第55話「荒野のご飯は旅をする」
街に戻る馬車の中、チェリナに許可を取ってからタバコで一服する事にした。気兼ねなく灰を外に捨てられるのは精神的に非常に楽ちんだった。
「あー、そろそろ無くなるな」
箱に残っているのは3本ほど、日本なら夜までには吸いきる本数だ。だが値段が跳ね上がってしまったので、なかなかそのペースでは吸えない。
意地汚くフィルターギリギリまで吸ってから、靴の裏で火を消してその辺に投げ捨てる。日本でやったらヒンシュク者だ。いや法律違反だろうか? 少なくとも条例違反だろうな。
もし日本に戻ったら思わずポイ捨てしちまいそうで怖いな。……神さま曰く戻れないらしいけどな。
「ああ、煙が臭かったら言えよ」
「気になりませんわ」
「そうか」
気が付くと2本目に火を点していた。無意識だった。
「やべ……まあしゃあないな」
「言葉とは裏腹に嬉しそうですよ?」
「そこは見ないふりをしておいて欲しいね」
俺が肩をすくめると彼女はくすくすと笑った。こういう掛け合いは……悪くない。
ん? 俺は何を考えているんだと頭を振って自分を取り戻す。相手は女、相手は女……。
「話は変わるが、この辺って小麦が採れるのか?」
ヒマだったからか、前から疑問だったことを口にしてみる。
「いえ採れませんよ? どうしてです?」
「だってパンが主食だろ? 普通その土地に出来る植物が主食になると思ってな」
それともこの辺はどんな種類の穀物も育たないのだろうか?
「ああ、それは歴史的な問題ですね」
「ほう」
ちょっと面白そうだ。俺は無言で続きを促す。
「そもそもこの西地方、特に南ミダル山脈の北にあたる地域は未開の地域だったのですよ。しかし南ミダル山脈の南側の戦乱からの難民や、この国より東にあるマズル湖周辺の小競り合いから逃げるように、この不毛の地に人が集まってきたのです」
地名はよくわからんが、どうやら日本の戦国時代を思わせる時期があったらしい。
「マズル湖周辺やリベリ河の上流に当たる地域は豊かな土地が広がっているのですが、当然そのような土地は取り合いになります。大きな戦争は今のところ無いのですが、戦乱をさけて移動すれば、この地域一体に流れ着くことになります。それでも大抵は独立都市セビテスに落ち着くのですけれどね」
時々出てくるな。セビテス。
「そのセビテスってのは王国なのか?」
「いいえ、三老会と都市議会。それに市民議会という3つの組織で決まり事を決めていく議会制という形を取っています。大変珍しい形ですね」
なんか民主的な組織なのか? まあ今はその話はどうでもいいな。
「なるほどね。それと主食の問題ってのは……あ」
「はい、お気づきになったと思いますが、元々の主食がパンであり小麦だったのですよ。百年以上経つ今でもそれはなかなか変わりません」
「そういうことか。それで全部輸入って事になってるのか」
「はい。マズル湖周辺は巨大な食料庫となっています。小麦の生産に限れば1000%を越す生産率がありますので、なんとかこの西の端まで小麦が行き届くのですよ」
それは凄い。
「ふーん。でもよ、それって限界があるだろ?」
「そうですね……小麦や大麦の栽培に関しては色々と実験をしているのですが、ほとんど成功していません。最近ミダル山から入ってきたジャガイモの生産実験が行われていますが……それもあまりうまく行ってないとの噂です」
「噂、ね。実際は?」
俺は「どうせ誰も聞いてないだろ?」というように片手を振った。
「ふう、アキラ様は誤魔化せませんね。まったく育っていません。ヴェリエーロの草が直接調べましたので間違いありません」
「実験してるのって王家だろ? よくやるわ」
「蛇の道は蛇ですよ」
クスクスと笑うチェリナ。女はおっかないです。
「しかしこの気候ならとうもろこしとかの方があってる気がするな、河沿いは結構雑草なんかも生えてたから、あのへんなら育ちそうなもんだがなぁ」
「とうもろこし……ですか?」
「あとはキャッサバだな」
実はこの2つ、かなり前から考えてはいたのだ。だが、余計なお世話になる可能性もあり話題にはしなかった。単純に話すタイミングを逸していたというのもあるが。
「とうもろこしは品種によっては育つのがやたら早い。3週間くらいで収穫できる。問題は肥料が多めに必要な事か。キャッサバは木なんだが、芋をつけるという珍しい木だ。こいつの凄い所は枝を切って地面に植えれば増やせる所だな、水の確保さえ出来れば緑化の役にもたつ」
「それは凄いですね」
チェリナは目を丸くする。
「キャッサバの芋は毒があるから、毒抜きが必要だが、そんなに難しい手間じゃない。俺としてはこの荒野も嫌いじゃないが、キャッサバで緑が広がる風景も悪く無さそうだ」
いやまて、どうせだから承認させるときに「毒無しで」って願えば出てくるんじゃなかろうか?
