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人魚魔女の一生

作者: 早田将也

「いい男いないかしら?」

ここは海の中。

鏡をのぞき込んだ年頃の美しい女性が、絹のように滑らかで星屑をちりばめたような美しく輝く金色の髪を赤サンゴで作った櫛でとかしながら、つぶやく

その声は、優しく澄んだ声で、程よく色っぽい。

美しい女性といっても、人間ではない。

上半身は人間に似ているが、下半身に尾ひれがついている。

そう、彼女は人魚のアリヤ。

純粋無垢の権化であり、その姿は海のあらゆる美しさを凝縮したかのようであり、邪念のかけらもない笑顔は、暗い深海を光で明るく照らすほどである。

海流に乗って広い海の中を自由自在に泳ぎ回り、食べたいものを食べ、好きなものを手に入れることができる。

その快活で自由気ままな生活に何の不自由さがあろうか。

しかし、アリヤには今の生活に1つだけ不満があった。

パートナーとなる男がいなかった。

人魚は元来女性しかいない。

というのも、人魚は、子供を産む時期になると、“誕生の洞窟”に行き、そこに生えている海藻を食べることにより、妊娠できる。

しかし、その海藻を食べることによって生まれる人魚の子供は必ず、女の子であった。

女性しか存在しないが子孫を残せる生物。

人魚に男の存在は不要である。

男の存在を必要だと思う人魚はほとんどいない。

しかし、アリヤは男のパートナーを欲していた。

それは、先日の嵐の夜、一艘の船と遭遇したことに起因する。


アリヤは、その日も海流に乗って広い海を泳ぎ回っていた。

深海では静寂の中に時折、クジラの泣き声や地震の音が聞こえる。

今日は海上の嵐の音がわずかに聞こえてきていた。

暇を持て余していたアリヤは、海上へと遊びに行くことにした。

海上に近づくにつれ、嵐の音は次第に大きくなり、波はうねり、雷が海を照らす。

アリヤが海上に顔をのぞかせて見ると近くに大型の船が一隻通過していた。

始めてみる船にアリヤはドキドキが抑えられない。

さらに驚いたことに、船の上にはアリヤと同じような姿の人間の姿を見たことだ。

海の中、特に深海において奇妙な出で立ちの生き物ばかりであるため、仲間以外で容姿が似た生物を見るのは初めてだった。

船を眺めていたアリヤは船の上にいる1人の男性に目を奪われた。

ハンサムな青年だ。

アリヤの視線に気づいたのか、そのハンサムな青年と目が合った。

目があった瞬間、ビビっと、体の中に稲妻が走った気がした。

しかし、それは気のせいではなく、実際、アリヤの近くに雷が落ちたせいだった。

アリヤは気を失った。


気がつくと、見知らぬ部屋のベッドに寝かされている。

部屋自体も知らなければ、そこに置いてある物も初めて見るものばかりだ。

辺りをキョロキョロしていると、自分の体に違和感を覚える。

アリヤは自分の体を確認してみる。見慣れない布切れが体に巻かれている。

しかし、それ以上に驚いたことに、自分の尾ひれが、奇妙な形に二つに枝分かれしている。

それどころか、うろこは無くなり、尾ヒレは無くなり、色は上半身と変わらない。

「キャー」

アリヤは悲鳴を上げた。

すると、部屋に先ほどのハンサムな青年が飛び込んできた。

青年の足もアリヤと同じ形だ。

「どうしたんだい!?」

「@。¥;・」

アリヤは声を出そうとするも、わけわからない言葉しか出てこない。

「?」

青年は不思議そうな顔をした。

「ああ、君は他の国の女性だったんだね!……いやびっくりしたよ。まさかあの嵐の中で、裸でおぼれている君を見たときは……それに近くに雷が落ちるなんてね。僕たちは慌てて、網で君を助けたんだ。ところで、さっきの悲鳴は?」

