第四話「狼少女、登校する(後編)」
期待の渦が溢れる教室に、ガラガラと音を立てて扉が開いた。全員が注視したその先には期待も虚しく、白髪交じりの高田純次に似ていると言われてきた担任の姿があった。まぁ、そりゃそうなのだが。
「起立、礼」
「おはようございます」
パブロフの犬と化した号令係の合図で全員が挨拶をする。担任は「よし」と自分たちを見回したあと、にたにたとほおを緩める。どうしてあなたはそんなに余裕でいられるのか。おそらくはこの教室の外に彼女はいて緊張してるんだかしてないんだか、とにかく自分の登場するタイミングを待っているのだろう。彼女がここに立った時、周りがどういう反応をするのか。一ミリも心配にならないというのだろうか。
「さて、先日も話した通りうちのクラスに転入生がやってくる。外国の子みたいだし、色々と慣れない部分もあるだろう。ま、みんなでサポートしてやってくれ。じゃ、入ってきていいぞ」
心臓が、何者かに握りつぶされたように強く拍動を始める、その手は氷のように冷たく鋭い爪が優しく心臓を撫でる。殺さぬように、しかし、ただではいられぬように。
扉が開いて小さな体躯とともに揺れる銀髪。見慣れないその髪色に誰もが目を大きくした。その小さな体躯が教壇の前に立ち、初めてこれから長い間一緒に過ごすクラスメイト達と顔を合わせる。
その瞬間の空気を説明するのなら戦慄の二文字がふさわしいだろう。火傷跡のような顔の痣、その痣にぼんやり浮かぶ瞳宿さぬ白濁の眼。反対の眼は猛獣を思わせる鋭い琥珀色を輝かせる。そんな彼女を見て本来沸き起こるはずのどよめきすらこの教室は失っていた。もはやこの静寂は強制された静寂なのだ。声を上げることは許さない。彼女の存在がそうさせている。
閉じた口は二度と開くことのないように、開いた口は閉じることを忘れたように、誰もが硬直する中、彼女は彼らをぎろりと見回した。
「じゃ、自己紹介頼む。大きな声で頼むな」
だからどうしてそんな平常でいられるんだよ。
「分かった」
あって間もない担任教師にも敬語という概念は存在しないかのようだ。その口から彼女の名前や彼女の好きなもの、趣味なんかが語られるのであろうが、彼女はくるっと振り返ると、白いチョークを持って黒板と対峙する。
何が起こるのか。誰もが固唾を飲んで見守った。彼女は黒板にチョークを突き立てると、それなりに大きな字で「び」と書いた。
続けてチョークは自分の命を削りながら彼女に「じ」という白線を引かれる。誰もが「びじ?」とようやく声を上げ始めた。
何か気に入らないことがあったのか、彼女は無言でその字を消してまた黒板とにらみ合いになった。するとくるりと振り返り、またクラスメイトを流し見る。自分の名前を書くのは諦めたようだ。
「拓真」
あどけない表面の裏に殺意でもこもっていそうな野性的な声がどういうわけか俺の名前を呼んだ。彼女は俺を射殺すような目つきで睨んでいる。
「こっちに、来い」
日本人は命令形に弱く、俺は半ば反射的に席を立った。背中に刺さる幾千の視線が痛い。いや、幾千もいないんだけど。でもそれくらい視線が背面に突き刺さっている。目線は一方向に固定して誰とも目が合わぬようにまっすぐ教壇に立つヴィジェの下へ赴いた。
「私の名は、日本語で、どうやって書く」
「・・たぶんこうだと思うぞ」
ご丁寧にも俺は小さくヴィジェと書いて彼女に示した。彼女は頷いて「感謝する」と一言言うと小さく書かれた自分の名前を見て、何度も反芻し、また白線を引き始める。
う゛ぃじぇ・K・れっどふぉおど。いや、なんで平仮名に変換すんだよ。俺ちゃんとカタカナで書いただろうが。
「ヴィジェ・K・レッドフォード。アメリカは、テキサス出身。分からないことが多いが、その時は教えて、欲しい」
「よぅし。じゃ新藤。お前ちょっと端っこの席に行ってくれるか?霧島の隣なら色々サポートしてくれるだろうからなぁ。いとこなんだってなお前たち。よろしく頼んだぞ」
隣に座っていた茶髪気味の新藤さんが小さく「やった」と声を上げてクラスの一番端に設けられた空席へと移動する。この辺は二列目なので後方に移動できた新藤さんの気持ちは分からないでもない。代わりに同居人が座って「よろしくな」と挨拶をした。
分かりやすい。なんて分かりやすい波乱の幕開けだろうか。ともかく彼女は新しい学校生活を。俺は崩壊していく学校生活を歩むことになっていくのだろう。




