異世界のヨネスケ
女の子はルーナというらしい。なんとも没個性そうな名前だ。
僕のくだらない芝居を信じて仕事を置いて、集落の長に会わせてくれるというから優しい女の子だ。ルーナは緊張した面持ちで僕をリードする。いじらしいやつめ。
「千尋、さんは貴族様ですか?」
ふいにルーナが聞いてきた。ここでは否定も肯定もしちゃあいけない。僕には記憶がないんだ。
「んー、それも思い出せないんです。でもどうして?」
と媚びるような口調でいうと、ルーナは顔を赤らめた。また癖が出た。が、あまりに突き詰められると僕も頭がいいわけじゃあないからぼろが出る。気をそらすにはちょうどいい。
「い、いや何となく…。落ち着いてて髪も服もきれいだったから」
気恥ずかしそうに答えたのを聞いて、そういえば靴はないのに服はあることに気づいた。裸だったなら第一村人どころの騒ぎではない。
「僕を口説いてるんですか?」
とおどけると、いよいよルーナはそっぽを向いてしまった。
意地が悪いのはどこに行ってもかわらないもんだ。どうにも相手が自分より背が高いと上目遣いをしてしまう。
ルーナに連れられて村を行くと、第二第三と村人が目に付くようになってきた。みんな怪訝な顔を向けてくるが仕方あるまい。制服という装いはなんだかとっても目立つ。
「ここが長の家だよ。少なくとも私よりは力になってくれると思うけど」
そう紹介してくれたのは、まあ少し大きいかな程度の木造だった。
「知らない男のために仕事投げてまで案内してくれる女の子ほど、村長さんは優しいのかな」
なんて投げかけて扉を開こうとして、違和感を感じた。扉が重いのだ。よくあるデパートの重い扉の上位互換といった具合に。こんなしょぼい木造なのに、意外としっかりしているのかもしれない。
両手で扉を押すなんてみっともないことをしていると、視界の端からぬっと手が伸びて戸を開けた。
とっさに振りかえるとやっぱりルーナだった。顔を真っ赤にしているが問題はそこじゃあない。
戸が素直に開いたのだ。
発達不良とはいえ、男の僕が両手で格闘したこの戸を、女の子があっさり開けてしまった。
悔しい以前に不思議だ。まあ多分コツがあるんだろう。
手を伸ばしたために僕をつつむ体勢になったルーナを見上げて礼を言った。ルーナは何も言わずに僕を家に入れ、奥に入っていった。待ってろっていうことか。
しばらく待つ間、奥のほうからは問答が聞こえていた。
十分ほどたって、ルーナが連れてきたのは教養のありそうな美人だった。
「千尋さんね?話はこの子から聞きました。こちらへ」
訝しげな顔で奥から出てきた村長さんは僕を見て腑に落ちた表情になり、奥へ案内してくれた。
さて、中に入るとそこそこに広い事務室といった具合だ。あの、と僕が声をかけようとすると、
「単刀直入に、千尋さんはどういった方なんでしょう。少しでも覚えていることはないかしら?」
おおう、本題に早速はいった。ここまできたら誤魔化せるところまで行くしかない。
「ホントに何も思い出せなくて…。ただ、この村に来てそう時間は経っていないとは思うのですが…」
消え入るようにか細い声で、目を伏せてみる。ちろっと涙もつけちゃう。
「そ、それはそうですね、服も綺麗ですしなにより…。やっぱり本土のひとかしら」
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曰く、つい2日前にこの村に交易船が来ていたというのだ。本土、というからこの村は島なんだろう。そんでもってその交易船は国からのものか。だとすれば、話をあわせてモラトリアムを得るしかない。交易船というのだからめったに来るものではなかろう。実際に船が来て僕の存在を伝えたとしても、もう一度本土に戻りその旨を伝え云々するわけだから余裕はある。
「次に船が来るのははひと月後だから、それまでここで待ってもらうしかないわね…うーん」
