王佐の夢
この話には残虐な描写が描かれており、また、従来の『三国志』より描写がマニアックです(正史を元に、地方の話)。その点はご了承下さい。
◇
陽は深くまで沈んだというのに、空が明るい。燃え盛る焔に身を寄せるように、少年は父の影を追った。
ふと、影がそれを遮る。一転、空が落ちた。少年は自分の肩から吹き出る黒い血液を浴びながら、馬上より転落したのである。刹那、猛々しい従者の威声と共に、少年を突き刺した者の首が転がった。
父上……。
傷口を押さえながら身を起こした少年は身を支える従者を振り払い、前に倒れこみながらも、炎の中に消えた自らの父の姿を懸命に探そうと、腕に、首に力を込める。
が、過多の流血がそれを許すはずもなく。
少年は、父の最期を見届ける事が出来なかった。
◇
陽の高く上った頃。ようやく起床した青年を待ち構えたように声を掛ける者が居た。
「やっと起きたか、蓬文。義父さんが呼んでいたぞ」
開け放たれた民家は、まるで泥棒を誘うかのような無警戒ぶりであるが、ここ南鄭の治安はすこぶる良い。仮に盗みを働こうものなら、関中でも名を知らしめている最高の自警団に捕まり首を刎ねられるが末路である。
その自警団を率いるのが、漢朝に任官していた『岳斯』という男である。彼は168年に起きた『党錮の禁』をきっかけに漢朝から退いた身で、郷里である漢中に戻ってからは、若者を訓練させ治安維持の自警団を発足させた。
この自警団の活躍は幅広く、悪徳な商人の摘発から賊徒の討伐までこなしてしまうものだから、その勇名は関西全土に広まったのである。こんな官軍一個部隊に相当する実力を持つ自警団が腰を据えているものだから、悪党も漢中から逃げ去ってしまったのが現状か。しかし郡から一歩外に踏み出せば、例えば秦嶺山脈などは山賊の巣窟であったりするなど、少なからず自警団に過ぎないという限界を滲ませる事実も存在している。
「起こしてくれればよかったものを……」
気温からか寝汗を滲ませていた小康は、玄関にもたれ掛かって苦笑いを浮かべていた岳管に文句を呟いた。
小康蓬文は流れ者である。
今から6年前、小康の郷里である涼州・武威は馬賊の侵略に晒された。地方の官吏に就いていた彼の父は僅かな兵を率いて民の退却を支援したが、馬賊に捕まり処刑され、弟も殺される。武威に駐屯していた軍隊は壊滅し、その住民も半数が虐殺された。その中に小康が含まれていなかったのは、奇跡としか言い表せない。彼は深手を負いながらも生き延び、散り散りなって退却していた駐屯部隊の一部と合流することが出来たのである。小康は傷の手当てを受けている最中に、父の最期を知った。勇敢に槍を振るい、敵にその勇姿を認められ、将に首を刎ねられたという。武人としての最期を全うした父に、不思議と涙が流れなかった。
「わたしに何かあったら、隴西の知人を訪ねなさい」
父が出陣前に語った言葉だけが、頭の中に浮かび上がった。
少ない食糧、止まらない流血、衰える体力、長い行程。日に日に『死』という単語が近付く中隴西に辿り着いた小康は、ある家の門を叩いた。
「まことか」
突然の来客に腰を浮かした家主は、嘗て小康の父と共に学門を学んだ仲の男性である。
武威に馬賊が侵攻したのは商人から聞かされていた彼であるが、親友の死をこの時初めて知り、落涙した。男は名を馬騰といい、嘗て涼州遠征で名を馳せた馬援という将軍の末裔である。小康の父と学門を学び、その後は地方官吏として隴西で働いていた。 馬騰は、身寄りを失った小康を養子として迎え入れ、移住を考える。
「漢中がよい」
漢中の治安の良さは、既にこの地まで聞こえている。賊の襲来も無いだろうし、そういった点で小康も安心して過ごせるだろうと我が子を思いやったのである。
武威から流出した民が続々と南東は長安へと移動する中、馬騰は馬賊侵略を生き延び落ちぶれた兵士たちと合流し、家族を引き連れて一路南へと針路を取った。
そして居住を構えたところで、自警団率いる岳斯と出会ったのである。
「いったい何の用だろうか……」
馬騰と馬賊侵攻を生き延びた兵士たちは、岳斯に登用されたといっても過言ではない。居を構える代わりに、自警団で働けというのだ。勿論、農作業などと併用しつつであるため、誰も断らなかったのは語るまでも無い。北方より流れ着いた70名の騎兵が漢中自警団に加わったことは大きなきっかけとなったのか。馬賊侵攻より逃げ延びた兵士たちが続々と漢中に集うようになり、移住翌年には2千の兵士たちが自警団に加わったのだった。
その内の1人である小康は、自警団の1部隊を指揮するようになっていた岳斯の息子と知り合い、気が付けば、お互いに昇進を競い合う仲になっていた。
「定軍山に跋扈している谷豹賊が不穏な動きを見せているらしい。おそらくは、その対策だろう」
岳管の言葉に、嗚呼、と欠伸を洩らしながら頷いた小康は、草履を履いて寝床としている小屋から出る。そのまま隣接する井戸に向かうと、水を引き上げ始めた。今年は雨が少ない。井戸の水の少なさを感じ取った小康は、山賊の行動にこれを照らし合わせる。
「奴らも凶作か……」
かもしれん、と小康の呟きに頷いた岳斯は、道端に繋いでおいた馬を引き寄せ縄を解いた。頭から水をかぶって完全に覚醒した小康に促す言葉を投げかけると、騎乗して街の方へと駆けていく。
「となれば、死闘になるな」
不吉な独り言を聴き取ったのは草木だけ。空を仰いだ小康は、再び赴くであろう戦場の恐怖を掻き消そうと、自らの腕を掻き毟った。
◇
「来たか、遅いぞ蓬文」
南鄭城内に在る兵舎は本来漢朝の正規軍が使用するものであるが、太守不在の街にそんなものは存在しないため、代わりに治安を預かっている自警団が使用している。そんな兵舎の一室に、小康は陽が完全に昇りきった頃現われた。叱責したのは、義父の馬騰である。
「隣接する邑を視てきましたが、凶作の被害は甚大ですね。畑を持つ民ですら飢えるというのに、畑を持たない山賊が飢えないはずがない。近いうちに必ず城の食糧庫を狙うでしょう」
言いながら岳管の隣の席についた小康に賛同するように、自警団の最高司令官である岳斯は頷いた。定軍山を本拠とする谷豹賊は、漢中やその周辺の郡の中でも最大規模の賊集団である。容易に討伐できるような、簡単な相手では無い。むしろ、下手に地形戦に持ち込まれれば、こちらが全滅しかねない。過去にも幾度となく矛を交え、お互いに凌ぎを削ってきたからこそ、岳斯以下自警団の全員は奴らの恐ろしさを知っていた。
だからこそ、民を戦渦に巻き込むわけにはいけない。特に小康などは、誰よりも強く願っているはずである。もし奴らが城内に雪崩れ込もうならば、虐殺と陵辱の限り蹂躙しつくすだろう。武威の悲劇を繰り返す、それだけは阻止しなければならない。
「蓬文の言う通り、今年は日照りが続き、農作物の収穫は殆ど見込まれない。城内の備蓄を掻き出せば民は食いつなぐ事が出来るだろうが、それを賊徒にくれてやるわけにはいかない」
