第二話 とある架空請求の恋
これはとある少年少女の不思議な恋の物語
ある日、私はとある女子から屋上に呼び出された。どうやら私に内密な話があるらしい。クラスが変わってからは交流がなくなっていたが、彼女とは面識があった。そんな彼女からの呼び出しだ。応じないわけもなく屋上へと向かうと、私を待っていた彼女から手紙を手渡される。
内容は私からの手紙に対する返事であった。私も好きでした、という言葉からどうやら私は彼女に恋文を渡したらしい。なぜ伝聞系なのかというのは、その手紙を書いた覚えが全くないからだ。
彼女に頼み、私が書いたと思われる手紙を見せてもらう。縁に桜の花びらが印刷されたそれは確かに我が家にある便せんであり、書かれた文字も私の筆跡に酷似しているように見えた。不審な点がない。それだけに身に覚えのない恋文は不気味に映る。
私の怪訝そうな顔から何を感じ取ったのか、彼女は不安げな表情を浮かべ私を見つめていた。この手紙は確かに怪しいものではあるが、彼女にそんな顔をさせることは本意ではない。実際、彼女の好意自体は嬉しいものだったのだ。
私は手紙を彼女に返し、彼女の架空請求の告白を承諾する旨を伝えた。それを受けて彼女は表情を明るくする。良くも悪くも彼女が感情を表すことに言葉はいらないようだ。
彼女と別れ、再び私は恋文のことを考え始めた。とはいえ、恋人ができたことに浮かれているわけではない。あの不可解な手紙への不信感を取り除かなければ、交際を素直に喜べないからだ。
便せんのみなら私の部屋から誰かが持ちだしたのだと説明はつく。私が不在のうちに痕跡を残すことなく便せんを抜き取られる。それはそれで恐怖を覚えるのだがまだ理解の範疇に留まる。
けれど、その便せんには私の字で彼女への愛が綴られていたのだ。問題はそこだ。身に覚えがないのだから、それはどこまでも不気味なものであった。私ではない私が書いたという滑稽な解もあるだろうが、到底納得できるものではない。
こんな状態で交際を続けては彼女に失礼だろう。そういうわけで、私はこの一件の原因を心霊の類と決めつけ、図書室で調べることにした。正体が判明すれば、私のこの不信感は払拭されることだろう。
放課後の図書室を訪れる。貸し出しカウンターで本を読んでいた彼女がふと顔を上げると、私の姿を認め嬉しそうな顔をする。会いに来てくれたのかと尋ねられたが、違うと答えるととても寂しそうな顔をした。慰めるように頭を撫でると、初めは驚いた様子を見せた彼女であったが次第に穏やかな表情になっていった。それに安心して私は調べものを始める。
けれど、民間伝承の中には私が求探しているようなものはなく、途方に暮れる。手に取ってみた地元の伝承には終戦ごろまで度々行方不明者が出ている公園があったという、私が求めている類ではない伝承しか載ってはいなかった。
そんな折に本棚越しに女子たちの会話が聞こえてきた。
「そう言えば、隣のクラスの音無ちゃん、彼氏できたんだって」
「え、まじで? うわー、いいなー。みんなに春が来るのに私には全然来ないよー」
「じゃあ、伝説の夜桜に頼んでみたら?」
「何それ?」
「知らないの、伝説の夜桜。戦前から生えてる桜なんだけど、一歩踏み出せない子の後押しをしてくれる恋愛成就の伝説があるらしいよ」
「へー、そんな桜があるんだ」
「なんでも、昼間は花を付けてないのに、夜中になると途端に満開になるらしいよ」
初めて聞く話だったがそういうものがあるのなら手紙の謎も解けるかもしれない。眉唾ではあるが、むしろその怪しさこそ私が探しているものなのだ。
郷土史の本を開き、その伝説の夜桜の条件に見合うものを探していく。すると、戦前から開発されず残っている桜の木がこの近くの自然公園に存在していることが分かった。あまり立ち入らない場所なので詳しくはないが、この時期は多くの花見客で賑わうような公園らしい。そこにある桜のいずれかが伝説の夜桜なのだろう。
ページを捲っていると、挟まっていたのであろう紙切れが床に落ちた。拾い上げてみると、そこには恋愛成就の伝説の夜桜と殴り書かれており、どうやら私と同じように調べた人物が前にもいたのだろうことが分かった。