青年が話している言葉はアリヤには理解できた。

「:・;@・、・;:@」

「?」

一応、普段話している言葉を話してみるが、やはり、この青年には伝わらないようだ。

「おかしいな。僕は王子でこの周辺の国によく遊びに行くんだけど……多くの他国の言葉なら理解できるはずなのに、何言っているかさっぱりだ……とりあえず、君をどこかの港におろすから……。水と食料置いとくね」

そう言って、青年は部屋から出て行った。

アリヤは自分を落ち着かせようと務めた。

この状況、この場から逃げなければ……。

しかし、好奇心の強い性格。

こんな機会、めったにない。

「今のところは、なにか危険があるわけではなさそうだし……」

アリヤはベッドから起き上がる。

初めて使う足でバランスが取れず、ベッドを支えにして、ベッドの周囲を一周歩いてみる。

歩くコツをつかむと、部屋中を歩いてみる。

棚には均整の取れた陶器、ぺらぺらとした白いものに文字を書き綴ってまとめた物(本)、

壁には周囲をオレンジ色に照らし、温かく輝くもの(ランプ)など、海の中では見たことのないようなものばかり置いてあった。

その物が持つ価値はどうであれ、好奇心の強いアリヤにとって、未知との遭遇であり、宝物の山のような風景だった。

ひと通りアリヤが部屋の中を見て回ると、部屋の外も見て回りたくなる。

アリヤは嵐の上の甲板に出た。

船員たちは嵐の荒れ狂う海を航海しようと、船を巧みに操り、荒波を乗り越えようと忙しそうにあちらこちらを駆け回る。

そんな中、アリヤは甲板の上を自由に歩き回る。

船員たちも危ないから中に入っていろとアリヤに呼びかけるが、アリヤはそんなことには構わず、目を輝かせ楽しそうに歩き回る。

船員たちも荒波を乗り越えることに必死なので、それ以上はアリヤに構わず、やるべきことをこなす。

そんななか、アリヤは先ほど親切にしてくれたハンサムな青年の姿を確認した。

青年は嵐の中、船員に指示を出し、自らも駆け回り、ロープを引っ張る。

雨に打たれ、びしょびしょに濡れた服の下に強靭な肉体が垣間見える。

“水もしたたるいい男”とはこのようなことなのかとアリヤは思った。

海の中では、“水が滴る”ということはないので、そんな男は見たことはなかったが。

そのハンサムな青年の姿に見とれていると、突然横から突風がアリヤの体に吹き付ける。

アリヤはバランスをとろうとしたが、慣れぬ二本足では体勢を維持できず、海に転落してしまった。

船の上ではあの青年が何か叫んでいたが、アリヤの体はすぐに海の中へ沈んでしまい、海の静寂の中に身を置くことになった。

二足に分かれていた足は通常の尾ひれの形に戻り、呼吸も水の中で問題なくできる。

海に戻ったアリヤは自宅に帰り、一日を振り返る。

今日ほど刺激に満ちた日はこれまでにあっただろうか。

それもこれも、あのハンサムな青年と目が合い、ビビッと感じた時から始まったに違いない。

アリヤは異性と出会いに希望を膨らまし、再びあの青年に会えることを期待した。


そして何もないまま月日が流れた。

アリヤは年をとった。

絹のように滑らかで、金色に輝き、星屑をちりばめているかのごとく輝いていた自慢の髪は、長い年月を経てまるで使い込まれたモップのように絡みあい、もつれ、白く黄ばんでいった。