席につく全ての人間を強く見回した岳斯は立ち上がり、円形の机の上に地図を広げる。それを合図にするように、部屋に集まった部隊長級の全員が席を立ち、地図を見据えた。
岳斯は筆を取り、地図上の二箇所に×印を描く。
「こちらが南鄭城。そして、この山の中腹にあるのが谷豹賊の本拠だ。この2つを直線で結ぶと、3つの邑が巻き込まれる事になる。即ち、我々は敵の到着を待つ事は出来ない」
待てば、それだけの村が襲われる。攻撃される側だというのに、得意な地形で態勢を整えての迎撃が不可能だ、と岳斯は言う。
「おそらく、敵は必死になっているだろう。食糧を得なければ、飢え死ぬことは目に見えているのだからな。つまり、敵の士気は尋常ではない。中途半端な陣を布けば、易々と破られる」
「奇襲をかけるにも、微妙な地形、か……」
戦況は芳しくない、と伝えた馬騰の言葉に、屈強な体付きをした男が呟いた。男は名を郊昔といい、岳管の幼馴染である。力強さと状況判断の速さから、岳斯を守護する衛兵に選ばれていた。
「……奇襲は不可能ではないだろう。河川まで誘導し、葦に火を放ち囲めばいい。が、問題は、奴らがそれに引っ掛かる単純な攻撃を仕掛けてくるか、だ」
自警団の軍議は基本的に自由である。岳斯が馬騰や小康の軍事的才能を信用している、という点が大きいのだが、息子である岳管や、最近になって頭角を現し始めた郊昔などがどれ程のものか見極めたい、という親心も強い。この軍議においても、郊昔が即座に地形を読み、その上に小康が軍略を乗せたりと、若々しい才能に将来性を岳斯は感じてなどいる。勿論馬騰も子の成長は嬉しい限りではあるのだが、小康の発言に身を引き締めた。まさしくその通りで、敵は必死になるのだから、猪突猛進に敵を目指すはずが無い。奴らの狙いはあくまでも食糧であって、我々自警団の殲滅ではないのだ。その事を鑑みれば、我々が策を講じても空回りする可能性が非常に高い。今更ながらであるが、馬騰は今回の戦の熾烈さを予感したのである。
「そうか、奴らの狙いはあくまで食糧……ならば、複数の部隊に分裂させて、各方面より襲ってくる可能性も視野に入れれば」
「こちらも部隊を裂かねばなるまい。敵の部隊数と経路さえ判れば進路を予測できるのだが、流石に情報はないか……」
「いくつかの邑が襲われるのは致し方ないというのか……虚しいな」
「定軍山に近い邑の住民を避難させて、少しでも被害を減らそう。今から指示すれば間に合う。父上、手はずを」
小康・岳管・郊昔は揃って17歳のはずであるというのに、歴戦を積んだ姿は逞しく映る。岳斯は目を細めて3人の議論を見守り、息子の言葉にはっと我に返った。あまりの達者ぶりに、思わず漢朝時代を思い出してしまっていたのである。辺境を駆けた懐かしき時を懐古するような、それほどの違和感の無さに、思わず入り耽ってしまっていた。咳払いをした岳斯は、家人の者を呼びつけ指示を出す。
「もし奴らが昨日の内に出立していれば、今夜にも定軍山の麓に達する。間者を送り込んで情報を集めよう。最高の行軍速度を以てしても、奴らが南鄭に達するまではあと2日は掛かるはずだ」
「いや、待て。もし陽平関が落ちれば、南鄭は喉元に匕首を突きつけられる形になる……奴らに余力があるならば、次に南鄭を攻める足懸かりとして此処を攻めるやもしれん」
「有り得るな。陽平関にも少なからず食糧の備蓄はあるし、武器だって在る。駐屯するのは3百の兵か。騎兵が在れば急襲も出来るし、ただでは落ちんだろうが」
3人の議論は終わりを見せない。残りの部隊長などは、その議論の真意を逃すまいと、年下の人間が発している言葉だと忘れて地図を食い入るように見つめている。それほどまでに彼らは信頼を寄せており、だからこそ、自らが持つ知識と知恵を出し惜しみなく曝け出していた。
「一応、部隊を3つに分割しておこう。1つはわたしが率いる歩兵隊。兵力は8百でいい。岳管はこれに加われ。1つは馬騰殿の率いる騎兵隊。兵力は5百程度になりますか。馬丙殿は叔父上を大いに助けられよ」
情報を瞬時に整理した岳斯は部隊編成を考察し始める。
馬丙とは、馬騰と直接の血縁ではないが同族の出身者である。馬騰が漢中に移住するというのでそれに同席し、小康を兄の様に慕って育った少年は、将校の気紛れで争いに借り出され、今では馬騰を補佐する少数部隊を率いているのだから人生というものは解らない。
岳斯の指令に拳を合わせて応えた馬丙は、部隊指揮のため室外へと消えた。馬丙だけでなく、岳管も馬騰も、岳斯の指示を受けた人物は皆が退室していき、残ったのは小康と郊昔だけである。
「最後の部隊は、小康、君が率いろ。副将に郊昔。兵力は4百の騎兵部隊だ」
岳斯の言葉に、郊昔と小康は首を捻った。2人が率いている兵は、合わせても百にやっと届く人数である。だというのに、その4倍の数を率いるとなると、何処からか裂いてくるのだろうか。
「岳司令」
と、彼らは岳斯をこう呼んでいる。
「我々は互いに50前後の兵しか率いません。むしろ、それだけで充分で御座います」
小康は腰を低くして言ったが、結局のところ、分け与えられる3百の兵士は足手まといになるから邪魔だ、という意味を込めた皮肉である。郊昔も、申し訳ないが、と顔を伏せ、小康の擁護に回った。彼等の用兵が、自警団の中でもとりわけ疾いのは知れた事である。が、それについていけるであろうと見込んだ精鋭の騎兵部隊でさえ、足手まといになるというのか。岳斯は憤りを感じる以前に、その事実に驚きを見せた。
用兵・錬兵の度合いからして異なるのか。
ふむ、と一度呼吸をおいた岳斯は、結局は2人の言い分を呑んだ。
◇
「圧倒的に人材不足だな……孫靖先生と田文が抜けた穴がやはり大きい」
日が変わっても兵舎の軍議室に独り残った岳斯は、部隊配置と作戦について詰めの考察を行っていた。が、どうも思うように連携が繋がらない。谷豹賊が総動員できる戦力は、間者から得た兵糧の残石から逆算して約5千。馬や兵車などを動員すれば更に餌がかかる為、おそらく歩兵を中心に4千前後の兵力を動員してくるはず。足の疾い騎兵を3百ほど編成して各地へ分散させるとしても、谷豹賊が今回動員してくる兵力は見積もっただけで5千には満たないだろう。
しかし、如何に防ぐか。自警団の総戦力は4千程度のものである。谷豹賊の標的である南鄭城の守備には、最低でも2千は裂きたい。残り2千で、如何に4千強の死兵を防ぐか。岳斯は地図上で幾度も模擬戦を繰り返したのだが、どうやっても勝てない。部隊数で勝る敵に押し切られ、城内に雪崩れ込まれてしまうのだ。
去年まで南鄭に滞在していた軍略家・孫靖に教えを請うて、若い人材が飛躍的に強くなった。その代表が息子の岳管であるが、更に1人、田文という青年の成長も著しいものがあった。
