第32話「荒野のやり手女社長(メガネ付き)」
しばらくの間、俺のやることは無かった。
商会に入ってくる様々な案件の対応事項に矢継ぎ早の指示をだすチェリナ。俺はそれを後ろから指を咥えて見ているだけだ。
詳細がわからないというのもあるが彼女が実に見事な対応をしているのだ、口を挟む余地はない。
従業員達からのあからさまな「お前なんでそこにいるんだよ」という視線から解放されたのはお昼になってからだった。
今はチェリナと二人きりで商会の小さな部屋で昼食を取っている。
「お前凄いな。まさに女社長だな」
「社長……ですか?」
おっと、謎翻訳さんがバグった。
「やり手って事さ」
「ブレインが優秀なだけですわ」
ちょっと顔が紅くなったか?
全身紅いから気のせいか。
「さて、人のいない間にちょいと話しておきたい事があるんだが」
「はい」
「和紙の作成報告は後日として、この街……王国には炭ってどのくらい普及してるんだ?」
「炭ですか?」
小首をかしげる仕草がちょっと可愛い。
いや騙されるな。女はこうやって男を壊していくんだ。
「木炭だな。木炭ってわかるか?」
「石炭とは違うのですよね?」
「ああ違う。って事はやっぱり存在しないのか……。見識の広いチェリナが知らないって事はこの地域周辺でマイナーって事なんだろうな」
後半は独り言である。
「木炭という響きから材料は木材でしょうか」
「そうだ。今朝宿の人間に薪の値段なんかを聞いたんだが、そこまで高いものじゃないらしいな。荒野なんでもっと高いもんだと思ってたぜ」
「そうですね、リベリ河の上流では大木が生い茂っているらしく、とにかく大量の木材を筏で卸してもらえます。この王国の先は海ですから無駄にならないようこの国には比較的安価で卸しているというのは彼らの弁です。まあ商人の口上などどこまで信用できるかわかりませんが……、少なくともこの国では食べ物よりも手に入りやすい品物となっていますね。建材はまた別ですが」
「それだけわかれば十分だ。これを見てくれ」
俺が取り出したのは。
【木炭作成全書=11万3千円】
今朝所持金が激減していた原因である。
見た目は和紙全書とあまり変わらないが厚さは2割ほどでだいぶ薄かった。
「拝見しても?」
「読みたくないとワガママを言われる方が困る」
紅い瞳が左右に素早く往復する。相変わらず読むのが早い。2度ほど流し読みした彼女は固い息を吐き出した。
「これは石炭と同じものが作れるということですか?」
「いや、さすがに違う、こればかりは作って試してみるのが一番だな。誰か職人を2~3人貸してくれないか、昨日読んだんだが材料さえ揃えばすぐに作れそうなんだ。炭窯を3つほど作って、それぞれ違う長さを試せばすぐに最低限の炭が作れるようになるだろう。3日くらい交代で見張れば……」
俺は考えていた手順を説明するつもりだったが、彼女に片手で遮られた。
「それには及びません。昨日のメンバーにやらせます」
「いや、彼らは今忙しいだろ」
「職人であり幹部であるのです。このくらいは当然ですわ」
うわっ! 思ったよりブラックだこの商会!
……それともこの世界はみんなこのレベルなのか?
「うーん。紙の重要度も高いんだが」
「わかっています。しかしどちらも極秘案件ですから機密保持の観点からも知る人間を増やすことは反対です」
「そうなんだよなぁ」
不安はあったが、炭小屋の方は俺がメインでやれば大丈夫かななんて軽く考えていた。彼女が正論だろう。
「わかった、差配は任せるわ」
「はい。あとでダウロを呼びましょう。もう全員に釘を差しておく必要もないでしょうから」
なるほど、前回わざわざ職人全員を集めたのは、秘密であると釘を刺す意味があったのか。代表のダウロだけ呼べばいいだろうと少し疑問だったのだ。
「この本の通りに作成して木炭が出来るのであれば、見本の作成自体は問題無いでしょう。ただ炭の利便性があまり想像出来ませんね」
「口で説明するのは難しいんだよ。チェリナも本当はこんな手間をかけるくらいなら薪のまま売ったほうが良いと考えてるだろ? だが大量生産出来るなら、国内外に売れると思うぞ」
実は炭を作ってみたい理由はもう一つあるのだが、それは実際に量産出来ることが確認出来てからでよい。失敗するとは思えないが滞在期間中に全てを終わらせたいと強く願う。
「信用してますから、楽しみにしています……それよりも」
なんだ?
