第59話「荒野の小物商人と紅い大商人」
(長いです)
「さてチェリナ、今日は俺の趣味で作りたいものがある」
いつものように港が見える定位置で食事を終えて一服していると紅装束のチェリナがやってきたので、挨拶をすっ飛ばして俺は宣言した。
ちなみに朝食などで所持金が変化している。
残金990万4520円。
「な、なんでしょうか?」
俺の勢いに押されて半歩後ずさるチェリナ。
「風呂だ」
「……は?」
「俺は風呂にはいる!」
「風呂……ですか?」
「ああ! いい加減我慢できん! お前の実験場のどこかに作っていいか?!」
もう清掃の空理具だけじゃ我慢出来ん!
「え、ええ、それは構いませんが、なぜお風呂なのです?」
「俺が入りたいからだ。つまりただの我が侭だな」
「……」
「決定な」
「はあ……」
チェリナは風呂に興味がないのだろうか?
もしかしたら清掃の空理具があるから必要性を感じていないのかもしれんな。だが俺には必要なのである。
俺はチェリナから許可をもらったので上機嫌に商会に向かう。そうそう、もちろんハッグもヤラライも一緒である。
「今日は石窯を作るんですよね?」
「それも作る、作って美味いものを出さないとハッグに殺される!」
「わはは! よくわかっておるな!」
ばしばしと背中を叩かれた。あまり理解したくはない。
「まずは堆肥の取引が先ですからね? わかっていますか?」
テンションの高い俺とハッグに心配で何度も声を掛けるチェリナ。
商会に到着すると、さっそく書類に目を通していく。その間ハッグとヤラライは客間でお茶をいただいていた。
大声を出せば声が届く場所という条件でヤラライには席を外してもらっている。これはチェリナのお願いである。
書類仕事を進めていると客が来たと言うことなので、部屋を移動する。
部屋に向かったのは俺とチェリナ、側近のメルヴィンの3人である。
いつも使う商談室に行くと、初見の頭部が薄いおじさんがいた。彼こそがポール・モルモレ。モルモレ商会長その人であった。いや、そんな大仰に紹介する人物でもなかったな……。
チェリナに事前に聞いた情報だと商会としてはこの国の設立当初から続く息の長い商会であるが、規模としては中……いやすでに小規模に片足を突っ込んでいるらしい。従業員も30名程度で所持馬車が6台という時点でお察しである。
もっともヴェリエーロ商会と比べたらという意味であり、従業員30名というのは俺の感覚だと十分頑張っていると思う。
そのモルモレ商会長は脂汗を流しながら何度もハンカチで額を拭っている。
「いやあ、ヴェリエーロお嬢様の急な呼び出しということで全ての予定を断ってこちらに参りましたが、これほど急な用事というのは何でしょうか? まさかウチが請け負っている材木皮の下処理に問題があるとか……いやいや、ウチはヴェリエーロ商会に納品する品はより注意して納品しておりますゆえ……」
チェリナがモルモレの正面の椅子に着座したとたん、怒涛のように喋り出す。これは小物だ。商人としても下の下。なるほどチェリナが商談にまったく不安を持っていない訳だ。
「はい、そちらに関しては問題ありませんよ。納品の遅れは少々気になるところですがまだわたくしが口を出すタイミングでもないでしょう」
そこで2cmほどモルモレが椅子から飛び上がる。
「いや、それは……もちろん納期の遅れは数日中には改善させていただく所存で……」
「最近は職人の確保も大変でしょう」
「ははは……はは……」
なるほど、自覚のある負い目があるわけだ。しかしわざわざそれを連想させるネタを自分から振ってくるあたり、このモルモレという商人の手腕が知れるというものだ。
「あまり時間がないので本題に入りましょう。確かモルモレ商会では王国から不浄物処理の仕事を請け負っていますね?」
「へ? は、はい、それはウチがやらせてもらってますが?」
「王国から仕事とは羨ましい限りです」
チェリナは緩やかに頷いた。
「はは……ヴェリエーロお嬢様ともあろうお方がご冗談を。利益どころか赤字を垂れ流す事業ですよ、昔は援助金もそれなりに出ていましたので最低限の利益にはなっていたんですがね、そのあたりの事情はお嬢様ならご想像がつくのでは?」