田文は岳管の幼馴染で、益州を中心に店を構える田氏の息子である。彼の父である田壮は岳斯と旧知の仲で、今現在でも自警団の一員として部隊を率いている頼もしい男だ。孫靖に軍略を学び、父である田壮の下から自立して一部隊を率いるようになった田文だが、昨年、師である孫靖が長安に移った事により、これに付き従った。田文は学門に自己を見出したのである。
(惜しい)
岳斯は軍師の才能を香らせる田文が一介の学者になってしまう事を悔やんだ。そして、部隊指揮にも小康らと通ずる所があり、やはり引き止めておくべきだったかと、二重の後悔に苛んだ。
そもそも田文という名は、彼の有名な斉の宰相・孟嘗君と同じ姓名である。田壮の子を想う気持ちで付けられた名が、まさか孟嘗君の再来かと噂されるほどの麒麟児に成長するとは思ってもみなかったであろう。
(名は体を表す、か)
田文が居れば、彼の部隊指揮は小康に似る所があるから、或いは今回の戦いも苦戦を強いられなかったかもしれない。そもそも、地図上の模擬戦の段階での苦戦である。これが実際の戦地であれば、一寸先には自らの首が飛んでいるかもしれない。
ぞくり、と冷や汗が背筋を艶やかに撫でる時、扉が風に押されたかのように開いた。人の気配がある。岳斯が顔を上げると、既に室内に大柄の男が立っていた。
「今回の戦、勝てぬぞ」
机に近寄りながら言葉を発したのは、風圭という旅人である。2年前に岳管と共に山賊を蹴散らした事で交友を持ち、ふらりと南鄭を訪れては岳斯や郊昔の剣術を指導していたりする。総じて、不思議な男である。名は体を表す、という先程の言葉が、この男ほど当てはまるものは無い。地を往く風、まさしくそれである。
「確かに、勝てぬ。しかし、負けぬ事も出来る」
「周辺邑里を見殺しにするつもりか」
今回は、どうやっても勝てない。それは承知の上での戦いであるならば、黙って敗れるわけにはいかない。
そもそも、何故勝てないのか。決定的な指揮官不足もさることながら、兵士の質にも違いがある。敵は死兵なのだ。死を覚悟した人間ほど、戦場において強いものは無い。敵にとって、これは勝たなければ死ぬ戦いだ。ならば、その覚悟は決死である。故に死兵であり、士気の保ちようがこちらとは数段に異なる。如何に百戦錬磨の兵士といえど、戦場で死神を視たら慄くものだ。立て直す前に突破されすのが関の山である。
それを繰り返されれば、勝てない。迎撃に赴いた部隊は瞬く間に壊滅し、遺体が大地を埋めるだろう。小康や息子の遺体を見たくは無い。しかし、だからといって周辺村落に住まう民の遺体も見たくは無い。
岳斯が風圭に語った、負けない事、というのは、谷豹賊が最も求めるものを差し出し、講和を図るというものだ。お互いに不可侵条約を期限付きで結べれば、谷豹賊にとっても損は無い。戦わずして戦利品が得られれば、これ以上無い得だからである。
しかし、風圭は岳斯の案に反論した。食糧の備蓄は確かに豊富だが、仮に谷豹賊に備蓄の半分を分け与えたとして、南鄭城内の住民は冬を越せるであろうが、その周辺村落の民はどうなるか。本来彼らに分け与えるべき食糧を谷豹賊に差し出すというのだから、当然、彼らに配当される食糧はなくなる。村落で備蓄もあるだろうが、一ヶ月もすればそれすらもなくなるであろう。争いが起こるのは目に見えている。そもそも、治安を司る自警団が治安を悪化させれば元の子も無い。人の命よりも、人の人生を考えるべきだ。風圭は切々と岳斯に説いた。
「しかし、仮に迎撃をするとしても、敵の方が兵力も部隊数も士気も勝る。守るべき場所も多く、こちらは分散して戦わねばならない。いや、地図上の戦いでは、ある程度は互角に戦えるのだ。しかし、敵の本隊がどう動くかによっては、我々は一方的に壊滅してしまう」
岳斯が地図上の一点を指した。風圭はその地点を視ずに、陽平関ですな、と戦局の分岐点を明確に答えて見せた。
「彼の地が落ちれば、敵は補給路として活用するだろう。そうなると、我々が孤立する事になり、一つ一つ拠点を落とされていく。わたしが谷豹賊なら、そうする」
確実に食糧を奪うには、地盤を固めるのが先決である。
その地盤に、南鄭からかなり離れた場所とはいえ、陽平関が選ばれたなら。漢中と中原を結ぶ陸路は塞がれたも同然で、補給が受けられない。更に言えば、自警団苦戦の報が各地へ散らばり、雌伏していた山賊たちが息を吹き返し谷豹賊に加勢するかもしれない。そうなれば、まさしく破滅への一手に成り得る。戦うにあたって、それだけは阻止しなければならない。
「わたしが指揮官なら、犠牲覚悟で邑里を2つほど放棄して、陽平関の守備に向かわせる」
「そうすれば、南鄭への道が開く。敵は一直線に此処へ押し寄せてくるだろう」
「……八方塞、か」
風圭は岳斯の重圧を初めて感じ取り、軽々しく議論を交わしたことを恥じた。有効な策も無い。犠牲も出したくない。勝ち目が無い。この状況を言葉で言い表すならば一言、絶望、である。岳斯以下自警団及び漢中全土の民は、絶望の淵に立たされていた。
「きゅ、急報! 岳司令、急報でございます!」
扉の前から連絡係の慌しい声が響いた。いよいよ動いたか、と腹を据えた岳斯は、しかし続いた言葉に一転呆気に囚われた。
「小康・郊昔の両部隊が、定軍山麓に陣取る谷豹賊の一部隊を急襲! 襲撃に壊乱した谷豹賊が退却する両部隊を追撃しましたが、河川敷に誘き寄せ火計によりこれを撃破! 小康・郊昔両部隊はそのまま山岳地帯に侵攻し、散り散りになっている谷豹賊を各個撃破して回っています!」
そんな莫迦な、という疑念が室内に充満する。たった百の兵で、5千に近い死兵を破ったというのか。岳斯は呆然と地図を眺めていたが、風圭の笑い声でふと我に返った。わたしは冷静であったのか、と。
思えば、極度の重圧に押し潰され、自分というものを見失っていたかもしれない。岳斯は、己が机上の空論に溺れていた事を恥じた。現場を見て状況を判断するのが本来の自分であるというのに、情けない。司令官失格である。
気持ちの沈む岳斯を後目に、小康・郊昔の奇襲に始まった戦いの戦況が続々と入ってくる。
「陽平関に谷豹賊襲来! その数約1千! 馬騰殿が急行なさいました!」
「岳管及び田壮両部隊が敵の砦を発見! 小康・郊昔両部隊の攻撃から逃げ帰った部隊が駐屯しており、現在攻撃を仕掛けております!」
「小康・郊昔両部隊が田壮殿の部隊と合流しました! 現在は砦の攻略に全力を注いでおります」
「馬丙殿より急報! 谷豹賊の一部隊が河川を下り、南鄭方面へ向かっております! 至急迎撃態勢を!」
疾い。
岳斯は単純にそう思った。小康という人間の疾さは、戦略のものだけではないのか。時の歩みさえもが、周囲の人間とは異なる。彼は、天を歩いているのかもしれない。自然とそう思ってしまうほど、この時間の疾さは尋常ではなかった。
「風圭殿は一部隊を率いて、南鄭城周辺を巡回してください。必ず少数規模の賊徒が徘徊して村落を襲うはずです。それを虱潰しに叩いてください」
