第38話「荒野の紅鎖」
チェリナを守る護衛の二人は強かった。
野盗の一人が弓を射るが、あっさりと槍ではたき落とし、その間にもう一人の護衛が距離を詰める。慌てて陣形を作る野盗たちだったが、先頭にいた一人が護衛の槍を肩口にくらいその場でのたうち回る。
野盗は6人もいたから心配していたのだが、まるで相手になっていないようで、護衛が距離を詰めるたびに彼らは後ろに下がらざるを得なかった。
「おお、強いんだなあいつら」
「……妙ですね」
俺の感想とは真逆の意見がチェリナから飛び出す。
「何が妙なんだ?」
「いえ、この街に住む人間であれば、ヴェリエーロを敵にまわす事がどれほど愚かな事かわかっているでしょうし、通りすがりの野盗であっても、武装した兵士を見て襲ってくるとも思いません、どうせ襲うのならもっと弱そうな行商人を襲ったほうが確実でしょう」
「それもそうだが……ただあいつらの頭が悪かったとか……」
「衝動的な犯罪の可能性もありますが……」
しばらく無言で考え込んでいたかと思ったら、唐突に立ち上がり、チェリナは馬車を飛び降りた。あまりにも自然な動きだったので止める暇も無かった。
「おいっ! チェリナ!」
「お嬢様?!」
俺とチェリナお付のメルヴィルが同時に叫ぶ。
「……いるのでしょう?! 出てきなさい! 痴れ者め!」
チェリナは俺たちを無視して胸を張って怒鳴った。
俺も馬車を転げるように飛び出して、チェリナを馬車に引き戻そうとしたが、俺とチェリナの間に「ダンっ!」と矢が突き立った。
「うをぉ?!」
俺はバランスを崩してその場にひっくり返った。
「そこですね!」
チェリナは動物を思わせるしなやかな動きで身体に巻きつけている細めの紅いチェーンを両手で振り回すではないか。新体操のリボンと見間違う動きで岩陰に隠れていた野盗に打ち下ろす。大型犬が蹴っ飛ばされたような悲鳴を上げながら岩陰から雇うが転げ出てきた。
「ちょっ?!」
俺は思わず妙ちくりんな声を上げてしまった。
チェリナが手首を返すとチェーンが空中で波を描き、野盗の首に巻き付いた。真っ赤な大蛇を連想させる。
「ひゅっ!」
彼女が気合一閃。口から泡を吹いた男が彼女の前に引きずり出されたのだ。
一瞬で起こった事とは思えない。チェリナは巨大な胸を揺らして男の顔を踏み抜いた。
「下郎がっ!」
「ぐぎゃっ!
薄汚れた服装でクロスボウを構えていた男が地べたにハードなキスをさせられた。追い打ちを掛けるように、チェリナが激しくブーツの底で男の後頭部を抉り込んだ。
あまりの出来事に脳が真っ白になるが、俺は慌ててチェリナに駆け寄った。
「大丈夫か?!」
「この程度どうということはありませんわ」
俺は安堵のため息を吐きつつ、彼女の足の下で泡を吹いて気絶している男を見下ろした。
「なんなんだこいつらは……」
「おそらくですが、この土地に来たばかりのゴロツキでしょう。そういう輩が雇われてわたくし共を襲う事は良くあることですわ」
「良くあるって……」
ふと……。
本当に偶然、わずかに視線をずらした時だった。チェリナの背後の地面が一瞬夕暮れを鋭く反射した気がしたのだ。
後は意識しての行動では無かった。
「チェリナっ!」
「えっ?」
どうしてそんな行動を躊躇無く取れたのかは自分でも良くわからない。
俺は気がついたら彼女に飛びかかるように押し倒していた。
「お嬢様!」
馬車を降りてこちらに近づいていたメルヴィンが叫ぶ。
そして2つの声が重なる。
「アキラ様?!」
「ちくしょうがっ!」
一人は目の前のチェリナの悲鳴である。地面に押し倒して顔が目の前だ。その彼女の頬に真っ赤な血液がポタポタと滴る。
頬が熱い。
指でなぞると痛みが走り、指には血がべっとりと付着した。
もう一つの声は、俺たちからわずかに離れた地面からだった。乾いた土の色に染めた布で隠れていた男が弾けるように立ち上がり、クロスボウと投網のようなものを投げ捨てて腰の剣を抜いていた。
あ、やばい。
そう思ったが俺とチェリナは抱き合うように倒れていて、逃げ出せるような体型では無い。凄まじい形相で迫る男の剣に、俺はチェリナを強く抱きしめ守ることしか出来なかった。
「お嬢様!!」
金属が撃ち合う音が耳元で激しく鳴った。
「邪魔だじじい!」
「じじいというほどの歳ではありませんよっ!」
続けて2撃、3撃と剣戟の響きが続いた。
「うぐっ!」「がっ!」「ぐはっ!」
男が続けて悲鳴を上げた。
そして最後に断末魔の叫びを上げて倒れる音が続いた。どうして音だけなのかといえば、俺はずっと目をつぶってチェリナを力一杯抱きしめていたからだ。
そして……。
「アキラ様……その……そろそろ……」
耳元でぼそぼそと囁くチェリナ。
「お嬢様! お怪我はありませんかっ?!」
頭の上からメルヴィンの声が降ってくる。
そこでようやく自分たちが助かったのだと理解した。
俺の身体から力が抜けると同時に、メルヴィンが俺とチェリナを引き剥がして、彼女に怪我が無いかを確認する。
「ふう……油断しました」
「お嬢様! 肝が冷えましたぞ! 無茶はおやめくださいとあれほど……!」
「すみませんでした。しかしご覧の通りわたくしは無事ですわ。アキラ様のおかげで」
