切って秘密を漏らしたりしないのでは。
項伯が夜中に敵陣に向かったのは、あくまで命の恩人である張良を助けるためです。張良に頼み込まれたので、劉邦の謝罪の口利きをしてやった。張良の命さえ守れれば、劉邦はどうでもいいはずです。
項荘が劉邦を狙うついでに、張良もまた命の危険にさらされた、と項伯が感じたのか。あるいは、「何とかして項伯兄さん!」と張良が涙目で訴えたのか。項伯の行動の根底には、張良に対する過剰な愛情の存在がなければ、説明できないように思うのです。
観客もまた、劉邦・張良の主従の危機に、自らの身命を擲って庇おうとする項伯の、張良への深い愛を感じるからこそ、手に汗握って応援するのではないでしょうか。巨漢ゴリマッチョの項荘の白刃を、細身の色男が必死に躱す。龍車に向かう蟷螂の斧であっても、愛する者のためならば、人は命を投げ出すものだからです。
ああ、これぞBL。項伯×張良(美人受け)。
恋人同士の緊迫した視線のやり取り、しかし劉邦が絶妙のタイミングで、わかめのように間に入り込んで、二人が触れ合うのをいちいち邪魔をする。全然、根拠はないけど、劉邦は絶対そういう役割だと思う。
なんとなくですが、司馬遷は劇中にあった項伯×張良のBL風味を、出きる限り排除しようとしたように見えます。司馬遷の考える「歴史」には無駄だと思ったのでしょう。あるいは、司馬遷の中においては、(劇中の)項伯が張良に抱く思いは友情の延長でしかなくて、別にたいしたことではなかったか。司馬遷は佞幸列伝という、皇帝の同性愛相手の列伝を作っていますが、その記述も淡々としたものです。漢代の人全般に、男同士の友情や君臣関係と、同性愛の垣根は非常に低かったのです。
さて、項荘の剣舞によって、劉邦の命が狙われているのは明らかになりました。ひとまず項伯が止めに入ってくれたけれど、いつまで耐えきれるかわからない。張良は、劉邦を守るのは項伯に任せ、自ら席を立って天幕の外に出ていきます。
【原文】於是張良至軍門、見樊噲。樊噲曰、「今日之事何如?」良曰、「甚急。今者項莊拔劍舞、其意常在沛公也。」噲曰、「此迫矣、臣請入、與之同命。」噲即帶劍擁盾入軍門。交戟之衞士欲止不内、樊噲側其盾以撞、衞士仆地、噲遂入、披帷西嚮立、瞋目視項王、頭髮上指、目眥盡裂。項王按劍而跽曰、「客何為者?」
【訓読】是に於いて張良 軍門に至り、樊噲に見ゆ。樊噲曰く、「今日の事 何如?」良曰く、「甚だ急なり。今、項莊 劍を抜きて舞い、其の意は常に沛公に在るなり」と。噲曰く、「此れ迫れり。臣請うらくは入りて、之と命を同じうせん」と。噲即ち剣を帶び盾を擁して軍門に入る。交戟の衞士 止めて内れざらんと欲するも、樊噲 其の盾を側だてて以て撞けば、衞士 地に仆れ、噲遂に入り、帷を披りて西嚮して立ち、目を瞋らせて項王を視、頭髮上指し、目眥盡く裂けたり。項王劍を按じて跽きて曰く、「客何れの者なるか?」と。
幕の外、舞台の隅には門が作ってありました。そこで待っていた樊噲が、張良に尋ねます。
「どうなった?」
「かなりヤバイ。今、項羽の従弟が剣を抜いて舞っているけど、間違いなく沛公を狙っている」
「なんだと、エライこっちゃ!俺も中に入って、死ぬときは一緒だ!」
一般的には樊噲はもちろん劉邦に忠誠を誓っていて、劉邦を守るためには命を投げ出す覚悟で突進していくわけですが、張良総受けBL風味に読むならば、樊噲もまた実は張良にメロメロで、「お前だけを死なせたりはしないぜ!」って感じで突入して欲しいところです。まあ、そこまで張良総受けで読む必要はないかもしれませんが。帯剣し、盾を持ったまま突入しようとする樊噲を、当然ながら項羽軍の衛士は止めます。
ここでおそらく殺陣の一つもあって、樊噲の目の前で交差された戟を樊噲は盾で力任せに吹っ飛ばし、次々とやってくる兵士を軒並み弾き飛ばし、樊噲は天幕の入口を捲って、見栄を切ります。
カン、カン、カン、カン、カン、カカーン!ジャジャーン!