「了解しました」
こうなった以上は止まれない。気が付けば既に退室していた風圭は、閉じかけた扉の奥で返事を返す。兜を被って剣を携えた岳斯の目に、数刻前の迷いはない。
「出陣だ! こちらに向かう谷豹賊を粉砕するぞ!」
部屋から出た岳斯は、既に隊列を整えていた精鋭部隊を前に拳を突き上げる。鬨の声挙げる兵士たちは、岳斯の指揮で出陣し、疾風のように駆けた。
◇
「はて、さて」
定軍山麓に位置する谷豹賊の築いた砦前。その攻撃の指揮を執る田壮は、攻め手としての責務を十分に果たしていた。出撃してきた敵部隊の将の首も2つも取ったのだ。だというのに、落ちるはずの砦が、落ちない。これは、相手守将の力量が優れていると認めざるを得ないのか。山賊にすぎない集団をこれ程にまで統率する謎の人物に、田壮だけでなく、攻撃を果敢に続ける岳管すらも畏怖を覚え始めた。
「郊昔殿、ご帰還です」
報告を受けた田壮は後曲馬上にあり、敵陣を眺めながら頷いた。郊昔には砦に隣接する山に潜む敵の遊撃部隊を叩くよう指示を出し、更に山上から砦の様子を窺うようにも伝えておいた。それを果たしての帰還である。同じく馬上にある郊昔は、馬を田壮に隣接させ、腕を組みながら報告に入る。
「敵の遊撃部隊は弓兵を中心に組まれていた。規模こそわたしの部隊と同じくらいだったが、火矢を放つ装備が施されていた。間違いなく此処を狙っていたのだろう。3人が死に、4人が大火傷を負ってしまった」
田壮はいよいよ背筋に悪寒を覚えた。遊撃部隊の存在を感知できたから良かったものの、もし放置していれば、死んでいたのは自分だったかもしれない。敵の将帥の力量か、或いは偶発的なものだったのか。定かではないが、猛攻を凌ぎ続ける敵を見ていると、どうも偶発的な作戦だとは思えない。明らかに、谷豹賊を指揮する者の指示である。
「敵の将帥は、おそらく砦の東部を守っているのだろう。上から見たが、あそこの兵士だけ異常に早く動く」
東部を攻めるのは、小康である。先の奇襲で被害を出した小康は田壮から70の騎兵を新たに授かり、それを従えて攻撃に臨んだ。一度目の攻撃で迎撃部隊の将を討ち取り、二度目の攻撃で門を破った。だというのにそこから攻めあぐねているのは、そういった理由があったのか、と田壮は納得した。つまり、小康は敵の将帥と直接戦っているのである。それで被害を殆ど出さない小康の手腕は素晴らしいものであるが、その小康ですら防いでしまう敵将とは、恐ろしいとしか考え付かない。
「郊昔。そなた、敵の将と渡り合えるか?」
小康の部隊も、流石に戦い続きで疲れているはずだ。交代させる必要がある、と田壮は考えたが、果たして自分に小康と同等程度の用兵が出来るのか、と自問したが、その答えは否である。小康の用兵術はそれ程群を抜いており、自分には到底追いつけない領域の輝きを持っていると自覚している。その小康ですら突破できぬ敵陣だ。自分が相手をすれば、或いは逆に撃破されかねない。そこで田壮は小康と肩を並べる働きを見せた郊昔に尋ねてみたのだが、その郊昔も目を伏せ、静かに首を振った。
勝ちに乗じて敵を追い込んだつもりであるのだが、逆に我々が虎穴に入ってしまったような、罠に嵌った不信感。我々は乗せられたのかもしれんな、と呟いた田壮は、敵の砦を力強く目に焼き付けた。次こそは、必ず。決意を新たに、田壮は撤退の鐘を鳴らすよう部下に伝えた。
◇
「奴ら、強い」
見も蓋も無いことをさらりと言い放ったのは、撤退する部隊の殿を指揮した小康である。見れば鎧には綻びがあり、自ら先陣に立って槍を振るったであろうことは、その場に居合わせなかった岳斯にも見て取れる。
岳斯は自警団を三つに分けた。馬丙と兵2千に南鄭を守らせ、馬騰の守る陽平関に武器を送り、自らは南鄭から北西へ40里の地点に陣を布き、田壮らと合流した。壊走したとはいえ、敵の狙いは食糧。必ず再起すると踏み、徹底的に叩こうとしたのであるが。
「兵法の何たるかを、敵が知っているのか……」
「いや、それ以上でしょう。追撃を振り切ったかと思えば、中軍の岳管が呑み込まれた。兵を伏せていたというのなら、あの激戦の中兵士を裂き、更に我々を退却させる必要がある。それすらも視野に入れていたというのなら、敵を束ねていた将は間違いなく天才だ」
疲れたように腰を下ろした小康は、分析できた詳細を語っていく。その席に居なければならないはずの岳管が居ない事に気付かぬまま。
岳斯は小康と郊昔の分析で上がってくる武将像に、どうも親近感が湧いて仕方が無い。戦い方が、非常に酷似しているのである。
「孫子の法、だな」
「はい、おそらくは」
そう、敵将の戦い方は、孫子の法と一致する部分が多い。これ程まで見事に孫子を演じられると、小康などは戦いの最中である人物を思い出したりしていた。
「まるで、孫靖先生と対峙しているような気が致しました」
孫子、と聞くと、この場に居合わせる全ての人が彼の名を思い浮かべるであろう。まさしくその通りで、孫靖は彼らに孫子の兵法を教えた師匠なのである。
孫靖は郷里を離れ、長安郊外に住むといわれる孫氏に教えを請うた、と自らの経歴を語った。出生は定かではないが、斉の大軍師・孫賓の末裔、というわけではないらしい。が、学門に生きる中で軍略に出会い、それを小康や岳管に教え込んだのは紛れも無い事実である。
その孫靖が山賊に手を貸した、というのは嘘になるだろう。彼は今長安に居るはずであるし、田壮宛に息子である田文の様子が綴られた手紙が送られてきている。これが偽りとは、考えにくい。
「孫靖先生に教わった人物か、或いは、孫靖先生と共に学んだ人物か」
どちらにせよ、優れた軍略家に代わりはないが。と、岳斯は溜め息にも似た一息をついた。
ここまで来て、砦に対して打つ手無し、なのである。陽平関を襲った敵部隊は、馬騰率いる勇猛果敢な騎兵部隊の前に退却した。つまり、敵の攻撃拠点はこの砦なのである。それを落とせない、という事は、敵の再起を許してしまう、という事だ。かといって、無闇に力攻めしても効果は薄い。被害が増えるばかりであるし、そもそも敵の砦は本拠点と繋がっている事が判った。兵力の補給は自由自在で、それこそ攻撃するだけ骨折り損だ。
如何に対処するか。夜襲の警戒を怠る事無く、議論は深夜にまで及んだ。
◇
悔しい。
岳管は独り、夜襲を警戒する陣内で馬上に在り、夜空を眺めていた。
今回の戦いで、自分は何も出来なかった。それが素直に悔しかった。
小康や郊昔は百の兵で3千以上の敵を撹乱し壊走させ、更に砦に敵を追い込み、迎撃に出てきた敵将を討ち取った。馬騰は陽平関に迫った敵軍を蹴散らし、馬丙ですらも、岳斯と協力したとはいえ敵部隊を撃退している。今回の戦いにおいて、目立った功績を残せていないのは岳管だけなのである。更にいえば、砦の占領を諦めて撤退する最中、敵の伏兵に遭い相当な打撃を受け、多くの兵士を死なせてしまった。この責任の念は、若い岳管には重すぎたのかもしれない。不思議と流れ落ちた涙に、岳管は己の非才を嘆いた。