どこで、間違ったのだろう。

あの日以来、海上で船を探す日々が過ぎて行った。

しかし、どんな人間の男の姿を見ても、あの日のようなビビッと来るような衝撃はこなかった。そう、アリヤはあの日雷に打たれた記憶は無くなっていた。

毎日船を観察する日々のせいで、子供を身ごもる年頃も過ぎてしまった。

おかげで、アリヤは仲間からも変人扱いを受け、孤独に海の僻地に住んでいた。

最近の若い人魚からは魔女とまで言われる始末だ。

しかし、アリヤもただ年をとったわけではない。

海のいたるところから人間との交流の際に役立ちそうな材料や薬をかき集めた。


ある日アリヤのところに一匹の美しい人魚がやってきた。

その人魚は人魚の王女だった。

もちろん浮世離れしたアリヤでもそれくらいは知っていた。

アリヤはその姿を見ると、昔の自分の姿を思い出すようだった。

「おや、あんたは王女様だね。こんなところに何のようだい?」

アリヤは王女が恋をしていると直感で分かった。

「私の名前は、ルシュカ。六人姉妹の一番下の王女よ」

ルシュカと名乗った王女は美しい声で事情を説明する。

「先日、私は嵐の夜に海に投げ出され、おぼれていた1人の人間の王子さまを助けました。そして必死に看病して気がつきました……私はこの王子に恋をしてしまったのだと……」

やはりそうだ。

「それで、私に何をしてもらいたいんだい?」

「あなたの力でもう一度、あの王子様に合わせてください」

アリヤはこの人魚の王女、ルシュカの気持ちが痛いほど分かった。

しかし、アリヤも年をとり、計算高くもなっていた。

「……王子の居場所はわかるのかい?」

「ええ、王子の着ていた服に刺しゅうされていた城の紋章は、この近くの城の物でした。城に掲げてあった旗と同じだから間違いありません」

なるほど。

この子は賢そうな子だ。この子なら……。

「いいだろう。力になってやろう」

「ありがとうございます!!」

「ただし、条件があるよ……」

「条件?」

ルシュカは体を硬直させ、どんなとんでもない条件が魔女のアリヤから飛び出してくるか身構えた。

「あんたがもし、王子様を手に入れるとして、結婚したら披露宴があるだろ?……その時には私も招待しなさい」

「はあ~。よかった。そんなことならお安い御用ですわ」

ルシュカは体の力を抜いて安心した。

「そんなに緊張していたのかい?いったい、どんな条件を出すのだと思ったんだい?」

「いえ、噂では髪を切られるとか、声を奪われると聞いていたもので……」

「ふん。そんなもの奪ったって、なんの役にも立たないよ」

「噂に尾ひれがついたのですわね」

「話を戻すよ。お前が人間と共に生活するうえで、事前に準備することは1つ。人間の言葉を話すことだけだ」

「それだけ?あしやヒレが人間とは違うと思うのですが……」

「それは一度地上に戻ればわかることだが、人魚が地上に出ると、ほとんど人間と同じ姿になるんだ」

「……お婆さんも、むかし地上に行ったことがあるの?」

「アリヤとお呼び。……“あの時”以来、何度もね……まあ、私の話は置いといて……問題は言語だ。人間の話す言葉は理解できるが、人間の話している言葉は人魚じゃ話すことができない。そこで、この薬を飲むといい」

そう言ってアリヤは紫色の液体をルシュカに差し出した。

「これを飲めばいいんですね?」

「ただ飲むだけじゃだめだ。この液体の中に話したい種類の言語を話す人間の髪の毛を一本入れるんだ。つまり、王子様と話がしたかったら、王子の国の人間の髪の毛を入れるんだ」

