VS ガイラル
「さあ、やろうか。クオリアの後継!」
「アッシュって名前があるんだが……」
「ふん。お前が俺に勝てたなら、その時は名前で呼んでやるぜ?」
「……そうかい」
クオリア邸の庭……から少し離れた場所で、十分に距離を取ってガイラルと対峙する。
ガイラル・シェギナは大柄な男だ。
筋肉質な身体をしており、しなやかに付いたその筋肉は、きっと順当に己を鍛えてきた結果なのだろう事が容易に想像出来る。
ボディビルダーのような魅せるための無駄な筋肉ではない。武人の、戦うために鍛え上げられた無駄のない筋肉だ。
身長は……おそらく190cmは優に超えているだろう。
体重も、脂肪より筋肉の方が比重が大きいので、100kgは普通にあるんじゃないだろうか。
武器なんかは持ってはいないが、鍛え上げられたその身体をこそが武器だという事なんだろう。
「ぐ……」
プレッシャーが半端じゃない。
ただ相対しているだけ、ただ対峙しているだけ。
そのはずなのに、身体に襲いかかってくる重圧に圧し潰されそうだ。
無意識に息が荒くなり、喉がカラカラに渇き始め、その代わりに背中にはびっしょりと嫌な汗をかいている。
明らかな格上、明らかに届かない領域。
少しでも動いたなら、それを戦闘開始の合図にして間違いなく狩り殺される。
どう立ち回るか、とかそういう問題じゃない。
動けば殺される。動かなくても重圧に潰される。
オレは今、初めてガイラル・シェギナという人間を目にしている。
流石に魔導七賢者と言うべきか、武術の腕も超一流というわけだ。
そもそも、我が師たるクオリア・レンドゲートをして、武術の腕が半端じゃない。
クオリアとやっている時は、教える側と教わる側だから命の危険なんて感じようはずもないのだが、ガイラルは違う。
ガイラルは明らかに敵意や殺意といったものを持ってオレを見ている。
あるいはそれは、オレがそれを乗り越えられるかどうかというのを評価するための要素の1つなのかも知れないけど、なかなかどうして身体は動いてはくれない。
「く、そ……」
「どうしたガキ。テメェ、それでもクオリアの後継か。あ゛ぁ!?」
轟ッ! と、気迫が風となって打ち付けてくる幻覚を見る。
それだけ、このガイラル・シェギナという男を脅威に感じているという事なんだろう。
ちくしょう。これが恐怖か。
動きたいのに、押さえつけられたように身体が動かない。
こうなったら……仕方ない。こういう時のためにと考えていた手を使うしかないな。
「っく……『紫電招来』!」
声を出せるのをいい事に、自分で創ったオリジナル魔法の発動ワードを口にする。
刹那、晴れた空に黒雲が集まり、そこから紫電の落雷がオレの身体を打ち貫いた。
「アッシュ!」
「心配しなくていい、クオリア。これでようやく、まともに動ける」
10歳の男子の身体を雷が貫いたのだから心配しなくていいも何もないと思うんだが、本当に大丈夫だから本当に安心して欲しい。
……さて。
雷に打たれるなんて人生で1度あるかどうかの体験だが、冷静になってきた。
頭が冴えて、感じていた重圧も消えている。
「……ほう? 空気が変わったな、ガキ。動けそうか?」
「問題ないですよ。今のオレの全力を以て、あんたを下して見せましょう」
「ッは! 面白ぇ奴だな、お前は! いいぜ、来いよ!」
ガイラルは獰猛な笑みを更に深め、魔力を高め始めた。
きっと今まさに、彼お得意の補助魔法を自分にかけているんだろう。
対するこちらも、口の中で発動ワードを呟いて、全身に何重も補助魔法をかけていく。
『紫電招来』は雷の属性魔法での補助をかけるオリジナルの魔法だが、これは飽くまで反応速度なんかを引き上げるためのものだから、身体能力ではガイラルには敵わない。
補助魔法をかけたところで届くかどうか、という感じではあるけど……そこはそれ、オレには全ての魔法への適性がある。
属性魔法、召喚魔法、治癒魔法、精霊魔法、時空魔法、結界魔法、補助魔法、付与魔法……戦闘に使える魔法は大体この8つ。
魔法と呼ばれない魔法の中にも使える魔法はあるかも知れない……が、せいぜい探知系の魔法くらいの話だろう。
しかし、ここは森の中とは言っても開けた場所だ。
探知系魔法なんて意味をなさないし、何よりガイラル・シェギナという男の気質を察するに、逃げたり隠れたりはしないだろう。