自分には、煌く様な用兵術も、輝く様な戦術も無い。在るのはただ、自警団司令・岳斯の息子という、兵を率いる立場だけである。
此処に、自分の居場所は無い。
仲間と共に過ごす時間が、いつからか重苦しいものへと変わっていた。その事にようやく気が付いた。
(出よう)
旅へ。此処が自分の居場所でないならば、自分の場所を求めて大海に出よう。
岳管は静かに決意すると、無心のまま移動していた宿舎の前に降り立った。
◇
死兵ではない。
敵の布陣を遠望した小康は、そのゆとりに気が付いた。敵の兵の動きに、緊張感は確かにある。が、それがどうも、死地へと赴く勇士の気迫には見て取れない。むしろ、何かを企む動きに見えた。
「郊昔、どう思う」
小高い丘の上から敵陣を見下ろしていた2人は、互いに意見を話し合う。こちらにもゆとりがあった。即ち、互いに死兵ではないのである。この点で、岳斯はまさに自らを見失っていたといえるだろう。
「報告では、敵の数は4千強のはずだが……2千前後しか布陣していない」
「兵を裂いたか……しかし、敵影は見当たらんな。報告にあった騎兵も居ない」
「と、いうことは」
「陽平関が危ない。が、同時に好機でもある、か」
おそらく、谷豹賊はこの地に本陣を布き、1千前後の兵を陽平関攻略に向かわせたに違いない。敵の戦いにはゆとりがある。即ち、食糧の備蓄も充分、という事だ。凶作に便乗しての襲来であったから、思わずそれ一点に執着しすぎであった。その事を2人は恥じ、そして気を引き締め直す。報告によると、敵の総動員数は4千強。谷豹賊が本腰を入れれば、万を越す人数を動員可能であるというのに、それが4千強にとどまった、という事は、それだけの兵士しか連れてこれなかったと考えるのが妥当であろう。つまり、ゆとりをもって動員できる兵数は4千強が限界で、それ以上の人数を食わせる必要のある奴らは、どちらにせよ食糧が狙いなのである。陽平関を拠点に、しつこく南鄭への攻撃を繰り返すであろう。折角本陣を発見したのだし、それは阻止したいところだ。
その本陣の兵士が少ない、という事は確かに好機かもしれない。見れば隊列も整ってなく、行軍の疲れを癒すためか休息中であるらしい。此処を叩けば、敵は間違いなく壊乱する。しかし、小康と郊昔の率いる兵は、合わせても百に達しない。戦闘に参加しない伝達隊や偵察隊を合わせて、ようやく百に達する程度の超小規模部隊である。これで戦いを挑むのは、無防備を通り越して自殺行為ではあるまいか。小康と郊昔の会話を地に伏せながら聞いていた兵士たちは、誰もがそう思ったに違いない。だが、小康は早速近者を呼び、作戦の手はずを伝え始めた。
「郊昔、先の軍議でほのめかした火計を行う。この敵は、計略に引っ掛かってくれる単純な敵だ。岳司令が恐れていたような、完全無比の死兵ではない」
「となれば、まずは敵を釣り出す必要があるが、うまく河川敷に誘い込めるだろうか」
「なに、騎兵だけで行えば楽なもんさ」
小康のその言葉の意味を早速理解した郊昔は軽く頷き、戦闘部隊を歩兵・騎兵・弓兵の三つに分ける。
「歩兵部隊には、此処から東に位置する河川敷に群生する葦に油をかけてきてもらいたい。その後は対岸に身を潜め、合図と共に敵に突撃し我々と合流せよ。大丈夫、日照りで河は普段より浅く、流れも穏やかさ」
「歩兵部隊が注ぐ油は、弓兵が放つ火矢に使用するものを使う。よって、弓兵部隊も歩兵の後に続き、作業を補佐せよ。作業後は歩兵と共に対岸に伏せ、合図と共に葦へ火矢を放て。葦が燃えたら対岸をそのまま遡行し、救援に向かってくる敵部隊を待ち伏せて討て」
2将の言葉に小さく頷いた兵士たちは、敵に見つからないよう姿勢を低く保ったまま丘を下っていく。残ったのは騎兵と、非戦闘部隊である伝達及び斥候部隊だ。
「伝達隊を三つに裂く。甲隊は馬騰殿の下へ走り、陽平関の救援へ向かうよう進言してくれ。乙隊は田壮殿の下へ往き、この作戦を報せてくれ。河川に煙が上がったら、山の麓に攻め入ってくれともな。丙隊はこの場に待機。わたしたちの作戦を見届けたのち、南鄭の岳司令にありのままを報せてくれ。失敗も、成功もだ」
「斥候隊もこの場に待機。作戦が成功した場合、敵本陣の奥地を探ってきてもらいたい。作戦が失敗に終わった場合、伝達丙隊と共に南鄭へ帰還しろ」
がしっ、と両手を胸の前で合わせた兵たちは、即座に行動へ移ってゆく。残る騎兵たちへの指示は、既に語るまでもないか、と小康は敵陣を見下ろす。谷豹賊の連中は、無邪気にも談笑したり、昼寝を楽しんだりと、実に緊張感を持っていない。それは当然といえば当然で、軍隊と賊徒の違いがここにある。尤も、小康の所属する自警団も、正確には軍隊ではないのだが、過去に軍隊を率いた人物に育て上げられたものだから、体質そのものは何ら軍隊と変わりない。賊は略奪が目的であり、連携行動を取るものの、規律が無い、或いは弱い。それに比べ軍隊というものは、邪を正すために存在し行動しなければならないため、規律が厳しい。邪、とは、即ち無法である。無規律、と置き換えれば、軍隊は賊を正すために存在している、とも言えるだろう。
彼らは何を想い、何を胸に、賊という無法へ身を寄せているのか。
幾度も思った疑念。それが小康の胸を通り過ぎる頃、傍らに立っていた郊昔が兵たちに指揮を飛ばした。一斉に乗馬し、一瞬にして精鋭騎馬部隊が出来上がる。
決死の作戦。死の可能性を戦場に感じなくなって、そういえば久しい。郊昔も小康も、自らが死ぬかもしれない作戦を立案し実行する事に、躊躇いがなくなった。戦争とは、特に関係もなく人が死ぬものなのである。それに責任を求めるのは、実に愚かな事ではないか。人の死に意味を求めてはならない。死が既に答えなのである。
出陣の時が、静かに近付いていた。
◇
この部隊の、何たる強さ。
気の緩んだ本陣の中に独り気を張っていた王統は、突如襲来した少数騎兵部隊の強さに圧巻を受けた。陣が分断される、という所でようやく兵を収拾した王統は敵に挑もうと騎乗したのだが、鐘の音と共に敵が引き上げていく。隊列をなして見事に退いていくその素晴らしさに、王統は少なからず疑問を抱いた。
(見事すぎる)
疑わしいほどに出来すぎた奇襲、そして編成。思えば敵は騎兵しか率いていなかったように思える。
(我々はからかわれたのか)
50程度の数で2千の部隊に急襲、そして綺麗に退却。まるで偵察ついでに遊んでいくかのような、不思議な遊楽感。そう、紛れもなく、数で勝る谷豹賊は相対する南鄭自警団にからかわれたのである。その事に気付いた棟梁が、怒り狂わないはずが無い。すぐさま騎兵団を編成し、退却した敵を追撃するよう命令を下す。それを諌める少年が居た。王統である。
「お待ちくだされ。如何なる罠があるやも知れず、追撃などは」
「なに、林を抜ければ平地が続く。兵を伏せる場所もなく、防戦の要である河川の水嵩も低い」
