第79話「荒野の少女の決意」
ピラタス王国ピラタスⅡ世国王。コベル・ピラタスは正面で一礼する美しい紅髪の女を見下ろしていた。それはもう嫌らしい目つきで。
国王はとうとうこの日がやってきたと確信していた。
普段なら起きるはずもない朝一番に、相変わらず空気の読めないブロウ・ソーアに叩き起こされた国王だった。
もちろん最初は不機嫌の絶頂で話しを聞く素振りも見せなかったが、チェリナ・ヴェリエーロが会いに来たと聞いた途端、横に寝ていた二人の妾を蹴飛ばして跳ね起き、さっそく謁見するよう命令した。
だがブロウの一度湯浴みをしてからの方が威厳を保てるとの助言を飲んでやることにした。急く心を押し殺しながら身体を隅々まで洗わせた。
度重なるチェリナの取得に失敗し続けたブロウをいつ打首にしてやろうかという心は一瞬で消え去っていた。
国王が湯浴みをし、身体を清め、メイド達の着付けの遅さに憤慨しながらも、ようやく準備を終えると、ゲノール・ボロ宰相が側にやってくる。
「陛下、此度の謁見なのですが……読めない事が多すぎます、出来ましたら後日に変更できませんか?」
「お前は馬鹿か? せっかく余のチェリナが婚姻の為にやって来たのだぞ? なぜに後日にする必要がある?」
「た、たしかに嫁入り道具らしき物を運び入れていると聞いておりますが、頑なに訪問の理由を話しません、たんなる商談の可能性も高いのです、そうであるならばその内容を少しでも……」
「ええい! うるさい! 嫁入り道具を持って商談にくる馬鹿がどこにいる! 構わん! 通せ!」
「しかし!」
「しかしも畳も無いわ! 余の命令じゃ!」
「は……はは……」
「ふん……相変わらず使えん男じゃ……」
「……陛下、しかしもかかしも……でござい……」
「うるさい! 早く行け!」
飛んで出て行く宰相に近くの花瓶を投げつけるが、明後日の壁で粉砕された。
「まったく、誰も彼もが気がきかん!」
ピラタスⅡ世はこう理解していた。
チェリナが自分の魅力に気が付き、メロメロ状態で求婚しにきたのだと。
彼は自分を客観的に見ることが出来なかった。容姿でも性格でも一切魅力の無い男だということにまったく気づいていなかった。
無理やり妾にしてきた女達ですら、彼の中では女の方から惚れてきたことに変換されている。
だからこそ夜怯えた表情を向けられるとその矛盾に感情が爆発し女を道具としてしか扱えない。またその行為がさらに女達の心を引き離しているなどとは露にも思わない。自分が矛盾で出来ていることに気がついていないのだ。
だが、チェリナは違う、彼女はいつも笑顔である。他の豚のような女共と違って苦笑でも、怯えた顔でもない、いつでも花のような笑顔を向けてくれる最高の女なのだ。
会う機会は少ない。
当たり前だ、いくら出入りの大商会とはいえ、本来国王が直接会う機会など滅多にないのだ。だからこそ国王はチェリナを欲した。あの笑顔を自分だけのものにしたい。
いや彼の中であの笑顔は自分の為に向いていると信じて疑っていないのだ。
だからこそ、今までどうして妾にも妃にもならなかったのか不思議でしょうがなかった。
だから彼は彼なりの理由を探した。
きっと商会があるから、商会が大事だから来れないのだと。自分より大切なものがあるという時点で業腹だが、まるっきりわからないでもなかった。それは彼にとっての王国そのものなのだろうと、無理矢理納得していた。
これは宰相も大臣も同じ意見だった。だからこそ、時間をかけて商会を陥れる策に乗ったのだ。でなければあんなに時間を掛けて待つつもりはなかった。
もう限界だった。死んだ目をする妃共の相手をするのも、常にベッドの隅で震える妾を相手にするのも。