「わかりました」「

「地上には見たことのないものばかりだから、気を付けていくんだよ。あと、体に布を巻いてお行き」

「色々、教えていただいてありがとう」

「礼はいいよ。けど、王子と結婚したら、披露宴に必ず私を呼んでおくれよ」

「?……わかりました。必ず。」

ルシュカは不思議そうな顔をしたが、すぐに気を取り直し承知した。

アリヤはルシュカを見送った。

もしルシュカが披露宴を開くことがあれば、周囲の国々の王族と会うことができる。

そして、王子だといっていた、あのハンサムな青年と巡り合うことができると確信していた。

アリヤは久しぶりに訪れる、期待に胸を躍らせ、ルシュカからの朗報が届くのを待った。

しかし、幾日の月日が過ぎてもいっこうに朗報が届かない。

アリヤは海底の城下町へと情報を集めに行くも、王女のルシュカは人間界にいるという噂でもちきりだった。

ルシュカはまだ人間界にいるらしい。

しかし、アリヤにはあまり悠長に待って居る時間はなかった。

そこでアリヤはあるうわさを流すことにした。

顔を隠し、人々の会話にさりげなく入り込み、こう話すのだった。

「……王女を人間にした魔女の話によれば、王女は王子と結婚できなかったら、死ぬって話らしいよ」

この話はアリヤがついた嘘なのだが、驚くほどの反応があった。

海底の国中は大騒ぎになった。

ルシュカが少し焦てくれればと思い噂を広めたのだが、ここまで大々的に広まってしまえば、もう後に引くことはできない。

アリヤは少し様子を見ることにした。

しかし、事態は思わぬ方へと進む。

ルシュカの姉妹がアリヤの元へ家来を引き連れ、やってきたのだ。

皆の顔の表情は険しく、中には今にも獲って食ってしまいそうなほど、興奮している者もいる。

しかし、アリヤは年の功というべきか、いたって冷静に対処した。

「これは、これは王女様方、そんなに家来を引き連れて、こんなところに何の用ですか?」

「あなたは私たちの大事な妹に呪いをかけたそうですね。その罪を償ってもらいます」

「何をおっしゃいますか……私は呪いなどかけておりません。あなた方の妹君は人間の王子と結婚するために自ら進んで人間になりたがっていた。……私はもちろん止めましたとも。しかし、ルシュカ様はその為ならば、命もかけてもいいというほど、情熱を上げておられました。これには私もそれ以上は引き留めるわけもいかず、人間になる方法を教えました。妹君がそれほど情熱を持っていたことはあなた方もご存じでしょう?」

アリヤは嘘を織り込んだ巧みな弁術で、ルシュカたちを丸め込んだ。

「しかし、このままだと妹は死んでしまうそうですね?」

「……このまま何もせず、王子と結ばれなければですが……」

後に引けなくなったアリヤは、ここでも嘘をつく。

ルシュカがこのまま人間の姿で居続けても、死ぬことはない。

「なにか救う方法があるのですか?」

アリヤは困った。

事実、特別に何かしなくても、ルシュカは死ぬことはないので、放置してもいい。

しかし、嘘をついた手前、ここで何か対策を言わなければ、私はつかまり、死刑にされるだろう。

「満月の夜に、このナイフで王子を刺し、王子を海に投げ落としなさい。そうすれば、私の秘術で王子を人魚の姿にしてあげよう。そして、ゆっくり海の中で愛をはぐくむといい」

つかの部分に大きな黒真珠のついたナイフを差し出す。

アリヤはこの局面を乗り切るために、さらに嘘をつく。

人間を人魚にする方法など知るか。

しかし、こう言っておけば、今後の利用価値があるため、今すぐ死刑に処せられることはないだろう。

どうせあの引っ込み思案なルシュカが、そんな大したことはできないと確信していた。

ルシュカの姉たちは、ナイフを受け取ると、大急ぎで妹がいるお城の近くの海へと行ってしまった。

「さて、次の満月はいつだろうね……」


満月の晩。

アリヤはルシュカの姉たちと一緒にお城の近くの海に来ていた。

お城はしんと静まり返り、見張りのたいまつが燃えている以外、明かりはない。

「さてさて、妹君は王子様をナイフで刺すことができるかな?」

「正直、あの心優しい妹が愛する王子様を刺すことなんてできるか不安だわ」

姉たちは不安げな顔で言う。

それ以上は皆、口をつぐんで妹の姿を待つ。

すると、お城の方が騒がしくなってきた。

何かあったのだろうか?

お城のいたるところがたいまつの明かりで灯される。

「あ、あの子よ!!」

姉たちは切り立った断崖のほうを指さし叫んだ。

アリヤもその方を見てみると、ルシュカと、もう1つ人影が見えた。

「まさか……」

アリヤはどっと不安になる。

あの大人しそうなルシュカが本当にやってしまったのだろうか?