つまり、罠などは仕掛けようが無い。棟梁はその様にして、王統の諫言を退けた。
(果たして、そうか)
王統が思うに、河の水が浅いならば、対岸に渡り何か策を講じるはず。追撃が成功するかどうかの判断は下せないが、自分がもしこの局面で谷豹賊の本陣に奇襲を仕掛けるとしたら、何かしらの罠を仕掛けてから行う。
(敵の目的は、何か)
王統は思わず自問した。彼は兵法学者に学んだ父をもち、その父に全ての軍略を委ねられた。父が死んだ以後、郷里の天水郡を出て漢中を襲う賊徒に力を貸しているのは、単純に自分の生活を保障してくれるからである。それ以外に他意はなく、しかし敵の奇襲に軍略以上のものを感じた王統は、思わず自問した。
彼が学んだ学問とは、孫子である。それに照らし合わせれば、と、王統は暫し思案する。
兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為すものなり。
こういった一文が、孫子にはある。兵とは戦争の事であり、戦争というのは敵を欺くことからはじめ、戦利を得ることを目的として行動し、別れたり合ったり変形しつつ進んでいく、という意味だ。この文章の後ろに、彼の有名な風林火山の心得が続いたりする、孫子兵法の初歩的な箇所である。
この心得に照らし合わせるならば。戦いの火蓋は、敵の奇襲によって落とされた。これは、詐に値する。ならば、自警団は何を戦利と捉えて行動するだろうか。
(まさか、砦か)
谷豹賊の別働隊が昨年より密かに築き上げてきた要害の砦が、本陣の後方15里の山間部に在る。この砦に運び込んでいた兵糧のおかげで我々は飢えずに済んだのだが、と、王統は兼ねてから砦の建設には反対していた。確かに漢中の平野部に侵攻する足懸かりとなる地形で、また発見もされ難いだろう。だが、もしこの砦が敵の手に渡ったものなら、我々は本拠を無防備に晒すことになる。そういった理由から反対していたのだが、当時14歳でしかない若造の言葉など棟梁が聞き入れるはずもなく。結局築かれてしまった砦が、危惧していたように敵の標的となってしまった。
(そもそも、何故、山や河を自然の要害として扱わぬのか)
王統はその事に憤りを感じた。孫子の兵法の極意は、『無形』にある。
微かなるかな微かなるかな、無形に至る
戦闘において、敵に陣形の変化を悟られない進退を至上とするのが孫子であるが、その行き着く先が『無形』である、という。何処を攻めたらいいのか判らないような、形無き、という事を指す無形で、陣を布くだけで敵を混乱させてしまう至上の陣形であると王統は感じていた。
過去に無形の陣を至上とした人物として、戦国時代を代表する名将・楽毅が挙げられる。王統は世に出回っていた『楽毅論』という書物を熟読した事があり、そして楽毅という稀代の名将を崇拝するようになった。
(わたしは楽毅ではないが、それでも、彼のように生きたい)
王統の静かな願いがそれであり、その願いを叶えるためにも、まずは自分が生き延びなければならない、と気を引き締めた。自警団の狙いが砦ならば、その守備に参加して守りきらなければならない。丁度いいことに、砦を守るのは王統の兄貴分である。彼ならば、王統の感じる危機的状況を聞き入れてくれるかもしれない。
兵を纏めた王統は、後方に退く最中、鬨の声と阿鼻叫喚の木霊を背中で聴いた。敗れたか、と、心に痛切が過ぎ去った。
◇
「もぬけの殻、だと申すのか」
翌朝早朝。
難攻不落といわしめた定軍山の砦の実状を見定めるため、陽が昇る以前、まだ空が紫がかった色をしている内に、岳斯は小康と郊昔を供に陣を発した。定軍山の麓に着いた頃には陽がやや高くなっていたのだが、先に放っておいた斥候の報告に岳斯は唖然とし、郊昔は苦々しく唇を噛み、小康などは信じられないという表情をしたまま固まっている。
斥候の報告によれば、先日激戦を繰り広げ遂に落とすことの出来なかった定軍山の砦に詰めているはずの谷豹賊の部隊が居ないらしい。闇夜の内に、定軍山北部にある本拠へと撤退したというのだろうか。いや、そうとしか考えられない。とすれば、谷豹賊をまとめていた男は、間違いなく戦争の天才だ。
「してやられましたな、岳司令」
敵は退却した。つまり、戦いには勝ったのである。だというのに、寂しげに立ち竦む人気の無い砦を見上げる自警団の全員の心の中には、確かな敗北感が浮かんでいた。
昨日の戦いで、前線で戦った部隊の者の中に無傷の者は居ない。戦死者だけでも、実に百名近くに上る。史上最悪の激戦であった。それに勝ったのは自警団であるのだが、勝ち方がよろしくない。敵の砦を落とせぬどころか伏兵に遭い多数の戦死者を出した。それ以上に、砦に対する策を講じている隙に、敵に逃げられたという事実。
敵の虚を突く
孫子の兵法、その極意。それを考えれば、我々は終始敵を圧倒しながらも、実は敵の掌中で踊らされていたも同義なのである。
岳斯以下2将は、憤りを通り越して、最早敵将に感嘆を洩らさざるを得なくなった。敗北、それに等しい居心地にあるのは確かなのだが、あまりにも見事なその用兵に、心の中には爽快感さえ残る。
「見事、としか、言いようがないな」
岳斯は溜め息のように言葉を呟いた。
しかし、いったい何者か。
同時に、誰もが思った疑問である。百戦錬磨の自警団を退け、見事なまでの追撃戦を演じ、悠々と退くその兵の統率ぶり。明確な非凡が、何故山賊などに。
いや、誰なのか、という問いは、既に意味を失っていた。岳斯達にすれば、相対する敵に天才が居る、という事が判ればそれでいいのである。岳斯率いる自警団は、官軍ではないので、戦いに旗を持ってゆかない。それは目印となり、味方同士の連携には役立つのだが、同時に敵に自分たちの位置を報せる事につながる。特別大規模な部隊ですらないので必要ない、というのが主な要因で、それでいえば、谷豹賊などの小・中規模の賊徒集団も同じ理由で旗を持たない。だから、それが誰なのか、と判った所で、戦場においては知らしめる物・目印となる物がないのだから、全く以て意味をなさないのだ。
「次に戦うときは、用心しなければなりませんな」
「……いや、次は、」
次は無いだろう。谷豹賊の将を2人も討ち取ったのだ。奴らの損失は年内に修復されるほど浅くなく、また、年を越せるだけの食糧はあるまい。そういった意味から、次に戦うだけの余力は、谷豹賊は持ち合わせていない。年内の自然消滅が目に見えているのだ。岳斯は寂しげに呟いた。今の谷豹賊の情勢は、自らが体験した辺境の官軍と酷似している。岳斯の胸に過去の痛切が北風のように吹き、去った。
晩秋。
次第に変化していく構図の中、その一翼を担っていたかもしれない谷豹賊が、一部を除いて定軍山より退き、消えた。事実上の消滅である。
◇
何という疾さ。これが地方民衆から成り立つ自警団の強さか。