話の流れが見えないと顔にがっつり書いてある。わかりやすいだろモルモレさん。
「不浄物処理の仕事の概要とはどのようになっているのですか?」
「別に秘密は無いので教えるのは構いませんが……これが本題なんでしょうか?」
明らかに不審がって眉間にシワを寄せる。チェリナは笑顔で先を促す。
「それならば……」
わざとらしく「こほん」と息を整えた。
「基本的には路地の不浄物を清掃の空理具で浄化していく浄化作業が一つ、大通りの馬糞とゴミを集める不浄物集めが一つ、それらの不浄物を城壁外に捨てに行く作業が一つ、それに付随する穴掘りや穴埋めなんかもありますが、基本的には最初の3つが常時発生する不浄処理ですね」
「なるほど。不浄物の捨て場の管理はどのようになっていますか?」
「昔は国の所有地でしたが、数年前に無理やりあの一帯を買わされましてね……まぁ土地としては安くしてもらったんでしょうが、誰があんな汚い土地をわざわざ金を払って買わされなくちゃならないのか……」
最後は愚痴のようだった。
モルモレの胸中は沈む一方だが、チェリナの内心は真逆であったろう。それをおくびにも出さず会話を続ける。
「先ほどからお話をお聞きしていると、モルモレ商会では少々手に余る仕事になっているのではないですか?」
「正直申しまして、まったく放り出したい仕事ですわ」
「なるほど」
チェリナは俺を手招きして耳元に囁く、少々くすぐったくてむず痒い。
「これは予想以上にやりやすい状況ですわ」
「なあ、今聞くことじゃ無いのかもしれんが、路地の不浄物を空理具で浄化ってのは?」
「一般家庭が使う共同トイレのことでしょう、だいたい10軒から20軒に一つの割合でトイレが設置されています。清掃の空理具が用意出来る場所であれば個人で持つところもあります」
「ああ、なるほど。公衆トイレが沢山あって、そこをモルモレ商会が浄化して廻ってるのか」
「そうなりますね。その事業はそのままモルモレ商会にやっていただくのが良いでしょう」
「たしかに、そこまでやるとなるとノウハウも人材も足りない」
チェリナは頷くとモルモレに笑顔を向ける。
「モルモレ商会では現在資金不足で職人が足りなくなっているというお話を聞いています」
「そ、それは……」
大量の脂汗を流すモルモレ。いつの間にそんな情報を手に入れていたのか……。
「このままですと取引が続けられないのではないですか?」
モルモレが俯いて汗を拭く。言葉が出ないらしい。……意地の悪いことで。
「しかし長年当商会と良い関係を築いていますから、これからもモルモレ商会様とは良い縁を続けて行きたいと思っております」
「それはどのような?!」
今度は喰いつく勢いで腰を浮かしかける。
「そうですね、モルモレ商会の赤字部門である不浄処理を当商会で請け負うというのはいかがでしょう?」
「それはウチとしては大変ありがたいのですが、よろしいのですか?」
モルモレが目を丸くする。赤字部門を引き受ける意味がわからないのだろう。
「こちらとしてはノウハウがありませんので、今まで雇っていた方をこちらでそのまま雇う形にすればよいでしょう、給金に関しては若干上乗せするよう処理いたします」
「なるほど、人件費を請け負ってくださるということですね?」
「いえ、あと2つあります」
「……なんでしょう?」
モルモレの表情に警戒が走る。
まぁそうだよな。
「一つは処理した不浄物をこちらが自由に扱えること、それとモルモレ商会が持つ処理上の土地を全てこちらに売っていただくことですわ」
「へ?!」
「ただし、土地代に関しては買い取った金額の2割減ということでよろしいですね?」
「もっもちろんです!」
一切の熟考なく返答する。どれだけの不良物件で不良案件なんだよ。
「王国からの委託をこちらに移すよう手続きを始めようと思うのですが、成立するまではそちらが仕事を受け、こちらの商会が下請けとして仕事をする形にしましょう」
「問題ありません!」
