第三話「狼少女、登校する(前編)」
平穏と不穏が混在していた一日だった。
彼女が来てから数日経った木曜日。休みはまだかと愚痴を垂れこぼす友人を余所目に、今日この日がクラスが平穏である最後の日だと思うと自分だけはぐるぐると回る黒い渦の中で溺れている、そんな気がした。
放課後、淡い黄金色が窓から射す教室に俺たちはいつものように残っていた。
「霧島、元気ないねぇ」
「そうかね」
自販機で買ったお茶をちびちびと口に入れる俺を見ながら隣の席に座る松岡さんが心配する。
「まっつん。こいつ今面白いことになってるんだよ」
俺を指さして笑うのは前の席に座る神崎である。初めて会った時から馴れ馴れしい男だ。わが家の新しい居候は馴れ馴れしいというよりも土足で人の家に上がり込むような性格だったと思い出す。実際に土足で家には上がらなかったが。
「なになに?なにが起こってんだい?」
「アメリカからいとこの女の子がこいつの家で居候になってんだよ。おまけにいとこは叔母さん達の養子で血が繋がってないんだ」
先日どうしても漏らしたくなってこいつに話した内容をそのまま松岡さんに伝える神崎。言うべきではなかったのかもしれない。
「あー・・霧島。あたしから一言言わせてくれ」
神妙な面持ちで俺の肩を掴むと、長い髪を揺らすことなく静かに突っ込んだ。
「ギャルゲかよ」
「まったくその通りだよ霧島!!そんで!その子はどうせ美少女なんだろ!?」
「言うなよザキ。外国人の女の子でしょう?そんなん美人に決まってるがね」
松岡さんの外国人に対する偏見はいったいなんなのか。ともかく答えを考える。が、返事が思いつかない。特に、彼女の顔のことに関しては聞かれたくはない。
「・・んん」
返事代わりに喉が鳴った。
「いや、もったいぶるなよそこは」
「まぁ、どうせ明日このクラスにやってくるんでしょ。今夜は楽しみで眠れないなぁ」
そう。今日はHRで転入生がこのクラスに来ることが教師から伝えられたのだ。
「外国人の女の子だけど日本語が達者だからお前ら構える必要ないからな。なんせこのクラス、英語の成績は芳しくないもんなぁ。まぁ、分からないことだらけだと思うから仲良くしてやってくれよ」
もっと他に言うことがあるだろう。構えなくていいとは言うが、言語の問題以外で絶対に全員構えるだろう。変わったことを言ったと思えばさりげなくこのクラスをdisっただけだ。せめて身構える猶予を彼らに与えてくれ。
だが、その日は転入生の話でクラス中盛り上がりを見せただけだ。俺の家にいるとは言われないからよかったものの、彼女のハードルは上がり続けて絶対に飛び越えられない位置にあった。
「おかえり、なさい。明日から、登校する。よろしく、頼むぞ」
居間でせんべいをむさぼりながら俺を一瞥して不器用に言葉を並べたヴィジェ。
挨拶は丁寧に。それ以降はぶっきらぼうに。我が校の制服に早くも袖を通したヴィジェは不安まみれの俺のことなどまるで気にも留めずに遠足前の小学生のようなきらめきを彼女の周りに漂わせている。態度はともかく琥珀色の目がキラキラと輝いているのだ。
その反対側の、瞳さえ見ることの叶わない左目に俺の胸がざらついた手で撫でられる。何を心配することがあろうか。俺は彼女じゃない。その傷は俺のものではなく、彼女のものだ。
「日本の第一印象はどうだ?」
彼女の右側に腰を下ろして世間話を持ち掛けてみる。
「ふむ」彼女はニュースから目を離して質問に答えた「建物がいっぱいだ」
「・・そっか」
「私の、住んでいた場所は、何もなかった。家から家が一マイル、以上離れていた」
手早くスマホでググる。約一・六キロメートル。そりゃあ何もないわ。
「日本は、狭い場所に、いろんなものが、詰め込まれている。向こうでは、都会だって、こうはいかない」
「まぁ、そうだろうな」
「見ていて、おもしろい。辺り一面、荒野より、マシだ」
彼女ならきっと、日本のド田舎ですら都会に思えるのだろう。ここはドが付かないが田舎だ。地方都市の端っこの方。意地でも観光客を呼ぼうと歴史的に何の価値もない史跡を推す情けない町だ。
「とにかく、明日は、よろしく頼む。最初のうちは、お前だけが、頼りだ」
「・・あぁ。まぁ、よろしく」
頼りにされてもなぁ。平穏無事は彼女がやってきたことで粉々に砕け散っている。ハリケーンは自分の目の前に見えていて、それがやってくることも分かり切ってはいる。悲しいけどこれ、現実なのよね。
登校は一人だった。少し遅れていくと彼女が言う割に、制服に袖を通し、俺よりずっと早くに起きて数時間前には準備が出来ていたと母親が言っていた。気合が入りすぎだ。こちらは逆に気が滅入る。
彼女の制服姿はやはり異質すぎたが、なんというか、逆に似合っていた。アニメかなんかでピンク髪や金髪が制服を着ているせいだろう。
HR前、席について、早々ざわつき始めるクラス。「外人だって。仲良くなれるかな」「やっぱ鼻高かったりするんだろ」大方予想通りの声の中、心臓をわしづかみにされるような声が耳に入る。
「今、遅刻してきた隣のクラスの奴からライン来たんだけどさ。なんかすげぇ顔の子がいたらしいぜ」
「すげぇ顔?」
ゆっくりと後方に振り返る。声の主は三浦だ。バスケ部に所属する美形で・・もうこれ以上は言わなくてもいいだろう。だいたいどのクラスにもそういう奴はいるものだ。カテゴリ別に分けられるような人間が。活発で元気があって女子人気が高い奴ら、根暗のオタク、なんだかよく分からない奴。クラスはそれで構成される。
「なんか、顔の半分ただれてる女子がいたって。・・まさか転入生じゃないよな」
ぴんぽーん。大正解。三浦さんに十ポイント入りまーす。
「そいつ幽霊見たんだろ。四谷怪談の・・お七さん」
ぶぶー高松さんはずれでーす。四谷怪談はお岩さんでしたー。なんて言ってる場合ではなく、この反応がすべてであることを察してしまう。彼女は彼らの間でお岩さんとあだ名をつけられるのだろう。アメリカ人だからロックさんと呼ばれるのかもしれない。どこのドウェイン・ジョンソンだ。
それでもいずれ訪れる嵐に比べれば今はまったくもって平穏すぎる。それも五分後までだ。秒針が丸い時計を五周すればこの平穏に爆弾が投下されるのだ。実に長い時間だった。