砦を包囲された谷豹賊は、勇敢にも迎撃を試みた。一度目は、砦東部を執拗且つ獰猛に攻め上げって来る部隊に攻撃を仕掛け、敗れた。二度目は、王統がそれを諌めた。指揮するのが、彼の兄貴分の男だからである。まだ18歳の人間が、何故死地に赴かねばならないのか。15歳の王統は、涙ながらに引き止めた。誠実な涙である。
「俺が往かねば、皆が逝く事になる」
一度目の迎撃で死んだ指揮官は、彼の父親だった。彼の悲痛な叫び声を敵陣に聴いた王統は、門を破られた東門へ急行する。涙を零しながら兵を指揮するその姿に、砦に篭る谷豹賊の全てが団結した。
時が過ぎれば、王統も次第に冷静さを取り戻す。改めて、攻め手の少数部隊の恐ろしさを知った。こちらは既に何百という死者を出しているというのに、この東部を攻める部隊は、殆ど死者を出していない。
(兵士の質が異なるのか)
王統は静かに死を覚悟した。
(だが、繰り込ませんぞ)
しかし、嘗て中山という小国を、滅亡の淵にありながら1人気炎を吐いて守り通そうと最後まで戦った稀代の名将・楽毅の姿が、彼の胸に浮かんだ。その事が、最後まで死力を尽くす、という決意を生む。自分は山賊である。だが同時に、兵を指揮する者であり、一人間である。楽毅を想うあまり、ついつい自分と彼を照らし合わせてしまう。王統は枯れた涙を完全に忘れ、戦場であるというのに、静かに微笑を浮かべた。
(わたしは楽毅にはなれない。及ばない。しかし、何故こうも親近感が湧いてしまうのか)
単純な妄想に過ぎない。実際の楽毅という人物を王統は知らないし、書物の上で短い言葉に収録された擬似像を仰ぎ見たに過ぎないのだ。しかし、孤軍になりながらも必死に何かを守り通そうとするその心意気だけは、確かに合致するかもしれない。卑下な存在でも、自分は人間だ。王統はそう思い続けることによって、自らの心に楽毅を思い描いてきたのである。その思い描きが、たとえ先人に失礼だといわれようとも、王統をここまでの名将に育て上げた事に偽りは無い。
(外の部隊と連絡が取りたい)
王統は砦の外に陣取っていた遊撃部隊に特命を下すと、再び東部の指揮に専念する。攻め手には波がある。それは一定のように見えて、実は不定形で、いや、これこそは無形ではないか、と王統は畏怖した。
自警団にも、孫子を会得する者が在るのか。
厄介だ、と、そう思っただけに留めた。そもそも、孫子などは注訳書が多く出回るようになり、自分の父親でさえ、此処漢中から程近い長安の郊外で学んできたというのだ。そういった所で学んできた者が自警団に居たとしても、何ら不思議ではない。それに、もし相手が孫子を駆使してこようが、自分自身が会得している兵法であれば対処のしようがある。
(負けない、というのなら、この東部を守りぬくだけで事足りる)
そのはずだ、と王統は各方面からの戦況を分析した。そもそも、兵力は此方の方が断然多い。被害こそ甚大なれど、それでも敵の3倍以上の兵力で守っているのだ。北方は断崖の壁、西方の歩兵部隊には主力を当てさせ、そしてここ東部は自分が直接守る。南部を囲まないのは、孫子に倣ったか、或いは何か策があるのかもしれない、と用心して3百の兵を詰めている。
完璧な布陣、という自信は無い。ただ、この布陣と今の士気であれば、あと2日程は守り通せる、その自信はあった。砦に詰める賊徒は、どれも古くから谷豹賊として随っている者たちばかりだ。死んだ兄貴分の形見か、と思うと、枯れたはずの目頭が潤いを取り戻してしまう。遺してくれた物こそ、有効に使うのだ。
櫓に立っていた王統は頬に熱を感じた。敵兵の放った弓矢が掠り抜けたらしい。軌道を目で遡行すると、隣接する山の上から人の首が落ちてきた。続いて転がり落ちてくる馬や人の服装から、それが遊撃部隊のものであると判断した。見上げれば、何者かが鋭い眼光で此方を睨んでいる。敵将か、と王統はすぐさま左右の弓兵に応射させた。決して届かない攻撃なのだが、それで山上の人影は退く。早々と感知されたのか、と、王統は少しずつ絶望を感じ始めた。
(詰まれた、か)
遊撃部隊が全滅したからといって、この砦は易々と落ちるものではない。いや、落とさせない。退路や補給路となる北方の小道さえ生き残っていれば、敵を砦内に誘い込んで門を外側から閉め、火を放つ事だって出来る。王統が絶望を感じたのはそういった戦況面の意味からではなく、敵の力量からなのだ。明らかに、自分の策を看破した。それに、南部から離れて布陣している敵の部隊の陣形が変わっている事を、この時初めて感知した。
(これ程までとは)
もしかすると、敵には自分以上の兵法家が居るのではないか。勿論、王統自身は己が優れた兵法家であると認知したことは無い。しかし、現に戦っている敵が自分より優れていた場合、それは即ち敗──
(いや、わたしは負けん!)
首振って嫌な考えを振り払った王統は、もとより敵本隊を指揮する将を暗殺するなど下策だった、と自分を評価した。敵は正々堂々と正面からぶつかって来ているのだ。ならば自分も、それに応えるべきではないのか。王統は一部将として、この敵に全てをぶつけたい気持ちになった。
「敵の一翼が門に集結したぞ! 丁騎兵隊、これを撃滅せよ!」
ここ東部を攻める敵は疲れを知らないのか。撃退しても撃退しても湧き帰し、そういえば、砦の外に転がる敵の死体は指で数え切れる。何という指揮。何という用兵。声を上げて指揮を出す王統は、不思議と、乱戦の中に在り馬上で槍を振るいながらも声を上げる青年と目線が交錯したような、そんな感覚に陥った。が、詳細は定かではない。王統が瞬きをする間に、交錯した目線は激戦に消えたのだから。
引かない自警団に、防ぎきる谷豹賊。攻めも守りも決め手を欠く中、時間だけが過ぎていく。誰もがそう思った。その時、2人の将が動いた。
「甲・丙騎兵は左翼より上がれぇ! 敵の陣が綻んだ、そこを突け!」
声高らかに叫んだのは、傷だらけの鎧を気にする事無く馬上にて檄を発する自警団の小康であり、
「そろそろ敵が退却するであろう。そなたらは50の兵を以て敵の退却路に潜み、中軍を討て」
戦況を傍観する中左右の者に指示を出したのが王統である。
この言葉は、ほぼ同刻に放たれた。驚いたのは、敵の叫びを耳に留めた王統だけである。
「左翼の修復には時間が掛かる! 乙弓兵は後方に下がり、丙歩兵は前へ出よ! 敵の攻撃を波間で受け、引き入れた所で乙弓と挟撃!」
北部の小道へと消える側近の者を後目に、王統は砦上部より指示を出し、そして自らも騎乗して地面へと降り立った。
「これより、我ら精鋭騎兵は敵の正面を叩く! 者供、続けぇ!」
剣を引き抜き天に翳した王統は、突撃の声と共にそれを敵陣に振り下ろす。大地を揺らす数百の騎兵が数十の敵兵を飲み込む様に突撃し、数刻後、戦いは敵の退却という形で終結した。
◇
「往くのか、孝乎(こうこ)」
久し振りに字(あざな)で呼ばれた岳管は、見送りに陽平関まで赴いてくれた小康と郊昔を、風圭と共に迎えていた。