それならば、王子を人魚に出来なければ、私の未来はない。

「あ、海に落とすわ、私達も行きましょう!」

皆は、王子を受け取るため、ルシュカのいる断崖の下へ移動した。

断崖はかなりの高さだ。

まさかここから傷ついた王子を海へ突き落すつもりなのだろうか?

到着と同時に上から海へ、何か落ちてきた。

激しい音と水しぶきを立てて、海の中に落ちる。

あのバカ。

こんな落とし方をしたら、王子の体はめちゃくちゃになることをあのルシュカは想像できないのだろうか?

アリヤは落ちてきた物体に近づいてみる。

それをみたアリヤは、目を見開き驚いた。

その姿は数十年前、自分を助けてくれた、あの王子の姿にそっくりだったのだ。

体からはおびただしいほどの血が噴き出している。

「そんな、まさか……」

「早く、この人を人魚に!」

アリヤがあまりのショックに呆然としていると、姉たちはせかす。

「……とりあえず、私の家まで今すぐ行くよ!この王子の傷口をふさいで運んでおくれ!」

すると、断崖の上の方が騒がしくなる。

「あ、ルシュカがつかまちゃった!」

姉が叫ぶ。

見てみると、崖の上ではルシュカが衛兵たちにつかまっていた。

「どうしよう。ルシュカこのままだと、処刑されちゃう!」

姉たちはうろたえるだけで、役に立ちそうにない。

さすが王女。

「とにかく王子の姿が見つかるまで、すぐ処刑されることはないはずだよ。姉妹の1人は王妃にこのことを伝えな。この王子を先に私の家まで運ぶよ!」

アリヤたちはいったん海底に戻る。

家に着くと、アリヤは効用のありそうなありったけの薬を王子の傷口に塗り込み、口に含ませる。

よく見てみると、ルシュカがナイフで刺した傷より、断崖から海に放り投げた方のダメージが大きい。

体はズタズタだった。

助かる見込みはほとんどない。

しかし、むかし自分を助け、恋い焦がれた恩人の姿に似たこの王子を何とか助けたかった。

アリヤは自分にできることは、全てやった。


するとルシュカの姉たちがアリヤのうちに飛び込んできた。

「お婆さん、ルシュカが.......明日処刑されちゃう!!」

アリヤは少し驚いたものの、すぐに冷静になって考える。

「お前さんたち、ルシュカを、妹を命を懸けても助ける覚悟はあるかい?」

「それは……」

ルシュカの姉たちは言葉を濁す。

人間たちにつかまればどうなるか、人魚たちの間では残酷な話が浸透していた。

王室育ちの王女たちがそんな勇気を持ち合わせているとは思えなかった。

「仕方ないね。私がルシュカを助けてこよう。人間のことなら、あんたたちよりは詳しいからね」

「お婆さん……」

「アリヤとお呼び」

「アリヤ様、どうか妹のことをよろしくお願いします」

アリヤはローブと薬瓶を持つと、再びルシュカのつかまった城へ向かった。

アリヤは城の近くにたどり着くと、薬瓶の中の薬を飲んだ。

この薬は若返りの薬。

これを飲むと一時的に若返ることができる。

しかし、この薬には副作用がある。

飲めば、寿命を縮めてしまう危険な薬だった。

「本当は披露宴で飲んでいくつもりだったのにね……」

惜しい思いもしたが、アリヤは薬を飲み干す。

アリヤの姿はみるみる若返り、昔のような美しい髪と声をあわせ持つ女性になった。

肌が美しくよみがえり、海の水をはじく。

「やっぱり、若さって素晴らしいわね……さて、この城の牢は海の入り口から言った方がいいわね」

アリヤは海の中へもぐり、地下牢に続く入口を探した。

すると海底の近くに洞窟があった。入口の周囲には人間の骨が散乱している。

おそらく、地下牢で死んだ人間は、この海へとつながるこの洞窟に捨てられるのだろう。

「とりあえず、行ってみましょう」

アリヤは洞窟に入っていく。

洞窟の中は水がひどく濁っており、し尿や腐敗した水が充満していた。

「これは、きついね」

アリヤは呼吸をするのもひどくきつかった。

しばらく洞窟を進むと、光が見える。出口だ。

アリヤは出口から少しだけ顔を出す。

目の前には牢につながる通路が見えた。

どこからか、若い女性のすすり泣く音が聞こえる。

ルシュカだ。

アリヤは水から出ようとしたが、通路の奥から足音が聞こえる。

この牢の見張りの兵だろう。

アリヤは一度もぐり様子を見る。

すると足音はルシュカの牢の前で止まる。

「お前か……王子はどこにいる?」

看守と思われる人物がルシュカにきつく問いただす。

「……」

「また、だんまりか。そういえば最近使用人になったお前が話したところをまだ見たことがなかったな。……お前は敵国のスパイじゃないのか?」

「……」

水中で会話を聞いていたアリヤはある可能性を思いついた。

“もしかしたらルシュカは渡したあの薬を使ってないのではないか?”

