第17話「荒野の間抜けな新米使徒」
■■■ ムートン・レイティア ■■■
朝は日が昇る前に起きだして、神へ祈りを捧げる。
教会を隅々まで掃除をします。まだまだ訪れる人は少ないですが、手を抜く気はありません。
この教会は酒場を改築したものです。改築時になかば無理矢理、屋根上に増設した鐘楼。そこの小さな鐘を日の出と同時に鳴らします。
これが私の朝の日課です。
私は巡回神官として主に西地方を回っていたのですが、一年前のある日突然、私には分不相応な役割を与えられました。
それは教会の設置をようやく許された、荒野の最果て西の都市国家への赴任であり、その責任者でした。
少ない予算をやり繰りしての土地の選定からから始まり、建物の改装、鐘楼の設置許可、布教活動の許可などなど、時には国王様へ直接お目通りを願うこともありました。
……その時の国王様の視線が忘れられません。
どれも若輩の私には荷が重い事だったが期待されているのです。
それは赴任と共に与えられた苗字にも現れています。
苗字がなければどんなに敬虔な信者であっても教会で上り詰めることは出来ないからです。私に出世欲はないですが強い決意を持ってこのお役目に尽くしています。
気がつけば目まぐるしく一年が過ぎていきました。一年たってようやく落ち着いてきたところです。
これまで大きな仕事ばかりで細かいですが大切な布教活動や教会でのお勤めが疎かになっていたので、今はその分もこちらに力を入れています。
鐘を鳴らして下に降りると、数人の信者たちが朝の礼拝に訪れていました。ありがたいことです。
私はお祈りの終わった人に一人ずつ変わったことはないか、困っていることは無いかと聞いて回りました。
私は充実していました。
私にこんな素晴らしい役目を与えてくださった大地母神アイガス様に改めて感謝の祈りを捧げます
今日は布教活動の予定でしたが、昼前に本部のある「山と湖の国レイクレル」から大量の書類が届いてしまいました。先日送った報告書に対する指示書でしょう。
私は奥の机にそれらを広げて書類仕事に取りかかります。
教会を預かるということにこれほど書類仕事が伴うとは巡回神官の私では想像もつきませんでした。
このままでは本部に応援を頼まなければいけないかもしれません。しかし自分の力でやり遂げたいとも思うのです。ですがそれで失敗したら目も当てられません。
そんな修行の足りない苦悩を浮かべていたせいでしょうか、神は私に新たな試練を与えたもうたのです。
お昼には珍しく人が入ってきました。
この街ではお祈りする人のほとんどは朝と夕方にいらっしゃるので、直ぐに気がつきました。
教会に悪行を働く人間はいないので、笑顔で迎えると、変わった格好の男性が物珍しく教会内でキョロキョロと立っています。
声を掛けると反応が芳しくない。
もしかしたら何か悩みがあるのかもしれないので、話を振ってみると、どうやらご奉納のお話だという。
なるほど珍しい格好ですが大変に清潔にしていらっしゃるので、貴族かそれに関わる方でしょう。もしかしたら大きな商人の代理人かもしれません。
彼の言葉遣いはぶっきらぼうでしたが、ご奉納を申し出てくれました。神のご加護があることでしょう。
それでご奉納いただけるものを見せていただいたのですが、手彫の木細工でした。それもあまり上手には見えない……しかしなんでしょうか妙に目が離せないというか惹かれるものがあります。
そこでこれがどんなものかとお伺いしたのですが……そこで私の人生は大きく変わってしまったのです。
「ああ、商売神メルヘスに頼まれたんだよ、それはその神さんのシンボルマークだ」
その時私は彼の言った言葉の意味を理解出来ませんでした。
「……シンボル……神……メルヘス?」
相手の情報を咀嚼してしまう、神の代理を務めるものとしてあるまじき対応でした。
修行がどれだけ足りないかを思い知る出来事であり、私は生涯この時のことを忘れず、糧として生きていきます。
彼は大3柱全てを回るとおっしゃいます。今では珍しいですが3柱巡りというのは昔からある巡礼の一つです。
しかし、それよりも重大な事があります。
私はつばを飲み込んで訪ねました。
「あ、ああ失礼いたしました……、その……あなたは一体誰にそれを頼まれたのですか?」
「ん? メルヘスに決まってんじゃん」
この眼の前の異国人は、なんと、使徒様だったのです。
頭から血が一気に引いて寒気を覚えると同時に意識を失いました。
暗闇の中で誰かに話しかけられた気がします。
暗黒に飛ぶ白鳥……、そんな幻影をみたような気がします。
どうやら私は床に倒れているようです、誰かに上半身を起こされ、水を飲ませていただきました。何度か言葉のやり取りをしていた気がしますがはっきりしません。
ようやっと意識が戻ってきた時に再度水を飲ませていただきました。随分と冷たく透明な水のようでした。
そしてようやく気がついたのです、私を介抱していたのは使徒様ではありませんか!