村長さんは考え込んでしまった。まあ当然だろうね。あまりに怪しすぎるし、小さなコミュニティでは独断は良くないんだろう。沈黙が流れ始め、さすがの僕も不安になり始めた矢先、今まで気配を消していたルーナが口を開いた。
「私のうちで良ければ」
村長さんも僕もぎょっとして彼女を見た。なんて懐が深い女の子なんだ。だが、家族に何の了承もなしにというのはいけない。それについて咎めようとすると、村長さんが怒ったような顔つきをルーナに向け、
「あなた自分が何言ってるかわかってるの?呆れるわ」
なんて言い捨てた。おいおいおいそこまで言うことかね。ルーナは悲しそうに視線を下げているし、これはフォローするしかあるまい。
「僕はいいですよ」
ぽつりとつぶやいた。村長は信じられない、といった具合か。まあルーナが嬉しそうに視線を上げたので良かった。問題がなければ、と付け足すと、
「本当にいいのね?」
と村長が念押ししてきた。僕は食い気味に頷いて、村長の家を後にした。
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ルーナは彼女の家に着くまで黙ったままだった。家についてさっそく両親に御断りを入れようとしたがいない。死んだパターンか、なんて思ってると、ルーナは察した様子で、
「お母さんは本土で仕事」
と教えてくれた。まあお父さんに関しては色々あるのだろう。
僕はいろいろ聞くことにした。もちろんこの世界のことだ。
無能の僕でさえ、うすうす自分の置かれた状況に気づき始めたってわけだ。
世界、国、文化、とりあえず聞けるものは聞いた。記憶喪失って便利な設定だよね。時折思い出せそう的な動作を交えてポンポン引き出す。存外にルーナはおしゃべりだと分かった。
アレコレと聞いたはいいが、どれをとってもさっぱり何のことかわからず、僕の知能の低さを呪った。固有名詞が多くて理解が追い付かないが、あまりに聞き返すとバカ丸出しだし、不審だ。
ちっちゃな国がたくさんあって、それが一つの同盟で固まってる地域が一つ。豊富な鉱石資源でウハウハな国が一つ。宗教がすげえくて国になったところが一つ。太古の英雄が建てたという国がここなんだと。
名前は右から左に受け流したが、主要なのはこの4か国なんだと。G4だけは覚えといてやろう。
ここで問題なのがこの世界の価値観。
特に男女のそれが特異だ。というのも随所に逆転が見られるのだ。
なんだか色々わけがあったようだが、あんまりぴんと来なくてなんのこっちゃだった。ただ、男の数が女に比べてなかなか少なく、それでいて非力なもんだから大切なんだそうだ。
なるほど、ルーナや村長の態度やあのクソ重い扉はそういうことだったのか。つまり僕はナチュラルにこの世界の体質に変化したことになる。もしくはもともと腕力がカスだったか。
正直言ってあまりいい予感はしない。生き残れる見通しは立ちまくりだがどうにもよくない。
端的に言うと僕はこの先ピーチ姫みたく無理やり誰かの所有物になる可能性が高い。
前の世界、あの町にいたときでさえ僕は常に誰かのものだった。決定権があるようでない、といったシステムだったが、この世界はどうだ。
女の子はなんか背が高いし力も強い。いよいよ僕に決定権はない。ともすれば命の危険だってあるだろう。いやあ参った。とんでもない豚みたいな女を飼い主に引くことがないように祈るしかあるまい。
さて、目を向ければ当面の僕の所有者のルーナがいた。そわそわした仕草なんかは前の世界の女と変わりがないようだが彼女の内心はわからない。
お互い黙って見つめあうという地獄みたいな時間がしばらく続いた。目を細めたり、微笑んでみたりして彼女の反応をひとしきり楽しんだ。
突然でっかく腹がなった。ルーナでなく僕のだ。さすがに恥ずかしいなこれは。
「ご飯、用意するね」
なんて気を遣われてしまった。海の幸だろうか、山の幸だろうか。