第50話「荒野の姿揚げ」
「んじゃ次はオコゼの刺し身と唐揚げだな」
白身が花びらのように大皿に美しく飾られた刺し身と、重量感たっぷりの頭から尻尾まで丸一匹の豪快唐揚げを手のひらで皆に案内する。
チェリナは唐揚げのオコゼと視線が合わないようにしていた。
「刺し身? しゃぶしゃぶではないか」
「いいや、これはこのまま……醤油に付けて食べるんだ」
「生でか?」
ハッグが片眉を上げて髭を撫でた。
「ああ、おっと醤油はつけすぎてもダメだぞ。それとこっちの緑色の……ワサビっていうハーブをちょっと乗せても美味い。だがこれは辛いので苦手な奴はつけないほうがいいな」
「ふむ。ではまず醤油だけで食うかの」
ハッグは躊躇なく刺し身を口にする。
「ほう、生の魚というからもっと魚臭いと思ったが、そんなことはないの、それにこの醤油が白身の甘みを引き出す」
こいつも結構な食レポ体質だよな。
「ではワサビをつけてみるかの」
すでに日本人と変わらぬ手つきで箸を操りワサビをたっぷりと刺し身に乗せる。あっと言う間もなくそれを口にするハッグ。
「……ふむ……ほう! これは良いではないか! 味わったことのない不思議な鼻に抜ける辛味が白身の甘みをさらに引き出して、魚の匂いを更に消し去る! 生の魚がこれほど旨いとはな……ふむ、これには火酒じゃな」
ハッグはさらに山盛りのワサビを乗せた刺し身と、商会が用意していた火酒を交互に呷っていた。刺し身は飲み物じゃないぞ。
「今まで魚はいっぱい食べてきたけど、生でなんか食べたことないよぉ……」
ナルニアが不安そうにこちらを見上げた。
「無理して食べることはないぞ。俺は食うが」
俺はワサビをちょい乗せして一口。うん、鯛しゃぶと違って複雑な旨味はないが一本筋の通った淡い甘みが舌を打つ。ザ・日本人。
「では私も」
フーゴ料理長もフォークで一切れ取るとまずはそのまま口にする。
「私は味見で生を口にすることもありますが、あくまで魚の鮮度を確認する作業と思っていました。このように舌触りまで考慮した形で切り分ける発想はありませんでしたね……それでも生で確認するのは鯛などの白身がほとんどで毒のあるオコゼを食べるのは初めてです」
「え?! 毒があるの?!」
宿屋の看板娘ナルニアが席を立って驚く。
「ああ、背ビレにあるだけですから問題ないですよ。それをよく知らないスラムの方が時々被害に遭うようですが……」
「身の中に毒ねーよ。気になるなら食うな」
「うー……でも」
ナルニアの顔はすごい勢いでオコゼの刺し身を減らしていくハッグに向いていた。
「次はこの醤油を……おおっ! こ、これは! どうしたことですか! 先程まではただ淡白でわずかな旨味だけしかないと思っていた白身がこの醤油を絡めることによってまるで味の花びらが満開になるかのように旨味が咲き乱れます! 一見すると醤油の味が強いのでこのソースの味なのかと錯覚しますがそれは間違いです、この塩味の強い複雑な深みが白身の甘さや旨さとからみ合って余すこと無く旨みを引き出します。このソースは化物ですか?」
「そ、そんなに美味なのですか?」
「はい、さきほどのポン酢にも使われているようですが、魚の味を引き出す秘伝のソースなのでしょう。このソースのおかげで生でも……いや違いますね、生こそが魚の根本的な旨味だと知ることが出来る、そいういう旨さです」
((ごくり))
チェリナとナルニアが同時にツバを飲み込む。
フーゴさん、あんたテレビの通販番組で味見役として出演したら引っ張りだこになれるぜ。
よく見たらエルフのヤラライもパクパクと箸が進んでいた。
「あれ? ヤラライもワサビ平気なのか?」
「ワサビ、ほぼ同じもの、里にあった」
なるほど、だからあんたもワサビ大盛りなのね。
「早くしないと、無くなる」
「え?」
ヤラライの言葉に、チェリナが皿を見ると刺し身はもうわずかしか残されていない。
「ちょっ! そこのドワーフ! 少しは遠慮をしなさい!」
「ぬ? おお! すまぬすまぬ。旨くて箸が止まらんかったわ! うはははは!」
ハッグに平気で文句をつけられるチェリナも凄いな……。
「とにかくいただきましょう」
チェリナが少なくなってしまった刺し身をフォークで取っていった。
俺はナルニアの分を取り分けてやり、ちょっとだけワサビを乗せてやる。
「辛かったら我慢しないで出していいからな」
「うん……んぐ……ん……んふー!」
今日何度目になるかわからん両頬に手を添えて顔面を蕩かす幼女の図。
「旨いか?」
「うん! すっごく美味しい! 生の魚なんて馬鹿にしてたけど――」
「んぎゅーーーーーー!!!」
突然隣から兎を絞め殺したみたいな悲壮な悲鳴が聞こえた。いや兎を絞め殺した事なんてないけどよ。たとえな、たとえ。
「!!!!!」
何事かと思えば口を押さえてのたうち回るチェリナだった。
「どうしたんだ?」
「ヴェリエーロ、ワサビ、山盛り」
ヤラライがボソリと教えてくれる。
「あー……」
しばらくのたうち回ったかと思ったら奥の台所にダッシュで消えていった。
「……付け過ぎるとああなるから気をつけろよ」
「う、うん」
「このワサビをつけたものは更に白身の味を引き立てますね! この鼻にツンとくる独特の辛味はかなり好みが出そうですが好きな人間にはたまらないでしょう。ハッグ様やヤラライ様はお好きなようですね」
「……ちょっとは心配してやれよ」
「こういう時はそっとしてあげるのが最高の気遣いと存じます」
すまし顔のフーゴ。
そしてまるで何も無かったかのように優雅な足取りでチェリナは戻ってきて軽やかに椅子を起こして着席する。
「わたくしは生の魚はあまり合わないかもしれませんね」
「ぅおい」
その幻想をぶち破ってやろうかと思ったがすでに刺し身は完売御礼クローズドだった。
ちっ。今に見てやがれ。
……だがチェリナの面白い姿が見れたので良しとしよう。うん。たまには痛い目を見るがいいわ! ふはは!
