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プロローグ 〈日向〉

 私には幼馴染がいる。

遅生まれの年上だけど、ちっこくてドジな男の子。

同じ団地の近所で、産婦人科もおなじところだ。

小さな頃から遊んでいて、親同士も仲がいい。

絵に描いたような幼馴染だったが、一つだけ問題があった。


 とてつもなく綺麗なのである。


 女の子、というよりは女性の様な顔つき。けれども柔和なんかじゃない、美しくて妖艶だった。人形師の作品のような輪郭、鼻立ち。きゅっと結ばれた赤い唇、切れ長の目にすべてを見透かすような深い憂いをたたえていた。毛先が柔らかくウェーブした、濡れたような黒い髪は耳が隠れるあたりまでのばされていて、ミステリアスな色香をまとっていた。


 我が家一同、彼のことをしばらく女児だと思っていた。千尋という名前も、容姿に合致してきれいな響きだくらいにしか思ってなかった。だから年長さんの時に初めて男と知ったときは、家族と一緒にひっくり返った。お母さん曰く、「やけに女の子育児あるあるが通用しないと思った」とのことだが、そりゃあそうである。


 彼はとにかくドジで、私や周りを常に心配させていた。が、千尋の家族はそれより、この容姿によるトラブルがいつしか起きるんじゃないかと心配していたらしい。賢そうなお父さんと、千尋に似たお母さんだったけど、先見の明というやつだ。

 千尋は中学生になるまえにお母さんを亡くして変わってしまった。


 真顔は怖いが笑うと年相応の、可愛い笑顔。走り回ってコケて泣いたり、可愛いと言うとムスッとなる。そんな千尋は中学生になり、新しいお母さんが来た頃にはそんな無邪気さはとうに消え失せていた。


 無感情でぼーっとしているばかりで、すごく不真面目になった。教師を無視して、同級生に冷たい口をきくようになった。

 けばけばしい女たちのなかにいる千尋を見たときは、彼が遠くへ行ってしまったように感じた。


 会うことも減って寂しくてしょうがなかった私は、休みがちな千尋のプリントをもって家をよく訪ねた。けれど新しいお母さん---詩音さんは決して家に入れてくれず、そうして千尋に会えたことは結局なかった。

 詩音さんは、千尋とは違った冷たさを感じる人だった。千尋は見た目が冷たいが、詩音さんは内面が冷ややかで、それを貼り付けた笑顔で覆ったような人だった。二十歳半ばの綺麗なお姉さんといった感じだったけど、私はあまり好きではなかった。


 千尋の志望校をリサーチして、目指した。

 千尋はあんまり勉強ができるわけじゃないから大した高校でなく余裕があった。むしろ、千尋が通るか通らないかが賭けで、入学式で見かけたときは涙が出た。


 その頃の千尋はすでに完成形と言った具合に、通りすがるだけで心を震わせた。なにも私が特別な感情を抱いてるとかでなく、その妖艶さがカンストしていたからだ。身長は恐らく160もないが、ユニセックスな顔立ちや柔らかく広がる髪から漂う色香は我慢がきくものじゃない。きつく結ばれた唇を抉じ開けたい、細い体を抱きしめたい---有り体に言えば、どエロだった。


 だがその内面は最早私の知るものではなくなっていた。

 入学から程なく、千尋の黒い噂が飛び交った。売りをしているという突拍子のない噂も、あのエロさならば説得力が確かにある。私自身、若い女の担任の助手席や、物置のような空き教室に千尋の姿を見つけたところで、どこか納得したような気がした。噂は真実で、次第に皆慣れた。千尋は何を聞かれても顔色を変えず、無視をするか肯定するばかりだった。


 高校半ばでは、一つの傾向をつかんだ。千尋の相手---担任や養護教諭、先輩や後輩に及んでいたが皆総じて美人だった。噂の真偽を問うて、答えてもらえるのは顔が良い者で、そうでない者は無視されていた。ついに同級生に千尋の手がのびたときにも、相手と噂されたのは美人ばかりだった。

 千尋は段々、美人専用の愛玩動物のようになった。人を避け孤独だった千尋の周りに、常に誰かがいるようになったのだ。


 商売相手だ。私はその様子を見るたび吐き気をこらえた。

 話しかけたかった。でももし拒まれたら。

 そうやって葛藤していく間に、千尋はどんどん遠くへ行ってしまう。


 唐突にその機会がやってきたのは高3の夏の終わり、遅すぎるくらいの時期だった。

 皆が進路を決める頃合いで、私と千尋は決めあぐねていた。無論、進路は千尋に合わせるから千尋が決めていないだけなのだが、夏休みを明けてもどうやら答えを出していないようだった。「行為」以外の要件で、あのクソ担任に千尋が呼び出されるようになったのが現状をよく表している。どの大学にもいけるよう、総合的に勉強するしかなかった私はその膨大な勉強量に追われていた。


 手つかずの文系教科の参考書を教室に忘れ取りに行く途中、私は帰りがけの彼に出会った。


 私の苦労など知る由もなく、どこか上機嫌にみえた様子に苛立ち、私は久々の再会を最低にしてしまった。だが千尋はこたえた様子もなく私に冷たい口を返した。


 返してくれた。


 内容はひどいものだが、言葉を返してくれた。


 私は千尋が無視をきめこんだ有象無象ではないんだ。これまでの辛抱が報われた気がした。

 だが、ここで舞い上がってしまえば様子のおかしい女だと思われてしまう。


「……のくせに」


 嘘をついた。私はそんなことを気にしているんじゃあない。

 けれどもそれを言ってしまうと本当にもとに戻れない。


 次に言った千尋の言葉で、私は軽くイッた。

 これまでのあらゆる妄想、千尋が私のものになる未来を示唆する言葉。扇情的な声色に潤んだ目。固く結んだ唇が僅かに開き、まるで私の舌を待つようにてらてらと光らせた。自分を慰めていたときとはあきらかに違う人為的快感が、ただ言葉のみで引き起こされた。何か言わなければ、なにか言葉をかえさねば---


「嘘だよ」


 私は堕ちた。千尋を囲うゴミ共と同じだ。

 浅ましく求め、口を開けてしまった。

 侮蔑する視線が刺さり、そして背を向けられたのを感じた。

 地面を叩く涙で我に返って見上げると、いつも見ていた千尋の背中があった。

 ひどく寂しい、そんな感傷を浮かべているように見えた。


 私はまた泣いた。




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