私が最も敬愛する神は大地母神アイガス様ですが他の諸神様も同じように尊敬しております、その使徒様のお手を煩わせるとはアイガス様に恥をかかせると同意です!
無理矢理に身体を起こしますが近くに腰掛けるのに精一杯でした。
使徒様は寛大なことにそのような無礼すら許して下さいました。
その上に貴重である透明な水まで飲ませていただきました。なんと慈悲深い方なのでしょう。
教会というのはどうしても権威が必要になることがあります。
信徒ととして主が貶されれば強権を振るう事が必要な場合もあるのです。私の態度は使徒様にとって大変に失礼な行動です。使徒様がその気であれば私は命を奪われていても何も文句を言えません。
私は商売神メルヘス様に感謝の祈りを捧げつつ、深呼吸を繰り返します。
しかし私の体調が戻るのを確認すると使徒様は帰るとおっしゃるではありませんか!
大変です、使徒様のご奉納など私には荷が重すぎます。
慌てて引き止めますが、不機嫌を隠しません。
当たり前です私のような木っ端神官などに引き止められるなどどれほど使徒様のご不快を招くことでしょう、しかしこればかりは受け入れるわけにはいきません。私が伏して時間をいただきたいとお願いすると、嫌そうではありましたがご了承いただきました。
大変寛大な対応に私は涙が出そうです。
私は涙を堪えて使徒様のお名前をお聞きしました。
なんということでしょう。
私は先に名乗らなければならに立場だというのに混乱していたとはいえ、これはもう神罰で殺されてしまうでしょう。
しかし私は受け入れるつもりです。そんな覚悟を横に、使徒様は名前を名乗られました。
どれほど寛大なお方なのでしょうか。
私も名乗ると使徒アキラ様が手を差し出します。一瞬意味がわかりませんでしたが、彼は握手を求めていまいた。
私は打ち震える心を押さえてその手をそっと握り返しました。
使徒アキラ様の手は、使徒に相応しくあまり苦労を知らない手と同じでした。
――――
使徒アキラ様がお帰りになったあと、私はすぐに書をしたためました。
今までに一度も使ったことのない書式【最重要案件発生につき大至急神殿本部に連絡されたし】
この書式で提出された書類は全て神殿本部で審議され、重要案件に合わないものであればその書類を提出した神官は教会を追い出されるか見習いに落とされます、いえ、最悪の場合は本物の首が飛ぶ。そういった厳格で重要なものですが、私は一切迷いませんでした。
したためた書類はまずは近くのグリフォン便がある都市セビテスまで送られます。もちろんそこまでも最速の馬便を使う。この馬便は常に3頭の早馬を全力で飛ばし、もし途中で馬が潰れたり、野生動物や野党などに襲われた場合でも、生き残った馬で荷物を引き継ぐため、早くて安全性も高い西の荒野最速の連絡手段です。
馬便は国の書類を扱うことも多く、野党は馬便を襲うことが少ないと言われています。これが襲われた日には国軍が動くからです。
教会の金庫から金貨をほとんど取り出して書類を馬便に託しました。
安全に、少しでも早く届くことを我が神に祈って。