――――
「それで……これは……なんですの?」
チェリナが引け腰になり、嫌悪感丸出しの視線を向けたのはカラッと焼き上がったオコゼの唐揚げである。
「見たとおりだが?」
「これはまた凄まじい見た目じゃの」
「そうか? これがまた美味いんだ。食べてみてくれ」
「うむ」
「私が切り分けましょう……どこが食べられる部分でしょうか?」
「全部」
「……は?」
俺の言葉にフーゴが止まる。港の人間だろうに。
「全部」
「えっと……全部……ですか?」
「ああ、頭から尻尾まで全部食えるぞ……もしかして頭を食えないと思ってたのか? 骨まで食えるぜ」
「骨まで?! ……なんというか……それではスラムの人間と変わらないような」
「ちゃんと料理してあるんだから問題ないぜ」
「そ、それでは……」
料理長が適当な形に切り分けてくれるが、頭はひとかたまりのままだった。
「アキラ、どこが美味い?」
「どこも美味いが、よく揚がってるから頭をバリバリ食べるとこの唐揚げの美味さがわかるぞ」
「ほう。では」
今度はフォークで頭をグッサリやると、豪快に一口で頭をまるまる放り込む。バリバリと音を立てると一気に飲み込んだ。
「いや、これはなかなか良いな。さきほどの刺し身とはまるで対照的に野性味溢れる味と食感じゃ。同じ魚とは思えん! これも酒が欠かせないの! エールが欲しくなる味じゃな!」
がぶがぶと水の様に酒を胃袋に流し込むハッグ。チェリナの奢りなんだからちっとは遠慮しろよ。ああ奢りだから遠慮してないのか……。
「まいりました、私としたことが見た目で躊躇してしまいました。それほど美味しいのであれば私も食べるべきでしたね」
「あんたは自分で作れるだろ?」
「下味につかっていたのは醤油ですよね? あれがありませんので……」
「あー。じゃあ調味料は一通り渡すよ。金はもらうからな」
「良いのですか?」
「ああ、さすがに商売できるほどは渡せないけどな」
「十分です……しかし私があのソースを作ってしまうとは考えないので?」
「うーん、醤油は作るのが無茶苦茶難しいからな……むしろここで作れるようになったら食卓が豊かになっていいじゃないか」
「なるほど、真似されない自信があるのですね」
フーゴがしたりと頷いた。
「そういう意味じゃないが……まあぜひチャレンジしてくれ」
俺も唐揚げを箸で取って食べてみた。バリバリとした食感がたまらない。
「私も!」
「それではわたくしもいただきましょう……いえ尻尾ではなくそちらの腹の部分を」
「いただく」
こうして唐揚げをみんなでバリバリと食べ進めた。
「ついでに味噌汁にいくか、口が乾くしな」
カサゴの味噌汁を全員に小分けにしていく。正直カサゴとオコゼの見分けは難しい。
今回の味噌汁ではほぼ出汁としての使用なので、全員にちょっとずつ白身が入るように分けた。
「スープか」
「独特な味ですね」
「しょっぱい……」
ナルニアは苦手なようだ。
「あーすまん、海の物を使ったんだからもうちょっと味は控えめにしたほうが良かったかもな」
味噌を入れすぎたかもしれない。
「ワシはこのくらいでちょうどええの」
「俺、少し、濃い」
「この当たりの塩加減は難しいですね。しかし不思議な味のスープです」
「味噌っていう調味料を使ってる。これも後で分けてやるよ」
「それは楽しみです」
んじゃ次にいくか。
「料理はまだまだあるぜ」
狂乱(?)の宴は終わらない。
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