第28話「三匹と死の絶望」
4日の時間が過ぎていた。
生きていることが奇跡だった。
出来るだけ早い段階で巣を離れたかったのだが、運の悪いことにむしろ巣に追いやられる形にルートを取るしか無かった。
精霊の力が無ければとっくに見つかって攫われていただろう。
だけどボクは絶対に生き残って、割り符を届けるのだという思いだけで乾きや飢えに耐えながら這うように進み続けていた。
干し肉と乾燥果物はまだ少し残っているが、水がもうない。節約していたつもりだったが、荒野の太陽を舐めていた。
日帰りか一泊の予定だったので2日分として5リットルほど持ち歩いていたが、荒野の凄まじい乾きについ水に手が伸びる回数が多くなっていた。
今更だがもう少し容量の大きいアイテムバッグを買っておくべきだった。
しかしようやく希望が見え始めてくる。巣を半周する形でようやく町へ向かうルートへ乗れたのだ。
このルートは障害物は少ないがかわりに見通しが良く、ゴブリンの接近にも早めに気づける。
まだ安堵出来る状況では無いが、状況が変わると現金にも少し余裕を取り戻した。
隠れて進む途中、前方斜め方向に、またゴブリンの小団体を発見した。害獣たちの騒ぎ具合から、またストーンコヨーテでも追っているのかと、岩陰からそっとのぞいてみると、信じられないことに、一人の女性が追われていた。
なんでこんな何も無い場所を女性が一人で行動しているのか疑問に思ったが、それよりも助けなければならない。
ボクは取っておいた最後の力を振るう。
使うのは空想理術だ。この不毛の大地で攻撃に適した精霊はほとんどいない。
「踊れ炎よ、灼熱の炎よ、その熱く猛る破壊の炎よ! 眼前に立ちふさがる我が敵を焼き尽くせ!」
ボクに残された精神力をガリガリと削った代償に、空理術によって巨大な火炎球が空中に生み出される。それに気づいた女性とゴブリンたちがぎょっと動きを止めた。
「伏せて!」
ボクの叫びに旅装束の女性は思いっきり地面に身を投げ出した。
「いけぇ!」
灼熱の火炎球が勢いよくゴブリンたちに向かっていく。慌てて逃げようとするもすでに遅く、害獣たちは全員消し炭へとその姿を変えていった。
「大丈夫?」
ボクが急いで近寄ると、スレンダーなヒューマン美人さんがいた。
「あ、ありがとうございます」
「どうしてこんな所に一人で……いや、そんなことはいいや。急いで逃げないと……」
ボクは立ち上がろうとして眩暈にふらついてしまった。
「あ! 大丈夫ですか?!」
「う、うん……でも理術を使い過ぎちゃったみたい。これ以上は使えないや」
「もしかして何日か前に出立したという討伐隊の方なのでは?」
「うん」
「良かった。別のエルフの方が心配していたんですよ。そうだお水を」
彼女は腰の皮製水入れを取り出すと、ボクの口に少しずつ水を差し入れてくれた。
「ああ……ありがとう」
「それは私の言うべき事ですよ。一気に飲んではダメですよ。ゆっくりですよ」
「うん」
このわずかな休息のおかげで、意識だけはハッキリと取り戻した。
「ここは危険だよ、早く逃げなきゃ」
「ええ……そうなんですが……」
彼女は回りを見回す。ボクも追うように地平を睨むと、ゴブリンの小隊がやたらと歩き回っていた。今回のゴブリンハザードは本当に異常だった。
「……キミはこれを町に届けて」
「え? これは?」
「ボクを守ってくれた英雄たちの願いだよ。ボクが囮になるから、その間に必ず町まで戻るんだ」
「そんな! せめて一緒に行きましょう!」
「ダメ。このままだと囲まれるだけだよ。正直もうほとんど理術を使えないんだ……足手まといにしかならないよ」
「私も何も出来ません。一緒に頑張りましょう」
「ううん。キミにはどうしてもそれを届けて欲しいんだ。それに……いざとなったときに自決出来る心構えはないよね?」
「……え?」
自決という単語に彼女の動きが止まる。ここで「では貴方は?」と問われなくて良かった。覚悟は出来たつもりだけど、改めて問われたら揺らいでしまったかもしれない。
「絶対に、生きて町まで行くんだよ!」
「あっ!」
ボクは彼女の答えを聞かずに走り出した。さきほどの理術で生み出した火炎弾の爆音に引きつけられていたゴブリンたちがボクに気がつき始める。
「こっちだよ! こっち!」
さらに大声を出して注目を集める。
「精霊よ、荒ぶる荒野で踊る猛き風の精霊よ、その身を躍らせその存在を知らしめろ!」
荒野に吹く風の精霊は森の精霊とは段違いの暴れん坊だ。細かいコントロールが出来ない分、こういう大ざっぱな作業に向いていた。
空気が鋭く膨張して、波となり、破裂音となって周囲にまき散らされる。
そう、精霊にお願いしたのは、ただ大きな音を出してもらう事だった。空理術ほどでは無いが、精神が削られて頭がふらつく。自らの顔を叩いて気力を振り絞った。
「さあ! 緑色のお馬鹿さんたち! 君たちの獲物はこっちだよ!」
そうしてボクは再び走り出した。
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どのくらいの時間を走り、隠れ、また走っただろう。
寝不足に過運動、さらに理術の使いすぎ。追われる恐怖。全てがボクの身体を蝕んでいく。
腰に下げた護身用の短剣がやけに重く感じる。もし、逃げ切れずにつかまりそうになったら……。
普段は果物や乾し肉ばかりを切っているこのナイフを、ボクの喉に突き立てる……。
いざとなったとき、ボクは本当にそれを選べるのだろうか?