調べ物を終え図書室を去ろうとすると、背後から袖を引かれる。立ち止まり、振り返ると図書委員である彼女が立っていた。委員の仕事がもう少しで終わるので一緒に帰ろうという誘いを受けたので、私は一度自分の荷物を取りに戻り、再び図書室で彼女を待つことにした。
斜陽に染まる道すがら、彼女は私が図書室で熱心に何を調べていたのかが気になったらしい。手紙を不信がり、伝承を調べていたなどと答えれば、また彼女に要らぬ不安を抱かせてしまうだろう。かと言って彼女に嘘を伝えるのも気が進まない。
思案の末、私は伝説の夜桜の話を彼女に教え、その桜の場所を調べていたと伝えた。彼女は桜を見ることが好きなようで、その夜桜に大変興味を示した。女の子を夜連れ出すことはあまり褒められた話ではないが、謎が解けるかもしれないという思いと彼女の期待しているような眼差しに思わず一緒に夜桜を見に行く約束をしてしまった。
伝説の夜桜は日中花を付けない。伝承に従うなら、日が沈んだ頃に行くべきだろう。夕食を取り終え、私が彼女の家まで迎えに行くと私服に身を包み、どこか恥ずかしげに頬を染めた彼女の姿があった。彼女の両親は私を信頼してくれているのか、彼女が夜出歩くことを咎める様子を見せなかった。それほどの信頼を得ていたことを嬉しく思いながら、私はいつものように彼女の手を取り、歩き出した。
公園に辿り着く頃には夜は更け、辺りを照らすのは古くなった街灯の頼りない光だけ。薄暗い公園はどこか不気味な空気が立ち込めていた。そんな雰囲気に中てられ不安になったのだろう、握る彼女の手に少し力が込められた。安心させるように握り返すと、公園へと足を踏み入れる。すると、入り口近くで女性に呼び止められた。
声のする方へと視線を向けると、その女性は宵闇に溶け込むような黒い布を纏い、影に隠れるように立っていた。
「……この辺りは物騒。気を付けたほうが良い」
そんな忠告を残し、女性は私が何か言う前に立ち去る。私の視線に隣の彼女が不思議そうな顔をする。なんでもないと伝えると再び手を握り、私たちは歩き出した。奥に進んでいくと、桜が立ち並ぶ通りに出る。盛りは終えてしまったのか葉桜が所々混ざってはいるものの、その花々は街灯に照らされ夜を彩る。彼女は目に映る彩りに感嘆した様子を見せていた。
けれど、そこに咲く桜は若いものばかりであり、私が求めている伝説の夜桜はここにはなかった。池沿いに続く桜の通りを歩いていると、池の向こうに一本だけ咲いている桜の木を認めた。ここから見ても分かるほど、その木は他に比べて大きく、その樹齢は数百年を超えているように思える。
私はあの木が噂に聞いた伝説の夜桜なのだろうと確信を持ち、彼女にあの桜を見に行かないかと提案する。私の提案を彼女は快く承諾し笑顔を見せた。どうやら夜の不気味さは桜の可憐さに上塗りされたようで彼女の足取りは少し確かなものになっていた。
池の向こう側に回り込もうと進むにつれ、街灯はその間隔を広げていく。次第に光源を失っていく中で、ついには辺りを照らすは薄い雲に陰る月明かりだけになってしまっていた。風に騒めく木々に不安を煽られる。広がる闇に足元を掬われそうな恐怖を私は隣の彼女に悟られないように努めた。
茂る木々に狭められていた視界が不意に開ける。眼前に広がるは大きく伸びる枝いっぱいに花弁を纏った伝説と呼ぶに相応しい桜の大樹であった。一目見てわかる荘厳さ。人工の光を借りず、月光のみのライトアップで咲き誇る様は浮世離れした幻想をその場に作り出していた。
私たちはしばし桜に目を奪われていたのだが、幻想の中に一つ馴染まない人工物があることに気付いた。桜を見ている彼女にその場に留まってもらい、私はその人工物の元へと駆け寄った。近づくとそれが墓石であることが分かった。こんな所に墓があるなんておかしな話ではあるが、どうやら戦時中に亡くなった方の意向でこの場に墓を建てたようだ。綺麗な桜の木の下には死体が埋まっているという噂話もあるが、本当に目の当たりにするとは思ってもみなかった。
