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二、鴻門の会・前夜

 前回、司馬遷が見た劇「鴻門の会」では、劇中登場人物の年齢・容姿は歴史的な事実とは多少異なっていたと推測しています。今、その推測に基づいた、登場人物のキャストについて先に述べておきましょう。


沛公・劉邦  40~50代の壮年。黒い立派な髭。

張良     二十歳前くらいの美少年。女優の男装である可能性も。    

項伯     20代。優男系の二枚目。

樊噲はんかい     ガチムチゴリマッチョ。年齢は超越。髪が逆立ち、隈取メイクも?

項羽     20代後半から30代 悪役

項荘     20代 マッチョ? 悪役 

亜父あほ・范増  70オーバーの爺さん。白髭。悪役。


 このキャストならば、年齢構成的にもある程度ばらけていて、かつ、青年二人による剣舞も見所がありそうです。なにより張良が美少年(もしくは男装の女優)になるだけで、灰色だった舞台に華が生まれ、がらりと印象が変わってくるはずです。


 また、この劇の行われた場所ですが、宮中が抱える劇団であった可能性もないわけではないのですが、漢王朝の公認の劇にしては、正直、劉邦の役柄が微妙です。この劇の主役はやはり張良であり、途中で場をかっさ浚う樊噲なのであって、劉邦は剣舞に狙われて、最後、「トイレに行く」と言って逃げ帰るだけの、少々情けない役回り。やはり市井の、長安の市のどこかで演じられた劇ではないかと考えています。

 

 後にも触れる予定ですが、司馬遷が描く楚漢戦争のエピソード、「鴻門の会」以外にも元ネタが劇だったのでは……と思われるものが多い。おそらく市に常設の劇団があって、いろんなレパートリーで演じていたのでしょう。樊噲の盾でぶっ飛ばされる衛士など、端役も何人も抱えていて、大きな劇団だったと思われます。




 では、歴史物語劇「鴻門の会」、BL風味(張良総受け)で読み直してまいりましょう。(現代語訳を入れると長くなるので、訓読と解説を加えた超訳をつけることにします。)出典は『史記』項羽本紀、テキストは台湾中央研究院歴史語言研究所漢籍電子文献から引用しています。



【原文】沛公左司馬曹無傷使人言於項羽曰、「沛公欲王關中、使子嬰為相、珍寶盡有之。」項羽大怒、曰、「旦日饗士卒、為擊破沛公軍!」當是時、項羽兵四十萬、在新豐鴻門、沛公兵十萬、在霸上。范增説項羽曰、「沛公居山東時、貪於財貨、好美姬。今入關、財物無所取、婦女無所幸、此其志不在小。吾令人望其氣、皆為龍虎、成五采、此天子氣也。急擊勿失。」


【訓読】沛公の左司馬・曹無傷 人をして項羽に言わしめて曰く、「沛公 關中に王たらんと欲し、子嬰をして相と為さしめ、珍寶は盡く之を有す」と。項羽大いに怒り、曰く、「旦日士卒を饗し、為めに沛公の軍を撃破せん!」と。是の時に当たり、項羽の兵四十萬、新豐の鴻門に在り、沛公の兵十萬、霸上に在り。范増 項羽に説きて曰く、「沛公は山東に居りし時、財貨を貪り、美姫を好む。今 關に入り、財物の取る所無く、婦女の幸する所無し、此れ其の志小さきに在らざればなり。吾れ人をして其の気を望せしむれば、皆な龍虎を為し、五采を成し、此れ天子の氣なりと。急ぎ撃ちて失うこと勿れ」と。


 関中に入った項羽軍に、劉邦の左司馬である曹無傷が人を介して告げ口しました。


「沛公は関中王になろうとして、秦王の子嬰を宰相にし、秦の財宝を独り占めしています」


 項羽は激怒します。


「明日、兵士にご馳走を出して、士気を高めて劉邦軍を撃破してやる!」


 この時、項羽の兵力は40万、新豊の鴻門に陣を敷いていました。一方の劉邦の兵力は十万で覇上に陣を敷いています。項羽の軍師・范増は項羽を説得します。


 「劉邦は故郷の山東(現在の山東省周辺のことではなく、広く太行山脈の東側、函谷関より東とほぼ同義)にいた時は、欲深で美女が大好きでした。今、関中に入って財宝を懐に入れるでもなく、美女漁りもしないのは、きゃつの志が小さくないからです。わしは望気者に劉邦のいるあたりを観測させたところ、皆な気が龍虎を象り、五色の彩があって、これは天子の気であると申します。急いで攻撃し、うち漏らすことがあってはなりません」