どこにいたとしても七賢者たる膨大な魔力を放出して、俺はここにいるぞと言わんばかりに己の存在、その場所をこちらに知らしめてくるはずだ。
それは、まあ、ありがたいと言えば確かにありがたいのだけども……ただ、あの重圧に常に晒される事になるかと考えると、どうにも面倒だ。
目標は短期決戦。
長期戦になると、体力の面でオレの方にのっぴきならない不利が発生してしまう。
向こうは……何歳なのかは知らないが、こちらは10歳相応の体力しか持ち合わせていないのだから。
「では――いきます!」
「来い、ガキ!」
ガイラルの咆吼と同時に横を向き、森の中に向けて強化された脚力で飛び込む。
ガイラルにはどうかわからないが、何もしていない七賢者達には、オレの姿が消えたように映った事だろう。
「……『置音結界』」
猛スピードで迫る樹木の幹を強化された視力で眺めつつ、地面を蹴って飛び上がり、幹に着地出来るよう空中で姿勢を整えて、オリジナルの結界魔法を発動する。
結界魔法『置音結界』は足に展開する結界で、使い道としては相手の撹乱がメインになる。
名前の通り、例えば高所から飛び降りた時などの勢いのある着地音を結界に閉じ込めて設置し、任意のタイミングで閉じ込めた音を響かせ、相手を混乱させるという使い方をするのを想定している。
ガイラルに対してどれだけ使えるかはわからないが、使わないよりは使った方がいいはずだ。
「……よし、いけるな」
ダンッ! と勢いよく幹に着地するが、そこを更に蹴って移動しながら見てみると、狙い通りに結界が設置されている。
この結界魔法は開発の段階で時空魔法も組み込んであるので、閉じ込めたからといって音は消えず、結界を解除したタイミングで音が鳴るようになっているのだ。
「……『サイレントフィールド』」
更に続けて、結界魔法『サイレントフィールド』を発動させる。
この魔法は結界魔法の中でも初歩の方にある魔法で、文字通り、音の一切を消してしまう、結界で定めたフィールドを作り出す魔法だ。
この魔法でオレの出す音を完全に消し去り、置音結界と合わせて奇襲攻撃を仕掛けよう、というのがオレの今回の作戦である。
「『デオドラントブリーズ』、『マリオネットムーヴ』」
続けて、風属性下級魔法の『デオドラントブリーズ』と闇属性中級魔法の『マリオネットムーヴ』を発動させる。
風属性下級魔法の『デオドラントブリーズ』は、名前の通り消臭効果のある風を纏う魔法だ。
補助魔法によって身体能力が向上する……という事は、五感も強化されるというわけで、僅かにでも匂いを発していると感付かれてしまう可能性が高いのである。
それをどうにか回避するために使った魔法だ。
闇属性中級魔法の『マリオネットムーヴ』は、精神に干渉して対象を予め決めておいた行動で縛り付ける魔法だ。
普通は相手に対して使う魔法なのだが、オレはこれを、自分の意識を閉じ込めるために自分に使った。
意識した行動というのは、例えば、小動物を触ろうとして近付くだとか、あるいは女の子の胸やお尻などを凝視するだとかがあるが、それというのは、意図的な行動であるが故にバレやすいのである。
その結果どうなるかと言えば、小動物には逃げられるし、女の子には嫌な顔でこちらを見られるという事になる。
逆に、無意識での行動というのは察知されにくい。
オレは、無意識的な行動は間接的なミスディレクションになると考えている。
ミスディレクションというのはマジックの世界では『観客の注意をそらす』行動の事を言うが、無意識的な行動は別の場所にある相手の意識をこちらに向けにくくすると考えたのだ。
故に『マリオネットムーヴ』で自分の意識を封じ込めて、予めプログラムした行動で、こちらの行動を察知されないようにしよう。
というのが、この魔法を使った理由だ。
「……『フレグランスクロウル』」
そして、『マリオネットムーヴ』で行動を定められたオレは、風属性中級魔法の『フレグランスクロウル』を発動する。
この魔法は『デオドラントブリーズ』とは逆の効果……つまり、匂いを消すのではなく、匂いを纏う効果の魔法だ。
これは至極当たり前の話なのだが、部屋の真ん中から照明に照らされている部屋に、障害物もないのに真っ暗な場所があったら、それは違和感になる。
森の匂いが充満しているはずのこの場所で、1ヶ所だけ何の匂いもしない場所があるとしたら……?