「おい、なんとかいったらどうなんだ!?」

看守の語気が強くなる。

「……」

「しかたない……美しいお前にこんなことはしたくないが……少し痛めつけなければな……」

看守は腰につけていた牢の扉の鍵をジャラジャラしながら、ルシュカの牢のかぎを探した。

拷問する気なのであろう。

アリヤはゆっくりと頭を水面から出した。

看守はルシュカの牢の中に入っていく。

廊下には誰もいない。

アリヤは体を水の中から出し、ローブを羽織る。

足が徐々に人間の足に変化していく。

「キャー」

「なんだ……声出るんじゃないか」

牢の方でルシュカが叫び声をあげた。

「早く……」

ルシュカの危険にアリヤも気が焦る。

アリヤは足が変わるのを確認すると、壁にかかっていた剣を手に取り、ルシュカの牢へ急いだ。

久しぶりの人間の姿で、体がうまく動かない。

一歩一歩歩を進め、ルシュカの牢の前で立ち止まり、ゆっくり、牢の中をのぞく。

牢の中ではルシュカは手足を鎖につながれた状態で、看守によって服が引きちぎられ、裸に剥かれている。

看守も興奮しているのか、後方には全く意識を向けていない。

幸いにも、牢は閉められず、鍵は開いたままだった。

抵抗するルシュカの服を引きちぎる看守の背後に立つと、アリヤは剣の刃がない側面でおもいっきり、頭を殴った。

ガンッ!という音が、牢全体に鳴り響いた。

看守はへなへなと倒れこむ。

「ルシュカ、助けに来たよ」

「……?」

ルシュカは突然の出来事に驚きながらもアリヤの顔を見つめる。

この女性はいったい何者と考えているのだろう。

「私だよ。分からないかい?アリヤだ」

「え、アリヤさん?」

ルシュカは海の言葉で話し始める。

「今は一時的に若返っているのさ」

「そうでしたか。助けていただいてありがとうございました」

「ところで、あんた、私が渡したあの薬飲まなかったね?」

「ええ、最初にお城に来たとき、荷物全部取られてしまって。それで王子様とも意思疎通があまり取れなかったのです」

「そうかい。だからあんたの美貌と器量をもっても、王子様と会うことに時間がかかっていたというわけだね」

「はい。ところで王子さまは?うまくいきましたか?」

ルシュカは目を輝かせて、アリヤに尋ねた。

「……今はどうなっているか分からない。まさか、あんたが高い崖から王子様を海に落とすとは思わなかったからね。治療しているところさ」

「ああ……なんてこと……」

ルシュカは手で顔を覆い、悲しんだ。

「悲しむのは後だよ。今はとにかく逃げないといけないからね」

アリヤはルシュカを立ち上がらせると、先ほどの地下水路に案内した。

「さあ、ここから海へ出るんだ」

「こんな汚いところから?」

「グダグダ言ってないで、早く入るんだよ!」

すると通路の奥から衛兵たちの足音が聞こえてきた。

「はやくしな!」

ルシュカは嫌がりながらも、地下水路に身を浸ける。

徐々に人魚の姿へと変化していた。

「動くな!」