ヘビメタコンサート並のヘッドバンギングを見せるモルモレ商会長。
「ああそれから空理具を使った清掃処理に関しては今後もモルモレ商会にお任せします。委託の移譲手続きが終わり次第、こちらからの下請けに反転する形ですね」
「本当に助かります! ああ! これで商会は後10年は戦える! ヴェリエーロお嬢様にはなんとお礼を言って良いのか!」
半ばひったくるようにチェリナの手を取り何度も振った。
「苦しい時は持ちつ持たれつですわ。なおこの商談は委託移譲が成立するまでは極秘で。今までどおりの人間と動きを心がけてください。ただし土地の取引に関しては今日中に終わらせます。そして午後には土地を使えるよう手続きを」
「わかりました! これで運転資金が……職人を手放さなくてすむ……」
涙を流しながらチェリナの手を握りしめる。よほど予算繰りに苦労していたのだろう、涙を滂沱と流していた。
何度も頭を下げて、薄くなった頭部を見せつけながら帰っていくポール・モルモレ。
「堆肥だけじゃなくてシステムごと手に入れたんだな」
「その方が秘密を守りやすいですしね」
「秘匿するのは難しいって言ってなかったか?」
「完全には無理ですが、この形であればどこが何に繋がっているのかわからないでしょう。この国の人間で不浄物が肥料になるなどと考えもつかないでしょうし」
なんとか言う国では使っているようだがな。
「それはいいんだが、それで育てた食物が売れるのか?」
「問題ないと思います。もちろん出来をみてからですが……人は気が付かなければ害が無いと思う生き物です」
「耳に痛い言葉だな」
ポケットにねじ込んであるタバコをつい触ってしまう。
「それにアキラ様とヤラライ様のお言葉通り、堆肥を使って緑が増えれば、真似するものは増えても否定するものはいなくなるでしょう。そのためにもこの事業は絶対に失敗できません」
「そういう意味ではヤラライが農業にも精通していて助かったぜ……実は一つ考えていた案もあったんだがな」
「なんですか?」
興味深げにこちらに身体を向ける。
「炭や紙の時と同じだ、ハウトゥー本を出せばいいやと軽く考えていた」
「それは良いですね」
「でもまあそれは最終手段だな。うまく言えないが、この世界の事はこの世界の人間が解決していくべきだろう、なんて思っちまってよ。だからおせっかいだって前に言ったろ?」
チェリナは無言でこちらを見上げていた。
「種なんかはさ、一度定着しちまえばこの土地のもんだからいいかなって、……矛盾してるな、俺は」
自分でも何をやっているのかイマイチわかっていない。ただ食糧不足ってのを見るのは嫌だったし、知り合いがいるのに完全に無視するのも難しかった。
だからといって神さまからもらった知識でこの地域の全てを改変するのも違うんじゃないかと思ってしまったのだ。和紙と木炭の件があるので今更ではあるのだが。
そういう部分を持って自分の事を矛盾していると評価した。
するとチェリナがそっと俺の手を取った。
「アキラ様は優しいのですね。誰もが自分の事しか見えない中、他人の為に動けるのですから」
「……自分の為にやってんだよ」
自己満足でしかないのは自覚している。
「アキラ様の自分の為というのは、他人の幸せの上に成り立った考えに見えます」
「そうかな?」
「はい」
「そうか……」
自分では良くわからない。思いつきで行動している子供だ。だからこれ以上深く考えるのは辞める事にする。しょせん子供の浅知恵だからな。
「おほん、うぉっほん!」
メルヴィンが唐突にわざとらしい咳を俺らの横で繰り返す。傍から見たら手を握り見つめ合っているように見えるのだろう。……物理的にはそのままだな。
俺が手を離すまでもなく、チェリナが放るように手を離した。そんなばっちい物を放るような扱いは傷つくぜ……。
「さ、さて少し早いですがお昼にしましょうか!」
俺の答えを待たずにチェリナが食堂に駆け込む。
……メルヴィンさん、俺を睨むなよ。頼むから。
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