この桜が例の伝説の夜桜で間違いはないのだろう。けれど、こうして対峙してみたところで、あの手紙の正体を解明するような手掛かりを得ることはできなかった。徒労に終わったと言っても過言ではない花見であった。
しかし、一つ気づいたことがある。彼女と花見をするという行為の中で、彼女に対する私の好意が手紙の不気味さに阻害されることはなかったのだ。詰まる所、手紙の真偽は置いておいても、私は彼女と良好な関係を築くことができるのだと分かった。それこそとんだ取り越し苦労だったと思わなくもないが、結果として彼女と同じ感動を共有できたのだ。恋愛成就の伝説はあながち間違いではないのかもしれない。
結論を得た私は彼女の元へと戻ろうと振り返る。けれど、私を迎える彼女の笑顔はどこにもなかった。風に舞う桜の花びらが視界を覆う。私は彼女の姿が見えないことに焦りだす。彼女が独りでどこかに消えるなんてことはありえないはずだ。私に嫌気がさしたのだとしても、こんな視界の悪い場所を彼女一人で歩き回るのは危険すぎる。
跳ねる鼓動に任せて走り出す。彼女の名前を叫ぶも、それが意味のないことだと私は知っている。けれど、そんなことでもしなければ平静を保てないのだ。
『度々行方不明者が出ている公園があった』
『……この辺りは物騒。気を付けたほうが良い』
そんな今思い出したくない言葉が頭をよぎり、私の不安は膨れ上がる。
足が縺れ、転びそうになるも何とか踏み留まる。こんなことがあっていのか。たった数刻目を離しただけでどうして彼女を失うのか。不安は不満に変わり、やり場のない怒りは慟哭にて発散される。あまりにも大きな喪失。私の中を彼女がここまで占有していたことに驚きを覚えつつも、当たり前のことだったのだろうと納得する。
彼女との出会いは去年の春だ。新たな環境に身を置き、不安げな彼女に手を貸す役目を与えられ、その一年を共にした。責任感から始まった関係だったが、その手を引き、彼女に周囲の言葉を伝えていくうちに、彼女の声にならない言葉に触れるうちに、私は彼女に惹かれていったのだろう。
息が詰まる。けれどそれは慟哭の嗚咽でも、日頃の運動不足によるものでもない。何か異常な力で後方から襟首を掴まれたからだ。息苦しさにその歩を止めて振り返ると、そこには公園の入り口で見た女性の姿があった。
「……警告はした」
その言葉はひどく簡素で、それでいてひどく残酷なものだった。
「……けれど、今回は彼が迷惑をかけた。だから、これで貸し借りはなし」
そうして女性の後ろから顔を覗かせた彼女を認めた時、私は思わず駆け寄り、その身を抱きしめていた。突然の行為に彼女が驚くのは無理もないことだろうが、彼女はどうしてか一緒になって泣き始めた。
ようやく気持ちが落ち着き、女性の方に向き直る。女性は僕に言いたいことがあるのか、律儀に待っていたようだ。
「彼が迷惑をかけたというのはどういうことなんでしょうか?」
「……あなたが見た墓、その主が彼。今は夜桜の霊になっている」
そうして女性は語る、伝説の夜桜がどのようなものであるかを。
彼と呼ばれた男性はあの桜の元で一人の女性に恋をした。けれど、戦時中の徴兵に駆り出された彼は女性に想いを伝えることなく戦場で死を迎えてしまう。そんな末路を予感していた彼は出兵前に家族に自分の墓はあの女性と出会った桜の側に建てて欲しいと伝えていた。亡骸を桜の下に埋められた彼はやがてその身を桜に移し、伝説の夜桜として存在し続けた。いつか女性に想いを伝えるために、春にはその身に満開の花を付け、咲き誇っているのだった。そんな境遇の元で霊体となったわけなので、今は自分と同じような境遇、秘めたる想いを伝えられず一歩踏み出せない者の背中を押す恋愛成就の手助けをしているという話であった。
「……具体的には対象に憑りついて勝手に告白する」
「悪霊の類じゃないですか」