衛兵たちが弓を引き絞り、アリヤの後ろに立つ。

「私のことはいいから、早くいけ」

アリヤは頭だけを出した、ルシュカに素早く告げる。

「ごめんなさい」

ルシュカは海へと帰った。

「おい、こっちを向け」

衛兵たちはアリヤに命令した。

アリヤはゆっくりと振り返る。

そこには弓矢と剣を携えた衛兵たちと、その衛兵たちに守られるように立つ、身なりの立派な服に身を包んだ人物がいた。

この国の王だ。

その姿を見たアリヤは、思わず、目から一筋の涙がこぼれる。

年をとっていたが、まさしく、昔、アリヤを救い、恋した王子の姿だった。

王の方も気づいたらしく、驚きの表情を浮かべている。

「お、お前はまさか……いや、あれは30年も前の話だ。ありえない……皆の者、弓を下げよ」

衛兵たちは弓を下げた。

「王子様、やっと会えました……」

アリヤは王に話した。

この日のために言語が話せる薬を飲んでおいた。

「やはり、そなたはあの時の……あの日以来、心を痛めて負ったが、無事だったのだな。……しかし、なぜそなたがここへ?」

「私は人間ではありません。海に住む人魚なのです」

王と衛兵たちは驚きの表情を浮かべる。

「なんということだ……しかし、それなら合点はいく。もしや、あの娘も?」

「ええ、あの娘は私たちの国の王女、人魚姫のルシュカにてございます。」

「そうか。ところで、そなたの登場は、息子の行方不明に何か関係があるか?」

「……」

アリヤは言葉に詰まる。

下手に応えれば、アリヤどころか、人魚の王国に脅威が及ぶ可能性があるからだ。

「……あなたの国の王子は、敵国の暗殺者に襲われました。それに気づいた、我が国の王女ルシュカは王子を城から逃がそうとしたのです。どこに暗殺者の内通者がいるかも知れないと考えた結果です。王子は今、人魚の国で手当てを行っております」

アリヤはつじつまを何とか合わせようと、作り話を即興ではなした。

「……そうか。しかしなぜ、そちらの姫君はこの城にいたのだ?」

「それは先日、王子が嵐にあい、おぼれたのを助けたのが、ルシュカであったためでございます。その時、ルシュカは王子に恋をしました。王子はその時の記憶はなくしておられるようですが……」

「なるほど、事情は分かった。しかし、わしの大事な1人息子が帰ってくるまで、その話を鵜呑みにするわけにもいかない。それまでは、そなたの身柄を預からせてもらうぞ」

「ええ、結構ですよ」

アリヤは承諾した。

会いたい人に会えたのだ。

何も思い残すことはないと覚悟を決めた。

アリヤは一応、客室に通され、そこで過ごすことになった。

そして久しぶりに、いや、初めて王との会話を楽しんだ。

アリやは王に見えないように頬を涙で濡らした。


夜が明けたころ、城の衛兵たちが再び騒がしくなる。


何と王子が帰ってきたというのだ。

王は喜び、アリヤは心底驚いた。

あの傷で、よく助かったものだ。

王子はルシュカにナイフで刺された記憶は持っているのだろうか?