銅鑼がこの時期にあったかどうか、よくわかりませんが、拍子木は確実にあったでしょう。ケレンミたっぷりにポーズを決める樊噲に向かい、観客席からは「好!」の掛け声の一つも飛んだに違いありません。
天幕は東側にあってちょうど、項羽の真正面に相対することになります。樊噲は怒髪天を衝き、眦が裂けるほどギロリと目を剥いて、正面の項羽を仁王立ちして睨みつける。樊噲は後の京劇や歌舞伎のような、隈取メイクを施し、ボサボサ頭のカツラを被っていたかもしれません。
一方、天幕の奥、項羽は不審な大男とまっすぐにらみ合うことになり、剣を手にして片膝ついて立ち上がりかけ、一喝します。
「怪しい奴! 何者だ!」
【原文】張良曰、「沛公之參乘樊噲者也。」項王曰、「壯士、賜之卮酒。」則與斗卮酒。噲拜謝、起、立而飲之。項王曰、「賜之彘肩。」則與一生彘肩。樊噲覆其盾於地、加彘肩上、拔劍切而啗之。
【訓読】張良曰く、「沛公の參乘・樊噲なる者なり」と。項王曰く、「壯士なり、之に卮酒を賜え」と。則ち斗卮酒を与う。噲拜して謝し、起ち、立ちて之を飲む。項王曰く、「之に彘肩を賜え」と。則ち一生彘肩を賜う。樊噲其の盾を地に覆し、彘肩を上に置き、劍を抜きて切りて之を啗う。
「沛公の車の同乗の護衛、樊噲と申す者です」
「壮士ではないか、酒をやれ!」
すると一斗も入る大きな杯に、なみなみと酒が注がれ、樊噲はしかし、立ったまま一気に飲み干してしまいます。秦代の一斗は3,43リットル。2リットルのペットボトルと1,5リットルのペットボトル分の酒を一気飲みです。この時代の酒はドブロクのようなものがほとんどで、アルコール度はそれほど高くはありませんが、それでも良い子は真似してはいけませんよ? 樊噲の飲みっぷりが気に入った項羽は、今度は豚の肩肉を与えます。生のままの豚の肩肉、それも塊肉で出されます。後世の中国人は生肉など食べないので、清朝の学者の中には項羽の嫌がらせだ、などと言う人もいますが、漢代の人は獣肉も生のまま膾=刺身にして食べました。何しろ、樊噲の本職は狗肉専門とはいえ、肉屋です。豚の塊肉を膾にするなど、得意中の得意。自分の盾を伏せて置いてまな板がわりにして、塊肉を器用に剣で捌いて、ムシャムシャと食べてしまいます。
劇中、本物の肉を食べたのかどうか。
元・肉屋である樊噲の華麗な包丁捌きもまた、この劇の見どころの一つでしょうから、実際に食べたんじゃないかな、と私は考えています。現代でも中華時代ドラマって劇中のご馳走をアップで映した上で、役者が本物の料理をバクバク食べています。毎食用意するのは大変かもしれませんが、タニマチが差し入れてくれたりしないのかな。「今日の肉はどこそこの肉屋のです」って言えば宣伝にもなるし。まあ、古代人にそんな感覚があったかは謎ですが。
【原文】項王曰、「壯士、能復飲乎?」樊噲曰、「臣死且不避、卮酒安足辭!夫秦王有虎狼之心、殺人如不能舉、刑人如恐不勝、天下皆叛之。懷王與諸將約曰『先破秦入咸陽者王之』。今沛公先破秦入咸陽、豪毛不敢有所近、封閉宮室、還軍霸上、以待大王來。故遣將守關者、備他盜出入與非常也。勞苦而功高如此、未有封侯之賞、而聽細説、欲誅有功之人。此亡秦之續耳、竊為大王不取也。」項王未有以應、曰、「坐。」樊噲從良坐。坐須臾、沛公起如廁、因招樊噲出。
【訓読】項王曰く、「壯士、能く復た飲まんや?」樊噲曰く、「臣死すら且に避けざらんとす、卮酒安くんぞ辭すに足らんや!夫れ秦王虎狼の心有り、人を殺すこと舉ぐる能わざるが如く、人を刑すること恐らくは勝げざるが如く、天下皆な之に叛く。懷王 諸將と約して曰く『先に秦を破り咸陽に入る者は之に王たらしめん』と。今沛公先んじて秦を破り咸陽に入るも、豪毛も敢えて近づく所有らず、宮室を封閉し、軍を霸上に還し、以て大王の來たるを待つ。故に將を遣りて關を守らしむる者は、他盜の出入して非常に与るに備えればなり。勞苦して功高きこと此くの如くなるに、未だ封侯の賞有らず。而るに細説を聴き、有功の人を誅さんと欲す。此れ亡秦の續きのみ、竊かに大王の為に取らざるなり」と。項王未だ以て應ずる有らず、曰く、「坐せよ」と。樊噲 良に従いて坐す。坐して須臾にして、沛公起ちて廁に如き、因りて樊噲を召して出ず。
樊噲の食いっぷりにすっかり機嫌をよくした項羽が尋ねます。
「壮士、まだ飲めるか?」
「俺は死ですら避けたりはせん、酒ぐらいどうして遠慮するものか! そもそも、秦王は虎や狼のように残酷で、これまで殺した人間は数限りなく、刑罰に当てた人間も数えきれない。天下の者はだから秦に背いたんだ。楚の懐王は〈先に秦を倒し、咸陽に入った者を関中の王とする〉と諸将と約束した。今、沛公は一番に秦を破り、咸陽に入ったのに、髪の毛一本も財宝に手をつけず、宮殿を封印して軍隊を覇上に返し、そうして大王のやってくるのを待っていたんだ。将軍を派遣して関を守らせたのも、他の奴らが入って悪さするのを防ぐためだ。一番乗りの苦労に功績もすごいのに、まだ封侯さえされなくて沛公のまま。なのにちっせぇ奴らの言葉を聞いて、功績ある人を誅殺しようなんざ、まだ亡秦の続きかと思った。大王様のためにならねぇんじゃないかと、俺は勝手に心配してますぜ」
樊噲の歯に衣着せぬ言葉に、項羽は何も答えず、ただ、「座れ」と言ったので、樊噲は張良の隣に座りました。すぐに、沛公が厠に行くといって立ち上がり、樊噲を呼びます。劉邦はすっかり酒に酔って、へべれけになったフリをし、大柄な樊噲に支えられるようにして、フラフラと天幕を出ていきました。