女性が語る間、静かに待っていた彼女に私は手を動かし話の概要を伝える。話を理解した彼女は驚いたような様子を見せる。それと同時に何か納得したようだった。彼女は手話で語りだす。どうやら突如として姿を消したのは彼女の意志ではなく、気が付いたらその女性に手を引かれていたらしい。女性が言った彼の迷惑とはそのことだったのだろう。
「……その手はもう離さない方が良い」
女性の言葉に私は強く頷く。けれど、一つ分からないことがある。それは女性が伝説の夜桜の物語をまるで見てきたように語っていたことについてだ。その疑問を女性に投げかけると、思案するような沈黙の後女性は口を開く。
「……本人に聞いた」
それだけ答えると、女性は闇に消えていく。興味本位に聞きたいことはあったのだが、私は追いかけることをしなかった。握るこの手を再び離すような愚を犯したいと思わないからだ。
『帰ろうか』
空いている手で彼女に伝える。
『うん』
承諾を得て私は歩き出す。前を見据え歩を進めていると、隣から肩を叩かれたので彼女の方に顔を向ける。彼女との会話には視覚情報は必須だ。伝えたいことがあるならしっかりと相手と向き合うことが大事だとこの一件で改めて感じていたのだ。
『今日は楽しかったよ』
『それはよかった』
怖い思いもさせたはずなのだが、気遣いであれそう言ってもらえると嬉しいものだ。不思議な体験も、彼女にとっては貴重で楽しいものだったようで、どうやら私の認識より彼女は強い精神を持っているらしいことが分かった。
彼女を家に送る道すがら二人で花見の感想を伝え合う。次はお昼に見に行こうなんて、気の早い予定を立てることも中々に楽しい。静かな夜道に二人の賑やかな言葉が飛び交う。交差する視線に時折気恥ずかしさを覚えるけれど、それも恋の醍醐味なのだろう。
彼女の家に辿り着き、結んでいた手を解く。手に残る彼女の感触に名残惜しさを感じつつも、明日もまた会えることを慰めに私は彼女に別れを告げ、踵を返した。
「まっえ」
後ろから声が聞こえてくる。子音が上手く発音できない彼女の『待って』という言葉に足を止めた。滅多に声を発しない彼女だ、何かあるのだろう。そう思い振り返ると、不意に私の口が塞がれる。触れる唇の温もりに私は目を丸くする。初めて彼女の口から伝えられた感情は甘く私の中を侵していく。彼女は離れ、手を動かす。
『これからも、よろしくお願いします』
街灯に照らされる紅潮した顔に彼女は笑みを浮かべる。多分、私は今見るに堪えない呆けた顔を彼女に向けていることだろう。気恥ずかしさに頬を掻く。
「こちらこそ、よろしく」
聞こえないように呟いた言葉に彼女は微笑みを返すのだった。
部屋の電気をつける。机の上に散らばる鉛筆と便箋を片付ける。クラスが変わり、つながりが切れてしまえば私の想いはきっと届くことはなくなってしまう。そんな心のどこかにあった焦りが今回の告白を私にさせた。
机に置かれたノートを捲る。そこには初々しさを感じさせる二人のやり取りが並んでいた。どちらがどっちの文字なのかなんて、一目で分かるほどに見慣れた筆跡に指を沿わせる。この他愛のない会話の一つ一つが、私の中で秘めていた想いを育てていったのだ。彼が手話を覚えるまでに使われたノートは二人で紡いだ想いの軌跡。
秘めたる想いに気づけたから、この胸に宿った複雑で自分ですら理解しきることのできない気持ちは便箋の上でたった二文字に集約されていた。我ながら拙い言葉であるとは思うけれど、きっとこの二文字は桜のように儚く、そして桜のように美しいだろう。
こうして私の架空請求の告白は成功したのだった。
読んでくださりありがとうございます。
よろしければ感想を聞かせてください。
前話から少し時間が立った現代が舞台となっています。
ここでは耳の聞こえない少女と、その補助を買って出ていた少年が、クラス替えを挟んで離れてしまったことをきっかけに恋へと発展します。
オチが分からなかった人の為に説明しますと、最後の部分は少女の視点になっています。
机に置かれた便箋と鉛筆。そして、二人の筆跡が載っているノート。
かくして架空請求の告白は成功したわけです。
蛇足で申し訳ありません。