 当時、天子になる人物には独特の「気」(オーラ)があると信じられていました。劉邦の上には天子の気がある、今のうちに始末してしまえ、と言うのです。

 

 舞台上でなされる項羽と范増の会話を、盗み聞きしていた青年がいました。まだ若い、涼やかな美青年、項羽の末の叔父・項伯です。




【原文】楚左尹項伯者、項羽季父也、素善留侯張良。張良是時從沛公、項伯乃夜馳之沛公軍、私見張良、具告以事、欲呼張良與俱去。曰、「毋從俱死也。」張良曰、「臣為韓王送沛公、沛公今事有急、亡去不義、不可不語。」


【訓読】楚の左尹さいんの項伯なる者は、項羽の季父なり。素より留侯張良と善し。張良 是の時、沛公に従えば、項伯は乃ち夜 馳せて沛公の軍にき、ひそかに張良にまみえ、つぶさに告ぐるに事を以てし、張良に呼ばわりてともともに去らんと欲す。曰く、「從いて俱に死ぬことかれ」と。張良曰く、「臣 韓王の為に沛公を送る、沛公 今事に急有り、げ去るは不義なり。語らざるべからず」と。




 項羽の軍である楚軍の左尹を務めていた項伯は、項羽の末の叔父で、以前から張良のことを愛していました。この時、張良は劉邦軍に従っていたので、項羽が劉邦軍を攻撃することを知った項伯は、夜中に馬で駆けて覇上の劉邦軍に行き、こっそりと張良に会い、すべてを張良に告げ、一緒に逃げようと呼びかけます。


「沛公に従って一緒に死んだらダメだ!」


 張良は承諾しません。


「私は韓王に命ぜられて沛公に仕えているのです。沛公が危険にさらされている今、何も言わずに逃げさるのは不義です。沛公に告げないわけにはいきません」


 張良はまだ若く、女性と見まごうほどの美少年。秦が滅ぼした韓の、代々宰相を輩出した家柄の出で、今は韓の復興のために韓王から派遣されて劉邦の軍にいます。項伯は張良が戦に巻き込まれて殺されてしまうと畏れますが、張良は何も言わずに劉邦のもとを去るのは「不義」であるからできない、と劉邦に事の次第を告げに入ります。


 ――おそらく舞台上には大きな天幕のような装置が作られていて、それが舞台の西側半分ほどを占めていたのではないか、と思われます。というのも、この後もずっと、「入る」「出る」などの言葉で、役者の動きが示されるからです。舞台は北側にあっては観客席は南側で、観客から見て左側が天幕、つまり「内」であり、右側が「外」です。仕切りには幕が垂れて、幕を捲って出入りします。この舞台設定は劉邦軍も項羽軍の共通で使います。項伯と張良の会話は幕の外で行われ、張良は項伯を待たせて幕の内側に入り、内部の劉邦と話をするわけです。 



     挿絵(By みてみん)

     (舞台を上から見た想像図)


【原文】良乃入、具告沛公。沛公大驚曰、「為之奈何?」張良曰、「誰為大王為此計者?」曰、「鯫生説我曰『距關、毋内諸侯、秦地可盡王也』。故聽之。」良曰、「料大王士卒足以當項王乎?」沛公默然、曰、「固不如也、且為之奈何?」張良曰、「請往謂項伯、言沛公不敢背項王也。」沛公曰、「君安與項伯有故?」張良曰、「秦時與臣游、項伯殺人、臣活之。今事有急、故幸來告良。」沛公曰「孰與君少長?」良曰、「長於臣。」沛公曰「君為我呼入、吾得兄事之。」張良出、要項伯。項伯即入見沛公。沛公奉卮酒為壽、約為婚姻。


