第66話「荒野の男女の秘め事」
(三人称)
ヴェリエーロ商会の小さな個室に男女の影があった。
窓が無く防音性の高い部屋である。
女が手にしているロウソクだけが光源だった。
女はロウソクを小さなテーブルの上に置くと、男に席を勧めたが、男は首を横に振って断った。
「それで、お話とは?」
「いや、それほど大した話じゃないんだが、この間ここに国王陛下が来たと聞いてな」
「ええ、それが?」
僅かに揺らめくロウソクの明かりに照らされた女の顔に疲弊は感じられない。
「陛下がお前の身を欲しているのはもはやこの国の3歳児ですら知る事実だ。心配くらいするだろう」
「ありがとうございます。アキラ様の機転で問題なく回避出来ましたわ」
色黒の男がゆっくりとその逞しい腕を組んだ。
「……そうか。だがこの先もずっと同じように上手くいくとは限らないだろう?」
「そう……ですわね」
ようやく紅髪の女は眉にシワを寄せた。
「お前は……国を出たほうが良いんじゃないのか?」
「……」
「確かにここに大切な物も沢山あるだろう、だがこのままではそれを守る事はできない。海運業であるお前たちなら行先などいくらでもあるだろう。そしてこの国の権力は河も海も越えて届いたりはしない。この国でお前たちだけが安全に逃げられるんだ」
「……そう、ですわね」
女が絞り出すように声を出した。男は女に聞こえないように小さくため息を吐いた後、言葉を続けた。
「それに、お前はアイツに惚れているんだろう? なんならアイツに付いていく手だってある」
「アイツ?」
「……おい、今は茶化すつもりはない」
女の態度に男が若干苛立つ。
「もしかしてアキラ様の事ですか?」
「他に誰がいる」
「……」
男は呆れたように息を吐いたが、女は不思議そうに目を丸くしていた。
「おいおい……まさか自覚してないのか?」
「え? そ、そんな? まさか……アキラ様は商売のパートナーで……」
女が突然落ち着かなげに言葉を乱す。男は軽く額を押さえた。
「……そうか、それならそれでいい。だがおそらく……もう時間がない」
「時間」
女は自分を落ち着かせるためか、その重要な単語を強く口にした。
「ああ、お前なら知っているだろう?」
「……」
「近いうちに、逃げろ。でなければ……」
「わたくしはどこにも行きません。この国で生まれ、この国で死ぬのです。もっとも船と一緒に沈む可能性もありますが」
「茶化すな」
「本心ですよ。商談で各国を飛び回る事はわたくしの夢です。ですが最後に戻ってくるのはこの国であると誓っております」
「その決心は、変わらないのか?」
「はい」
「あの男が旅立っても?」
「はい」
「この国は変わらぬぞ?」
「そうでしょうか?」
男は戸惑った。それは予想外の答えだったからだ。この女であれば同じ答えにたどり着いていると思い込んでいたからだ。
「……何?」
「ここ数日で、わたくしたちにも国を変えられるのではないかと思い始めまして」
「ほう……それはどういう?」
この女は徹頭徹尾現実主義だったはずだ。誰が彼女にこんな夢を見せたのか。
(そんなもんは決まっているな)
男は内心自嘲した。
「特別変わったことをするつもりはありません、ただいつも通り……いえ、いつも以上に仕事に邁進し続ければ、この国は変えられるのではないかと」
「商売で国は変わらん」
「そうでしょうか?」
変わったのはお前らしい。その言葉を飲み込んで男は別の言葉を吐いた。
「……ところで話は変わるが海龍というのを知っているか?」
「西ミダル海に住む、船を沈めるという巨大な龍のことですね」
男はそこで言葉を止めて、女を見つめた。女は薄い笑顔を浮かべたまま眉一つ動かさなかった。
「……そうか……わかった。時間を取らせたな」
「いえ。お気持ちは嬉しく」
「ああ……ではな」
男は大股で部屋を出て行く。扉の開け方が少々乱暴だった。男はそのまま商会を出て行った。
「……」
女はしばらくロウソクの明かりを見つめた後、強く目をつぶる。
そして再び開いた時には優しい笑みを顔に貼り付けていた。
少しわざとらしいほどの。
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昼からの仕事は別段特記する事はなかった。
この日は例の開発地まで行く用事が無かったので、ハッグに無理やり走らされることも無い平和な日だった。紅い鎖を身体に巻きつけた蛇の波動の持ち主、ヴェリエーロ商会の長女にして現在代理商会長のチェリナ・ヴェリエーロお嬢様も予定していた商談を全て良い方向で纏めたようだ。
今日に関しては俺の出番は全く無かった。ほとんどカカシだな。……いや鳥一匹追い払えていないのでそれ以下かもしれんがそれを考えると凹むのでやめよう。
いつも通り俺とハッグとヤラライの3人は夕食までいただいてから宿への帰路についた。
平和であった。
まったく平和であった。
ぜひこのような平和な日が続くように某神さまにお祈りしておいた。
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