「それは、このような土地で育つものでしょうか?」
「俺は農業の事はよく知らん、この土地にあった栽培方が必要だろう、だが、水と肥料と手間を惜しまず育てればいけると思ってるぞ?」
「それはもちろんです。そのとうもろこしとキャッサバを……」
「ああ、タネと原木はいくらでも売ってやる。ただ、どうせなら最初から山盛り植えてみてくれよ」
「テストをしないで、という事ですか?」
「俺はあと数週間もしたらいなくなるからな。細かい日程はわからんがあと20日前後だと思うぞ、この街にいられるのは」
もっとも一ヶ月と言うのが30日であればだが。
「……」
チェリナが少しだけうつむいた。だが視線はこちらを離さない。なんか訴えかけるような目つきだった。
「ま、金儲けになるかどうかもわからんものを大量買いなんて判断はできないだろうけどな。忘れてくれてもいいぞ」
「……いえ、どうしてもっと早く言って下さらなかったのかがわからなくて」
「ああ……なんていうのか……この国にはこの国のやり方があるだろ? 確かにパンとか手に入りにくい状況はあるだろうが、それを皆が受け入れてるのなら俺が口を挟む問題じゃないだろ」
「そんなことは」
「根本的に俺は部外者だしな。だが、チェリナにしろナルニアにしろ、少なからず知り合いが出来た。ならその知り合いの暮らしが良くなる手伝いがしたくなった……といえば信じてくれるか?」
まるで詐欺師の言い分だな。
「信じます」
「おいおい、天下のチェリナ・ヴェリエーロ嬢ともあろう人間がそんな無防備に他人を信じるもんじゃねーよ」
「もう、他人ではありませんわ」
俺は軽い気持ちで片手を振っていたのだが、彼女の瞳は真っ直ぐだった。
「そうか……まあ、そうだな。商会についたら、倉庫に山盛り出してやるよ。俺がこの街を出るまでには、一面の緑を見てみたいもんだ」
時期を考えるとそれはあり得ないのだが……。
「それはさぞ壮観な景色でしょうね」
二人で穏やかに笑い合った。
――――
そろそろ馬車が東の城門にたどり着く辺りで、御者をやっているメルヴィンから声がかかった。
「お嬢様、しばらく停車いたします」
チェリナは前方の小窓を開いて「どうしましたか?」と尋ねた。
「不浄馬車です」
「ああ……」
チェリナは眉を顰めて馬車に引っ込むが、俺はその言葉にピンとくる。
「なあ、もしかして不浄馬車ってのは」
「……アキラ様、人にはあまり口にしたくない事もありますわ」
心底嫌そうにため息をつく。
だがその様子と言葉のニュアンスで不浄馬車の意味を知る。
「そうだな……チェリナ、この後の予定はいつものつまんない商談だけだろ?」
「え? ええ……つまらない訳ではありませんが……」
「ああ、言い方はどうでもいい、俺はいなくても大丈夫だろ」
「居てもらったほうが良いですが……」
いつも横で案山子になってるだけじゃねーか。
「ちょっと確認したいことがある。なんとかしといてくれ」
「はあ、しかしアキラさまはどうするのですか?」
「ちょいと野暮用。チェリナが嫌いそうな案件を探ってくる」
「もしかして……」
「大丈夫だ、口にしなくていい」
俺は馬車を降りるとエルフのヤラライに声をかける。俺の護衛として付いてきてくれているネイティブ・アメリカン装束の彼は、馬車のすぐ横で周囲を警戒していた。
「どうした、アキラ」
「ちょっと俺だけ別行動する、悪いがヤラライは一緒に来てくれ」
「無論」
即答である。理由を一切聞いてこないあたり男前である。
「なんじゃ? どこにいくんじゃ?」
馬車を挟んで反対側を歩いていたドワーフのハッグが顔を出す。
「ちょいとあれの行方を調べたい」
俺が不浄馬車を指さすとハッグが片眉をひそめた。
「あれって……アキラ、ありゃ馬の糞なんぞを運んでるだけじゃぞ?」
いつのまにやら馬車の窓から顔を覗かせていたチェリナもうんうんと頷く。
「何の価値もありませんわ」
チェリナは嫌悪感を隠していない。
「馬鹿を言うな、ありゃ宝の山だぞ」
俺が反論すると、どうやらヤラライは気がついたのか大きく頷いた。