【訓読】良乃ち入り、具さに沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて曰く、「之を奈何いかんせん?」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為す者なるや?」曰く、「鯫生そうせい 我に説きて曰く、『關をへだち、諸侯をれるくんば、秦地盡く王たるべきなり』と。故に之をゆるす」と。良曰く、「大王士卒をはかるに以て項王に当たるに足るや?」と。沛公默然として曰く、「もとよりかざるなり。しばらく之を奈何せん」と。張良曰く、「請うらくは往きて項伯に謂い、沛公敢えて項王にそむかざると言わしめん」と。沛公曰く、「君 いずくんぞ項伯と故有るや?」と。張良曰く、「秦時臣と游ぶも、項伯人を殺し、臣之を活かす。今事に急なる有り、故に幸いにも來たりて良に告ぐ」と。沛公曰く「いずれか君と少長たるや?」良曰く、「臣より長じたり」と。沛公曰く「君 我が為に呼び入れよ、吾れ之に兄事するを得ん」と。張良出で、項伯にもとむ。項伯 すなわち入りて沛公にまみゆ。沛公 卮酒ししゅを奉じて壽を為し、約して婚姻を為す。


 天幕の中に入った張良は、残らず劉邦に告げます。劉邦はびっくりして動揺します。


 「どうしたらいい」


 そもそも、函谷関を閉じていたために項羽を激怒させたのですが、これは誰の進言に従ったのか、と張良は尋ねる。劉邦は、鯫生そうせいって奴が関所を閉じておけば、他の奴は入ってこないから、関中を独り占めできますよ、と言ったので、その通りにしたと。そうは、雑魚のこと。名前からしてわかりやす過ぎるモブ。どう考えても、実在の人物ではありません。張良は冷静に問いかけます。


 「大王様の兵士で、項羽に勝てますか?」

 「いや、無理無理。とりあえずどうしたらいい」

 「劉邦は項羽に背かない、と言ってもらうよう、項伯殿に頼みましょう」


 そこで劉邦が尋ねる。

 

 「項伯と、どうして知り合いなのか?」


 張良が答えます。


 「秦の時に付き合いがあり、彼が人を殺した時、私が窮地を救ったのです。今、危険を知り、わざわざやってきて告げてくれました」

 「君と項伯とどっちが年上なの?」

 「彼の方が年上です」

 「わしのために彼を呼んでくれないか。わしも彼に兄事してもいい」


 前回も説明しましたが、これは単純な年齢差ではなくて、劉邦より項伯が年下であったとしても、張良にとって「兄」であるなら、劉邦もまた項伯を兄と呼ぼう、とそういう意味でしょう。年下の男に頭を下げるつもりだ、とまで言われてしまったので、張良は天幕を出て、項伯に劉邦に会ってくれないかと頼み、項伯もすぐに了承します。劉邦は杯の酒を奉げて項伯の健康を祝い、婚姻の約束をした、とあります。


 この「婚姻」の意味がよくわからないのですが、義兄弟の契りを結ぶ儀式というのは、婚姻の儀式に近いのかもしれません。姉妹と結婚すると義理の兄弟になるように、架空の姉妹と結婚する儀式をして、義兄弟の契りとするのでしょうか。舞台の上で、劉邦と項伯の間で、何等かの杯事さかずきごとが行われたのでしょう。狡猾な劉邦が若い項伯を巻き込む形で、項伯の逃げ道を絶ってしまったわけです。


 BL的な観点で見ると、項伯の方はどう見ても張良にぞっこんです。何とか彼を助けたい、そのためなら何でもする、という雰囲気が滲み出ています。だから、張良から劉邦に会って欲しい、と言われると、「即」=ただちに、了承して劉邦と会見するわけです。


 一方、張良の方はそれほどでもない。張良の気持ちは(単なる主従関係かもしれないが)、劉邦にある。むしろ、項伯の自分に対する気持ちに気づいていて、それを主君劉邦を救うために利用しようという感じが見て取れます。張良が劉邦に告げるために天幕の中に入っている間、天幕の外ではソワソワウロウロと歩き回る、落ち着かない項伯の様子が観客の笑いを誘ったかもしれません。