一度強硬手段を選んだが、何故か誘拐は失敗した。副将軍もいずれ更迭しなければならない。だからこそ今度は強力な、それこそ全軍を持ってでもチェリナを手に入れると国王が考えていた矢先の出来事が、このチェリナ訪問である。
これで国王が沸き立たない訳がない。
なのに宰相も大臣も邪魔をする。本当に腹立たしい。
だがそんな怒りも、謁見の間で涼やかに待つチェリナを見てしまえば全て吹っ飛んでしまった。
最初はわざわざ椅子に座らずに片膝をついて待っていた。
国王は王座に着座すると、横の宰相にチェリナを座らせるよう命令させる。
そうして一礼して顔を上げたチェリナは、それはもう、美しい花のようだった。
「おお、愛しのチェリナよ、お主からの謁見とは余は驚いたぞ!」
チェリナはいつも以上に美しい光を放つ花であった。だから確信した。
「もちろん良い話なのであろな?」
国王は最大級爽やかな笑顔を浮かべてみせた。
チェリナはゆっくりと口を開く。柔らかそうな唇だ。
「はい。きっと良いお話になるかと」
国王は生まれて始めて、心臓が激しく鼓動を打つという状態を味わった。だが不快ではない。怒りではない興奮というものを初めて経験していたからだ。チェリナは特別だ。
「ふむ。申してみよ、余は寛大であるからな」
「はい。それでは失礼を承知で申し上げます」
何を失礼などと言うのであろう。と国王がチェリナの言葉を待ちわびてる間、左右の二人は顔が真っ青だった。
「実は……」
「実は?」
国王が喉を鳴らす。
「アキラ様を解放していただきたいのです」
「……あ?」
国王の表情がタクワンの様にくしゃりと歪んだ。
――――
ピラタスⅡ世はしばらく言葉の意味が理解できなかった。
どう翻訳しても、結婚して下さい。とは取れなかったからだ。
「ん……ああ?」
酷くマヌケな声を上げる。自分で声を出していることにさえ気づいていないだろう。
「何度か陳情の書面をさし上げたのですが一度もご返答が無く、直接伺ったご無礼をお許し下さい」
ピラタスⅡ世はチェリナの言葉の意味を理解できない。
「……陛下? 聞こえてらっしゃいますか?」
「ん、ああ? う、うむ」
チェリナの問はかなり失礼なものに当たるが、誰も咎めなかった。代わりに宰相も大臣も内心頭を抱えていた。
「国王陛下はアキラ様が捕らえられている事をご存知ですか?」
ここでブロウ・ソーア大臣が気がつく、まだ国王が「知らない」といえば間に合うと。すぐに国王に助言しようとするがそれは敵わなかった。
「うむ、余に知らない事などありはせんからの」
即答する国王に、再び頭を抱えるブロウ。
「それでは改めてアキラ様の解放をお願い出来ませんでしょうか?」
チェリナが真剣な顔を国王に向ける。
(余はチェリナのあんな顔を知らん……、初めて見る顔じゃ……)
国王はチェリナの顔を怯えるように窺った。
真摯に、真剣に、瞳に力が宿る強い意思を感じる。背中からオーラが溢れ出しそうな強靭な女性。今まで連想していた儚げで美しい花ではなかった。
例えるならばそれは断崖絶壁に咲く孤高の薔薇である。誰もが触れることが出来ず、たったひとりで咲く孤高の紅い薔薇。
ピラタスⅡ世は背中が冷たくなるのを感じた。
「もちろんただ解放しろなどとは申しません。十分なお礼を外に用意しております。こちらが目録となっております」
素早くメルヴィンが懐から羊皮紙を取り出して、伏せたまま頭上に掲げる。ブロウ大臣が高座から降りてその目録を取り戻る。蝋封を破り開いて一読、そして驚愕に目を開く。
「本気か? ヴェリエーロ……」
「何が書いてあるんじゃ? ブロウよ」
ブロウは目録を国王に手渡して、そっと耳打ちする。
「おそらくですが、これらを金銭に換算すると3億……いや3億4千万円にはなるかと」
