第40話「荒野の秘密日記」
(長いです)
■■■ <紅鎖>チェリナ・ヴェリエーロ(2) ■■■
私はレッテル男爵と会うのが嫌でした。
閣下も私に気があるのです。陛下ほどあからさまではありませんが、事あるごとにアプローチしてきます。確かにこの国の力関係を考えるとレッテル男爵家とヴェリエーロ商会に繋がりが出来るのは良いことでしょう。男爵の持つ特権の数々は魅力的なものばかりです。
だから会食のお誘いも定期的受けるほかありません。
気がつけばアキラを会食に巻き込んでいました。
私は彼に何を期待しているのでしょう?
男爵に彼を紹介したところで何も得られるものはありません。むしろマイナスしかないでしょう。
自分でも彼を連れてきた意味を測りかねていました。
男爵閣下は相変わらず気持ちの悪い人間でした。
嫌悪感を押さえるのが大変です。
話の内容も自慢ばかりで面白くありません。
ところが、その自慢話にアキラがどんどんのめり込んでいくのです。最初は鬱陶しげにしていた男爵ですが、ちゃんと話を聞いてくれるのが嬉しいのか、時間が経つにつれて楽し気にアキラと会話を進めます。終いには私に話しかけることはなくなり、二人だけで談笑を始めるではありませんか。
商人として男爵と繋がりを持つという事は大変に意味のあることです。本来であれば望みたくても手にはいらない繋がりでしょう。それを気難しいと有名なレッテル男爵とたった一度の会食で縁を結ぶとは、まったくもって信じられません。
それはそれとして私は一刻も早く帰りたく思っています。
ですのにアキラは私を置いて一人で帰ろうとするではありませんか!
信じられない行為です!
私は男爵の誘いをなんとか断り、帰りの馬車に乗ります。もちろんアキラも一緒ですが口を利く気になれません。
商会について馬車を降りた時、私は悪態をつくのが精一杯でした。
――――
次の日の朝、いつもの場所にいくとアキラとエルフが一緒にいました。
とてもエルフとは思えない筋肉質な肉体をしていました。すぐにピンときます。彼こそが<黒針>ヤラライでしょう。
アキラは彼と知り合いのようです。いったい何をすれば滞在数日でヴェリエーロ商会と<黒針>ヤラライ、さらには大地母神教会に男爵閣下と繋がりが持てるというのでしょう。神のご加護なのでしょうか。
アキラと雑談していた時です。
私は油断していました。
「お前は男爵とどういう関係なんだ? そして俺にどうして欲しいんだ?」
意味がわかりません。
まさか私が男爵と恋仲とでも思っているのでしょうか?
とんでもない誤解です。
私は事情を説明しました。
ところが彼に通じません。何度かの問答を繰り返します。
「ようやく理解出来たぜ、つまりお前自身の気持ちが纏まってないから、行動も纏まらないんだ。まず気持ちをハッキリさせろ」
アキラの言葉に絶句しました。
この私の気持ち。
今までそんなことを聞いてきた人間がいたでしょうか。そもそも私の気持ちなど商会の発展に必要ないではないですか。
しかしようやく理解しました。結局その気持ちを捨てきれていないから行動がちぐはぐだったのです。
私は気持ちをまとめて伝えました。
「曖昧な態度は相手にも悪い。近いうちにハッキリと言ってやるんだな」
彼は私を見ること無く歩き始めます。
その背中から、どうしても、目が離せませんでした。
――――
それからしばらくは普通の事務処理ばかりでした。
時折アキラがくれる意見は革新的なものばかりです。相変わらず本人は気がついていないようですが。
商会で彼に向けられる目が日に日に悪化していきます。
ですがアキラは飄々とそれを受け流すのです。普通の人間であれば精神を病んでも不思議ではないというのに。いったい彼はどんな人生を歩んできたというのでしょう。
飛び交う羊皮紙に目を通す時、気がつけば彼の事を目で追ってしまいます。
なのに彼がそれに気づいてこちらに視線を合わせると、心臓が大きく響いてつい視線をそらしてしまいます。ならば彼を見たりしなければ良いのに、どうしてかまた彼の顔を横目でこっそりと窺ってしまいます。
こんな事は初めてです。何が起こっているのでしょう?