風圭は旅人である。そんな彼から、近々中原に往く、という話を聴いていた岳管は、それに同行しようと考えていた。悩んではいたのだが、結局、不甲斐無い戦績に終わった谷豹賊との戦いで決意がついた。
「ああ。俺はどうも、世界が狭い。蓬文、子慶(しけい)。俺は、お前たちのようにはなれない」
「孝乎……」
思えば、砦を落とせず退却したあの夜。軍議の間に居るはずの岳管が居なかったように思える。郊昔はその事を今更ながら考え、そして小康同様、岳管の胸の内を知った。
仲間と居るのに、足手まといになる、遠くに離れる、その辛さ。
自分が必要とされていない、その虚しさ。
積もり続けていた感情が、退却失敗の責任を問われなかった疎外感をきっかけに噴出したのか。あの時の岳斯は、息子の失態に対して不問としたわけではないのだが、当の本人にそれは伝わっていない。岳斯は、戦いが完全に終わった時に初めて問うべきだ、として保留しただけだった。
「長安に立ち寄って、洛陽に往く」
「洛陽か……」
この中で、一際洛陽という都市に憧れる人物が居る。小康は漢朝の将として活躍する夢を持っており、それ故、一度でも都を見ておきたいと常々思っていた。それを先に越されるのは、少々羨ましく感じているに違いない、と風圭などは後ろで笑って見せた。
「3年後の帰還を目処にしている」
「3年、か……長いな」
「なに、あっという間さ」
岳管は笑って見せ、早く大海へ旅立ちたいという思いが強く全身に現われている。今回は馬も貰っているし、男の2人旅なのであるが、楽しみが絶えないだろう事は大いに予感させる。
いい土産話を抓みに、酒を交し合おう。
3年後の再会を約束し、幼馴染は交錯した。
◇
谷豹賊は壊滅した。原因は、食糧不足による内部分裂である。
自警団の猛攻を防ぎきった天才・王統は、独り秦嶺山脈を東へと進んでいた。彼の父親格の男は内部分裂によって殺され、匿う者が居なくなった王統は野に捨てられた。人の情を感じさせない、無法、という真意を感じ取った瞬間である。王統はこの時、賊徒である事を辞めた。
(この先、どうするか)
住まう家も無ければ、食べる食料も無い。王統は狩猟をして食を繋ぎつつ、無意識の内に東へと進んでいた。
空腹の為か、王統を背負って歩いていた馬が倒れた。気が付けば、もう2日も何も食べていない。照り付ける日差しに弱ってしまったのか動こうとしない馬を、王統は剣を抜き殺した。焚き木を組み、火で炙って愛馬の肉を噛み締める。
不意に、涙が出た。
(生きる事とは、これ程に苦しいのか)
胸に浮かんだ言葉が、また涙を増幅させる。食わねば生きられない。王統は涙ながら、焼いた肉を食いきった。
(こうまでして生き延びねばならないのか、わたしという存在は)
生きる、というよりも、生かされている、という感覚に王統は陥った。しかしこれは、案外間違いではなかったのかもしれない。
翌日、王統は更に歩き、陽が沈む前に間道へ出られた。南へ向かえば漢中があり、北へ向かえば郷里の天水に着く。陽の位置から方角を確認した王統は、しかし暫し思案した。迷う事無く北へ向かえば、或いは旧知の人間が生活を支えてくれるかもしれない。しかし、考えてみれば、天水に家族は亡い。父はしに、母は消息不明である。郷里に戻る未練が無い、というのが王統の本心であった。
(それに比べ、漢中はどうか)
治安も良く、太守が居ないというのに、人々の生活は安定している。今年は不運な日照りによる凶作を迎えたが、それでも、生活に支障はない、とも噂される。
それに、と、王統は砦での攻防戦を懐古した。
(あの将に、会ってみたい)
会うだけでいい。それだけでいい。自分と対等以上に渡り合った孫子の将を、同じ孫子の将として見ておきたい。
その思いが、暗い夜道を南へと歩かせたのだろう。月が高く上る頃陽平関に着いた王統は、衛兵に止められた。
「夜間の通行は禁じております。近くに宿舎が御座いますので、そちらでお休みください」
王統は衛兵の緩やかな声に、嗚呼、我々は負けるべくして負けたのか、とある種の納得を感じた。陽平関に続く道のあちこちに、谷豹賊と戦ったのであろう生々しい痕跡が、2ヶ月以上経った今でも残っている。あの時感じた、兵の質が違う、という感覚は間違いではなかったのだ。
感慨深い思いを胸に据えた王統は衛兵の前に座り込み、困惑する衛兵にいくつかの質問をする。
「畏まって問いますが、貴方は二ヶ月前の自警団と谷豹賊との戦いをご存知ですか」
「ええ、まあ……」
衛兵は門番の男と目を合わせて微笑しあった。おそらく、旅人の間では有名な話なのだろう。こういった武勇伝を聞きたがる者も多い。衛兵は王統に対する警戒感を解いた。
「では、彼の戦いにおいて、谷豹賊の砦を攻めた武将が誰か判りますか」
「ええ、総指揮を行ったのは、田壮という方ですよ」
「そうそう、俺はその時田壮様の部隊に居たんだが、いや〜、あの戦いは凄まじかった」
2人居る門番の片方までもが会話に割って入る。この場所は和やかな雰囲気に包まれていた。
「では、その砦の東部を攻めた武将が誰だかはご存知ですか」
「ああ、小康様だろ」
「そうそう。まだ若いのに、信じられねぇ戦い方をする人さ。あの戦いでも敵将を討ち取って、門まで破ったんだ。その後は流石に疲れちまったのか、二の足を踏んでたっけ」
「郊昔様もそうだった。砦を守る敵将を褒めてたよ。結局谷豹賊が滅んでしまって、惜しい、と洩らしたとかなんとか」
櫓に登る見張り役すらも声を落としてくる。思えば、この話をする兵士たちの顔ははつらつとしている。それ程、小康という将は信頼を得ている、ということだ。王統な半ば安心して、そしてこう言った。
「では、その小康様に、砦の守将が途方に暮れている、という事をお伝え願えませんか。是非お会いしたい、とも」
座り込んでいた男性の言葉に、兵士たちは暫し沈黙する。
そういえばこの男、こんな深夜に賊徒がうろつく山岳地帯を抜けてきたには軽装である。衛兵はこの時初めて、深夜の来訪者を凝視した。そして、帯刀している剣の艶やかさに、門番は少し疑念を抱いた。
「失礼いたしますが、貴殿は何者でしょうか」
小康や岳斯という人間に会いたい、という人物は多い。その殆どが、腕っ節に自信のある荒くれや猛者である。が、見るところ男は怪力とは思えない。先程の言葉から元谷豹賊の人間であると推測した見張りは弓に手を掛けたが、そういえば男は座り込んでいる。敵意は無い、とみるが、いったい何者か。門から先程までの和やかな空気が消え去った。
「王統と申します。砦にて敗れ賊徒に捨てられた、虚しい敗将です」
敗将、とは、まさかこの男があの砦の守備を指揮していたのか。門番などは飛び出で慄き、伝達係を南鄭へと走らせた。
もしあの時、迷う事無く北へ進んでいたら、わたしはどうなっていただろうか。
王統が自問するその未来に、彼は生涯の主君を抱いていた。