「なんじゃと?!」
国王は絶句した。ピラタス王国は小国である。現在の国家予算は毎年収入が減り続けて30億前後。つまりチェリナが提示した金額は国家予算の1割以上と言うことになる。絶句しないわけがない。おそらくヴェリエーロのもつ土地以外の資産の7割以上を持ってきたとブロウは即座に暗算した。
国王はようやく尋常でない事態が起きていると理解した。お気楽にチェリナが求婚に来たなどという感情は吹っ飛んだ。
「ブロウ、これはいったい……どういう事じゃ? あのアキラはただの商人であろ?」
「……商人ではあるようですが、ただの、かどうかはわかりかねます、実は教会とも精通している可能性もありまして」
「なんじゃと? 聞いておらんぞ?」
「はい、まだ確定事項ではありませんので調査中でありました、ただどうも普通の流れの商人とは違うようでして」
「違う? あの間抜け面の異邦人がなんだというのだ? どこかのスパイか?」
「その可能性も捨て切れません。得体が知れない人物でありましたが、今回の公開処刑が決定したので正直安堵しておりました」
「ぬ……」
国王はそこで思い至る。普段法にうるさいブロウが、あの黒髪の商人の処刑を決めた際、文句を言うどころか冤罪を増やして賛同したのだ。始めからアキラの事を怪しいと踏んでいたのだ。
「ぐぬ……」
一瞬怒りで怒鳴りつけたくなったが、今は謁見中である。なんとか堪えて舌打ちした。
「よい。それでどうすれば良い?」
「この金額は魅力的ですが……今回は突っぱねるのがよろしいかと」
「なぜじゃ?」
「これほどの金額を積む事こそが、奴が重要人物であることを物語っています。今開放するのは危険すぎます」
「金だけ取れんか?」
「それは無理です」
きっぱりと言われ、国王の表情が歪む。
「……わかった、男は処刑じゃ、決定事項である」
「その通りです」
国王はブロウとの小声の会話を終え、正面に向き直る。背筋を伸ばして無表情で国王を見つめるチェリナに一瞬顔を顰めた。
「……アキラの処遇はすでに決まっておる。王国法に則り変更は出来ん」
「その処遇をお聞きしても?」
「アキラは明日、公開処刑である」
「なんですって?!」
チェリナは途端に表情をぐしゃりと崩して立ち上がってしまう。柱の影に隠れていた衛兵達が姿を現すが、国王が片手で制したので動きを止めた。誰も気づかなかったがハッグとヤラライの身体がピクリと動いていた。
立ち上がったまま、身を震わせ、顔中から汗を滴り落とすチェリナ。
「な、なぜそんな……」
その問にはブロウが答えた。
「彼の罪は、反逆罪、密猟、不敬罪、詐欺、不法入国、違法取引、以上の罪で明日に公開鞭打ちと磔です」
「な?!」
チェリナが絶句する。
しばし沈黙が続く。
ふと、チェリナが椅子に座り直す。国王に向かって上げた顔は、なぜか妙ににこやかであった。
国王も宰相もぎょっとする。
この時チェリナは察していた。誰の手引か国王陛下のご意思か不明だが、冤罪をつけてでもアキラを消したがっている。アキラが喋ったのか調べられたのか彼の力がバレたのかもしれない。いや、もしそうなら処刑はありえない。だとしたら答えは2つ、アキラが危険人物だと判断しての決断か、国王の嫉妬。それしかない。
だからチェリナは賭けた。
「ピラタス国王陛下、どのような誤解があるかわかりませんが、アキラ様を解放していただけるのであれば……」
そこでチェリナは言葉を切る。
優雅に立ち上がり、最上の笑みで、最大限の一礼。
「この身、いかようにも。妻でも妾でもお好きにお使いくださいませ」
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