エルフという種族は例え一度依り代になってしまった同族でも見捨てたりしない。長い年月を掛けて身体と心を癒やし、差別することなどありえない。
……何を考えているんだボクは。何よりあの害獣たちに穢されても良いと思っているのか?!
それは油断だったのか、集中力が切れた瞬間に、害獣の咆哮が上がる。
振り向くと緑の悪意が涎をまき散らしながら疾走してくる。
ダメだ。あんなのに何かされてまで生き残るなんて考えられない!
ボクは腰の短剣を引き抜くと、その切っ先をのど元に当てる。あとは、ただ、このまま前に倒れれば……。
奇声が迫る。
震えが、汗が、止まらない。
早くしないと追いつかれる!
ボクは接近するゴブリンの恐怖に、死の恐怖に、大声を上げた。自分でもどんな悲鳴を上げていたか理解出来なかった。
「ぼぎゃっ……」
もう手が届きそうな程接近していたゴブリンが、なぜか明後日の方向へと向っていく。ボクの視界にはそのゴブリンの胸までしか入っていなかった。そのままの勢いで地面に倒れるゴブリン。なぜか頭が無かった。
「え?」
ボクは唖然とその死体を眺める。鈍い音が続いていく。首を回すと、ボクを囲もうとしていたゴブリンたちが次々と倒れていくのだ。あるものは頭を無くして、あるものは胸に大穴を空けて。
「大丈夫か?!」
「え? え?」
ボクは夢でも見ているのだろうか、砂まみれになった黒髪の青年が僕の前に躍り出た。砂色の変わった服を着ている。たぶん戦闘用の服だろう。ボクの知る限りこの大陸では見たことのないデザインだった。
……いや、問題はそこではないだろう。
「き……キミは?」
「話は後だ! 走れるか?!」
「え……うん……あうっ!」
ボクは立ち上がろうとして、そのまま地面に転がった。足が震えてまるで力が入らないのだ。
「あ……」
「くそっ……!」
「ひゃん!」
黒髪のヒューマンは舌打ちしながらボクを抱えると、そのまま自らの背中に担いだのだ。
「悪いがしっかり捕まっててくれ、こっちはこっちで忙しい!」
「う、うん」
残った体力を使って、彼の首に手を回し、背中にしがみついた。恐らくだけれど、この人、そこそこの波動理術の使い手だ。
男性が真っ直ぐに走り出す。しかし正面には50を越えるゴブリンの団体が立ち塞いでいた。もう巣に近すぎて、増援がどこから出てくるのか想像もできない。この辺りは見通しが良すぎる。こちらからも敵を発見しやすいが、的からも発見されやすい。
背後の巣からも団体が駆け上がってくる。いったいどれだけのハザードが起きているのか想像もつかない。
だがこの黒髪の青年は躊躇無く正面の一番分厚い集団に走り寄っていく。それはまるで自殺志願者だった。
ゴブリン共の怒り狂った表情がハッキリと判別距離まで近づくと、彼は何かの板きれを正面に構えた。
「邪魔だ! マシンガン光剣!」
彼の叫びと共に、大量の光の弾丸が現われる。いや、違う、もの凄い高速で連続発射をしているのだ!
うん百という大量の……これは光剣!
空想理術の最も基本にして、極めたら最高の攻撃理術になるという光剣の空想理術だった。
理術師? ……違う、見たことのない形だけれど、彼が持っている板きれこそが空理具なのだ。
しかし普通に考えたらこんな使い方をしたら理力石が保たない。一瞬で砕け散るはずだ。さらに通常具現化されるのはその名の通り光の剣のはず。ところが彼が撃ち出しているのは、小石ほどの光の弾だった。
わからない事だらけだった。
でも……。
頬から、額から、顎から汗を飛び散らせながら空理具を振るう彼の背中で、敵陣だと言うのに、どういう訳かボクは妙に安堵して……。
そしていつの間にか眠りについていた。
来週はアキラのターン
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