メルヴィンが身体を起こしかけていた俺を見下ろしていた。なんとも複雑な表情だった。
視線を横にすると乾いた大地に赤黒い血液を吸わせる死骸が一体。俺は視線を逸らして立ち上がった。メルヴィンは生き残っているもう一方を手際よく押さえつけた。
それに気づいた残りの野盗達が慌てて逃げ出した。護衛の一人が肩を怪我して倒れていた野盗を捕まえて戻ってくる。もう一人は馬に乗って周りを警戒していた。どちらも深追いする気はないらしい。
「すみませんお嬢様! お怪我はありませんか!」
「わたくしがこの程度の人間にどうにかされると思っているのですか?」
「い、いえ、お嬢様の腕は存じておりますが、危険ですからと何度も……」
「問題ありません」
「……そうですね、敵の陽動に気が付かなかった私に問題がありました。如何様な罰もお受けいたします」
「生け捕りの活躍と相殺といたします。励みなさい」
「ありがとうございます!」
護衛が頭を下げたタイミングで馬上で警戒していたほうが戻ってきた。
「お嬢様、今なら進めます、もう市壁が見えますので急いで門を潜りましょう」
二人は手際よく野盗の二人を縛り上げると馬に乗せる、護衛の二人は馬の手綱を引いて走るようだ。
「急ぎましょう」
「わかりました」
俺とチェリナが馬車に乗ると、メルヴィンが馬を走らせる。荒れた道なので大変に跳ねて揺れたが、その分街にはすぐ入れた。
ようやく安堵の息を吐き出して、チェリナがクスリと笑った。
「あの程度は日常茶飯事ですよ、アキラ様」
「マジか」
「マジです」
大変に魅力的な笑顔で答えてくれる。
だが。
胸で十字になるよう巻かれた紅いチェーンが視界に入り……。
おっかない。女は本当におっかない生き物だ。
俺はそう再認識することになった。
さて、無事に商会にたどり着き、中の人間にチェリナを頼む。チェリナ当人にも何度か自重しろと注意しておいた。
チェリナが戦える事にはびっくりしたが、だからといって無理する意味はないだろう。商会内をちょこまか忙しそうに走り回っている丁稚奉公の小僧に小銭を握らせて注意するように頼もうとしたのだが、その小僧は「貴方に頼まれなくとも私達がお嬢様をお守りします!」と憤慨されてしまった。小銭すら受け取ってもらえずその場に立ちすくむしかなかった。この世界の人間は金に意地汚い奴ばかりではなく、義理人情を持った気持ちの良い人間もいるのだと、今更ながらに思い知らされた。
むしろ金の力で頼むしか無い俺の方が汚れているのだろう。なんだか凹む。
商会内ならば屈強な従業員が沢山いるのでチェリナに何か起こることはないだろう。
気を取り直して俺は宿に戻ることにした。
商会と宿屋は割りと近い区画に存在するのでいちいち大通りに出る必要はない。細い裏路地を通り抜けば直ぐに宿に出る。いつもはこの時間はすれ違う人間が多いのだが、今日は誰もいなかった。
人のいない路地ってのは子供の頃を思い出すね。
そんなどうでも良い事を考えていた時のことだ。
前方に柄の悪そうな二人が立ちふさがった。
目つきが異常に鋭い。
これは……やばい気がする。先ほど襲ってきた野盗より遥かにプレッシャーがデカイ。俺の脳内アラートが全力で鳴り響く。
こういう時に止まってはダメだ。俺は直ぐさに後ろに走りだそうと振り向いた。がすでに遅し。別の二人組が道を塞いでいた。
ここでようやく俺がターゲットだと明確に理解した。
いくら裏路地とはいえここ数日通っているのだ。この時間に人が通っていない訳がない。どうしてもっと早く気が付かなかったのか。ここは安心安全な日本ではないのだ!
考えることはもう一つ。なぜ、俺が狙われたのかである。
最も考えられる理由はこの服装だろう。白いシャツにきっちりしたズボン。さらに高価なメガネを掛けている。
身なりだけ見て金を持っていそうだと判断されるに十分だ。
もう一つはヴェリエーロ商会から出てきたのを目撃していた線だ。これもヴェリエーロと商談する人間なら金を持っていると判断しておかしくない。
「あー……何か用かな?」
俺は努めて自然な笑顔を作ったつもりだったが失敗した。笑みが引き攣っているのを自分でもよくわかる。
彼らの返事は懐から鋭いナイフを取り出す行為だった。問答無用過ぎる。
「わかった! 金なら渡す! だからちょっと待て!」
命より金だ!
幸いここで身ぐるみ剥がれて、全額渡しても、宿代は払い済みだし、チェリナの相談役としての金銭をもらってもいい。どうでもいいが相談料の話は今まで一切していない。貸しの形でそのうちショップの商品でも買い取ってもらおうと思っていたからだ。豚王のジャガイモの件もある。ここで無一文になってもどうとでもなるというものだ。だから俺は躊躇なく金を差し出す決意をした。
俺は腰に吊るした麻袋に手を突っ込みとりあえず金貨を20枚ほど掴んで地面にばらまいた。ケチったわけでなく片手で掴めるのがそのくらいだったのだ。
ばらまいたのは彼らがそれを拾いだす隙をついて逃げるためだった。
ところが。
男は金貨に目もくれず低い姿勢で走り込んでくる。
鈍く光るナイフの刀身が妙にゆっくりと俺の身体に向かってきた。