気を揉みながら王子の到着を待つ。

「ただいま戻りました」

王子が元気そうな姿で、王とアリヤのまえに現れた。

ありったけの秘薬が、相乗効果を発揮したのだろう。

アリヤが王子を死地から救ったのだ。

「うむ。よくぞ帰ってきた。もう怪我はよいのか?」

王様は心底嬉しそうに、しかし威厳を保ったまま、息子である王子に尋ねる。

「ええ、頭を強く打ったせいで、昨晩の記憶はありませんが……。やはり、私は怪我をしていたのですね。」

どうやら昨晩、ルシュカが王子をナイフで刺した記憶は無くなっているみたいだ。

ルシュカが断崖から王子を放り投げたことが、功を奏したようだ。

「……信じられないでしょうが、瀕死の重傷を負った私を人魚が助けてくれました」

「実はもう知っている。ここにいるアリヤから事情を全て聞いた。実はこのアリヤは、昔わしが救った人魚だったらしいのだ」

「そうでしたか!父上も人魚とかかわりがあったのですね」

王子は重なり合った偶然に興奮している。

そして王子は思い出したかのように、立膝をついて王にお願いをした。

「父上、私は人魚の国において、ある人魚に恋をしました。ルシュカという娘です。......どうか、婚約をお許しください!」

すると突然、王は笑い出した。

「はっは、アリヤよ。こんな奇跡が本当に起こるものだな」

「……」

アリヤは驚いて言葉を失う。

「では、ルシュカいう娘をここに連れてまいれ。お前の妻に迎えよう」

王は王子の頼みを受け入れた。

「その役割は私が……」

アリヤは立ち上がり、王に進言する。

「うむ、そうと決まれば、宴の用意をしなければならんな。アリヤよ。もちろんおぬしも参加してくれるな?」

アリヤは微笑み、小さくうなずいた。

一気に華やかなムードのお城を後にし、アリヤはひっそりと海岸へ行く。


アリヤは海へ戻り、ルシュカに事の展開を話した。

ルシュカが大喜びしたのは言うまでもない。

このニュースは瞬く間に海底の国じゅうに広がった。

人魚の国の民も大いに喜び、お祭り騒ぎとなった。

ルシュカは鼻歌を歌いながら、王子の待つ城へ行く準備をした。

とても嬉しそうだった。

アリヤはそんなルシュカを温かく見守っていた。

自分には果たせないかった幸せを、この子は享受することが出来た。

自分の分も幸せになってもらいたい。

嬉しそうなルシュカを見て、そう願った。


準備を終えたルシュカとアリヤは、王子の待つ城へともに向かう。

その道中、アリヤはルシュカに今までついた嘘を告白した。

ルシュカは驚いたが、笑ってゆるしてくれた。


そして二人は浜辺に到着した。

あたりは暗くなり、夜遅い時間になっていた。

しかし、そんな時間であっても王や王子、衛兵たちが二人を待って居た。

皆、嬉しそうな表情を浮かべている。

ルシュカとアリヤは浅瀬まで泳ぎ、足が二足になるのを待った。

ルシュカも今すぐ王子の元へ駆けつけたくてたまらないといった様子だ。

幸せの絶頂なのだろう。

足が変化したところで、ルシュカは笑みを浮かべ、王子の元へ歩き出す。

しかし、アリヤはその場に立ったままだった。

「アリヤさん、どうしたの?」

「ルシュカ......私はここでお別れだよ」

「?……どうして?」

「実は、私は秘術を使って若返ったの。その副作用は24時間しか生きられなくなるのさ」

「もしかして……」

「そう、もう時間だ」

アリヤは、笑って答えた。

「待って。私との約束はどうなるの?」

「約束?」

「ほら、結婚式の披露宴に呼ぶって話!」

ルシュカはアリヤにそばにいて欲しかった。

自分を救ってくれた恩人であるのはもちろん、国中の人が言うような、悪い人でないということをよく知っていたからだ。

ルシュカはアリヤに恩返しをしたかった。

なのに......。

「ああ、もうそれは忘れていいよ」

「そんな……」

ルシュカは涙を流しながら、アリヤの胸で泣いた。

王や王子、衛兵は何事かと、ざわめいている。

「じゃあね、ルシュカ、幸せに暮らすんだよ。もし、王子が記憶を取り戻しても、全部私のせいにするんだよ」

「そんな、待って!」

「王様によろしく伝えておくれ……」

そう言ってアリヤは海の泡となって姿を消えた。

海の浅瀬に1人。

そこにルシュカ ただ、1人立っていた。

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