 劉邦の方は、張良に相談もせずに勝手に関所を閉じてしまったことを暗に詰られ、「で、項羽に勝てるつもりだったのですか?」「無理です、ごめんなさい」とやり込められたりと、すっかり張良にタジタジです。ただ、そんな劉邦も、張良から項伯に口添えを頼むだけでは心許ない、と思ったのでしょう。自ら項伯と相対して、彼と義兄弟の契りを結び、項伯の退路を断って口添えを約束させるのです。


 項伯としては、本来は張良さえ救けられればよくて、劉邦はどうでもいいはずなのに、あれよあれよと劉邦と義兄弟の杯を交わすことになってしまう。何しろ自分は項羽の叔父です。劉邦と義兄弟になっていいのか?と戸惑って張良を見るたびに、「お願い、項伯兄さん」と潤んだ瞳で懇願されて、仕方なく了承する。そういう場面が――BLだったら――あったにちがいないのに、司馬遷はBL脳でないので、そんなところまでは書いておいてくれません。


 とにかく張良にベタ惚れの項伯は、その恋心を利用され、項羽への口添えを了承させられてしまいます。


【原文】曰、「吾入關、秋豪不敢有所近、籍吏民、封府庫、而待將軍。所以遣將守關者、備他盜之出入與非常也。日夜望將軍至、豈敢反乎!願伯具言臣之不敢倍德也。」項伯許諾。謂沛公曰、「旦日不可不蚤自來謝項王。」沛公曰、「諾。」於是項伯復夜去、至軍中、具以沛公言報項王。因言曰、「沛公不先破關中、公豈敢入乎?今人有大功而擊之、不義也、不如因善遇之。」項王許諾。


【訓読】曰く、「吾れ關に入り、秋豪も敢えて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じ、而して將軍を待つ。將を遣りて關を守らしむる所以ゆえんの者は、他盜の出入と非常とに備うればなり。日夜將軍の至るを望み、に敢えて反するや! 願わくば伯 つぶさに臣の敢えて德にそむかざるをげんことを」と。項伯許諾し、沛公に謂いて曰く、「旦日、はやくに自ら來たりて項王に謝せざるべからず」と。沛公曰く、「諾」と。是に於いて項伯復た夜去り、軍中に至り、具さに沛公の言を以て項王に邦ず。因りて言いて曰く、「沛公先に關中を破らざれば、公 豈に敢えて入らんや? 今人の大功有るも而れども之を撃つは、不義なり。因りて善く之を遇するに如かず」と。項王許諾す。



 劉邦の言い訳。


 「私は関中に入って以来、わずかも財宝に近づかず、吏民を戸籍に登録し、倉庫を封印し、そうして項将軍を待っていました。配下の将軍を派遣して関所を守らせた理由は、他の盗賊が出入りするのと、非常事態に備えるためです。毎日、将軍がいつ来るかと待っていたのに、どうして反旗を翻すことがあるでしょうか。お願いですから、私が自ら徳に背かないと、項将軍にお伝えください」


 項伯は了承し、劉邦に言います。


 「明日、朝いちばんで自ら謝罪にやってくるべきです」


 劉邦もそれを了承したので、そこで項伯はその夜のうちに自軍に戻り、項羽に劉邦の言葉を伝えます。さらに、


 「沛公が先に関中を制圧していなければ、あなたもどうして関に入れたでしょうか? 大きな功績をあげた人を攻撃するのは、不義です。功績には正当に報いるのが一番です」


と言い、項羽も劉邦との面会を受け入れます。




 劉邦をとりなすように約束させられた項伯が、再び16キロの夜道を戻る間に、舞台上の天幕は劉邦の陣ではなく、項羽の陣に替わります。おそらくは周囲の旗指物の色が変わったり、見張りの兵士の制服の色が変わったりするのでしょう。


 漢の色と言えば「赤」ですが、漢王朝として赤をとうとぶことを決めたのは後漢の光武帝で、前漢の武帝のころは黄色を尚んでいた時期があります。ただ劉邦を赤帝の子とする伝説は漢の初期からあったようなので、この劇中における漢の旗幟が何色であったかは気になるところですが、読んだ限りでははっきりしません。

 

 さて、自陣に帰りついた項伯は、すぐに天幕の中の項羽に劉邦の言葉を告げます。勝手に敵陣と通行した若い叔父を項羽はどう思ったのか。だがここは何も言わず、項羽は翌日の会見を了承しました。


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