「それよりも木材の取引が増えてしまうと男爵閣下にますます頭が上がらなくなります」
それって。
「はい。男爵閣下の持つ大きな専売特権に木材の取引があります」
「マジか」
「はい、マジです」
うーん。男爵とはつかず離れずの関係が最適なのだが、これでは下手にでないと取引が難しくなりそうだ。そしてその下手に出て言外に要求されるのはチェリナ本人に決まっているのだ。
「まいったな……」
「はい……まいりました」
そんなため息まじりのランチタイムは終了した。
――――
「アキラ様、次はきっと楽しめますよ」
昼食後、ダウロを呼び出し木炭の作成を指示して、何人かの商人が入れ替わった後の話だ。チェリナが紅い瞳を揺らしてこちらを覗く。
チェリナの側近であるメルヴィンさんが部屋に連れてきたのは、空理具屋のナイスミドルであるハロゲンだった。相変わらず執事っぽい。
「失礼致しますチェリナお嬢様、アキラ様」
「ご苦労です。では早速見せてください」
部屋には現在4人。俺とチェリナとメルヴィンとハロゲンである。
「まず2種類制作いたしまして、どちらも問題なく発動しております」
高級そうなカバンから2つの空理具を取り出した。
俺が見せたトランプを真似たのか、片面は複雑で格調のある模様。ひっくり返すと「照明」の飾り文字。その下に小さくヴェリエーロ商会と「試作7号」の文字が刻まれていた。
それはいい。
だが……。
「これではダメですね」
俺は速攻でダメ出しした。
「やはり……厚すぎますか」
そう、それはカードと言うにはあまりにも分厚く、すでに小型の箱であった。材料も木材なので固く持ち心地も悪い。
「薄く出来る算段だったんじゃないのですか?」
「誠に申し訳ありません。木材を薄くする事自体は出来たのですが、割れてしまうことが判明しました。柔軟性が足りないのです」
おおう。楽しみにしていたのに。俺がガッカリしているとチェリナが照明を発動させて頷く。
「これはこれで悪くはないと思いますが、たしかに持ち運びと言う意味では当初の予定とは異なりますが、自分にわかりやすく相手にわからないという条件はクリアしています」
そのままチェリナとハロゲンさんは原価やら生産ペースの話しを初めてしまったので、俺は一人黙考にふける事にした。
スマホの2倍はありそうな分厚い空理具。
俺も照明を発動してみる。
部屋には金属製のろうそく台が6つ壁に設置されている。その一つはすでにチェリナが明かりを灯していた。
照明の空理具はたしか触れている金属を一定時間光らせる効果だったよな。
さきほどチェリナは空理具をろうそく台に当てていたから真似すればいいだろう。
彼女が灯した明かりはあまり強くない。ロウソクがすでに灯っているので、弱めにしたのかもしれない。
俺としては盗聴防止で窓のないこの部屋はかなり暗いと思っていたので、蛍光灯の明かりをイメージして空理具を金属に当てた。
イメージ通り真っ白な光が部屋を照らす。
うん。これでも作業がやりやすいだろう。
俺は席に戻ろうと振り返って、3人がこちらを凝視しているのに気がついた。
「な、なんでしょう?」
「アキラ……様?」
「明るすぎたか? 少し弱めようか……ハロゲンさん、これって光量調節とかできますか? あと消し方を教えてください」
前半少々言葉が崩れかけたが後半取り繕う。
だがハロゲンさんの表情は固まったままだ。礼を失してしまった。
「何をしたのですか? アキラ様」
チェリナの語気が強い。
「何と言われましても、チェリナさまと同じように照明の空理具を使いました。むしろ問題があるのなら教えていただけませんか?」
言葉遣いで呆れられているのではないのだろうか。
「どうしてそんなに強い明かりが出せるのですか?」
どうしてって……清掃と同じように蛍光灯をイメージしただけだが。ロウソクの暖色系の喫茶店を思わせる部屋は暑苦しかったので明るいオフィスになるよう頑張ったつもりだが、白色が嫌いだったのかもしれん。
「イメージしただけだが? 蛍光灯……白くて明るいイメージをしただけだよ」
3人は顔を見合わせる。
あ、これ俺がなんかしでかしたパターンだ。
もしくは理不尽な責任を押し付けられる時だな。
「お嬢様……これは……」
「わかっています。二人ともこの事は他言無用でお願いします。この件はわたくしが確認します」
「わかりました」
「それはチェリナ様が危険です、私が……」
「メルヴィン、心配は受け取ります。ですがこの件に関してはわたくしが全て預かります。いいですね?」
「……わかりました」
「さてアキラ様」
なんか声が怖い。
「な、なんでしょう?」
「この件は後ほどゆっくり伺います、今はこちらの話を進めましょう」
「は、はい」
まったく理解していないが、とにかく返事だけはしておく。否定できる雰囲気ではない。しようものならこの紅い虎に食い殺されそうだ。
気持ちを切り替えて空理具の話に戻ったハロゲンさんとチェリナ。
メルヴィンが物凄い怖い目でこちらを睨んでいた。
俺は誤魔化すようにハンカチで額の汗を拭った。
……?
思考の隅に何かが引っかかる。
ハンカチ。
柔らかい。
布……。
やわらかい……紙?
「……和紙!」
思わず叫んでしまった。
「こ、今度はどうしたのですか?!」
「ああ、悪い、これさ、木片じゃなく和紙で作ればいいんじゃないか?」
「え?」
「ほら、何枚も重ねて糊付けするって言ってたろ、和紙だけじゃ柔らかすぎるが、糊が何重にも挟まるなら強度もプラスチック……あー、適度に固く適度に柔らかく出来るんじゃないか?」
「ああ!」
しかも和紙であれば水にもかなり強い。糊との相性次第では木製よりも丈夫に出来上がるんじゃないだろうか。
「ワシ……ですか?」
「あー、和紙ってのは……失礼、和紙というのはですね、羊皮紙の薄いものと考えていただけたら良いかと」
言葉遣いが崩れていたので慌てて直す。
「羊皮紙ですか?」
ハロゲンさんの頭にクエスチョンマークが浮いたところでチェリナが助け舟をくれた。
「近日中に試作品をお持ちしますわ、それまではこの木製を薄くする方法を検討していてください」
「わかりました」
建設的な意見が出てほっとしたのか、恭しく頭を下げる。
「それではこの時点で原価や工期の話をしてもあまり意味はありませんね、今日はこれで終わりにいたしましょう」
鶴の一声でこの会議は終了した。