逆説的に、そこには匂いを消している『何者か』がいるという証明になってしまう。
だからこその『フレグランスクロウル』なのだ。
そして、ガイラルの背後で盛大に樹木を蹴った音を置音結界で保存したら仕込みは完了。
今までガイラルを中心に反時計回りで動いてきたので、そのまま反時計回りに大きく移動し、ガイラルを正面に見る場所に来たところで、最初の置音結界が起動する。
――ダンッ!
結構遠くで鳴った音だったが、ガイラルはその方向に視線をやった。
とりあえず誘導は成功しているようだ。
「……『エクレールバースト』」
そして、仕上げに雷属性最上級魔法の『エクレールバースト』を発動する。
この魔法は『紫電招来』によって帯電している紫電を利用して、光速での移動を可能にするオリジナルの最上級魔法だ。
速度とはつまり破壊力だ。
極小の鉄球でも、高所から落とせば人間さえ殺せる。
オレが今からやろうとしているのは、要するにレールガンと同じだ。
電磁気ではないが、雷の力で自分を加速させ、爆発的な破壊力を持った一撃をガイラルに叩き込む……というわけだ。
ただ、このやり方……開発したはいいものの、人体の保全という面から、最低でも1日に1回が限度の一か八かの手段なのだ。
これでガイラルを伸せれば上出来、回避されたらご破算だ。
「――フッ」
最初の置音結界からしばらく時間を置き、そろそろかと地面を踏み込むと同時に、ガイラルの背後にある置音結界を解除して音を出す。
その音に反応してガイラルが意識を背後に向ける――と同時に、思い切り地面を蹴ってガイラルに肉薄する。
まるで時空魔法の転移のように一瞬で切り替わる景色に目をやる事もなく、オレの右拳での渾身のボディブローがガイラルの腹筋に突き刺さった。
「ぐっ――」
意識を他所にやっていたガイラルは、短い呻き声を残して猛スピードで後ろに吹っ飛んでいった。
というところで、『マリオネットムーヴ』でプログラムしていた全行動が終了し、オレの全身に激痛が奔る。
「ぐっ、がああああああああッッ!!!」
「アッシュ!? 大丈夫かい、アッシュ!? メルディナ、治癒魔法を!」
「は、はい! 『エクスヒール』!」
メルディナの上級治癒魔法によって全身の激痛がなくなり、問題なく立ち上がれるまで即座に回復する。
「はぁっ……はぁっ……助かりました、メルディナさん」
「いいのよ、気にしなくて。……でも、今、何があったの?」
「そうだよ、アッシュ! ガイラルが急に吹っ飛んだかと思ったら、今度はアッシュが倒れてるだなんて。説明して欲しいな!」
心配と興奮がない交ぜになったような声音で、クオリアが言う。
……まあ、今回のこれは心配かけるのも仕方ない作戦だったしな。
「……わかった。説明するよ」