彼が私の事をやり手だと言ってくれた時には、背中に羽が生えて飛んでいきそうになりました。もしかしたら何かの病かもしれません。近いうちに医者を呼んだほうがいいでしょう。
「さて、人のいない間にちょいと話しておきたい事があるんだが」
彼の真剣な顔に、こちらの気持ちもようやく引き締められました。
話を聞くと彼はまた新しい何かを作ろうとしているようです。
昨日と同じように彼は立派な技術書を取り出します。
少々薄いのですが中身は大変に濃いものでした。
読み進めると石炭に似たものを作るようです。
木炭というものを作るようですが、かなり難しいようで品質は職人の腕に左右されるようです。
これほどの手間を掛けて薪と変わらない物を作ることに意味があるのかわかりませんが、アキラの提案ですそれだけで試す価値は十分でしょう。
ダウロを呼び出すと昼食が終わる頃にはやってきました。きっと馬に乗って急いできたのでしょう。彼は木炭の制作を指示するとニヤリと笑って図面を写しとっていった。
ダウロに任せておけば大丈夫でしょう。彼は父と一緒にこのヴェリエーロ商会を大きくしてくれた立役者です。彼の技術は一級品なのですから。
何人かの商人と商談を進めた後、待望の空理具の試作品が届きました。
この短時間で試作品を作れるハロゲンも大変に優秀な人間でしょう。彼を何度もヴェリエーロに招こうとしたのですが、彼は頑なに一空理具屋である事をやめませんでした。何でも亡くなった奥様との思い出の店だからとロマンチックな話しを聞きました。
彼の持ってきた空理具はすでに試作7号でした。この短時間に素晴らしいことです。想定よりは厚みが出てしまいましたが、これはこれで悪くありません。
アキラはダメ出しをしましたが、これで十分でしょう。
そのまま量産体制に入ろうとしていたらアキラが試作品をテストしました。
その時アキラは2度目の衝撃を与えました。経済自由都市の話以来の大打撃です。
アキラが照明の空理具を使用すると、通常の10倍は明るい光が部屋中を包みます。しかもイメージのむずかしい白い光です。男爵の家の優秀な理術士が使う空理術を上回る明るさと白さです。
この場にいた3人は時間が止まったかのように絶句してしまいます。
彼は自分がどれほどの事をしたのかわかっておらず、のほほんとこちらにトボけた顔を向けるではありませんか。私はその表情に軽い怒りを覚えてしまいます。この何をとっても規格外の人間を放置していてはダメだと。
彼にこの異常事態を教えこませるのに、この場は不十分です。
居合わせた二人に他言無用を言い聞かせてこの話は横においておく事にしました。
アキラは納得がいっていないようでしたが、無視して空理具の量産の話しを進めます。
ところがそこでアキラは「和紙」を使うアイディアを出してきました。
まだ和紙のイメージは湧きにくいのですが、たしかに羊皮紙に似たものであれば悪くないアイディアに感じます。和紙がダメでも最上質の薄い羊皮紙を使っても良いかも知れません。
ただ和紙のサンプル自体ができていないので一度空理具の制作は先延ばしにする事に決定しました。
いったいアキラの発想力はどれほど深いのでしょう。
――――
さて、アキラには事の重大さを理解してもらわないといけません。
私はアキラとメルヴィンだけを連れて街の外に出ました。
そこでアキラに護衛に「光剣」の空理具を手渡します。
彼は物珍しげに眺めていたましたが、できるだけ先入観を与えないようにただ光剣を使うよう指示します。
彼は若干の時間トボけた顔で思案して、大岩に空理具を向けます。
そして次の瞬間。
光剣……などではなく光の短矢が雨あられと大量に撃ちだされ続けたのです。
大岩は一瞬で粉々に。
想像はしていました。アキラが光剣を使えばきっと信じられない威力になると。
