第15話「最強商人と商売のいろは」
<side:アルベルト・アラバント>
「クソが!」
私は近くの調度品を壁に投げつけて、悪態を吐き出した。
八つ当たりだと分かっているが、このくらいやらないと、まるで気が収まらないのだ。
贅沢な透明ガラスの窓の外に見えるのは行列。
大行列だ。
この世界で最も気品ある、商業ストリートである、ヴォーレント通りに似つかわしくない大行列!
あんな下品な奴らは下町の露天にでも並べばいいのだ!
身分問わず、上は貴族の使いから、下は露天商まで、まるで統一性の無い輩が、行列に大人しく並んでいるのだ。
ヴェリエーロ商会。
新しく出来た商会の名前だ。
忌々しい悪魔のような名前だろう。
店を開設してから、一ヶ月ほどが過ぎていた。
見ての通り! 大盛況である! 業腹な事にな!
悪夢の商会には、一枚の大きな張り紙がしてあった。
『当商会は、どなたとでも商売をいたします。どこのギルドに加盟していようが、また加盟していなかろうが、他国の行商人でも、街の露天商でも、農夫でも、鍛冶屋でも、針子でも。あらゆる方と商売いたします。なお、当店では一切の値引き交渉をしておりません。全て購入個数で単価が決まっております。商品説明や確認が不要な方は右カウンターへ。すぐに在庫をお出しします。初めての方、商品説明を聞きたい方は左カウンターへ。現在お時間をいただいております』
『追記。どなたとでも商売いたしますが、最低限の身なりをお願いいたします。具体的には、水浴びくらいしてきてください。最低限が守れていれば、どなたのご来店も歓迎いたします』
忌々しい!
商談とは! 選ばれた商人の特権だろう!
それを農民や針子と行うのか!?
いや! それ以前に値段交渉が無いとはどういうことだ!
商人としての矜持を捨てるというのか!
私は机の上の和紙を握りしめた。
これは、ヴェリエーロの商品でもあり、行列を作っている人間に無償で配っている代物だ。
そこに記されているのは商品名と金額だ。
それも!
よりにもよって!
秘匿せねばならない数字を羅列してやがるんだあのクソやろう!!!
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【ヴェリエーロ商会:商品一覧】
当商会では小売りをしておりません。
また、金額交渉を行っておりません。
商談に割く時間を避け、その分お安くお値段に還元しております。
より多く購入いただけると、大変お得になるシステムです。
A3和紙(このチラシと同じ材質、大きさです)
100~299枚 =単価500円
300~499枚 =単価400円
500~999枚 =単価300円
1000~9999枚 =単価200円
1万枚以上 =単価170円
エルフ産ペットボトル(商品見本は店内にて)
100~299個 =単価2000円
300~499個 =単価1800円
500~999個 =単価1500円
1000~9999個 =単価1200円
1万個以上 =単価900円
高級エルフ産ワイン(ペットボトルでご提供いたします)
30~99ボトル =単価12万円
100~499ボトル =単価9万円
500ボトル以上 =単価7万円
Yシャツ
(現在品切れ中・申し訳ありません)
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何度も丸めて叩きつけ、今では皺だらけのぐちゃぐちゃの和紙であったが、見た目に反して丈夫で、まだ読むことが出来る。
少し目端の利く商人であれば、この和紙の価値に気付かない訳が無い。
私の部下からも、遠回しにあの和紙だけでも仕入れられないかと、意見が上がってくることしばしだ。
忌々しい!
商業ギルドの加盟店に、実質的な圧力を掛けている我が商会がそんなことをすれば、雪崩を打って加盟店が大挙するのは目に見えているだろうに!
実際今でも、ほとんどの商会は、その辺の無関係な奴に小銭を掴ませ、こっそりと仕入れているのだ。
もちろん、この首都アトラントで販売するほどの馬鹿はいないが、全員がせせこまと馬車に積み込み、地方や他国に運んでいるのは周知の事実なのだ!
叩きつけた和紙を拾い上げ、暗記するほど読んだそれに、再び目を通す。
何が忌々しいと言えば、本来商談にて、単価を決めていくそれを、全て先に開示していることだ。
商人の商談は闇の中で無くてはならない!
でなければ、露店に並べる時も、他の商人に転売する時も!
足下を見られるでは無いか!
現に!
今、王都で大流行している、謎の容器ペットボトル!
これの値段がアホほど安くなっているではないか!
私はテーブルに置かれた、エルフ産の美味いワインが入っていたペットボトルを持ち上げる。
「軽い……」
それだけでは無い。
回して開け閉めするキャップと呼ばれる仕組み。
もちろんすぐに真似するように開発を命じたのだが、ミリ単位以下の製造精度が求められ、量産は無理だと、匙を投げられた。
この、割れず、軽く、水が漏れず、その上簡単に開け閉めできるキャップがついており、瓶よりも透明の容器が、売れないわけが無い。
市場平均価格は3000円前後。
場所によっては2000円という安値を付けているところもある。
それはいい。
仕入れ価格で、販売価格に差が出るのは当たり前のことだ。
だが!