私の想像していたレベルでは、光剣が10本を超え、大岩にヒビを……いえ、もしかしたら2つに割ってしまうかも、いえ、さすがにそれは大袈裟すぎます。しかし岩を大きく削る威力にはなるのではないでしょうかと。
一体誰が想像出来るでしょうか。おそらく数百……私の目ではわかりませんがもしかしたら数千以上の光の矢を打ち出して、岩を割るどころか砕くでもなく粉砕してしまうとは。まさに想像の埒外です。
私の思考は止まり、冷静沈着であるメルヴィンが腰を抜かして泣きそになっていた事も、理解していただけると思います。
気がついた時にはアキラに抱きかかえられていました。いつの間にやら気を失っていたようです。
体重を彼に預けていると、なぜだか妙に気分が落ち着いていきます。ですので彼が慌てて身体を離すと、どうしてか妙に寂しく感じてしまいました。
若干アキラとトンチンカンなやり取りをしてしまいましたがペースを取り戻し、一般的……よりも強力なはずのメルヴィンの光剣をアキラに見せました。
彼は自分の異常性を理解できたのでしょうか。
「そうならそうと先に言ってくれ」
メルヴィンから空理具を受け取った彼の顔をみて、絶対理解出来ていないと確信してしまいました。そしてそれは数秒後に証明されます。
彼は光剣の軌道を変え、空に打ち出し、見た目美しく散らして見せたではないですか。大変に頭が痛いです。彼は何もわかっていません。
わかったことがあります。
「アキラ様に……常識は通用しません」
断言しました。メルヴィンも頷いています。
アキラを見ていると常識が何だったか忘れてしまいそうです。
それにさらに追い打ちをかけます。
「そうだ、よかったら何本同時に出せるか試したいんだが構わんか?」
アキラの軽い提案。私は1秒に満たない間に、確認したほうが良いと判断します。おそらく光剣の空理具は失われる事になるでしょうが……。
彼は軽く空理具を構えると、光の剣が3、4、5本と現れ、急に5本、10本、15本と加速度的に増えていきます。彼はいったい何をやっているのでしょうか。
こんなものが理術研究の理術士に見つかったら脳を解剖されかねません。
私は正直これ以上増える光剣を見届ける自信がありませんでした。そこで私の願いが神に通じたのかとうとう空理具が音を立て壊れます。
本職の理術士でもないのに空理具を壊すほどの「力」をアキラは持っているのです。
彼をどう扱ってよいのかわからなくなってしまいました。
やはり彼は事態を軽く見ているようで、エルフに相談してみると簡単に曰うではありませんか。
私の念押しも片手を振ってあしらわれてしまいました。
不安です。
――――
次の日、朝から愉快ではない雑談になってしまいました。
少々この国の事を話して、未来に対する希望が見えない事態を再認識してしまします。
いえ、私が頑張らなくてはいけません。
父が帰ってきたら事態は少しは変わるでしょうか?
――――
それから2日間は特に何もなく過ぎていきます。
時々アキラがボソリとこぼす意見がどれも革命的であると彼は全く理解していないでしょう。世界の秘密をたまたま聞いてしまった商人達はそれに気がつかない振りをして席を離れます。
誰も彼もが、私が気がついていない事を祈りながら当り障りのない商談で済ませていくので、楽しくてしょうがありません。私としてはすでに手が足りない状態なので彼らが何かしらの実績を出し、当商会に持ち込んでくれれば十分なのです。
きっと画期的なアイディアの片鱗に触れた彼らはそれを実現すべく全力を尽くすでしょう。
もっともそんなアイディアを出したアキラは二人になるとアクビを出して眠そうにしています。
私の部下にこんな態度を取る者がいたら即刻首であるのに、いったい私はどうしたというのでしょうね?
そしてようやく木炭と和紙の試作品が完成したと連絡を受けました。
昼食後の商談は全てキャンセルして、目的の場所に向かいます。
そこは当ヴェリエーロ商会の実験用地の一つです。
ここでは普段、農業研究や河川を利用した様々な研究をしていた場所です。最近使っていなかったのですが今回の試作品制作に条件がぴったりの場所でした。
職人であり研究熱心なダウロから見本を見せてもらいます。
まず和紙ですが、現物を見たら一発で惚れました。
これは信じられないほど良いものです。
私はこれを商会の商品の柱にすることに決めました。
陸路は父の管轄ですが、父が戻り次第輸送用の荷馬車を増やす相談をしましょう。それまでにとにかく量産体制を整えておくことにしましょう。
アキラの助言で空理具に使う用途と、書類に使う用途、さらに汚れ物を拭き取るための紙という信じられない用途の紙の制作を行うことにしました。
市民はムリでも少し裕福な商人や、貴族には飛ぶように売れることでしょう。
木炭は最低限の品質に届いていないとアキラが断定しましたので、これは少し先送りになりました。
完成していないからかもしれませんが、まだ炭の利点がよくわかりません。ダウロに任せておけばよいでしょう。
私は和紙の利用に思いを馳せつつ帰りの馬車でアキラとの雑談を楽しんでいたのですが、そこに邪魔が入ります。
急停車した馬車の反動でアキラに抱きつく形になります。どうしてか私はそこから離れる気にならず、そのまましがみついていました。
出てきたのは野盗の類です、あれなら護衛に任せておけば十分でしょう。
私はこのままの姿勢を維持していたかったのですが、妙です。
野盗の動きをみて、すぐにそれが陽動だと気づきました。
つまりこの馬車を直接狙う別働隊がいるのでしょう。
私は楽しい時間を邪魔されて不機嫌になり、馬車を降ります。
案の定隠れていた痴れ者がいました。
せっかくですので私の八つ当たりに付き合ってもらいましょう。
わざわざ陽動を掛けたというのに、待ち伏せしていたのはたったの一人。もう少し頭を使うべきでしょう。
私は紅鎖を操って痴れ者を打ちのめしました。まったく手応えも張り合いもありません。
驚くアキラの顔を見たら、何故か気分がスッとしました。
しかしそれは完全に油断でした。
もしかしたら私を馬車から降ろす作戦だったのかも知れません。
私が賊を踏みつけていると、急にアキラが飛びついてくるでは無いですか。一瞬何が起きたかわかりませんでしたが、彼の頬についた傷で全てを悟ります。もう一人賊が隠れていて、その者が私をクロスボウで狙ったのでしょう。そしてそれに気づいたアキラが私を庇ったのです。
男性にのし掛かられたことは初めてです。いえ、今までも護衛の方に身を挺して守られたことは何度もあったはずですが、あまり印象に残っておりません。
目の前にアキラの顔があります。
心臓が激しく鼓動します。
どうやら私は病に掛かってしまったようでした。
――――
商会に戻ると「影」が戻っていました。
アキラは私と一緒でしたから別の任務を頼んでおきました。
「彼らが、会いたいと」
影がボソリと言った。
「彼ら……ですか」
正直気が進みません。彼らの思想に共感する部分は多いのですが、彼らと行動を共にする気にはどうしてもなりません。
「適度に資金を提供して誤魔化しましょう」
「今回はどうしても直接話しをしたいと……」
「珍しいですね、いつもはそこで引きますのに」
「……消しますか?」
「意味がありません」
確かに彼らの頭を消せばしばらくは動きが無くなるでしょう。しかし彼らは国とは違う理念で動いているのです。きっとすぐに別の人間が頭になってまた活動を再開するでしょう。
そして彼らは日に日に増えているのです。もう隠し切れないほどに。
「……わかりました。護衛につきなさい」
「御意」
立ち上がった瞬間、どうしてかアキラの顔と言葉を思い出した。
――経済自由都市。
私は頭を振って歩き出しました。