このヴェリエーロ商会が仕入れ値をばら撒いているせいで、世の馬鹿どもが商人はぼったくっているなどと騒ぎ始めたのだ!
あいつらは1000円で仕入れたものを1100円で売れとでも言うのだろうか!?
普通、どんな商品でも原価率が7割を越えるような商売はしない。
理想は原価率3割だろう。
商人ならわかる理屈でも、一般人には通じない。
それを!
原価を開示するなどトラブルしか起きない!
そして、事情を知らない他国の商会が「アラバント商会であれば、原価で仕入れているでしょうから、うちに回して欲しい」などとやってくるのだ!
知るか!
再び、調度品が壁で粉砕された。
最近は、わざわざ安いツボが置かれている。
アラバント商会には多数の取引品目がある。
当たり前だ。世界最大の商会なのだから。
その中でも特に主力となる商品が存在する。
その一つがガラスである。
贅沢なガラス窓、透明なグラス、実用性と芸術性を兼ね備えたガラス瓶。
どれもがアラバント商会の誇る、自慢の逸品だ。
だが。
決裁書類から、ガラス瓶の書類を抜き出す。
数週間前から、明らかに出荷数が減っていた。
当たり前だ。あのペットボトルに叶うわけが無い!
ガラス瓶を輸送するのであれば、割れないように一つずつ丁寧に梱包し、さらに毛布などで包みながら木箱にしまう。
さらに、高級な馬車を用意する必要がある。
それがペットボトルなら、ぎゅうぎゅうに詰めても問題にならないのだ。
和紙に包んでおけば、傷も付かない。
その上軽いから、馬車に負担も掛からないのだ。
このままだと、いくつかの契約ガラス工房を切らなければならない。
「クソ! 忌々しい! 本当に忌々しい!」
いっそ、盗賊団にでも襲われてしまえ!
と呪詛を吐いたこともあったが、それも無理だろう。
ヴェリエーロ商会を護衛する、黒のスーツを着込んだ集団。
どいつもこいつも歴戦を感じさせる空気を纏っていた。
しかも、全員がエルフだった。
特にその筆頭だろうドレッドエルフと、その副官らしきエルフの二人は、間違いなく突出した実力を持っている。
<黒針>ヤラライ。
調べてみれば、名の知れた武芸者なのだ。
噂ではエルフ最強の戦士という声すら聞こえる。
いったいなんだってそんな人物がと思ったら、ラライラ嬢の父親だった。
そしてそのラライラ自身も、あの高名な<理卿>ゼルギウスが一番弟子。<真理>ラライラだったのだ。
ゼルギウスの提唱した理術論を、広く世界に広めたのがラライラである。
それだけでは無い。
奴にはドワーフの連れがいるのだが、この辺りの情報通なら聞いたことくらいあるだろう。<放浪鉄槌>とか<鉄槌>と呼ばれるドワーフ。ハッグだったのだ。
変わり者という噂だが、戦士としても、鍛冶士としても、その腕は一級品だ。
どうしてそんな戦士が、一介の商人と共にしているのかさっぱりわからない。
だが!
一番わからないのは! アキラという黒髪の悪魔野郎だ!
詳細不明だが、あのアキラという男。太陽神ヘオリス教の法皇陛下と面会をしたらしい。
しかも、法皇が全ての予定をキャンセルしてまでだ!
それだけならば、荒唐無稽な噂話で終わるのだが、私はそれを直接確認してしまったのだ!
話はそれで終わらない。なんとヘオリス神官が、ぜひアキラ様を助けてやって欲しいと頼みに来たのだ!
意味がわからん!
ヘオリス教神官は、まだ詳しく話せないがという前置きをつけて、耳打ちしてくれた。
どうやらあのアキラという男、この国で新たな宗教組織を立ち上げるつもりらしい。
この!
宗教国家である!
真輝皇国アトランディアでだ!
頭沸いてんのか!?
だが、何より恐ろしいのは、すでにヘオリス教は内々に協力する予定であり、良い土地を見繕って欲しいなどと言われれば、その新教がどれほどの存在かがうかがえる。
わからん!
あの男だけは本当にわからん!
いっそ暗殺してしまいたい!
今だけは商売では無く、国や組織の気持ちが理解できそうだ!
……。
いや、戦いはまだ始まったばかりなのだ。
商戦に負けるつもりは一切無い。
奴のすね毛までむしり取って、この世の地獄を見せてやる! 商人の地獄! 借金という地獄をな!
私はアラバント商会本店の全精力を上げて、ヴェリエーロ商会を潰しにかかったのだ。
――。
もっとも。
今になって思えば、どれほど馬鹿な選択をしたのだと、後悔するほか無いのだが……。




